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『戯れ』の最低条件はご存じ?

作者: 翠
掲載日:2026/09/28

「あらやだ、アリア様って本当にお転婆ですのねぇ」

「ふふふ、本当に」

「アリア様らしいわぁ」


 一見和やかにも聞こえる令嬢の優雅な笑い声が、学園内にあるカフェテリアに響く。その笑い声の中心にいるのは私なのだけれど、まったくもって優雅でもなければ和やかな雰囲気でもない。


「でもねぇ? いくら伯爵令嬢になったからと言って相応しい品格がついてくるわけではないもの、仕方ないですわ。元々は田舎……こほん、失礼。地方の男爵家の生まれなのですもの」

「そう言われると、そうですわね。ふふふ」

「ゆっくり学んでいけばきっと大丈夫ですわぁ。私達がついておりますから」


 ——優しい言葉の中にある侮蔑を隠し切れてませんよ、ベアトリス様。

 そう、心の中で呟きながらため息をつく。ここ数ヶ月、ずっと同じようなことばかり言われてすっかり耐性がついてしまった。

 大体、“お転婆”って何よ。私が今転んだのは、あなたが足を出してきたせいじゃない。


「失礼いたしました。無作法な姿をお見せしてしまいましたわ」


 三人の令嬢に見下ろされながら床についていた膝を上げ、できるだけ優雅に見えるように立ち上がる。ベアトリス様の言うとおり、私は国の端にある男爵家の生まれだ。私が幼い時に父が亡くなって以来、女当主として懸命に領地を守ってきた母が、同じように奥方を亡くし独り身だったエヴァンス伯爵家の当主である義父に見初められたのは二年ほど前のパーティーでのこと。それから紆余曲折を経て、二人が再婚したのは半年前。今や自分より格下であるはずの子爵令嬢や男爵令嬢達に見下されているのは、私が“新人伯爵令嬢”だから。——仕方のないことなのかもしれないけれど、正直面倒で仕方がない。


「あら、お顔が怖いですわよ?」

「まぁ、本当に。怒っていらっしゃるの?」

「いやねぇ。あちらの方はやっぱり野蛮なのかしらぁ」


 とは言え、高位貴族としての礼儀作法が足りていない自覚はある。再婚が決まった頃から家庭教師をつけてもらい必死に勉強をしてはいるが、王都の令嬢達が当たり前にこなしている細かい所作や社交術などがどうしても苦手なのだ。常に微笑みを、と言われてもつい引きつってしまう。


「怒ってなどいませんわ。自分の不甲斐なさを恥じているだけですの」


 それでも、微笑まなければならない。私の感情だけで両親の立場を悪くするわけにはいかないもの。

 何とか体裁を保ち、場を後にしようと考えていた時。一瞬のざわめきが聞こえ、背後から凛とした声が届いた。


「これは何の騒ぎかしら?」

「——っ、ヴァレンシュタイン様……!」


 驚きを隠せていないベアトリス様の声に振り向くと、そこには扇子で口元を隠し佇む令嬢がいた。その高貴な空気に圧倒されそうになり、咄嗟に礼の姿勢を取る。

 

「あなた方はここで何をしていらっしゃるの?」

「いえ、ヴァレンシュタイン様のお耳に入れるようなことは何も」


 ヴァレンシュタイン様……筆頭公爵家の令嬢であり、王太子殿下の婚約者のエレオノーラ・ヴァレンシュタイン様。貴族名簿で名前は知っていたけれど本物は初めて見た。

 美しいホワイトブロンドのストレートヘアーに、透き通るようなブルーの瞳。少しだけ垂れた目元は一見甘く見えるが、その奥にある光がとても力強い。隣に立つ令嬢も凛々しくて——高位貴族ってこういう人のことを言うのね。いつもあんなに偉そうにしているベアトリス様の顔が青ざめているわ。


「あなた——エヴァンス伯爵様の養女になったアリアさんね?」

「っ、はい。お初にお目にかかります、エヴァンス伯爵が娘、アリアと申します。お会いできて光栄でございます、ヴァレンシュタイン令嬢様、グレイブス令嬢様」 

「……噂通り、聡明な方のようね」


 今の私ができる精一杯のカーテシーで答えると、どこか冷たかった目の奥がふんわりと和らいだ。その笑顔に一瞬見惚れてしまい、思わず「噂とは……?」と問うてしまっていた。高位貴族の方にこんな問いを投げかけるなんて、と気づいた時には既に遅く。謝罪を口にする前に、「ふふふ」と優雅な微笑みを返される。


「あなたについている家庭教師の先生はね、私も昔お世話になった方なの。とても厳しく、愛情深い方でね。今でも時折お茶をご一緒しているのだけれど、最近はあなたの話を聞くことが多いのよ」

「それは、光栄なことです……?」


 先生が公爵家の令嬢様のお世話を……? 確かに滲み出る空気感というか雰囲気が只者ではない感じがしていたけれど、そんなにすごい方だったなんて。いや、というか私の話? まだまだ修練が足りない私のどんな話をされているというのか。怖い……でも、不思議と優しい目を向けられている気がする。


「とても頑張り屋さんで、飲み込みが早いと褒めていらしてよ。素直な性格も好ましいと」

「へ!? あ、失礼いたしました。……とても、嬉しいお言葉でございます」


 予想とは反して、好意的な噂だった。驚きすぎて思わず変な声が出てしまったわ。こういうところがまだまだだと言われるところなのよね……。

 内省しながら何とか取り繕い控えめに微笑むと、「ところで」とヴァレンシュタイン様の言葉が続いた。


「先ほど、あなたは跪いているように見えたのだけれど。何があったのかしら?」

「あ、それは……私が、転んでしまって」

「そうなんです、ヴァレンシュタイン様。アリア様は本当にお転婆で——っ」

「あなたには聞いていないわ、ローズウェル子爵令嬢」


 私の言葉に被せるように発したベアトリス様の言葉を、扇子を閉じる軽快な音とともにヴァレンシュタイン様が遮った。その仕草までもが優雅で美しいけれど、その分だけ圧が強い。蚊の鳴くような声で謝罪するベアトリス様が震えているわ。


「アリアさん、私はあなたに聞いているの。何故このような何もないところで転んでしまったの?」

「——っ!」


 ——ヴァレンシュタイン様はきっと気づいている。私の立ち位置も、ベアトリス様達の私に対する行いも。だけど、……。


「ねぇアリアさん。高位貴族にとって一番大切なことが何か、わかるかしら」


 大切なこと? 私が今教えてもらっているのは、知識や所作、貴族としての振る舞い。でもこうして“本物”を見て感じるのは、そんな上辺だけのものじゃなくて。


「他者を圧倒する品格のオーラ、でしょうか……」

「ぶふっ」


 付け焼き刃では決して身に着かないと痛感させられた、目の前にいる二人の令嬢から滲み出るそれ。思ったままに答えたら、どこからかこの場に似つかわしくない声が聞こえた。


「やぁ、エリー。いつもの席にいないと思ったら、何だか楽しそうなことをしているね?」

「レオ。今日は遅かったのね」

「ちょっと生徒会の方で呼ばれていてね。何をしていたんだい?」


 声のした方を見ると、そこにはこれまた煌びやかな殿方が二人。一人はグレイブス令嬢と同じ黒髪と凛々しさを持つ、どこか冷たそうにも見える方。そして、先ほどの声などなかったかのような爽やかな笑顔でヴァレンシュタイン様とお話をされているこの方は……っ


「ふぅん。君があの、エヴァンス伯爵の」

「お初にお目にかかります。エヴァンス伯爵が娘、アリアと申します。お会いできて光栄でございます、王太子殿下」


 まさかの王太子殿下ご登場。慌てて先ほどと同じように挨拶をすると、ベアトリス様達も礼の姿勢を取っていた。


「いいよ、楽にしてくれて。それより私も気になるな、ここで何があったのか」

「……っ」


 ヴァレンシュタイン様に聞いたのだろう。王太子殿下の瞳は、楽しそうに細められながらも値踏みをするようにこちらへと向けられている。

 ——正直に言うべきなのだろう、というのはわかっている。ここまで大事になってしまったのだからきっと両親の耳にも入るだろう。だけど、こんな情けない自分を見せてしまったら……っ


「アリアさん。先ほどの答えなのですが」

「高位貴族にとって一番大切なこと、ですか?」

「そう。もちろん、知識も所作も品格も大切よ? でもね、それ以上に大切なことは“誇り”なの」

「誇り、?」

「ええ、高位貴族としての誇り。爵位に驕るのではなく、誇りを心に刻むことよ」


 ……誇りって何だろう。私は地方の田舎貴族の生まれで、貴族らしい生活とは無縁だった。今でこそ、母のおまけのような立ち位置で高位貴族の仲間入りをしてしまったが、私自身は何も変わっていない。生まれた瞬間から高位貴族として育った人達と同じような誇りなど、持てるはずがないのに。


「私は、」

「アリアさん、お母様のことはお好き?」

「え、ええ。女手ひとつで私を育ててくれたことに感謝しておりますし、女領主としての手腕には尊敬もしております」

「では、お義父様のことは?」

「義父は……本当に優しい方なんです。母を大切にしていることが伝わりますし、私にも良くしてくださっていて。男爵家の領地も一緒に管理してくださる、とても素敵な方です」


 そう。義父は本当にいい人だ。だからこそ、迷惑や心配をかけるようなことは極力避けたいし、失望されたくないのだ。


「——あなたが侮られるということは、あなたを養女として迎えたお義父様……ひいては、エヴァンス伯爵家全体が侮られることと同義だということがわかっているのかしら?」

「え……?」

「今あなたは、エヴァンス伯爵家の娘。決して侮られていい立場ではないの」

「でも、私はまだ未熟で……、だから、」

「『未熟』だからと言って、侮ってもいい理由にはならないわ」


 私は、ずっと自分が『足りない』から見下されてしまうのだと思っていた。だけどそれが、正当なものではないのだとしたら。甘んじて受け入れていることが、義父への評価に繋がるのだとしたら。


「私は、どうしたら……?」


 どう、すればいい? 義父と母にとって、マイナスな存在にならないためには。


「あなたは、やるべきことはやっている。出自はもちろん、その努力も、評価こそされ、批判されることは何もないの」

「——っ」

「理解できたかしら? では、その上でもう一度聞くわ。何が、あったのかしら?」


 真っ直ぐに向けられた強い視線。この学園に編入してから数ヶ月、こんなに真摯に向き合ってもらえたことなどなかった。早々にベアトリス様に目をつけられて以来、子爵家や男爵家の令嬢達からは遠巻きにされ、伯爵家の令嬢には冷たい視線を向けられるだけ。それなのに——何故、ヴァレンシュタイン様はこんなにも良くしてくださるのだろう。

 わからない、けれど。今の私にできることは。


「ベアトリス様に、足を掛けられました。それで、転んでしまって」

「な……っ、私はそんなことしておりませんわ! ねぇ!?」

「え、ええ。そうですわ!」

「アリア様、そんな酷い嘘をつくのは良くないですわぁ」

「黙りなさい」


 正直に話した私の言葉に被せるように反論するベアトリス様達を、ヴァレンシュタイン様が静かな声で黙らせた。そして、「ご存じ?」と問いかける。


「私達はいつもここのカフェテリアの二階でお茶をしているの。ちょうどこの上のところね、下からはあまり見えないかもしれないけれど……上からはよく見えるのよ、下の様子が」

「!」

「あなた達のアリアさんに対する態度は、今までも酷かった。でも今日のは……少し度が過ぎてしまったわね?」


 ヴァレンシュタイン様のその言葉に、三人の顔が一気に青ざめた。ヴァレンシュタイン様だけでなく、王太子殿下を初めとする高位貴族の方々に向けられる冷ややかな視線は、当事者でない私でも恐ろしく感じてしまうのだから、仕方のないことかもしれないけれど。


「そ、れは……あの、お戯れなんです。お友達同士の」

「そうですわ、少しふざけていただけですのよ」

「私達、アリア様とは仲良しですのでぇ」


 それでも、三人は震えながら言葉を続ける。「お友達」「仲良し」「アリア様のためを思って」——そんな言葉に、今まで何度誤魔化されてきたのだろう、と他人事のように考えてしまう。


「いいですか? 『戯れ』というのは、周囲を含めて誰も不快にさせないことが最低限の条件ですわ。更にご自分の立場を考えるのならば、そこに品格も必要となってきます」

 

 そんな中で、ヴァレンシュタイン様の冷静な声が静かに響く。

 

「私は、あなた方の『戯れ』を見ていて、非常に不快な気持ちになりました。ご自分が品性の欠片もない、醜いお顔をしている自覚はありまして?」


 ……きっつぅ。どこまでも上品なその口調で紡がれる言葉は、こちらが震えてしまうほどに冷たく、鋭い。今までのベアトリス様達の嫌味が可愛く思えてくるくらいに。三人ともすっかりと気力を失くしたようで、先ほどまでの私のように跪いてしまっている。


「——ごめんなさいね、アリアさん。今まで、見て見ぬふりをしてしまって」

「い、いえ! お手を煩わせてしまい、申し訳ありません」

「もう、卑屈になっては駄目よ? 足りないものは、これからいくらでも身につけていけばいいのだから」

「はい……っ」


 そう言い残してヴァレンシュタイン様と王太子殿下は颯爽とカフェテリアを後にした。それと同時に、集まっていた野次馬達も散り散りになる。その場に残されたのは私と、項垂れたままの三人だけ。


「——ベアトリス様」

「っ、何ですの、アリア様」


 こちらを見上げるベアトリス様の瞳には、私への憎しみが込められている。こんな大勢の前で恥をかかされたのだから、まぁ怒るわよね。ヴァレンシュタイン様への畏怖があっても、私のことを蔑んでいることに変わりはないのだもの。


「今まで私は、義父に迷惑をかけないようにと、面倒事を避けておりました」

「……」

「でも、それではいけないのだと気づかせていただきました」

「……どうなさるおつもり?」

「義父に報告させていただこうと思います。今までのこと、今日のことを」


 微笑みながらそれだけを告げ、私もカフェテリアを出る。先ほどのヴァレンシュタイン様の姿を思い出し、背筋を伸ばして軽く胸を張り、しっかりと前を見て歩き出した。

 報告して、謝罪して、もっと頑張ろう。今度こそ、自分に自信を持てるように。エヴァンス伯爵の娘として、恥ずべきことがないように。


 

*

「エリー、珍しいね? 君があの手の諍いごとに関わるなんて」

「エレオノーラ様はずっとあの令嬢を気にかけておいででしたから……」

「ふふ、だってあの子面白いんですもの」


 初めてあの子を見かけたのは、学園の廊下だった。ローズウェル子爵令嬢とその取り巻きに好きなように言われても、ただ微笑んでいるだけの令嬢。伯爵家の話は聞いていたから、「ああ、あの子が」という印象しかなかった。でもその後、カフェテリアのいつもの席から見た時のあの子の瞳には、弱々しい印象を見せない強さが宿っていた。

 先生から聞く印象と直接見た時の印象が違うのも興味深く、ついつい目で追うようになった頃に気づいたのは、上手に被った仮面の裏にある素顔。大人しく話を聞いているようで、時折見せる退屈そうな表情や煩わしそうな表情が面白かったのだ。


「今度、ぜひゆっくりお話がしたいわ」

「その時は私も一緒にいいかい? エリーは私の婚約者だと釘を刺しておかなければね」

「まぁ、レオったら」

「俺も同席させていただきます」

「え、お兄様も?」

「ああ。どうせお前も同席するだろう? マルグリット」

「もちろんよ。私はエレオノーラ様の傍から離れないわ」


 あら。あらゆる令嬢からのお誘いを断り続けている堅物がどうしたのかしら。マルグリットと同じ黒い瞳には、微かな熱が込められている気がする。


「では早速お茶会へご招待しないと」


 突然伯爵家の養女となった元男爵家の令嬢なんて、巷で人気の恋愛小説みたい。ふふ、これからの楽しみが増えそうだわ。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

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確かに! 未熟と自覚してるからこそ、「我慢しないといけない範囲」「我慢してはいけない範囲」のホウレンソウは必要ですよね。
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