真夜中の、来訪者
「……行か……ないで……
お父さん……お母さん……」
「――っ!!」
うなされる自分の声で、カオルは目を覚ます。
月明かりが窓から差し込み、薄暗い室内をぼんやり照らしている。
まだ、真夜中だ。
「……夢か」
それは懐かしい夢だった。
もう二度と会うことのできない両親との記憶。
忘れたくない。けれど、思い出したくはない――そんな記憶。
目元をぬぐうと、指先がわずかに濡れていることに気づく。
「……」
静かに寝床を離れ、立ち上がる。
素足で床を踏むたび、ぎしり、ぎしりと床が軋む音が、夜の静寂に溶けていった。
窓辺へ近づき、外を覗く。
そこには、星々が瞬く澄んだ夜空が広がっていた。
「父さん……母さん……」
ぽつりとこぼれた言葉は、冷たい夜気に吸い込まれ、すぐに消える。
星空を見上げるその瞳に、過去の記憶が、ゆっくりと浮かび上がってきた。
(……また夢に見たのか)
自嘲するように首を横に振る。
瞳には、まだ夢の余韻が残っているようだった。
――そのとき。
「”ぽよん……にちゃっ……”」
不意に、外から異質な音が届いた。
「……!?」
一瞬で肩が強張り、全身の産毛が逆立つ。
反射的に窓から離れ、部屋の隅に置かれた短剣へと手を伸ばす。
「”ぷるん……びぢゃっ……”」
再び聞こえた音は、湿った地面を何かが引きずるような、粘着質なものだった。
カオルは慎重に窓から外を覗き、音の正体を確かめる。
月明かりに照らされた庭に、
小さなゼリー状の魔物が蠢いているのが見えた。
「……スライムか」
その音の正体は、スライムだった。
数は一匹だけ。
わずかに警戒を緩めつつも、油断はしない。
夜間に、しかも自宅の近くで出現するのは稀だった。
カオルは、短剣の柄を握ると、静かに戸口へ近づく。
ぎぃ……。
音を立てないよう扉を開けると、
ゆっくりと、慎重に距離を詰める。
「こんな時間に……」
囁くように呟き、短剣を抜く。
「やぁっ!」
踏み込み、刃を突き立てる。
だが、核を砕いた手応えはない。
(……駄目だ、浅い!)
引き抜くと、ゼリー状の体はすぐに元へ戻ってしまう。
「……くっ!」
即座に体勢を立て直す。
スライムは不気味な音を立てながら、ゆっくりとこちらへ迫ってくる。
「やっ!」
再び踏み込み、深く突き刺す。
刃は抵抗なく沈むが、やはり核には届かない。
「やあぁっ!!」
三度目の突撃。
今度は体の中心を正確に狙う。
刃が触れた瞬間、内部で脈動する核が、不安定に揺らいだ。
「これで……!!」
短剣をひねり、核を砕く。
乾いた破砕音が夜に響き、スライムの体は急速に硬化していく。
透明だった体は不透明に変わり、やがて力なく崩れ落ちた。
─────
「……ふぅ」
肩で息をしながら、腕から力を抜く。
額には汗が浮かび、体は緊張の熱を帯びていた。
(倒せた……)
短剣についた粘液を落とし、鞘に戻す。
そのとき、洞窟で聞いた唸り声と、南の崖の“光る巨木”の話が脳裏をよぎる。
胸の奥に、不安がじわりと広がった。
再び庭を見回す。
夜虫の声と月明かりだけが、静かにそこにあった。
(……また、何とか一人で倒せた)
カオルが夜にスライムと遭遇するのは、
これが初めてではなかった。
─────
――三日ほど前の、夜明け前。
そのときも、カオルは眠っていた。
「”バキッ、コ゚ッ、ドサッ!”」
突如、家の奥で衝撃音が走る。
続けて、裏手から何かが倒れ込むような重い音が響いた。
「……!? なに、なに……!? 泥棒……!?」
一瞬で覚醒し、布団から飛び起きる。
心臓が激しく鼓動し、冷たい汗が背を伝った。
窓辺へ駆け寄り、慎重に外を覗く。
月明かりに照らされた畑の一角で、ゼリー状の魔物が蠢いていた。
その足元には、根元から折れた案山子が無惨に転がっている。
「ス……ライムが……こんなところまで……」
その声には、不信と不安が滲んでいた。
夜間に、ここまで近づくことはほとんどない。
(誰かを……呼ばないと)
だが、カオルの家は集落の外れにあり、他の家までは相当な距離がある。
この時間に助けを呼んでも、すぐに来るとは思えなかった。
(……一人でやるしかない)
カオルは、すぐに決意を固めた。
─────
短剣と弓矢を手に取り、外へ出る。
スライムは不思議なほど動かず、まるで眠っているかのようだった。
(……今なら、一撃で)
弓を構え、矢をつがえる。
核を正確に見据え、息を整える。
”匕ュンッ!”
放たれた矢は、まっすぐに飛んだ。
――だが。
「……!?」
矢は体を貫通し、核には届かなかった。
「そんな……っ」
次の瞬間、スライムがカオル目掛け飛びかかってきた。
「っ!!」
咄嗟に横へ飛び退く。
スライムは先ほどカオルが立っていた場所に着地し、不気味な音を立てながら体を膨らませた。
この距離では、次に飛びかかられれば、ゼリー状の体に埋まり、捕らえられてしまうだろう。
(しまった……!)
スライムとの距離は、わずか二メートルほど。
逃げ場を失ったカオルの心臓が激しく鼓動を打ち、冷たい汗が額に滲む。
(逃げ……られない……!!)
再び、スライムが勢いよく飛びかかってきた。
月明かりを受けたその体は、不透明に鈍く輝いている。
(あぁっ!!)
思わず尻もちをつくように、後ろへ倒れ込んだ。
だが、その予想外の行動が、思わぬ結果を生んだ。
倒れ込んだことで、スライムはカオルの頭上を飛び越え、
そのまま勢い余って家の壁へ激突したのだ。
「ドチャッ!!」
重い音が響き、スライムは壁から跳ね返されるように地面へ落ち、
よろめきながら立ち上がろうとする。
(……チャンスだ!!)
短剣を抜き、踏み込む。
「はあぁっ!!」
刃が核を砕き、スライムはゆっくりと崩れ落ちた。
「……はあっ……はあっ……」
荒い呼吸を整えながら、カオルはゆっくりと武器をしまう。
短剣を鞘に戻す手は、戦闘の余韻でわずかに震えていた。
「……何とか、一人で倒せた」
一人で戦い抜いたという小さな誇りと、
この夜、誰にも頼れず魔物に立ち向かわねばならなかった孤独。
その二つが混じり合い、カオルの心に、不思議な余韻を残していた。




