カオル、光る巨木を目撃する
――そして、現在。
カオルは、ベッドに腰掛けながら、考え込んでいた。
連日のスライムとの遭遇、そして戦闘。
脳裏をよぎるのは、洞窟で聞いた唸り声と、巨木が光っていたという噂。
(この集落は……平和だと信じていたけど……)
(もしかしたら……何かが、もう始まっているのかもしれない)
カオルはベッドに倒れ込み、再び眠ろうと目を閉じる。
だが、戦闘の緊張が抜けきらず、意識は冴えたままだった。
(……少し、歩こう)
気を紛らわせるため、カオルは家を出て、夜道へと足を踏み出した。
─────
外へ出ると、肌寒い風がカオルの頬を掠める。
月夜の明かりで木々の輪郭がはっきりと浮かんでいる
「……ん?」
ふと、何気なく見上げた南の空が、かすかに青白く染まっていることに気づく。
(あれ……?)
無意識のうちに足取りを早め、南の小高い丘へ向かう。
(まさか……)
冷たい風が頬をなで、枯れ草のざわめきが耳をくすぐる。
月明かりに導かれた夜道は、宵闇の静寂に沈んでいた。
響くのは自分の足音だけ。
遠くで鳴く夜鳥の声が、かえって孤独を際立たせる。
(まさか……まさか……!!)
丘の斜面は木々に覆われ、自然のままの姿を保っている。
根や石に気をつけながら、一歩一歩、慎重に登っていく。
胸の内には、不安と――それと同じだけの、期待があった。
丘の頂が近づくにつれ、空の異変ははっきりとした輪郭を帯びていく。
足取りは自然と速くなり、鼓動も高まっていった。
耳は周囲の気配を捉えていたが、意識は次第に呼吸と心拍へと集中していく。
そして、丘の頂に立った瞬間――
「……本当に、光ってる……」
カオルは目を見開き、息をのんだ。
─────
そこに広がっていたのは、世界の神秘そのものと呼ぶほかない光景だった。
「あ……っ、ああ……っ……」
喉から、思わず声が漏れる。
視線は、月明かりに照らされた森を越え、その奥にそびえる巨木へと吸い寄せられていった。
夜の静寂が、鼓膜を打つ。
胸の鼓動が、不意に大きくなる。
冷たい夜風が頬をなで、背筋を走る寒気は、恐怖ではなく――畏敬だった。
そこにあるはずの巨木は、確かに存在している。
だが、普段とは決定的に違っていた。
(凄い……)
巨木は、青白い光の粒子をまとい、それを天へと放っていた。
昼間に見る姿とは比べものにならないほど神々しく、
まるで生き物のように、光の粒がゆっくりと脈動している。
光の粒は、無数の蛍のように宙を舞うと、星空へ溶けていく。
やがてそれらは帯となり、呼吸するかのように、収束と拡散を繰り返していた。
吸い込まれ、吐き出される――
そのリズムは、不思議とカオルの心拍と重なっていく。
ときおり、光の帯が強く輝く瞬間、
遠くで鳴いていたはずの虫の声さえも消え、世界が一瞬、停止したかのように感じられた。
巨木を囲む広大な森も、その光を受けて銀色に染まる。
葉の縁がきらめき、風に揺れるたび、地面には光と影の文様が描き出されていく。
そこはもはや、ただの森ではなかった。
夜明け前の空気そのものが清められ、聖域と化したかのようだった。
「……巨木が……光ってる……」
震える声が、息継ぎも忘れてこぼれ落ちる。
昼間に聞いた団員の話が真実だったのか。
それとも、これは幻なのか。
(……あれが、世界樹……)
か細く名を呼ぶが、声は夜風に紛れて消えていく。
だが、指先に伝わる空気のざわめきと、瞳に焼き付く確かな光景は、
これまでの平凡な日常とは、明らかに異なる何かが始まったことを告げていた。
(……神秘的だ……)
カオルの心臓は、異様な速さで鼓動しながらも、
その光景から目を離せない、抗いがたい引力に囚われていた。
世界の根幹に触れる出来事を、
今まさに目撃している――そんな確信が、全身を駆け巡っていた。
─────
――翌朝。
カオルはいつもより早く起き、自警団の集会所へ向かった。
脳裏には昨夜の光景が胸に焼き付いており、誰かに話さずにはいられなかった。
「おはようございます」
扉を開けると、数人の団員が顔を上げる。
「おう、カオル。早いな。何かあったか?」
「えっと……」
一瞬ためらい、だが意を決して口を開く。
「……昨日の夜、南の崖から見える巨木が、光っているのを見ました」
「えぇ!? カオルも見たのか!?」
甲高い声が静寂を破る。
団員たちの視線が一斉に集まり、驚きと困惑が入り混じった表情が浮かぶ。
「本当なんだな? 昨日の夜に、確かに光っていたんだな?」
カオルは、静かに頷いた。
瞳の奥には、天へ昇る青白い輝きと、呼吸のような脈動が、まだ鮮明に残っている。
それほどまでに、強烈な記憶だった。
ただ美しいだけではない。
そこには、古代の歴史や、失われた世界の記憶が眠っている――
そんな感覚が、確かにあった。
─────
「……そうか……」
奥から現れたルクスは、はるか南――世界樹の方角を一瞥し、ゆっくりと目を閉じる。
「団長……?」
表情が、次第に険しくなっていくのを、カオルは感じ取った。
やがてルクスは目を開き、静かに語り始める。
「世界樹の発光は、少なくとも、自然な現象ではない」
「実はな……過去にも、発光は目撃されている」
そう言って、ルクスはテーブルを指先で軽く叩いた。
「”コッ……コッ……コッ……”」
その音が、不安を押し殺すように響く。
集会所にいる全員が、息を潜めて次の言葉を待っていた。
カオルの胸は、早鐘のように鳴っている。
「……そう、なんですか……?」
かすれた声。
握り締めた手のひらに、汗が滲む。
「黙っていたがな……」
ルクスは深く息を吸い、覚悟を決めたようにカオルを見据えた。
「お前の父親が、巨大な魔獣に襲われて亡くなったことは、覚えているな?」
その言葉に、カオルの肩がわずかに震える。
「団長! その話は――」
遮ろうとする声を、カオルが静かに制した。
「……覚えています。忘れたことは、ありません」
落ち着いた声の奥に、押し殺した感情が滲む。
父の死の記憶と、世界樹の発光。
二つの光景が、不思議なほど自然に重なり合っていく。
夜明け前に見た幻想的な光が、
幼い頃に訪れた父の死の真相を、照らし出そうとしている――
そんな予感が、胸の奥で確かに芽生えていた。




