カオルと、二つの出来事
自警団の集会所は、張りつめた静寂に包まれていた。
ルクスがゆっくりと過去を語り始めるのを、カオルと周囲の団員たちは、息を殺して聞いている。
「お前の両親が亡くなってから……もう八年も経つのか……」
その声は、いつもの熱を帯びた威厳あるものとは違っていた。
低く、かすかに響くだけの声音が、集会所の空気を冷たく、重く沈ませていく。
「……はい」
カオルは小さく答えた。声はわずかにかすれ、喉の奥で引っかかるようだった。
視線は宙をさまよい、過去の記憶から逃げるように目を細める。
ルクスは、そんな様子に気づかないふりをして、言葉を継いだ。
「実はな……」
一度言葉を切り、沈黙を挟む。
「魔獣が現れる三日前に、世界樹の発光が目撃されている」
その一言は、刃のようにカオルの胸を貫いた。
灰色の毛で覆われたカオルの獣耳がぴくりと跳ね、呼吸が浅くなる。
「……えっ……?」
思わず声が漏れる。
見開かれた瞳には、驚きと不信が入り混じっていた。
周囲でも、団員たちがざわめき始める。
「おい……聞いてたか?」
「……いや、初耳だ」
「誰も知らなかったのか……?」
ルクスは団員たちを一瞥し、再びカオルへと視線を戻した。
「お前が聞いた洞窟の謎の声。そして、お前が目撃した世界樹の発光……」
一語一語を確かめるように、重く言葉を置く。
――洞窟で耳にした不気味な唸り声。
――丘の頂で見た、青白い光。
二つの記憶が脳裏で重なり合い、その瞬間、背筋を冷たい汗が流れ落ちた。
「……とてつもなく嫌な予感がすると思わないか?」
ルクスの瞳は、まるで心の奥底を覗き込むかのように、真っ直ぐカオルを射抜いていた。
「……」
カオルは、黙って頷くことしかできなかった。
拳は強く握り締められ、理解したくない現実から逃げようとする心が、そこに滲んでいる。
─────
「――つまり……あの時のような魔獣が、また現れるかもしれないと?」
団員の一人が、重たい声で問いかける。
ルクスは答えず、ただ頷いた。
その沈黙が肯定であると悟った瞬間、カオルの心臓が鈍く脈打ち始める。
「一体、何が起きようとしてるんだ……」
誰かの乾いた呟きが、空気に震えを残す。
「でも……洞窟には何もなかったはずだ」
「封印の扉が破られるとか……?」
「まさか、あそこから魔獣が……」
ざわめきが広がる。
(もし……また魔獣が現れたら……)
背中を伝う冷たい汗。
父の最期と、世界樹の発光が結びついたとき、カオルの胸に生まれたのは、否定しようのない恐怖だった。
父を喰らった、あの巨大な魔獣が再び現れるかもしれないという恐怖。
集会所は、やがて完全な沈黙に沈んだ。
重苦しいというより、張り詰めた糸が空間を覆っているような感覚。
衣擦れの音ひとつが、刃のように響く。
その時だった。
扉が開き、場違いなほど明るい声が響く。
「ただいま~。見回り終わったぞ……って、あれ? 何だ、この雰囲気」
ウォルだった。
何も知らない彼の声が、沈黙を真っ二つに裂く。
─────
ルクスは、洞窟の唸り声、世界樹の発光、そして過去の悲劇との関連について、簡潔に説明した。
話を聞くにつれ、ウォルの表情から明るさが消えていく。
「……つまり、近いうちに、またあの時みたいな巨大魔獣が現れるかもしれない、ってことですか?」
問いかけるウォルに、ルクスは答えない。
代わりに、カオルが小さく頷いた。
ルクスは立ち上がり、集会所を見渡す。
「皆、これはあくまで可能性の話だ!」
拳がテーブルを打つ。
乾いた音に、団員たちの背筋が一斉に伸びた。
「だが、洞窟の唸り声、世界樹の発光――複数の目撃者がいる以上、気のせいでは済まされん!」
「魔獣は、唸り声のした森はずれの洞窟から現れる可能性が高い!」
窓の外の森を一瞥するルクス。
集会所には、自分たちの鼓動と呼吸だけが響いているようだった。
「よって、当面の間――あの洞窟を、終日交代で監視する!」
「ですが団長、洞窟も封印の扉も――」
一歩踏み出そうとしたウォルを、ルクスが手で制する。
そして、視線がカオルへ向けられた。
「カオル。お前も、もう立派な自警団の一員だ」
その声には称賛ではなく、事実を告げる重みがあった。
「この先、団員として生きるなら……避けられぬ運命なのかもしれんな」
父の形見の短剣を握り締める、幼い日のカオルの姿が、脳裏をよぎったかのようだった。
「だが、運命なら乗り越えねば、明日はない」
ルクスの瞳には、団長としての覚悟と、少年を守ろうとする意志が同時に宿っていた。
「……はい」
冷たい短剣の柄を握り締めながら、カオルは答える。
「各自、帰って準備を整えろ。監視の詳細は追って伝える」
「ウォル、お前は私と洞窟へ行く」
「……はい、団長」
去り際、ウォルは小さく声をかけた。
「無理するなよ、カオル」
「ありがとう……僕は大丈夫だよ」
かすれた声でそう答え、カオルは二人の背中を見送った。
「……魔獣」
カオルは、短剣の冷たさを確かめるように指を握り、重い足取りで集会所を後にした。




