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辺境の魔女。そう呼ばれながらひとり森で暮らしている僕は、二十四歳になった日の朝、玄関前に置かれていた赤ん坊と出会った。添えられていた手紙には、やんごとなき身分の子だから、迎えに来るまで育ててほしい……云々かんぬん。
「捨て子にここまで嘘を付くとは……はぁ」
大層な言い訳を用意するのなら、自分で育ててほしい。絶対迎えに来るつもりなんてないだろ。だいたい魔女と呼ばれているから女だと思ってるな?
狐獣人の僕は、人々の恐れる魔の力を持つ者として生まれたせいで親に捨てられ、拾われた教会では幽閉され、獣人社会で忌み嫌われ続けてこの辺境に住み着いた。
魔力は怖い。しかし実際は治癒をできるという便利なものだ。僕の元へは我が子の病気に絶望した人たちが最終手段として訪れる。子に治癒を施し、その対価で細々と生活している。
「さて、どうしたことか……人間の子だよな?耳が人間のものだし、角も尻尾もない。どれ……あ、男の子だな」
「んぎゃぁ〜〜!」
「うわああ泣かないで!赤ん坊の世話なんてしたことないんだよぉぉ!」
天涯孤独の身である僕が人の子を育てるのは、どう考えても難しい。人間の国へ行って教会に置いてくる?
子の容姿は赤ん坊でも整っていた。ふさふさの黒髪にアイスブルーの目、白い肌。どこかの貴族のご落胤かもしれない。
結果として、僕は自分でその子を育てることにした。人間社会でも魔女は排斥対象だし、僕が人間の子を攫ったと誤解されてしまうのは想像に難くない。安全に子を育ててくれそうな場所に連れていくことさえ、困難だと判断したのだ。
なにより、この子に自分の姿を重ねてしまった。このまま見捨てれば、幼い子なんて容易く死んでしまう。そんなこと……どうしてもできなかった。
――それからの日々は本当に大変だった。
幸い僕の能力で病気とは無縁だったことと、直後に僕の元を訪れた人が珍しく友好的で、いろいろ教えてくれたおかげでなんとかなったけど。困りきって魔女を訪ねて来たのに、僕のほうが困っていたなんて笑えない。
母親のお乳を欲しがって泣くから、自分の乳首を咥えさせたことだって一度や二度ではない。男の小さな乳首でもちゅうちゅう吸って泣き止むのは正直可愛かったな。
小さな手で狐獣人らしい大きめの耳をむぎゅっと掴まれ、ふさふさの尻尾をぐいぐい引っ張られ……あぁ、僕はよく頑張ったと思う。
「ねぇウナ!大人になったらおれと結婚して!」
「イーヴル……何度言ったらわかるの。男同士では結婚できないんだよ」
「う〜そんなの納得できないよ!」
あれから五年。僕の養い子になった男の子、イーヴル――名は手紙に記してあった――は、すくすくと成長した。それはもう、すくすくと。もう身長は僕に届こうとしているし、大人顔負けの会話だってできる。
ちょっと早すぎる気がするのだが、普通の分からない僕は健康ならいいか、と自分を納得させた。自分が五歳のときにどうだったかなんて、覚えてないよな?
僕の元へ訪れる依頼者は、国の要職についている人とか、まぁ立派な大人が多い。僕の噂を聞いて、半信半疑でも辺境まで足を運ぶ時間と財力を持っている人は限られる。
その大人たちがイーヴルの先生になってくれたから、彼の知識は僕が育てたとは思えないほど豊富だ。
さいきん結婚の概念を学んだイーヴルは、僕と結婚するのだと言って聞かない。彼の綺麗なアイスブルーの瞳に、モーブブラウンの毛色を持つ僕が映される。魔女の色とされる紫の瞳も、イーヴルは大好きだと言ってくれる。
同性間では結婚できない。ここ獣人の国でも、隣の人間の国でも。そもそも僕みたいな嫌われ者が誰かと恋に落ちたり、結婚できるなんて思ったこともない。
買い出しで人里に出るときの周囲の態度で、それはイーヴルも分かってるはずなんだけどな……
「竜人国では性別なんて関係ないって聞いたよ?」
「あのね……僕は獣人で、イーヴルは人間でしょう。別の種族は許可がないと竜人国にさえ入れないんだから」
辺境に接しているのは人間の国ともうひとつ、竜人の国がある。先日訪れた依頼人が竜人国に招待されたことがあるって言ってたっけ。
「じゃあ、許可を貰いに行く!」
「もー。そんなこと考えるのは大人になってからにしなさいっ」
「オトナって、いつなれるの?」
「ひとりで寝られるようになったらかなぁ」
「えー……それは、なかなかなれないかも……オトナ」
竜人は圧倒的強さを誇り、別種族にとっては上位の存在だ。他国に住む只人では触れ合う機会などなく、謎が多い。先日聞いた話によると、今は王権争いで内紛が絶えないという。
結婚なんて無理だと、イーヴルも悟る日が来るだろう。彼がもう少し大きくなったら人間の国に返すつもりでいる。魔女とずっと一緒にいるのは、彼の未来に影を落とすだろうから。
――たとえそれが、身を切る思いだったとしても。
「かわいいな……眠ってる顔は赤ん坊の頃から変わらない」
僕の胸にひっついて、長い尻尾に包まって寝るのがイーヴルのお気に入り。まだ幼さの残る頬にツンと指を押し当てて、その柔らかさを堪能した。
「僕の方が、大好きなんだよ。イーヴル……」
もちろん恋愛感情ではない。しかしいつか離れて暮らすことを想像するだけで僕はつらくて、心の中に闇が落ちる。
彼は僕にとって初めての家族らしい家族だ。たとえ状況が見せる幻だったとしても、無条件に慕ってくれる存在は初めてだった。
辺境の山奥で得られる自然の恵みだけでは暮らしていけない。定期的に麓の人里まで買い出しに行き、嫌そうな店主に声を掛け、多めの代金を渡して物を受け取る。視線さえ合わず、立ち去る背中に掛けられるのは舌打ちの音だけ。あちこちから「ああ嫌だ。魔女が近くに住んでるなんて」「早く帰れ。二度と来なくていいのに……」などと聞こえてくる。
魔女だから疎まれているけど、魔女であることで生計を立てている。ときおりやってくる依頼人のために、住む場所を変えるつもりもなかった。
治癒は成人前の子供にしか効果がない。教会でたまに力を使わせられながら、そういうものだと教えてもらった。
外傷と違って、内の病気は祈りやまじないで治すのが一般的だ。だが魔力は儀式もなく、僕が手を当て治癒を願って力を注ぎ込むだけで治ってゆく。
身体の中を治癒できるなら、逆も然り。やったことはないものの、悪化させることも可能じゃないだろうか。僕でもそう思うのだから、皆魔力を恐れている。
だから大抵の人は、もう治る見込みのない子を駄目元で連れてくる。治っても皆後ろめたく、魔女に治してもらったなんて誰にも言えない。その場では感謝こそされど二度とやってこないし、いい噂が広がることもない。
虚しいとは思う。ただ、とうに諦めはついていた。一人気ままに生きられるだけで充分だ。
そんな日々の感情に変化を齎したのがイーヴルの存在だ。彼といるだけで、嫌なことも気にならなくなった。誰と生活することがこんなにも心を満たすものだなんて、知らなかった。
彼がいなくなってしまったら、僕は里に下りる勇気さえ出てこないかもしれない。それでも、僕は彼のために離れることを選ぶ。
「ん〜。ウナ……」
「大好き。離れたくない……」
寝言でも僕を呼ぶイーブルのつむじにキスを落とす。小さく囁いて、目を閉じる。いつも彼からはお日様みたいな優しい匂いがした。
まだ時間はあるはず。僕も十二までは一応教会の庇護下にいられたから……あともう少しだけ一緒にいさせて。




