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紅蓮の華  作者: 穂積
第二章
13/14

転機




己の中に、確かな感情が生まれた。

あの紅い瞳に囚われたことを、ローディンははっきりと自覚したのだ。







昨夜、大きな感情の波を初めて見せた神子は、ローディンの腕の中で意識を失うように眠りについた。

細く滑らかな身体はまるでお互いが対のようにしっくりとローディンの腕に収まり、一瞬このまま夜を過ごそうかとも思ったローディンだったが、このままでは風邪をひくと思い直し渋々体勢を崩して神子を寝台へと運んだ。

間近にあっても聞こえるか聞こえないかという小さな寝息を聞きながら、興奮して血が上ったのだろう淡く染まった頬に手を添えるとほんのり温かかった。

赤子の肌のように滑らかな肌はローディンの手に吸い付くようで、結構な時間をそうしていたように思える。

今思えば、いっそのことそのまま共に寝てしまえばよかったのだろうが、どうにも心がざわつき休むことができなかった。




昨夜の神子――レンの心には、“すおう”という主だけがいた。

否、昨夜だけでなく、主の下で生きると決めたときからずっと、彼女の心を占めているのはその“すおう”だけなのだろう。

それが解らないほど、ローディンは愚鈍ではない。

酔いと感情の波に支配されたレンの言葉は少し乱れていたので、詳細の事情は判らなかったが、どうやら彼女の主は戦で死んだらしい。

おそらく、その直前もしくは直後に彼女はこの世界に引きずり込まれたのだろう。

かたきである叔父だが、結果的にレンを生かしこの世界まで連れてきたことだけは感謝してもいいかもしれない。

レン本人に言えば、確実に怒り狂うことなのだろうけれども。


彼女が“すおう”に対して抱いている気持ちが、主従としての忠誠からなのか、それとも恋慕の情なのか、親愛の情なのかは判らなかった。

判らなかったが、並大抵のことではその気持ちを超えることはできないだろう。

思えば初めて目にしたときから、既にあの紅い瞳に囚われていたのかもしれないとローディンは思う。


己の気持ちに気付いた瞬間、強敵と言わざるをえない壁を知り、ローディンは深く息を吐いた。














一夜明けて、午前中から予定していた授業は急遽午後に変更となった。

それは、決して紅蓮の体調が思わしくなかったからという理由ではなく、ジジが言うにはローディンの妹であるアウグスト王国第一王女が熱を出したらしい。

担当教師であるジブリルは王太子お抱えの医師だそうで、現在そちらに出向いているようだった。

紅蓮はといえば、彼女が体調の不良を周囲に気付かせるわけもなく、周りは普段どおり動いているものの、おそらく昨夜酒を過ごしすぎてしまったのだろう、痛む頭に時折眉を顰めていた。




昨夜の醜態を、紅蓮ははっきりと覚えている。

毎夜の夢に追い詰められていたとはいえ、紅蓮にとってあれは完全に失態だった。


朝、起きて周囲を見回し、痛む頭を抱えて思い出した記憶はあまりに見苦しいもので。

仮契約とはいえ他人に自分の感情を晒すなど、紅蓮にとってあってはならないことだった。

情けないという気持ちと、己の不甲斐なさに怒りを覚える。

二度とこんな失態は晒さないと誓いながらも、既に顔に出るほど心が揺れていることに、紅蓮は気付いていなかった。




空いた午前でジブリルから渡されている書物を読もうとジジに声をかければ、頼んでもいないのに中庭に茶の用意が整えられた。


「申し訳ありません。室内はこれから清掃いたしますので、こちらでお過ごしください。」


何か言われる前に笑顔でそう告げたジジが、さっさと紅蓮を促し席に着かせる。

そのまま給仕のためだろう、傍に控える彼女を一瞥した紅蓮は、小さく溜め息を吐いて書に目を通し始めた。


ここ数日の遣り取りで、この侍女には何を言っても仕方が無いことはよく理解している。

先回りして世話をされるのは何だか落ち着かないものの、今のところ害にはなっていないので紅蓮は早々に諦めていた。


(それにしても、解りにくい文字だ。)


この世界に来て初めて文字を見たときも思ったことだが、点と線でしっかりと表記する紅蓮の故郷の文字に比べ、この国の文字はとても読みづらい。

まるでミミズが並んだような文字の連続を理解するには、かなりの労力を使った。

完璧ではないにしろ、今では随分理解してきているのだが、やはり慣れないものは慣れないようで、これらを読み解くのはなかなかに疲れる。

文字の下を指で辿りながら、黙々と書を読み勧める紅蓮の背後で、ジジが静かに笑みを浮かべていた。



書を読み始めてどれくらいの時間が経ったのだろうか。

痛む頭に無理矢理知識を詰め込む作業はなかなかに精神力を要する。

それでも、ここで怠ける気は毛頭無い紅蓮の耳に、突如小さな音が飛び込んできた。


手元の杯に飲み物を注ぐジジの衣擦れの音でも、清掃のために歩き回る侍女たちの足音でもない。


かさり、と。


小さく、それでも自然ではない程度に揺れた葉がぶつかり合う音。

聞こえた瞬間、紅蓮は身を翻していた。


「きゃあ!!」


か細い悲鳴を上げたのは給仕をしていたジジだ。

突然立ち上がった紅蓮が、一番大きなクッションを抱えながら力任せにジジの腕を引いたのである。

ぐん、と突然かかった力に驚いたジジは、持っていた茶器を取り落としそのまま倒れこむように紅蓮の背後へと引きずり込まれた。

陶器の割れる甲高い音と共に、ドスドスドスっと何かがぶつかる音が響く。


何事かと顔を上げれば、正面には立ち上がった紅蓮の背が見えた。



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