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転送少女とケモミミ少年 -Zerofantasia Gaiden-  作者: zakoyarou100
第三章 迫りくる”闇”
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試験、当日

朝の光は、昨日より鈍く見えた。

色が褪せているみたいに。空が曇っているわけじゃない。光の強さそのものが、弱まっている。


――集落全体が、息を殺しているような朝。


「……」

「……」


カオルとマナンは、試験の本番に向けた準備を、黙々としていた。


「……マナンさん、緊張して……ますか?」

「……はいっす」


「はいっす」としか言えなかった。笑えなかった。元気な声は出なかった。


「私、いきなり走り出しちゃいそうっす。緊張で飛んでいきそうっす」

「……僕も、同じです」


カオルは小さく笑った。

それが、二人にとっての唯一の会話だった。


カオルが作った朝食は、いつもより豪華だった。

森で採れたキノコと干し肉の煮込みに、温かいパンと小さなチーズ。

今日の試験に向けてのエネルギーを――というカオルの配慮だったのかもしれない。


香ばしい湯気は立ち上るものの、二人の間には重い沈黙が横たわっていた。

カオルが静かに匙を動かし、マナンがパンを小さくちぎる。

その光景だけが、壁に映る小さな灯りの下で揺れている。


けれど、二人の口にはほとんど運ばれなかった。

マナンの手元のパンはちぎられたまま、カオルが差し出した煮込みは次第に冷めていく。

胃が重く、食べ物が喉を通らない。


匙を動かすたび、鍋の縁に当たって音がした。

それが妙に響いて、耳の奥まで届くようだった。


カオルは顔を上げずに、煮込みをもう一杯――今度は自分の皿に取り分ける。

マナンのために、と言い訳するみたいに。

でも、マナンの皿は触られないままだった。


胸元のアストラ・ヴィータが、微かに脈打つ。

灯りの下で淡く、淡く揺れている。それは心臓の高鳴りと同じリズムで、不安だけを増幅させていた。

指先でそっと触れると、温かい。その温かさが、逆に胸を締め付ける。


(――大丈夫)

(大丈夫って、言い聞かせるっす)


「……そろそろ、行きましょうか」

カオルの声は、いつもより低かった。重さを押し殺した音。

「……はいっす」

マナンの返事は、ほとんど息だった。


─────


家を出て広場へ向かうと、すでに集まっていた人々の顔が、一つ一つ霞んで見えた。

誰もが口を閉ざし、視線をどこかに泳がせている。

噂は、静かに、水面に広がる薄膜みたいに集落を覆っていた。

試験の始まりを待つ人々の息遣いだけが、異様にまとまって広場に漂っている。


「――集まったか」


ルクスの声が、広場の空気を切り裂いた。

それまで人々の間に漂っていた雑音が、嘘のように途絶える。


「いよいよ、時が来た。集落の掟を体に刻み、我らの盾となることを誓う者よ

これより、古より受け継がれた掟に則り、自警団への入団試験を執り行う!」


「合格の証を手にする者には、禁忌の地とも言われる古代遺跡への調査、同行が許可される。

過去の叡智を探り、集落の未来を切り開くための、最初の扉だ」


「さあ、己の魂に宿る力を解き放ち、その実力をもって我らに見せよ。

その腕と志が、この集落の新たな希望となることを証明するのだ」


ルクスの声が、静まり返った広場を支配していた。

集まった人々の息が凍り、瞳に光が宿る。


「――審査員を紹介する」


ルクスの視線が、列をなす五人へとゆっくりと移っていく。

一人一人の顔に注がれる視線は、評価であり、重みだった。


「まずは私。ルクスだ」


自分の名前を言う声は、特に低く響いた。それでも、その声には微かな揺らぎはなかった。


「ウォル。副団長。判断力を見極めてもらう」


ルクスの息子が、一歩前に出る。

ウォルの肩は固く、顎の線は張っている。いつもの軽口はなく、ただ“副団長”としての表情を浮かべている。

カオルの視線が、ほんの一瞬だけウォルと交差した。


「フウカ。薬師。植物の知識は誰よりも深い」


フウカは静かに頷くだけ。

その目の奥には、昨日の出来事の影がまだ色褪せていない。

アレルのこと。マナンのこと。何もかもを知っていながら、何も言わない表情。


「アレル――」


名前を呼ばれた犬耳の少年が、少し前に出る。

昨日の怪我は目立たないように包帯で覆われていた。


「フウカの息子だ。怪我をしたが、本人の希望で参加する。まだ若いが、彼の感性も参考にさせてもらう」


アレルはぎこちなく立っている。腕を隠そうとする動作が無意識だった。

彼の犬耳が、ぴくりと動き、すぐに伏せられる。


「――そして、賢老、オルジィ師匠」


オルジィは集落の隅からゆっくりと現れた。

杖をつき、背中を丸めているように見えるのに、その視線だけが誰よりも鋭い。


「……嘘だろ」

「賢老が審査員やるの、いつ以来だ?」

「というか、いつの間に帰ってきてたんだ?」


広場に立つ人々の間で、ざわつきが駆け巡る。

賢老が審査員として姿を見せるのは、何年ぶりだろうか。年配の者たちが顔を見合わせ、若い者たちは息をのむ。


「師匠は、森の掟の根源を知っている者だ。その判断は、過去からの警告でもある」


ルクスがそう言うと、オルジィは鼻で鳴らした。


「……私は、何の力もない。ただ見るだけだ」

「見るだけで十分だ」


ルクスは静かに返し、広場に立つ全員を見渡した。


「――次に、試験のルールを説明する」


ルクスの声が、広場の空気を裂いた。


「試験の時間は、日没まで。それまでに集落周辺で食材を集め、調理し、私たち五人を納得させろ」

「調理器具は用意してある。だが、それ以外はすべて自力で調達する。

火、水、塩も例外ではない。物々交換も認める。それは、掟の一部だ」


ルクスは視線を巡らせる。


「森の奥――境界杭より先へは入るな。危険な場所への立ち入りも許可しない。

掟を破った者は、即失格だ」


最後の言葉が、冷たく響いた。


「では、始めよう。健闘を祈る。

――くれぐれも、無理はするなよ」


カオルは静かに頷き、マナンに小さく合図した。


「マナンさん。僕は遠くから様子を見ていますが、基本的に手助けはできません」


マナンは深く息を吸い、力強く頷いた。


「わかってるっす!」


その声は少し高鳴っていた。恐怖よりも、高ぶりに近い。


「合格できるようがんばるっすよ!」


カオルは、そんなマナンの姿に少しだけ驚いた。

そして、小さな笑みがこぼれた。


「ふふっ……期待しています」


その言葉が、マナンの胸に刺さった。

期待されている。

この人が、自分の力を信じてくれている。


(――絶対、裏切らないっす)


「もし……」


カオルは一度、言葉を飲んだ。それでも、言わずにはいられなかった。


「もし、何かあったら――大きな声で僕の名前を呼んでください。

どんなに遠くても、聞こえるように叫んでください

――絶対に、駆けつけますから」


その言葉に、マナンの喉が熱くなった。


(――頼ってくれてるっすね……)


「それと……」


カオルは、そっと耳打ちするように告げた。


「その……無事に合格できたら……僕の……」


その言葉が途切れる。言いにくそうに、俯く。


「前の続き……と言いますか、えっと……

……僕の獣耳、好きなだけ……触っていいですよ」


マナンは息を呑んだ。


「……えっ?」


思わず、声が裏返る。


「……えええっ……? えっ、あの、えっと……ほんとっすか!?」

「……はい」


カオルは顔を赤らめながら、決意を固めたように頷く。


「……約束です」


その言葉が、マナンの心臓を鷲掴みにした。


「えええええええええええっ!?」


悲鳴に近い声。


「ほ、ほんとっすか!? お触り……いいってことっすか!?」

「……はい、それでマナンさんが、頑張れるの、なら……」


マナンの目が、異様に輝き始めた。

そしてカオルは見た。

マナンの背後に、淡く、淡い光の輪郭が広がり始めていた。


「……っしゃあ! 絶対合格するっす!!」


カオルは、その勢いに目を丸くして、でもすぐに表情を和らげた。


(よかった……少し、緊張がほぐれたみたいだ)


「……頑張ってくださいね。マナンさん」


マナンの心の中で、決意が固まる。


(この試験、乗り越えてやるっす!)

(そして、何があっても生き残って……)


(カオルくんのふわふわもふもふの――)

(耳を触る!!)


「――いざ、出陣っす!!」


マナンが雄叫びとともに、森へ突進した。

その背を、カオルは追うように見送った。

その高ぶりは、純粋な闘志だった。


─────


その頃。

森の入口――境界杭の手前。


朝の光が差しているはずなのに、そこだけ影が長かった。

杭の足元の黒が、地面に貼りついて離れない。風が吹いても揺れず、光だけが避けているみたいに見える。


誰も気づかない。

人々の視線は広場の中心へ向き、声と息遣いが渦になっている。


けれど、境界杭の影の中には――確かに“何か”がいた。


影が、ほんの少しだけ“ほどける”。

闇が人の形を借りるみたいに、輪郭が立ち上がった。


オレンジの髪。兎のような長い耳の女性。

その隣には、ピンクの髪に折れた耳の少女が、退屈そうに指を揺らしている。


「ねぇおねーちゃん。あの子、もう行くよ?」


少女の声は軽い。けれど、笑い方は甘くない。


女性は答えない。

ただ、広場の端――マナンの背中を、遠くから見ていた。


「……森が静か。計算通りね。これなら、よく響く」


その一言が、冷たい。

何が“響く”のか。誰に“届く”のか。言わないまま、確信だけが落ちる。


少女がくすりと笑った。


「じゃ、あれ……ちゃんと出るかな? “怖がった時に出るやつ”」

「出るわ。隠していれば隠すほど、揺らせば反応する」


女性の声は淡々としていた。

まるで、実験の手順を確認しているみたいに。


少女は境界杭の影に爪先を滑らせる。

影が薄く波打ち、地面の奥で“何か”が蠢く気配がした。


「この地の闇、最近やけに薄いんだよねー。だからさ、ちょっと濃くしてあげないと」

「……余計なことは言わない。今日は“呼び水”だけ」


呼び水。

その言葉だけで、背筋が冷えた。


女性は目を細める。

広場の中心で、マナンが深く息を吸うのが見えた。


「――行くわよ」


少女が嬉しそうに頷く。


「はーい。じゃあ、森に“合図”出しとくね」


影が、音もなく沈んだ。

二人の姿は、最初からいなかったみたいに消える。


境界杭の足元だけが、ほんの少し黒いまま残った。


─────


――一方、広場


マナンが元気よく森へ向け飛び出して行く。

その様子を、ルクスとオルジィは、別の色で見ていた。


「……」


ルクスは無言だった。しかし、その瞳の奥では冷たい炎が揺れていた。


「ウォル、ちょっといいか」

「――ああ、何だ?」


ウォルは、マナンの姿に視線をやったまま言った。


「本来、審査をする者は付いて行ってはいけない決まりだが……」

ルクスの視線が、遠くの森の入り口に移る。

「だが、今回は“例外”を許可する」


ウォルの眉が、わずかに寄る。


「……良いのかよ?」

「あぁ、いずれにしろ、お前はこっそり付いていくつもりだっただろう?」

「……」


ウォルは、ルクスから目を逸らす。

それは、無言の肯定。


――掟を破ってでも彼女を助けたい。

その覚悟を見通された恥ずかしさが、逸らされた視線からにじみ出ていた。


「――オルジィ師匠も許可の上だ」


オルジィは静かに頷いた。


「……見るだけ、だ」


ルクスは、ウォルとオルジィにだけ言った。


「――付いていけ。そして見定めろ。

彼女が“希望”の兆しなのか、それとも――

“破滅”の始まりなのかを」


ウォルの表情が硬直する。


「……もし、集落に脅威をもたらすと判断したなら――」


ルクスは言わなかった。

しかし、その言葉の重みが、ウォルの背中にのしかかった。


「……分かった」


ウォルは頷いた。

その背中には、もう“息子”の感情はなかった。一人の“自警団員”としての覚悟だけがあった。


(マナンさん……わかってるんだろうか?)

(今日の森が、一番ヤバいってことを……)


─────


そして、試験開始から数十分後。

マナンは、森の中を全力で走っていた。


「見つけるっすよ! 最高の食材を――!」


その後ろを、距離を取りながらカオルが静かに追う。


カオルは自分の足音さえも立てないように、森の呼吸を感じながら動いていた。

その視線は、常に森の奥――そしてマナンの背中にあった。


“手助けはしない”。それが掟であり約束だ。

だが、万一の時に呼ばれたら――その時だけは、迷わないと決めている。


その時だった。

マナンの足が、"ぴたり"と止まる。


「――あれ?」


森の中の、木々の間に陽光が差し込んでいるはずの場所。

そこに、何もなかった。


「おかしいっすね……アレルくんが教えてくれた、美味しいきのこが生えてる場所だったんすけど……」


マナンは目を凝らす。

地面には朽ちた葉と小さな枯れ枝。

きのこがあった痕跡すらない。まるで、初めからそこに何もなかったかのように。


「……まぁいいっす!! 他の場所も探すっすよ!!」


マナンは気を取り直して、また走り出した。


「えっと……この近くに、そのままでも美味しい薬草が生えてるって聞いたんすけど……」


森の小径を進む。

しかし、そこにもない。草は枯れ、根元だけが残っている。まるで力を失ったかのように。


マナンは、さらに森の奥へ進んだ。


「……おかしいっすね。ここも……全部、萎れてるっす……」


何度も立ち止まり、そして何度も走り出した。


「はぁ……はぁ……」


息が切れる。走ってばかりで、すぐに疲れてしまう。

マナンは石の上に腰を下ろした。


「どうして……なんすかね……」


声が、小さくなる。


「昨日も一昨日も……もっともっと、いろんなものがあったんすよ……」


枯れた草。萎れた木の実。色の抜けた葉。

森の宝物庫だったはずなのに、殺風景な光景ばかりが広がっていた。


「ん?……なんか、音がしないっす……」


マナンは耳を澄ます。

鳥の鳴き声がない。森の生き物たちが奏でるはずの歌が、まるで存在しないかのように消えていた。

虫の羽音さえもない。葉擦れの音も、風の音さえも。


――静かすぎる。

まるで、森全体が息を殺しているかのようだった。


マナンは無意識に胸元のペンダントを握りしめる。


「オルジィさんの言ってたこと……」


距離を取っているせいか、カオルの姿は見えない。

それでも、どこかで見ている――そう信じたかった。


「森が、黙ってる……っすね……」


その声は震えていた。

恐怖が、ゆっくりと背筋を這い上がっていく。


そして――刹那。


"ゴゴゴゴゴゴゴゴ……"


不気味な音が、森の奥底から響き渡った。


マナンは、ビクッと身体をこわばらせる。


「な、な、何の音っすか……!?」


それは獣の声ではなかった。

もっと深く、地面の底から響くような鈍い音。


マナンは後ずさりする。


その時、地面がわずかに揺れた。


「――きゃあっ!」


バランスを崩し、マナンは尻餅をつく。


「……な……なんっすか、これ……!」


喉が詰まって、息がうまく入らない。


――そして、奴は現れた。


森の奥深くから、"じわり"と滲み出てきた。

まずは闇。ただの影じゃない。生きているかのように揺らめき、木々の間を這う濃密な闇。


それに続いて現れたのは――巨大な塊。


「あ……あれは……まさか」


漆黒の体。獣とは違う。植物でもない。

まるで森のすべての闇を集めて、形にしたかのような存在。


表面は湿った岩みたいに滑らかに見えるのに、その輪郭はぎざぎざに裂けていた。傷のように。


その巨体が動くたびに、地面がごりごりと鳴る。

木の根がもげる音。土がめくれる音。

風は吹いていないのに、マナンの髪だけが静かに揺れる。

それは、巨体が吐き出す“何か”のせいだった。


悪意というには、あまりに原始的。

憎しみというには、あまりに無機質。

それはただ――そこに在る。

森の、夜の、世界の“否定”のような存在。


マナンの足が、地面に釘付けになった。

逃げたいのに動けない。叫びたいのに声が出ない。


(……間違い……ないっす)

(――あれは、”瘴気獣”!!)


ただ、見てしまう。

見てしまうしかなかった。

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