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その日は思いのほか早くやってくる。イーヴルが来てからちょうど六年。僕が彼を人間の国に返すまでもなく、迎えが来たのだ。
イーヴルの父君と名乗ったのは、炎のように赤い髪と目を持つ美丈夫。色は異なれど、纏う空気はどことなく似ていた。
「手紙、本当だったんだ……」
「息子を守り、育ててくれて感謝する。封蝋の印璽に気付かなかったか?我が王家の紋章だ」
「は。王家ぇ⁉」
驚いた。いや、封蝋自体初めて見たし。王家の紋章って……普通なら気付くの?
でも納得せざるを得ない。彼はどう見ても歳下なのに、頭を垂れたくなるほどの気高さを備えている。そうか。イーヴルは人間の王族だったんだな……
もともと種族も違うけれど、一気に隔たりを感じた。
「行きたくない!ウナと一緒にいる!」
「駄目だよ。僕とお前とじゃ、立場が違う。種族も、人としての価値も、なにもかも違うんだ」
「違ったっていい!ウナはおれを捨てるの?」
「……狐はずるくて狡猾なんだ。もともと離れるつもりだったんだよ」
「ウナ?君も我々と一緒に来ないか。息子もこう言ってるし……王城に客人として招待しよう」
捨てるんじゃないよ。アイスブルーにうるうると見つめられ、僕まで目の奥がツンとしてくる。でも、僕が泣いたら駄目だ。
父君からの申し出も丁重に断った。僕がいたら、イーヴルが僕に育てられたと露見してしまう。それは彼の評判や未来にとって良くないことだ。
「さようなら。今まで……楽しかったよ」
「そんなの認めない!おれは……ウナと結婚するって決めてるんだ!」
別れの言葉は声が震えた。この一年で僕の身長を越してしまったイーヴルは、赤い顔で怒っている。あぁ、それは父君の前で言わないほうがいいんじゃないかな……
「おや、もう番を定めたのか」
「つがい、ってなに?」
「生涯でひとりだけの伴侶のことだよ。――うん。それなら、成人したら結婚するといい」
「は……?ちょっとなに言ってるんですか」
親子の会話がおかしくなってきた。相手が王族であることも忘れて、僕は思うがままツッコんだ。しかし会話は僕を無視して進む。
ていうかこの人、なんか既視感が……昔の依頼者?いや、こんな目立つ髪色の子はいなかった……
「ウナ。今一緒に来てくれないなら、待ってて。成人したら絶対迎えに来るから……」
「来なくていい……イーヴルが健康で幸せに暮らしていれば、僕はそれで」
「だーめ。ウナがいなきゃおれは幸せになんてなれないよ。ね、これだけ持ってて!お揃い」
父君からもらったのか、イーヴルが差し出したのはアイスブルーのシルクリボンだった。同じ片割れを彼が持っている。
お揃いかぁ。今生の別れとなるならひとつくらい……いいよね?僕は感傷的な気分になって、そのリボンを編んだ髪の先で結んだ。
俯いたままその毛先を見つめる。イーヴルの色。
胸が苦しくて、顔を上げられなかった。視界に靴の先が入りこみ、ぎゅうっと抱きしめられる。背中に回る長い腕。この子はいつの間にこんなにも、大きくなっていたんだろう。
つむじにキスを感じて、びっくりして顔を上げる。眉尻を下げ、切なげな表情をしているイーヴルは驚くほど大人っぽかった。ドキン、と心臓が跳ねる。
「またね、ウナ。寂しいけど……早く大人になるから、おれ」
「イーヴル……」
「いままで育ててくれてありがとう。大好き」
二人の背を見送って、家の扉をパタンと閉じる。足元に水滴が落ちた。
「ふっ、ぅ……ひっく、ぅぅ〜〜っ……」
堪えていた涙がぽろぽろ溢れてくる。イーヴルを拾う前に戻っただけだ。なんてことない、たった六年。人生の五分の一。
ああ、きっと忘れられない流れ星みたいな記憶になる。キラキラして、儚くて。
迎えに来るなんて言葉、信じられるわけがない。彼がそれを望んでも、周囲が許すはずもない。
王族ならきっと血を繋ぐために結婚したりするのだろう。イーヴルの隣に知らない誰かが立つ。……そんな姿、間違っても傍で見ていたくなかった。
「ゔぅ……あ゙ぁああっ‼」
人生で一番泣いた。いい大人が顔をぐしゃぐしゃにして、汚いだろうが気にしない。だって、もう僕のことを見る人なんていないから。目を合わせてくれる人なんて、いないから。
そうして僕は――ひとりぼっちになった。
日々は淡々と過ぎていく。生きていることが空虚で、それでも僕は最低限の生活を続けている。
「そろそろ、買い出し、行かなきゃか……」
数ヶ月経てば、あらゆる生活必需品が底をつきだす。
いつもイーヴルを連れて行っていた。彼の好きなプラムをおやつに買ったり、いい香りの石鹸を選んでもらったり。今日はおやつを買う必要はない。寄り道もしない。
ふらりと家を出て人里に向かう。空には重い雲が立ち込めて薄暗く、足元がぬかるんでいた。
数刻もすれば小さな町が見えてくる。実は密かに僕を訪ねてきたことのある人も何人かいた。子が急に元気になった理由を隠すため、皆この町を離れて行ったが。
「しばらく見なかったのに……まだ近くに住んでるのね」
「坊主、目を合わせるなよ。魔女に心の臓を喰われちまう」
これまでと何も変わらない。変わったのは僕の心持ちだけだ。気にしちゃだめ。こんなの平気。
狐の耳は小さな陰口でさえも拾ってしまう。なるべく耳を伏せて、足早に買い物を済ませる。
「待て」
しかし僕が町を出ようとしたとき、進路を阻む者が現われた。その狸獣人と狼獣人の顔には見覚えがある。イーヴルとよく寄っていた果物屋と肉屋の店主だ。
「おい、魔女。あの人間の子はどうしたんだ!」
「あの子は……遠いところへ行きました」
「嘘を付くな。売ったんだろ!」
丸い目を尖らせた狸獣人の質問にぼそぼそと答えると、黒い尻尾を立てた狼獣人が大きな声を出した。ビクッと身体を強張らせた僕は、戸惑う。どうしてそんな風に言われるの?
「恐ろしい……魔の力で早く成長させて、竜人に生贄として売ったんだ」
「え……?」
「二ヶ月前、神竜がこの上を飛んだ。何かが竜の怒りを買って、もうこの国も終わりかと……。だが、今日お前を見てわかった」
「人間の子を売り払うとは、なんと冷酷な!」
「し、知りません!竜なんて、知らない……」
イーヴルの成長が早いとは思っていたけれど、やっぱり普通じゃなかった?いや、それよりも……
「働きもしないお前がどこで金を手に入れているのか、疑問に思ってたんだ。これまでもそうやって子供を売ってきたんだな!」
「働いて……ます」
「どこでだ。この町のやつらはそんなところ、見たことないぞ!」
「ッ……」
言ったところで信じてもらえるわけがない。周囲で聞いていた者たちも恐恐とこちらを見ているだけだ。この二人は町でも発言力があるらしい。
誤解を解く方法が見つからなくて、僕は一歩後ずさった。もう嫌だ。帰りたい……
「逃げるな!もう看過できない。これまで魔女を野放しにしていたことが間違いだったんだ」
「痛っ……」
彼らが初めて話しかけてきたことを、僕は甘く見ていた。自分よりも体の大きい二人に拘束されて、引きずるように何処かへと連れて行かれる。
そして――放り込まれたのは、教会の地下牢獄だった。
「刑の執行は、三日後だ。お前は火焙りにされる」
「そんな……」
「お前に罪がないなら、火の中でも生き存えるだろう。判断を神に委ねることにしてやったんだ。感謝しろ!」
この辺境では私刑が一般的だ。錠が降ろされるガチャン、という音がして男たちが階段を上ってゆく。
「魔女を火焙り……」
幽閉されていたときも僕にそう言って脅す人がいたなぁ。ここも教会の地下だから似た雰囲気がある。あそこはまだ、人が生活できる部屋になっていたけど。ここは刑を……死を待つだけのための場所だ。
暗く冷たい牢獄からは、絶望のにおいがした。




