背中
一体何人がこの二人にやられたのか。
紅蓮と蘇芳を包囲する青い兵たちも、どこか畏怖の目をもって彼らに対峙していた。
とはいえ、多勢に無勢。二人の身体は真っ赤に染まり、返り血のみではないその証拠に、激しく動くたびに手や足の切り傷から新たな血が噴出していた。
「お館様!これでは限がない!炎を使います、突破しましょう!」
どん、と背を合わせた拍子に紅蓮が早口に告げる。
その言葉に、蘇芳も大きく頷いた。
「よし、頼むぞ紅蓮!」
「御意に!」
ギンっと、目前に迫っていた刃を弾いた瞬間、彼女が大きく両手を広げ、真っ白な髪がぶわりと舞った。
「招来…炎!!」
喧騒の中、澄んだ声が辺りに響く。それと同時に、紅蓮の足元から真っ赤な炎が螺旋を描いて沸き起こった。
その人ならざる者の所業に周囲の武者達が悲鳴を上げる。
「我が主に道を開けよ!!」
吹き上がる炎が紅蓮の足元を離れ、蘇芳の前方を過ぎ去り敵本陣へと突き進む。
青い鎧を炎で焼き尽くし、道連れにしながらまるで生き物のような炎の塊が戦場を突き抜けた。
その塊を追うように、蘇芳が馬の腹を蹴り敵本陣を目指す。
炎を放った紅蓮も、それを援護しようと駆け出した……が、その時。
「…なっ!!」
がくり、と。
蹴ったはずの大地が、まるで消え去ったかのように支えをなくす。
それと同時に、ぶわりと足元から沸き起こったのは、先ほどの炎とは似ても似つかぬ真っ黒な闇だった。
それらはまるで、紅蓮を捕らえるかのように足元から彼女の身長を超えた辺りまで伸び上がり、複数に収束しながら人の手のような形を取る。
その異様な姿に、本能で恐怖を感じた紅蓮は一瞬身を強張らせた。
そんな彼女の一瞬の隙を見逃さず、無数の腕が彼女の細い身体に巻きつく。
脚をとられ、腰をとられ、肩から顔まで闇の手に覆われながら、辛うじて見えたのは小さくなっていく己の主の背中だった。
『そなたは何者だ?』
驚いたように見開かれた漆黒の瞳が己を射抜く。
紅蓮はその問いに答えることなく、真っ赤に燃える炎のような髪を茫然と見つめながら蹲っていた。
異形と蔑まれ、実の父に崖から落とされた彼女は、奇跡的に助かったものの、その後たどり着いた村でも異形の子供と石を投げられた。
森に逃げ込み、行き場もなく彷徨っていたが、とうとう精根尽き果て木の影に蹲っていたところ、いつの間にか眠りかけていたらしい。
声をかけるまでその存在に気付かなかった。
しくじった、と思う。
また石を投げられ、追われるのか。否、今度こそ殺されるかもしれない。
見上げた男は、自分の父より大きく、腕も脚も鍛えているのかまるで丸太のようだった。
(これは、逃げ切れない…。)
そう思うものの、大して己が焦っていないことに気付き小さく笑みを浮かべた。
(逃げる気も無いくせに。)
無意識のうちに現状を把握しようとするのは、叩き込まれた忍の性か。
自嘲するように笑みは小さな少女には不相応で、男は思わず眉を顰めた。
(あぁ、でも…こんなきれいな炎に殺されるのなら…。)
それもいいかもしれない。
そんなことを思ってしまうほど、初めて見る男の真っ赤な髪は、彼女の心を惹きつけていた。
里の大人は皆、青白く、蒼い髪をしていて……どこか冷たく生気を失ったようなその姿を見るたびに陰鬱な気分になったものだ。
そんなことをつらつらと考えていると、男が目の前にしゃがみ、己の顔を覗き込むように首を傾げていた。
『…美しいな。』
『…ぇ?』
『まるで紅玉のような瞳だ。』
この男は何を言っているのか。
一瞬全く理解できず、紅蓮はきょとんと目を丸くしたまま男を見上げる。
男の漆黒の瞳が、真っ直ぐに己を射抜いていた。
『お前、帰る場所はあるのか?』
に、と笑うと鋭い八重歯が覗くその顔は、どこか愛嬌すら伺える。
『…ない。』
『そうか、ならば共に来い!!』
嬉しそうに破顔した男は、大きな手を少女の前にずいと伸ばす。
紅蓮は思わず反射的にその手を掴んでいた。
初めて握った人の掌は、少し汗で湿って、そしてとても熱かった。
ゆらり、ゆらりと意識が揺れる。
定まらない意思を必死に纏めながら、まるで己の身ではないのではと思う程に重い瞼を必死に持ち上げた。
それでも開けた視界は髪の束ね紐ほどで、しかも霞がかったようにぼんやりとしか見えない。
耳に届く音は聞き覚えの無いものばかりだ。
「……******。」
「…*******?」
誰の、声だろう。
何を、話しているのか。
疑問がそのまま口に出た。
「………なに、もの…。」
「*****!」
「********!!」
よく解らない。
霞がかった視界には、濃い色の蠢く何かが二つ。
人の形をしたそれは、どうやら己に語りかけていたらしい。
しかし、己には彼らの言っていることがよく理解できず、喉の調子も悪いようで上手く言葉も発することもできなかった。
そうこうしているうちに、影の一つがゆっくりと己に近づく。
そのまま視界が閉ざされたと思うと、唇にねちゃりと何かが触れた。
それはそのまま彼女の唇をなぞり、力の入らない入り口を割って中に進入する。
(…気持ち、悪い。)
その虫の這うような感覚と、入り込んできたものと同時に頭の中を駆け巡る痛みに、紅蓮は眉を顰めた。しかし、抵抗しようにも上手く首が動かず、身体に力も入らない。
僅かに動く舌で押し戻そうと何とか抵抗していると、漸くそれが紅蓮の口腔から出て行った。
「…眠れ、お前に死んでもらっては困る。」
再び意識が闇に沈む寸前、僅かに掠れた男の声が聞こえた気がした。