3
三日間のあいだ、水と固いパン一個が一度だけ与えられた。どうせ死ぬんだからと、わずかばかりの温情さえない。
後ろ手に縄で縛られたまま、僕は外に連れ出された。三日前と違い外は青く晴れ、目が痛いほどだ。町の空気がそわそわと浮ついている。公開処刑は日常を盛り上げる娯楽でしかない。
広場に作られた舞台は周囲より少し高く設置されていて、中央に丸太が立てて置かれている。足元にはいかにも燃えそうな薪が積まれていた。
舞台に上がるように促されて、僕は集まっている町民を見ないよう視線を上げる。澄んだ空。まるでイーヴルの瞳みたい。あの子は……元気にしているだろうか。
踏み台に上り縄で身体を丸太に縛り付けられていたとき、髪がそこに絡まった。毛先には毎日身につけていた、アイスブルーのリボン。
「チッ。男のくせに洒落込みやがって」
狸獣人の男は腰元に差していた果物ナイフで、結んでいた髪の真ん中からざっくりと切り落とした。尖った刃の先が服も掠って切り裂いてゆく。
布が裂け、胸辺りが観衆にも見えているのだろう。粋なショーだと言わんばかりに、ぴゅうっと指笛が聞こえた。
「あ……あ……」
「お前はこれからこうなるんだ!」
手の中に残った髪を高く掲げた男は、そばにある火種へと投げ込む。髪はあっという間に火に巻かれ、炎を大きく燃え上がらせた。また歓声が上がる。
「いや……!やめて!」
パフォーマンスに加担するつもりはなかったのに、つい叫んでしまった。大事なリボンが……!
シルクはなかなか火がつかないようだった。炎の揺らめきの隙間から、アイスブルーがちらちらと覗く。僕は絶望とともにそれを見つめた。
一番大切なものだった。もうイーヴルに会えなくたって、あのリボンだけが彼の存在を感じさせ、心の支えだった。
「ふんっ、いい気味だなぁ?これまで長年俺たちを脅かしてきたんだ。もっと恐怖に喘ぐ姿を見せてもらうぞ」
「もう……早く殺してください……」
僕の望みを叶えてくれる人はいない。踏み台が取り外され、足がぶらんと宙に浮く。見世物として縛り付けられたまま、町長だという人が僕の罪状を読み上げていく。
脅迫、拐かし、殺人。さらには数多くの男を見目で惑わしたとまで言われ、そこまでして魔女を悪人に仕立て上げたいかと感心する。いや……存在自体が悪だったな、僕は。生まれたときから……
「彼が無実なら、神は炎の中から彼を守るだろう!」
審判が下される。薪へと火がつけられる。
(ああ……良い人生とは言えなかったけど、イーヴルに出会えたことだけは幸運だった)
彼に出会わなければ、なんの感動もない人生で終わっていただろう。小さな命に日々振り回されながらも、僕は間違いなく幸せだった。
「……ケホッ」
煙を吸い込んでしまい咳が出る。イーヴルにもう一度会いたかったな。あのアイスブルーを見ていれば、この熱さも少しは和らいだに違いない。
炎は薪で順調に燃え広がり、耐え難い熱を感じる。爪先が火に直接炙られた。
「っ……」
「なんだあれは!」
目を閉じて苦痛に耐えていたとき、周囲がいっそう騒めいた。太陽の光が遮られ、一陣の涼しい風が吹く。
「竜だ……!」
「またか⁉︎この前のと色が違うぞ!」
なんのこと?人は死ぬ直前でも好奇心を抑えられないらしい。そっと目を開く。
町民たちは僕ではなく、口を開けて頭上を見上げていた。
――ヴナ゙ァァァ!
ビリビリと血を揺るがすほどの咆哮が聞こえた。その、姿は……
「竜……?」
蜥蜴と鷹を掛け合わせたようなしなやかな身体は白銀の鱗に覆われ、同色の翼が背中から生えている。空を駆ける生き物は、確かに伝説の竜の形をしていた。
広場の真上を飛んでいる。光を受けてキラキラと輝く鱗、悠然と飛ぶ姿は神秘的で美しい。
そのとき、竜が首を傾げこちらを見た。アイスブルー……綺麗な薄青の瞳と目があった気がする。足の皮膚が焼け爛れていくのを遠くのことのように感じながら、僕は静かに感動していた。
「最期に……こんなに美しいものを見られるなんて」
竜人の国はこの辺境からそう遠くない。竜化できるとは知らなかったが、かの国から来たと見て間違いないだろう。その翼があれば、どんな山脈も簡単に越えられる。
「おい、魔女!お前が何かしたんだろう!」
恐慌状態に陥った町民は、竜の出現を僕のせいにしたいらしい。なんとでも言ってくれ、こっちはもう死ぬんだから。
僕は悪戯心で、にこっと笑ってやった。もっと怯えればいい。
「はい。僕を迎えに来たみたいです」
「なんだとぉ⁉︎」「こっち来るぞ!逃げろぉぉ!」
タイミングよく竜はこちらに向かってきたみたいだ。僕は見えないけど、みんなが僕の背後を見て後ずさりそのまま走って逃げてゆく。腰を抜かした人だけがその場に取り残される。
しかし恐怖は他人事ではなかった。瞬く間に火は大きく燃え上がり、僕を包み込む。熱い熱い熱い!あ、息ができない……
「うわぁぁ来るな!来るなぁああ!」
「ッ‼‼」
――ゴウッッ……
町民の叫び声とともに感じたのは……竜の息?
轟音を立てて強い風が吹き、周囲は氷点下の空気に包まれた。僕の身体に燃え移ろうとしていた火は薪ごと吹き飛ばされ、炙られた皮膚が冷やされる。
なに……?何が起こったのかわからない。考えようとしても、煙を吸いすぎたらしい……意識が遠のいていく。どこか心地よい冷えに包まれながら、懐かしい声が聞こえた気がした。もうここは……天国なのかもしれない。
「ウナ!迎えにきたよ!」
さわさわと水の流れる音がする。痛かった足が冷水につけられて、思わずふぅ、と安堵のため息が零れた。気持ちいい。
身体は逞しい誰かに支えられている?覚えのない感覚だ。でも……鼻先をふわりと掠めたのは懐かしい、お日様みたいな匂い。
何故かこの人は僕の絶対的な味方だと、肌で感じる。優しく頭に置かれた手で耳の根本を擽られて、ふっと笑い声が漏れる。
「起きた?……ウナ」
「え……」
ぱちっと目覚め、目の前の顔にポカンと口を開けた。そこには数か月前に別れたはずの養い子、イーヴル……の大人版?
瞳の色は変わらずだが、大人びた顔立ち。髪の色もシルバーで違う。……ん?こめかみに銀色の角が見えた気がしたけど、瞬きの間に消えてしまった。
「イーヴル……なの?」
「そうだよ!遅くなって、ごめん……」
苦しそうに顔を顰めてイーヴルが抱きしめてきた。泣いている。かつてよく見た泣き顔を見て、彼は間違いなくイーヴルなのだとようやく理解した。
経緯は分からないけれど、彼が僕を助けてくれたらしい。周囲は見覚えのある山奥の沢で、赤く焼け爛れた足は清流に浸されていた。
「助けてくれて、ありがとう……大きくなったね、イーヴル」
「約束したからね!リボンに反応があったからびっくりして飛び出してきちゃった」
「……?そういえば、どうやってここまで来たの?」
「もちろん飛んできたよ!」
飛んで……って言った?え。どうやって?
左右を見渡し疑問符を浮かべていた僕は、さっき見たばかりの竜の姿を思い出す。シルバーの鱗にアイスブルーの目。まさか……
「あの竜、イーヴルだったの⁉︎竜人⁉」
「んふふー、正解。俺だって知らなかったんだ!」
「ええ……だって、まるきり人間みたいだったじゃない」
「覚醒するまでの姿、らしいよ?」
お揃いのリボンには魔術がかけられていたようだ。竜人は魔の力を使った術に長けていて、忌避されるだけの僕と違い魔力は強さの象徴だという。攻撃や守りにも使うし、僕のように治癒をできる者もいるようだ。
リボンに異変を感じたイーヴルは突然覚醒し、竜の姿になって助けに来てくれた。彼らは年齢に関係なく、覚醒すれば成人という認識だ。
「ウナ。もう大人になったから、連れていくよ?俺の国に。……いいよね?」
竜人の王族だなんて、畏れ多いで済まないんじゃないだろうか。それでも僕は……気づけばこくんと頷いていた。
だって、一度死んだようなものだから。これ以上ここには住めない。イーヴルにもう一度会えて嬉しかったから。もう、離れたくないと……壊れかかった心が叫んでいる。
「やった!じゃあ竜化するけど……怖がらないでね」
「怖くなんてないよ。すごく格好よくて、綺麗だった」
一瞬不安げな表情を見せたイーヴルは、嬉しそうに笑って被っていたマントを脱いだ。その下には何も身につけていない。幼い柔らかさの削げた男らしい身体つきに、思わずドキッとして視線を逸らす。
大きな影が落ちて視線を戻すと、美しい竜の姿が目の前にあった。体長は僕の身長の倍かそれ以上ありそうだ。
(ウナ、ここに乗ってくれる?)
思念のようなもので頭に直接語りかけられ、広げられた手の中に乗り込む。竜の手には鋭い爪が生えており、さっき口にも長い牙が見えた。でも、イーヴルが決して僕を傷つけないとわかっているから怖くはなかった。
そっと、大事そうに両手で包み込まれる。翼を動かした身体がふわっと持ち上がり、ぐんぐん空へと上っていく。爪の隙間から眼下に広がる山々を見た。
(家に、取りに帰るものはある?)
「ううん……ないよ。そのまま行こう」
大事なものは全部ここにある。リボンは失ってしまったけれど、イーヴルがいればいい。
ゆっくりと住んでいた家の上空を旋回し、イーヴルは向かう方向を定めた。未知の……竜人の住まう国だ。僕は風の音を聞きながら目を閉じた。
(王宮の端っこでいいから、イーヴルに会える場所に住めるといいなぁ……)




