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紅蓮の華  作者: 穂積
第一章
4/14

召喚

砂の王国アウグスト。

砂漠の中にも関らず、古い歴史の元に巨大な王国を築いてきたこの国は今、内乱の危機に瀕していた。

先日、長きに渡り王国を治めてきた賢王が急逝し、その後を継ぐべく第一王子が立ったのだが、これに否やを唱えるものが出てきたのだ。


アウグスト王国第一王子、ローディン・アウグストは御年16歳。

未だ若すぎる王子に、これまで政を国王と二分してきた神殿側が、実力と経験の不足を訴え戴冠には早すぎると神殿を挙げて反対の意を示したのである。


そして、代わりに神殿が担ぎ出したのが、王弟ローガン・アウグストだ。

今年47を迎える彼の人は、先王の御世で神官長を務めていた。

その穏やかな物腰は多くの民に慕われ、冴え渡る才知はまさに次代の王に相応しい。それが神殿側の意見である。


しかし、第一王子側も黙ってはいられない。

もともと、王太子として立っていたのは先王とその王妃の子であるローディンなのだ。

王が崩御した瞬間、掌を返したように意見を変えた神殿側の所業は、あまりに厚顔無恥な態度だった。


そんな神殿と真っ向から立ち向かったのが、ローディン王子の後見である宰相モーリス・アッシュである。

彼の人は、先王が戴冠したときから仕えている老臣で、厳しさと慈愛を兼ね備えた賢臣の一人であった。先王と乳兄弟として育ち、常に傍らで王を支え、時には厳しく諫言を述べながら、共に国を治めてきた忠臣の一人である。

彼の人は、国を二分する争いこそ愚の骨頂だと解ってはいたが、神殿に言われるままにローガンを王に据えるわけにはいかなかった。

なぜなら、モーリスにはローガンの本性を知っていたからだ。


王弟ローガン・アウグストという男は、実に見事に臣と民を欺いた。

その柔らかな物腰、知性溢れる言葉、神官長という神聖な地位。

己を引き立てる地位と名声を手に入れ、そしてそれを上手く使ってみせたその男は、確かに謀略の才があるのだろう。

しかしモーリスには、不意に男が見せる不穏な野心を浮かべる瞳が気に入らなかった。

いつだったか、それを見たのは本当に偶然のこと。しかし、人知れず浮かべていたあの邪悪な笑みは、慈愛という言葉をかけはなれたもので…寧ろ事を成すためには手段を選ばない、欲に堕ちた為政者の顔だった。


今は神殿にこもり、何かと策略をめぐらせているようだが、王が崩御した途端に神職を下り名乗りを上げたことも、欲深さの証拠だろう。

それにすら気付かせず、上手く神殿側の推挙という形を保ち、あまつさえ民にそう見せたことから、彼の人の硬骨さと頭の良さが伺えるというものだ。


我らがローディン王子は確かに未だ若く、経験も浅い。

しかし彼の王子には、人を惹きつける魅力と天性の支配者としての威厳も備わっている。

多少の不足は、彼の周りに集まる有能な臣達が補うだろう。

王弟ローガンの人気は確かに高いが、ローディン王子を支持する声が多いのも確かなのである。

あの王弟さえ欲を出さず、今の地位に落ち着いていれば、何事もなく平和な治世が始まるはずだったのだ。


その原因である男と、それを許してしまった己の不甲斐なさに、モーリスは言い知れぬ怒りを感じていた。
















『そなたの髪は、まるで雪のようだな。』


あれはいつだったか。

何思うでもなく、ただぼーっと、雪の降る庭で深深と積もる白を眺めていたときのこと。

背後に人の気配を感じたと思ったら、どこか感慨深げに呟く主の声が聞こえたのだ。


『真っ白で、穢れのない、純真無垢な粉雪のようだ。』


恥ずかしげもなく放たれた言葉に、何と返せばいいのか大いに困った。

何故なら、生まれてこの方、そんなことを言われたことなんて無かったのだから。


気持ちの悪い白。

神に見離された色。

人に成り損ねた半鬼人。


それが、今まで己に与えられてきた言葉だ。

なのに。


(貴方は、私を美しいと言ってくれた。)


あのときから、彼は紅蓮の全てになったのだ。






「……すお、う…さま…。」


夢の尾に縋るように呟かれた声は、まるで別人のように掠れていた。

しかし、幾分軽くなった眼を薄っすら開くと、夢うつつに見たおかしな光景が、今度は現実としてはっきりと目に飛び込んでくる。

現実、そう明らかに夢とは違う感覚に、紅蓮ははっと目を見開き飛び起きた。


「ぐっ…っ!!」


と、同時に突然全身を貫く痛みに、上半身を起こした状態で呻きながら身を強張らせる。

一際痛む肩を手で押さえると、ぬるりと血が滲む感触がした。

次いで僅かに漂う鉄の匂いに眉を顰める。


「神子様、動いてはいけません!」


そうこうしているうちに、聞き覚えのない女の声が聞こえた。

気が動転するあまり、気配に気付けなかった己に舌打ちする。

痛む身体を叱咤して、何事もなかったかのように背を伸ばすと、表情を消して声のした方へと探るような目を向けた。

そこには、見たこともないような格好の女が、壷のようなものを盆に乗せて慌てたように目を見開いてこちらへ近づいてくるのが見える。

女から目を離さぬまま、紅蓮は周囲の気配を探った。


「傷が開いてしまいます。どうぞそのまま横になられてください。」


女は紅蓮のすぐ隣までくると、盆を置き、心底案じるような声でそっと両手を伸ばしてきた。

紅蓮は思わず逃れるように身をそらす。

その僅かな動作に体中が痛んだが、彼女は眉すら動かさなかった。


「あぁ、いけません。警戒なさらないでください。私は何も持っていませんし、貴女様を害す意思もございません。」


そう言って、紅蓮の目の前に細い両手を開いて見せながら、女は小さく微笑んだ。

その笑みの温かさに、毒気を抜かれた紅蓮が僅かに息を漏らす。

女は殊更ゆっくりとした動作で、傷に触れぬよう気をつけながら紅蓮の肩と背に手を添えると、彼女の身体をゆっくりと横たえた。

僅かに警戒の色を見せながらも、促されるまま大人しく横になった紅蓮に、女はほっと息を吐き、傍らで姿勢を正す。


「今日から貴女様のお世話をさせて頂きます、侍女のカーラ・デルランジェと申します。」


丁寧な態度と言葉からは、悪意の欠片も感じない。

しかし、紅蓮には何が何だか意味が解らなかった。

話す言葉は判る、しかし意味が理解できない。

侍女の意味も、先ほど言われた神子という言葉も、おそらく女の名前なのだろう、その不思議な響きも聞いたことがなかった。

それに加え、女の不思議な肌の色も気にかかる。

世界は広しと言えど、紅蓮は生まれてこの方、こんな褐色の肌を見たことがなかった。


「…ここは、何処だ。お前は何処の国の者だ?」


内心、目の前の女の首元を掴み上げ、力の限り揺さぶりながら問いただしたい心境だったが、敵か味方かも判らない者に感情の揺らぎを見せるわけにも行かず、紅蓮はただ静かに言葉を放つ。


「ここは砂の王国アウグストでございます。私は神殿に仕える侍女です。」


知らない。国名すら聞いたことのない響きだ。

紅蓮の中の焦りが肥大する。


「そのような国聞いたこともない。にびの丘はどうなった?私は戦場にいたはずだ。」


そしてあの方は…?

今最も知りたいことを何とか呑み込み、静かに佇む女を睨みつける。

触れる空気がひやりと冷たく感じるほどの殺気が、紅蓮の身体から立ち上っていた。

しかし、女は笑顔を崩さない。


「申し訳ございません。私は神子様の御事情を存じ上げませんので、詳しい者を呼んで参りますが構いませんか?」


どうやら侍女とは下働きのことなのか、彼女は全てを知っている訳ではないらしい。

話が出来る者を呼んできてくれるのなら、紅蓮とて願ってもないことなので、否やを言わずに静かに頷いた。

それを確認した彼女が、ありがとうございますと綺麗に礼をする。


「では、すぐにお呼びして参りますが…もし何かございましたら、こちらの鈴をお鳴らしください。すぐに控えの者が参ります。お水はここにございますので、喉が渇かれましたら召し上がりください。」


女は、紅蓮が横になっている寝具と思しきものの傍らにある台を示すと、再び深くお辞儀をして出て行った。


女が示した台には、盆の上に透明の湯のみのようなものがあり、中には水が注がれていた。

その横には、不思議な形の銀色の何かが置いてある。猪口を引っくり返したようなものの上に柄を取り付けたようなそれが、女の言う鈴なのだろうか。

訝しげに首を傾げながらも、見知らぬ地で出されたものを飲む気にもならず、紅蓮は仕方なしに部屋の内部を見回した。


まず、壁の素材から見知らぬものだ。

明らかに木ではないそれは、縦横の細かく整った継ぎ目があり、土壁とも違うようだった。

所々飾り立てるように垂らされている布は薄く、様々な色を重ねてあるのだが、全てが淡く明るい色合いなので優しい印象を与えている。

己が横たわっている寝具らしき台も身を包む上掛けも、ふかふかと柔らかく、枕の役割をしている大きな布の塊も中に何が詰めてあるのか判らないが、体重をかければ緩やかな弾力を返しつつふわりと身を包んだ。

ふと身体を見下ろせば、常に身に纏っていた黒い衣は剥がれ、白く清潔な布が身を包んでいた。

袖がないので、肌を晒すことになれていない紅蓮には、それが少し心許無い。


そうこうしているうちに、どうやら先ほどの女が誰かを引き連れてきたらしい。

女の足音とそれに加えて少し大きなの足音が二つ加わっていた。


部屋の入り口は、縦長の四角い穴に天井から大きな布が二点から垂らされているだけなので、外の音が良く届いた。まぁ、戸が隔てていたところで、人並みはずれて耳の良い紅蓮には足音を聞き取ることくらい朝飯前なのだが。

紅蓮は静かに身を起こすと、入り口に神経を集中させた。

すぐに動けるよう、無駄な身体の力も抜いておく。


「神子様、王弟ローガン・アウグスト様と神官長バルタザール様をお連れ致しました。」


布の向こう側で、先ほどの女が一声かける。

彼女は言葉の後、一呼吸置くと布を押し上げ部屋に入り、流れるような動作で布を持ったまま横に避けた。そのまま軽く頭を垂れて背後の人物を室へ迎え入れる。


女の前をすり抜け、目も向けずに入ってきたのは、背の高い壮年の男と恰幅の良い初老の男だった。

二人が入ったことを確認した女が、布を下ろして紅蓮に目を向ける。

言を守らず、身を起こしていた紅蓮に、彼女は僅かに眉を顰めたようだった。

しかし、今度は何も言わず、真っ直ぐにこちらを見つめたまま入り口の脇に控えている。

紅蓮は彼女から視線を外し、今度は近づいてきた男二人に感情の削げた目を向けた。

彼らは特に気にすることなく、にこにこと笑みを浮かべている。

人好きのする笑みだが、紅蓮は何か気に入らないものを感じつつ見つめていると、壮年の男の方が口を開いた。


「アウグストへようこそ参られた。私は先王の弟、ローガン・アウグストと申します。これは、現神官長のバルタザール・バリエ。」


恭しく礼を取った男が、言葉と共に背後を振り返る。

すると、背後に身を引いていた男が一歩前に出ると、顔の前で両手を組んで頭を下げた。


「バルタザール・バリエにございます。この度のご降臨、真に嬉しく思います。神殿一同、貴女様のご降臨を心よりお待ちしておりました。」


どこか粘着質で耳障りなその声は、聞き覚えがあった。

そういえば、先に名乗りを上げた男の声も、だ。

紅蓮は表情を動かさぬまま記憶を探る。


「ご降臨の際、神子様は大層酷いお怪我をされておりまして……どうやら分を弁えぬ輩がおったようですな。しかし、ご心配召されるな。ここには誰一人、そのような無粋な輩はおりませぬゆえ。」


その言葉に、彼女ははっと小さく息を呑んだ。

そうだ、先ほどはっきりと目覚める前、自分は夢うつつの中ぼんやりと二人の声を聞いていた。

その時は耳が良く働かなかったのか、何を言っているのか全く判らなかったが、確かにこの二人の声だった。

ならば、と紅蓮は口を開く。


「私をここに連れ去ったのはお前か?」


抑え切れなかった怒気が僅かに漏れたらしい。

ぺらぺらと話していた男が僅かに笑みを引きつらせた。


「連れ去ったなど、滅相もございません!」

「ならば、何故私はここにいる。そもそもここは何処だ。アウグストなどという国は知らん。」

「それはそうでしょうとも、貴女様は異なる世界のお人。神代の国からいらした神子様でございますゆえ…。」

「異なる世界…だと?」

「えぇ、この世界とは別の世界でございます。神子様、我らが王国は今危機に瀕しております。私どもは民のため、国のため、危機を脱するために祈祷し、貴女様を得ることができました。」


どうぞお力をお貸しください。

そう告げる男を、紅蓮は信じられない思いで見つめていた。

全ては理解できなかったが、混乱する頭で大まかなことを理解する。


異なる世界。


この目の前の男は、己が国のために、紅蓮を元いた世界から呼んだ。そう、言ったのか。

理解した事柄が頭に染み込むと同時に、押し隠していた怒りが弾けた。


「ふざけるなっ!!」


まるで獣の咆哮のような怒りの声に、バルタザールと名乗った男が怯んだのか僅かに身を引く。

隣で微笑を浮かべていた男も、驚きの表情で目を見開いていた。


「勝手なことを…今すぐ私を元いた世界に帰せ!!」


何というときに、何ということを仕出かしてくれたのか。

思い出すのは、己の放った炎を追いかけ、青い軍勢の間を駆け抜けてゆく主の背中。

自分もすぐに、その後を追うはずだった。

追って、彼の行く手を阻む青い蟻たちを蹴散らし、共に果てるつもりだったのだ。

冥府の果てまで、そう約束したのに。

紅蓮は傷の痛みも忘れ、真っ赤な瞳に怒りの炎を宿しながら、渾身の力でバルタザールに掴みかかった。


「みっ…神子様っ!!落ち着いてくださいませ!!」


首元の衣をつかまれ、ガクガクと揺さぶられながら、焦ったようにバルタザールが声を上げる。

それを気に留めることなく、紅蓮は更に掴んだ衣を引き寄せ、殺気の篭る瞳で真っ直ぐに男を射抜いた。


「煩い!さっさと私を戻せ!!今すぐ戻さねば、八つ裂きにしてくれるっ!!」


ひやりと、刃を首元に突きつけられたような殺気に、男がぶるぶると身を震わせる。

肉で弛んだその顔が、恐怖に歪んだ。


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