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紅蓮の華  作者: 穂積
第二章
10/14

授業


「失礼しますぞ、レン殿。」


てきぱきと給仕を続けるジジを横目に朝食をとっていると、書類を抱えたモーリスがいつもの笑みを浮かべて入ってきた。

食事中にも関わらずずかずかと足を進める宰相に、ジジが僅かに目を細めながらも静かに頭を下げる。

紅蓮はといえば、こちらに近づく老人にちらりと目をやったものの、特に何を気にすることも無く黙々と目の前の食べ物を片付けていた。


この国の食事形式は、一段高くなった床に厚めの布を三重に敷き、その上に直接皿や杯を並べて地べたで食する形だ。

まぁ殆ど地べたなのだが豪華な敷布と身体を支えるいくつものクッションがあるので、床の上という感覚は無い。

もともと紅蓮の故郷では皆が床に正座をして食事をしていたので、むしろ彼女にとっては足を崩して食べることの方が違和感があった。




「いい食べっぷりですな、我が国の食べ物がお口に合ったようで。」


よかったよかった、と白々しい笑みを浮かべて呟く老人に紅蓮が僅かに目を細めた。

長い髭を撫でながら、モーリスがゆったりと腰を下ろす。


「己のためだ。動くためには力が要る。」

「それはそれは。初めは頑なに食を拒んでおったと聞きましたからの。安心しました。」


モーリスの言う初めとは、王弟ローガンの下にいたときのことだろう。

人の食事事情まで詳しいとは、何とも長い耳である。


「見知らぬ土地で出されたものは、なるべく口に入れないようにしているからな。」


まぁ、多少の毒を盛られたところで、忍びとして幼いころから毒に慣らしてきた身体にはこれといって問題は無いのだろうけれど。

それを改めて知らせるつもりもなかった。


「では少しは我らを信用されている、ということですかな。」


楽しそうに笑う老人に、紅蓮は嫌そうに眉を顰める。

それを見たモーリスが、更に声を上げて笑った。


「ふぉっふぉ、老い先短い老人を、そう睨むものではありませんぞ。」


美しいお顔が台無しじゃ。

そう言いながら目を細める老人は、どこをどう見てもまだ後数十年は生きそうだった。




「いかんいかん、目的を忘れるところじゃった。」


一通り笑ったモーリスは、さも今思い出したとばかりに大仰な動作で書類に目を落とした。

紅蓮は小さく息を吐くと、平らげた皿に向かって手を合わせ、備えてある布で口元を拭った。

それと同時にジジが手際よく全ての皿を引き上げ、繊細な細工の杯に薔薇色の茶を注いだものを紅蓮の前に差し出す。

気づけば、いつの間にか正面に腰を下ろしたモーリスの前にも同じものが出されていた。

杯を傾け唇を湿らせるように一口含んだモーリスが、ふうと息を吐いて紅蓮に目を向ける。


「先にお話していた通り、今日から神子様には貴族の女性としての教育を受けて頂きます。」


言葉と共に、紅蓮の目前にモーリスが持っていた書類が数枚広げられた。

紅蓮は無言でそれらに目を落とすと、一通り目を通して小さく頷いた。


「まぁ、簡単な読み書きと一般常識は既に修めていらっしゃるようじゃが、長く暮らすとなると話は別。取り敢えず、分野ごとに時間を分けてこちらで用意した教師をつけますからの。」


皺だらけの指が紙――といっても紅蓮の知る紙ではなく、動物の皮を加工して作られているらしいので、少しごわごわして褐色がかった模様がある――を指し、そこに記された時間と名前をたどる。

そこには、紅蓮のために用意されたであろう数人の教師の名前と、政に関係する王宮の組織図が書かれていた。


「今日は午後から語学と歴史についてですな。」


モーリスの指がぴたりと止まり、そこに目を向ければ僅かに滲む文字で、科目の横に担当教師の名が記されていた。


「…ジブ、リル…何と読むんだ?」

「ジブリル・バール。この居城の専属薬師ですな。若いが、有能で頭もいい。」


笑みを浮かべるモーリスをちらりと見やり、紅蓮は小さく男の名を呟いた。


















その日は、皮肉にも雨だった。


年中大地を焼くような太陽が降り注ぐこの国にしては珍しく、雷鳴とどろく嵐の日だったことを覚えている。

この国に住まう者にとって雨は貴重な恵みであり、いかな嵐であろうと喜ばしいものだ。

なので、余程のことが無い限り、雨が降った日はアウグストの就業者は臨時の休日を取ることになっている。


数日前からどこか浮かない顔をしていた父は、その日もいつものように城へ向かう準備をしていた。

てっきり今日は休むものと思い込んでいた子供は、出仕間際の父に慌てて駆け寄った。


「父上、今日は雨です。何故出仕の準備をされているのですか?」


父と呼ばれた男は、広げていた医療道具を丁寧に仕舞うと、己の息子を正面から見据えてじっと顔を見つめる。

その瞳に訳も無く不安を感じた子供は、僅かに眉を寄せて更に身を寄せた。

すると、薬品で所々色の変わった父の手が、些か強い力を持って彼の肩を掴んだ。


「グザヴィエ…そなたは、私の宝。唯一私の意志を継ぐ者にして私の技を超える者。そなたならきっと、誰よりも素晴らしい医師になるだろう。」


普段は滅多に褒めることのない父の、師としての言葉に、子供――グザヴィエは先ほどの不安も忘れて喜んだ。頬が熱を持ち、感激のあまり目元が潤む。


「父上…。」

「だから、そなたは決して間違うな。何があっても、正しき道を行きなさい。」

「はい!!」


今思えばそれは、父の遺言。

あの時父は、全てを悟っていたのだろう。


その日の夕時。

父を待つ息子のもとに、彼の人の訃報が届いた。


王宮医師、王専属の医師団次席まで上り詰めた男は、仕えるべき王を毒殺した罪で処刑という、医師として最も不名誉な最期を迎えた。






「と、いうわけで。前王の不幸な死から、王宮医師…ここでは王族専門の医師のことですが、その選任には宰相様をはじめ上将軍や神官長など、国の政の要である方々の承認が必要になったのです。」

「それまではどうしていたんだ?」

「レン様。」

「どのようにされていたのでしょうか?」


にっこりと笑いながらも強い言葉で促され、紅蓮は僅かに眉を寄せて言葉を改めた。


「それまでは、王宮医師を束ねる侍医長が直接指名しておりました。」

「なんとまぁ…極端な話よ。」

「…。」

「極端なお話ですわね。」


咎めるような笑顔の男に、にっこりと笑顔を浮かべて殊更ゆっくりと言葉を返せば、目の前の男は笑顔を苦笑に変えて小さく頷いた。


今紅蓮の目の前で教鞭をとっている男は、名をジブリル・バールといい、今朝モーリスが話していた教師の一人だ。

語学と歴史を担当するこの男は、紅蓮の知る師というものよりも随分と若く、しかしモーリスが言うには最年少で王太子付きの侍医という地位についた天才なのだそうだ。

紅蓮は先ほど顔を合わせたばかりだが、流暢な言葉と惹きつけるような話術からは、初対面の彼女から見ても確かな知識とジブリルの頭の良さが伺えた。


「レン様は優秀でらっしゃる。とても飲み込みが早くて教え甲斐があります。」

「お前に言われてもな。」

「あとはお言葉遣いだけ、やる気を出して頂ければ完璧です。」


時折返ってくるちくりとした言葉も、彼特有の邪気の無い顔で返すため不快感は無い。

むしろこちらの嫌味にさらりと返すリズムの良さが逆に心地よい。


有能で優秀。


周囲との距離を測りながら暮らしている紅蓮にとっては、性質の悪い人間の一人だろう。

また一人、要注意人物追加だ。


心の中で盛大な溜め息を吐きながら、にっこりと笑って授業再開の声をかけるジブリルに紅蓮は小さく頷いた。


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