カオルの、日常
警戒活動を終えたカオルが集落へ戻ってくると、広場の前に赤い髪を夕日に輝かせるウォルの姿があった。
少し疲れた様子ではあるが、カオルに気づくと、変わらぬ元気さで大きく手を振ってくる。
「よっ! カオル。待ってたぞ」
爽やかな声は、いつもと変わらない明るさだった。
カオルは歩き疲れた足を引きずるようにしながら、ゆっくりと近づく。
「ウォル……もう洞窟の調査は終わったの?」
声には、まだわずかに残る緊張と、安堵が入り混じっていた。
ウォルは肩をすくめ、大げさに息を吐く。
「ああ。今日は何にもなかったぜ。魔物も一匹も出なかったし」
その言葉に、カオルの表情が目に見えて緩む。
「それは……よかった……」
ウォルはその様子を面白そうに眺め、にやにやと口元を歪めた。
「なあカオル……もしかしてさ。“僕も一緒に行きたかったなぁ”とか、思ってたり?」
「えっ!? いや……そんなことは……ないこともないけど」
一瞬の間。
次の瞬間、ウォルの顔がぱっと明るくなり、誇らしげに胸を張る。
「だよなぁ。団長の戦いを間近で見られる機会なんて、そうそうねぇもんなぁ」
相変わらずの調子に、カオルは苦笑する。
(……やっぱり、わざとらしい)
落ち込んだふりも、得意げな振る舞いも、全部分かりやすい。
ウォルはいつも、こうしてカオルの気を引こうとする。
(まぁ……団長の戦いを見てみたいのは、否定しないけど……)
心の中でそう呟いた。
─────
カオルは、ルクス団長の戦いぶりを思い浮かべてみる。
洗練された剣さばき。無駄のない動き。
若い頃、自警団最強と称されたその腕は、今も衰えを感じさせない。
もし洞窟で聞いた唸り声が、何らかの魔物や魔獣のものだったとしたら。
団長とウォルの二人だけで、どう対処したのだろうか。
想像が膨らみ、胸の奥に不安と興奮が入り混じる。
だが同時に、ウォルの能天気な態度が、どこか微笑ましくもあった。
─────
「……そういえばさ。洞窟の唸り声って、結局何だったのかな?」
話題を変えると、ウォルの表情がわずかに引き締まる。
「ああ。それなんだけどよ。今日は音すら聞こえなかった。正直、肩透かしだったぜ」
「……そっか」
早朝から動き回ったウォルには悪いが、カオルは胸を撫で下ろす。
それを見て、ウォルがまたにやにやと覗き込んできた。
「安心した顔してるな。結局さ、親父は心配しすぎなんだよ」
「それより、俺の家で飯食っていかねぇ? 腹減ってさ」
ウォルの家――自警団の集会所の方を指さされ、カオルは小さく頷く。
「うん。そうだね」
「よっし! じゃあ来いよ。親父も喜ぶぜ!」
ウォルはそう言って、先に歩き出した。
カオルも、その後を追う。
――数歩進んだところで、昼間に聞いた“光る巨木”の話が脳裏をよぎる。
(南の崖から見える巨木が……光っていた)
信じがたい話だ。
だが、団員の真剣な表情と興奮した声が、どうしても忘れられない。
「どうした? またぼーっとして」
振り返ったウォルが、不思議そうに尋ねる。
「あ、いや……何でもないよ」
「そっか。ほら、早く入ろうぜ。飯の準備しないと」
ウォルは扉を開け、先に中へ入っていった。
カオルも後に続くが、心はまだ昼間の話から離れない。
(あの唸り声……本当に、何もなかったんだろうか)
ウォルの言葉とは裏腹に、不安は完全には消えなかった。
洞窟の封印の扉と、光る巨木。
偶然にしては、出来すぎている気もする。
(……でも、言えばからかわれるだけだ)
考えを胸の奥に押し込み、カオルは家の中へ入った。
ルクスとウォルの声が、奥から聞こえてくる。
(……きっと、偶然なんだ)
そう自分に言い聞かせる。
─────
「――イノシシを矢で一撃だぜ! 流石だよなぁ」
「そんな事ないよ」
遅めの昼食を済ませた後、二人は再び外へ出た。
空はすでに西へ傾き、夕暮れが近づいている。
ウォルは、手に持った剣を腰に差すと、カオルを見る。
「これから見回りだけど、一緒に行くか?」
「うん。散歩ついでに行くよ」
二人は、集落近くの草原へ向かった。
─────
夕日が森の木々の間から差し込み、長い影を地面に落とす。
風の音と足音だけが、静寂の中に響いている。
――その時だった
「あっ」
ウォルが足を止める。
その視線の先に、夕焼けに照らされたスライムの姿があった。
「どうしたの?」
「スライムだ。それも……結構な数だな」
五、六匹のスライムが、夕日に照らされ、ゆっくりと蠢いている。
「珍しいな……こんな集落の近くで集団とは」
ウォルは長剣を抜き、構えた。
刃が夕日を反射し、鋭く輝く。
「よしっ!」
ウォルは一歩踏み出し、スライム目掛け剣を振り下ろす。
「はぁ!!」「おらぁ!!」「せいっ!!」
ウォルの剣は次々と核を砕き、スライムは抵抗する間もなく崩れ落ちていった。
「さすがだね、ウォル」
カオルの称賛に振り返ったウォルは、誇らしげに笑う。
「当然だろ。俺は団長ルクスの息子だぜ!」
残ったのは、あと二匹。
「よし、あとはカオルに任せる!」
「えっ……僕一人で?」
「大丈夫だって。小さいし、スライムなんて敵じゃない」
「……うん」
カオルは弓を構え、矢をつがえる。
そして、スライムに矢を向け、静かに息を吸い込む。
「いくよ!」
放たれた矢が一直線に飛び、核を射抜いた。
「やった!」
だが、残った一匹が飛びかかってくる。
「っ!!」
すぐに身をかわし、もう一度弓を引く。
ヒュン――。
最後の核を射抜かれ、スライムは静かに崩れ落ちた。
「よし……!」
弓を下ろし、大きく息を吐く。
胸には、確かな手応えと成長の実感が広がっていた。
─────
「見事だな、カオル」
背後から響く声に、カオルはびくっと反応した。驚いて振り返ると、そこに立っていたのはルクスだった。
「親父……じゃなかった、団長!」
「団長……いつからそこに?」
カオルとウォルがほぼ同時に声を上げる。二人の声には、意外な人物との遭遇への驚きが混じっていた。
「いつからと言われてもな……散歩に出たら、お前たちの姿がちょうど見えたからな」
ルクスは顎をぽりぽりとかき、笑いながら言う。
「まぁ、そんなに驚くことじゃないぞ」
その声には、いつもの低さとは違う穏やかさが感じられた。
「ところでウォル。剣の腕はともかく、弓の腕も磨いたらどうだ?」
ルクスの視線が息子に移る。夕日を受けたウォルの赤い髪が、さらに燃えるように輝いていた。
「カオルみたいに扱えたら、そもそも苦労しないですし。
そもそも、俺には剣のほうが使いやすいので」
ウォルは少し不満そうに言い返したが、その瞳には親子ならではの親密さが浮かんでいた。
そして、ルクスはカオルの方を見据えると、
「カオル、たまにでいいからウォルに弓を教えてやってくれ」
「僕が……ウォルに?」
カオルは不意を突かれたように目を見開いた。
自分が弓を教える役になるとは思いもよらなかった。
視線が、自信に満ちた表情で腕を組むウォルと、静かに微笑むルクスの間を行き来する。
「私や他の団員よりも、お前が適任だろう」
ルクスはそう言い切った。
「確かに、カオルより上手い奴なんて、この村にはもういないかもなぁ……」
「まぁ……時間があるときに」
カオルは頬を少し赤く染め、照れたように目を逸らしながら答えた。
自分が弓を教える立場にあるのかは分からない。
だが、弓の腕をルクスに認められたような気がして、胸に微かな戸惑いと嬉しさが込み上げてきた。
「よし。じゃあ今日のところは戻るぞ」
ルクスは満足そうに頷き、重い足音で向きを変える。広い背中が夕焼けの光を遮り、長い影を二人の足元に落とした。
「はい!」
カオルとウォルは口を揃えて元気よく返事をし、ルクスの背中を追った。
見回りを終え、三人は集落へ帰り始める。
夕日が背後から、長く伸びた影を地面に映し出していた。
─────
集落へ戻る道中、カオルは不安に駆られ、ルクスに声をかけた。
「団長、今日は洞窟で何の声も聞こえなかったんですか?」
「……あぁ。特に何もなかったな」
「そうですか……」
(やっぱり、昨日のことはただの偶然なのかな?)
「ところでカオルよ」
突然ルクスが名前を呼んだ。
「何ですか?」
「巨木の話は聞いているか?」
突然の質問に、カオルは少し驚いた。
「は、はい。今日、団員の人……カザトさんに聞きました。
昨日の夜に、巨木が光ってるのを見た……かもしれないって」
「そうか。確実ではないにしろ、洞窟の話といい、些細な変化に注意を怠るな。万が一ということもある」
「わかりました」
(注意……か)
カオルが考え事をしていると、前方からウォルの声が響いた。
「おーい!! 二人ともー!! 置いてくぞー!!」
「ごめん、今行くよ」
カオルがそう答えると、ルクスが言った。
「まったく、あいつは相変わらず歩くのだけは早いな……カオル、少し急ごうか」
そう言って、ルクスとカオルは歩みを早め、ウォルのもとへ駆け寄った。
茜色の夕日が、集落の門を照らしていた。
─────
「それでは失礼します」
「また明日な!!」
カオルはルクスとウォルに別れを告げると、いつもの道を一人で帰る
既に日は落ち、夜の虫の合唱が木霊する中、
カオルは、自分の家の扉を開けた。
「ただいま……」
誰もいない家に向かって声をかける。
もう既に何回と繰り返されてきた光景だ。
流し台に立って夕食の準備をしながら、カオルは過去を思い出す。
─────
カオルが自警団に入りたいと志願したのは、五歳の時に両親を失ってから一年も経たない、六歳の時だった。
カオルの入団に、最初は誰も賛成しなかった。
――幼すぎる
――武器もろくに扱えないのに何が出来る
だが、カオルの決心は固く、最終的に見習いからという条件付きで、特別に入団が認められた
この小さな家での孤独な生活は、最初は過酷なものだった。
空腹の夜、寒い冬の朝、修理が必要な道具、病気になったとき
――すべてを自分で乗り越える必要があった。
だが時が経つにつれ、彼は一人で生き抜く術を身につけていった。
狩り、料理、薪割り、家の修繕、自警団の手伝い……。
孤独は依然としてあったが、それはもはや、彼を苦しめるほどの重荷ではなくなっていた。
そして、正式に団員として認められたのは、つい最近の話だった。
─────
簡単な夕食を済ませると、カオルは食器を洗い、床に腰を下ろして、
明日の巡回で使う弓と矢の手入れを始める。
矢の先端を布で丁寧に磨き、弓弦の張り具合を確かめる。
真剣な表情で作業を続ける指先は、道具の細かな欠陥にまで敏感になっている。
そして、準備を終えると、部屋の隅にある寝床へ向かった。
ベッドの上に座り、ふと壁に掛けた短剣に視線をやる。
カオルの短剣――それは、父親の形見として受け継いだものだった。
(明日も……ただの平凡な一日でありますように)
そう心の中で呟き、カオルは静かに横になる。
窓の外では、森の木々を揺らす夜風の音が、遠くから聞こえてきていた。
やがて呼吸は落ち着き、静かな眠りに落ちていく。
─────
――目を閉じると、自然と瞼の裏の闇の中に過去の記憶が浮かんできた。
それは、カオルが五歳になったばかりの頃の記憶。
「カオル、起きなさい。お母さんが作ったお団子、お腹が空いてないの?」
母親の優しい声が耳に届き、幼いカオルはゆっくりと目を開ける。
朝の柔らかな光が窓から差し込み、木の床を照らしていた。
「おはよう、母さん。お団子、食べたい」
甘えるように答えると、母親は微笑みながらカオルの頬を優しく撫でる。
その手は、長年畑仕事をしてきたとは思えないほど柔らかく、温かい。
「お父さんも、早く起きてきてね」
カオルはベッドから飛び降り、小さな足でとことこと母親の後を追いかけた。
母親が台所へ向かうと、すでに温かい団子の香りが部屋に漂っている。
「お団子は、甘くておいしいね」
母親の隣に立ち、カオルは嬉しそうに言う。
「そうだよ。カオルの大好物でしょ。今日は特別に、少し多めに作っておいたからね」
母親はそう言って、カオルの分の団子を小さな器に盛り付けた。
蒸したての団子は湯気を立て、柔らかそうだ。
「ありがとう、母さん」
カオルは器を受け取る。団子の熱気が小さな手に伝わった。
もごもごと口に入れると、甘みが口いっぱいに広がる。
「おいしい!」
目を輝かせて言うと、カオルの柔らかそうな獣耳が、ぴょこぴょこと嬉しそうに跳ねる。
その様子を見て、母親は満足そうに微笑んだ。
「よかった。気に入ってくれてね」
そのとき、家の奥から重い足音が聞こえた。
カオルと母親が振り返ると、父親が眠そうな目をこすりながら現れた。
「おはよう。なんだか、いい匂いがするな」
「おはよう、お父さん。お母さんが団子を作ってくれたよ」
カオルが言うと、父親は大きくあくびをした。
「おお、それはいいな。俺にも一口くれるかい、カオル?」
父親に尋ねられ、カオルは自分の器を見て少し迷う。だが、一つの団子を差し出した。
「はい、お父さん。どうぞ」
父親は受け取って口に入れ、嬉しそうに言った。
「おお……!! 美味いな!!」
父親はカオルの頭を優しく撫でる。
「分けてくれてありがとな!! カオル!!」
その手は大きく力強かったが、そこには優しさがあった。
─────
「父さんは、いつも外に出るんだね」
カオルが尋ねると、父親は少し顔を曇らせた。
「そうだよ。でも、これはカオルとお母さんを守るために大切な仕事なんだ。
この集落の外は危険で、時々魔物も出るからな」
父親はそう言って、カオルの肩に手を置いた。
「いつかカオルも、俺たちと一緒に戦えるようになるかもしれないが、今はまだ早い。
まずは強くて賢い男の子になるんだぞ」
「うん、わかった。お父さんみたいに強くなる」
カオルが決意を込めて言うと、父親は微笑んだ。
「いい息子だ」
朝食を終えると、父親は外出の準備を始めた。
革製の鎧を身につけ、腰に短剣を下げる。
その姿は、カオルにとって頼もしく、少し恐ろしくも感じた。
「じゃあ、行ってくる」
父親はドアの前に立ち、振り返って言った。
「いってらっしゃい。気をつけてね!!」
カオルは笑顔で、元気よく返事をした。




