5
その夜のことだった。ひとりで寝室に入った僕を、ひとりの女官が呼び止める。
「あの、ウナ様……イーヴル殿下が発熱で寝込んでしまわれたのです。いまは別室で休まれているので……今夜は」
「どこ⁉僕をそこへ連れて行って!」
いま立っている場所が、不安定な崖の上だったと気づいた感覚。ある程度成長してからイーヴルは風邪さえ引かなかった。彼だけは、いつも元気なのだと信じ込んでしまっていた。
僕は命が儚いものだと知っている。僕のところへ連れてこられても、遅すぎて間に合わなかった子供はいるのだ。
高熱に汗を滲ませて眠っているイーヴルの額に手を当て、一心に祈る。
「お願い。効いて……!」
どれだけ願いを込めても、力が注がれる感覚はない。なんて僕は無力なんだろう。涙が溢れてきて、枕元に顔を埋める。
――その頭にポン、と手が置かれた。
「……これでもう大人だって、わかったでしょ?」
「イーヴル!大丈夫なの?」
「ん。大丈夫。薬師もただの風邪だって、言ってたから……」
よかったぁ。流れ出てくる水滴が視界をぼやけさせる。イーヴルが額に置かれていた濡れ布で僕の顔を拭った。
「もう……自分が殺されかけたときだって、泣かなかったくせに……」
「ッ、イーヴルは……自分の、ことより……大事なのっ。それに、あんなの平気……。もう、忘れたよ」
「嘘つき。怖かったに決まってるでしょ?痛かったでしょ?生まれてからずっと悪意ばかり向けられて……つらかったはずだ。ウナはもっと、自分のために泣いていいんだよ」
ぺたんと伏せた耳ごと優しく撫でられて、嗚咽が止まらなくなる。
怖かった。熱くて痛かった。辛かった……。これまで受けてきた蔑む視線や態度は、いくら僕が悲しんで泣いたところで報われることはないものだったのだ。
「もう、そんな思いさせないから……。ウナ、生まれてきてくれて、これまで生きのびてくれてありがとう。これからは俺が守るから。安心していいよ」
「……いーゔるぅっ……」
上半身を起こしたイーヴルが、突っ伏す僕を優しく抱擁してくれる。彼の前でも、僕は育て親らしく強くあらねばと思い続けてきた。それさえも、イーヴルが与えてくれた大切な思いで。
だけどもう、泣いていいと言われた。守ると言ってくれた。はじめての言葉ばかり与えられて、僕の胸は眩い光に満たされる。
彼は大人だ。やっと理解した。
二十も歳下だけれど、種族が違う。彼は急激なスピードで成長して、もう成人していることも証明されてしまった。
寝台の上に抱き上げられて、同じシーツにくるまる。涙が収まってくると途端に恥ずかしさがこみ上げてきたけど、イーヴルが嬉しそうにぎゅうっと抱きしめてくるから彼の胸で顔を隠した。
そっと自分の手をイーヴルの背中に回し、尻尾もイーヴルの脚に絡めた。……再会してから、こんな風に自分から身を寄せるのは初めてだ。
「う、ウナ……っ。寝込んでなかったらこんなの、襲っちゃうよ……?」
「襲って、いいよ?――結婚したら、ね」
「っ!」
イーヴルとなら、肌を重ねてもいい。むしろ彼の望むことならなんだってしてあげたい。僕の全部をあげる。
発熱以上に顔を赤くしているイーヴルの顔を見上げ、ぐっと伸びをして唇同士を触れ合わせた。無言で悶えている顔は少年のようでかわいい。可愛くて格好良くて、どちらもイーヴルだ。――僕の大好きな。
三日後、竜人国では盛大な結婚式がおこなわれた。若く凛々しい王太子の隣に立つのは狐獣人の男だ。
少し年上に見える彼は唯一無二の治癒力をもつ魔女だという。竜人たちは、異種族の王太子妃を温かく受け入れた。なにより王太子が、どこか儚い雰囲気をもつ彼を溺愛しているのはひと目見ただけでわかる。
王宮のバルコニーから寄り添った二人が手を振るだけで、国民は歓声を上げた。




