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転送少女とケモミミ少年 -Zerofantasia Gaiden-  作者: zakoyarou100
第一章 無もなき集落
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カオルの、狩り

翌朝――。

目を覚ました瞬間に、カオルは分かった。


(……あれ……?)


体を包んでいた鈍い膜が、すっと剥がれ落ちた感覚があった。


だが、別の重さがあった。胸の上――そこに、温かい重みが乗っている。

視線を下ろすと、マナンが寄り添うように眠っていた。


「すぅ……すぅ……」


淡い朝光が彼女の寝顔を照らし、寝息が静かに部屋へ満ちていく。

カオルは、自分の呼吸を整えようとする。

けれど――息をするたびに、マナンの香りが胸の奥へ染みていく。


(……だめだ)

(このままだと……)


腕を動かせば、この穏やかな朝の静けさが泡のように砕けてしまうかもしれない。

それでも、動かずにはいられなかった。


カオルはゆっくりと腕を伸ばす。

マナンの髪に、そっと指をかけた。


――柔らかい。

まるで夜空の星屑に触れたみたいな、不思議な感触が指先に残る。

少し遅れて、その冷たさに気づいた。


彼はその髪を、もう少しだけ優しく梳いてみた。

そのたびに、マナンの寝息が、ささやきみたいに揺れる。


それに触れているだけで、昨日の熱や不安が――まるで存在しなかったかのように遠のいていく。


(……髪、柔らかい)


その時、マナンの寝息が一瞬だけ乱れた。


「……ん……」


カオルは反射的に腕を引っ込める。

寝返りを打つマナンの体が、さらにカオルへ寄り添ってくる。


温かさが増す。


カオルは、ただ空を見つめるみたいに天井を見つめていた。


(今日も……)

(マナンさんが、いる)


それだけで、日が始まってしまう。

簡単に、それでいいような気がしていた。


けれど――。


(今日こそ、集落の案内を……)


一昨日の約束を思い出す。

「楽しみっす」と言ったマナンの顔が、鮮明に目の前へ浮かんだ。


カオルはゆっくりと体を起こす。

マナンを起こさないよう、息を殺す。


無理をすれば、昨日の熱が戻ってしまうかもしれない。

それでも――


(約束は、守りたい)


カオルはそっと布団から出る。

足音を立てず、部屋の隅へ。


窓を開けると、朝の冷たい空気が流れ込んできた。

集落はまだ静かだ。けれど、すでに誰かが起きているのだろう――遠くで煙が細く立ち上っている。


(いつもの日常)

(でも、僕の日常は……)


カオルは振り返る。

眠るマナンの姿が、朝光の中で淡く見えていた。


(……変わってしまった)


その事実が、胸の奥で静かに重みを増していく。

それでも――


(今日も、一緒に過ごせる)


小さな喜びが、重さの底で静かに輝いていた。


カオルは窓から目を離し、静かに支度を始めた。

今日も、マナンと過ごす一日が、始まろうとしていた。


─────


「はふぅ……」


カオルが起きてから間を空けずに、マナンは寝ぼけた声を立てながら身体を布団からゆっくり起こした。

目はまだ半開きで、髪が朝寝坊の子どもみたいに乱れている。


「……おはようございます、マナンさん」

「おはよっす……」


マナンはカオルを見ると、ふっと笑った。


「もう起きてたんっすね……」

「ええ、すみません。静かに起きたつもりが……」

「いいんすよ。カオルくん、顔色、昨日よりずっといいっす」


マナンはゆっくりカオルに近づくと、額にそっと手を当てる。

その手のひらの温度に、カオルの肩がわずかに強張る。


「……熱、下がってるっすね。よかったっす」

「……はい。マナンさんのおかげです」


カオルはそう言うと、少し視線を逸らした。

言葉にすると、胸の奥がくすぐったくて落ち着かない。


「で、でも、昨日の薬……」

「あれ、ウォルくんに教わったものっす。ギンヨウハとアオミコケ、すごく効くっすよ」

「えっ!? アオミコケを取りに行ったんですか!?」


カオルの顔に驚きと、それ以上に心配が浮かぶ。

カオルの指先が、無意識に握り締められる。


「大丈夫だったっすよ。ウォルくん、すごく強かったっすから!」


マナンは腕を組んで、誇らしげに胸を張る。

その無邪気さが、逆にカオルの胸をざわつかせた。


「強かったって……魔物に襲われたりしなかったんですか?」

「ああ、されたっす。でもウォルくんが全部やっつけてくれたっすけどね!」


マナンは平気な顔で、さらっと言い放った。


「……えええええ!?」


カオルの声が、裏庭の空気に張ったみたいに響く。


「……ウォル、やったのか……」

「やったっていうか……すごかったっす。剣をくるくる回して、あっという間に魔物を砂みたいにしちゃったっす」

「……砂に……?」


カオルは息をのむ。


(――ああそうか【アッシュビースト】の群れか……)

(それを、ウォル一人で……?)

(……いや、今は確かめようがない)


喉が、乾く。

あの数は、運が悪ければ命を落とす。


「ウォルくんの剣の腕前、半端ないっすね。まるで御伽噺に出てくる剣士みたいだったっすよ」

「……」

「それに……ウォルくん、ちょっと怪我をしちゃったんすけど……」

「怪我!?」

「でも、私が治したっす!」


「治した……?」


マナンはにやりと笑う。


「ええっす! すごいでしょ? 私、結構やるっすから!」


カオルは、ただ黙ってマナンを見つめていた。

笑い返せない。心臓の奥に、冷たいものが落ちる。


「……魔法……ですか?」

「まぁ……ちょっとだけ、でも大丈夫っす。ペンダントのマナは殆ど使ってないっすから!!」


マナンは胸元のペンダントをぽんぽんと叩いた。


「……そう、ですか」


カオルは少しだけ安心した。

でも同時に、胸の奥に小さな棘が刺さるような感覚が残る。


――ウォルが怪我をした。

――その傷を、マナンが魔法で治した。


(まさか、な……)


「マナンさん……ウォルに正体を明かしたんですか?」


その問いに、マナンの身体がぴくりと反応した。

星のような瞳が、一瞬だけ揺らぐ。


その反応こそが、カオルの胸に刺さった小さな棘を、もう少し深く食い込ませた。


「……大丈夫っす。明かしてないっすよ」

「魔法を使う時はバレないように目を瞑って貰ったっすから」


マナンは少し笑って、それで話を終わらせようとする。

けれどカオルは、それで終わらせられなかった。


(――気づかなかった……?)


ウォルは、本当に気づかなかったのだろうか。

マナンの“治癒”が、この世界の常識からかけ離れたものだということを。


もし気づいていたなら――彼は何を思った?

もし気づいていないのだとしても――“不自然さ”だけは、残る。

マナンの力がどれほど危険なものか。

その片鱗でも、誰かに渡ってしまうことが怖かった。


「……そう、ですか」


カオルは、言葉を選ぶように答えた。

喉の奥に、飲み込めない言葉が詰まっている。


「そ、それより!」


マナンは雰囲気を変えるように、少し大きめの声を出す。


「カオルくんの具合も大丈夫みたいだし、約束の集落案内、今日こそお願いするっすよ!」


そう言って、マナンは立ち上がった。

その姿を見て、カオルは心のどこかで小さくため息をついた。


(……止められないんだな、この人は)


危険なことにも平気で飛び込んでいく。

誰かのためになるならと、世界の常識なんて気にせずに魔法を使ってしまう。


そんな彼女が、今は自分の隣にいる。


(……僕が、守らないといけない)


その思いを胸の奥へ押し込み、カオルは表情を整えた。


「……はい。分かりました」


カオルもゆっくりと立ち上がった。

昨日の熱の重さは嘘のように、体は軽い。


マナンがいれば、この世界の見え方が変わってしまう。

その事実を受け入れる覚悟が、彼の背筋をぴんと伸ばす。


「まずは、ウォルに昨日のお礼をするのを兼ねて、自警団の集会所に向かいましょう」


─────


二人は、自警団の集会所の扉を開ける。

そこには数人の団員が、雑談をしながら武器の手入れをしていた。


「お、カオル! マナンさん!」


ウォルが立ち上がり、手を振る。


「ウォル、昨日はありがとう」


カオルがそう言うと、ウォルは豪快に笑った。


「気にすんなよ! お礼なんていいから……それよりも具合はどうだ?」

「マナンさんが薬を作ってくれたんだ。おかげですっかり良くなったよ」


カオルがそう答えると、マナンが得意げに胸を張った。


「私、やるときはやるっすから! でも殆どはウォルくんのおかげっすよ!」

「はは、そうか!」


ウォルは笑い、マナンの肩をぽんと叩く。

その距離の近さに、カオルの胸の奥がほんのわずかにざわついたが、顔には出さない。


「それで、マナンさんの試験の準備はどうなってるんだ? 何か決まったのか?」


その問いに、マナンの元気が一瞬だけ萎える。


「えっと……」

「どうした?」

「作りたいものが、決まらなくて……」


マナンは俯き、指先でぐるぐると地面を描く。


「私、ほとんど料理とかしたこと無くて……

カオルくんみたいに、シンプルな素材から素敵な料理を作るなんて……私には無理っすよ」

「まあまあ、そう慌てるな」


ウォルはにやりと笑う。


「マナンさん、料理は最終的な形だけじゃない。

素材をどう見つけ、どう扱うか……その過程も大事なんだ」

「過程……っすか?」

「ああ。つまり、“自然を感じる”ことだな」


ウォルは遠くの森を指さした。


「例えばカオルなんかは狩りが上手い。

こいつは森の音を聞き、風の匂いを嗅ぎ、土の湿り気を感じて獲物を見つける。

そういう感覚が、あいつの“腕前”になってるんだ」

「自然を感じる……っすね……」


マナンの瞳が、少しだけ迷いを含んで揺れる。


「でも、いきなり獣を狩るのは難しいっすよね?」

「まあな」

「……なあ、カオル。マナンさんの試験のこともあるし森で獲物でも仕留めて

それをどう料理するかって実践してみないか?」

「実践……?」


カオルの顔に、少し驚きが浮かぶ。


「ウォルくん、それってつまり……今から狩りに行くってことっすか?」


マナンの目が、きらりと輝く。

ウォルはカオルに向けて言った。


「ああ。マナンさんにカオルの狩りの腕も見て貰いたいしな」

「……」


カオルは一瞬ためらった。


――マナンに、この世界の過酷さを、あまり見せたくない。

獣を狩ることの意味。命を奪う重さ。

それが彼女を追い詰めてしまうかもしれない。


けれど、ウォルの言葉の重みも感じる。

これも“生きる知恵”の一部。

これを教えずして、何を教えられるというのだろう。


「……少しだけなら」


カオルは静かに頷いた。

マナンはその頷きを見て、瞳を輝かせた。


「やったっす! いざ、狩猟の時間っすね!」


─────


三人は、集落の外れにある、獣たちが棲む森へと向かっていった。

道なき道を進むうちに、森の中はどんどん静かになっていく。


鳥の声さえも遠のいていく。

まるで巨大な生き物が息を潜めているみたいだった。


「……カオル、あそこ」


ウォルの視線の先には、小さな動物が地面を掘っていた。

灰色の毛に覆われた、兎に似た獣。

――魔獣【ダスクリット】。


獲物に気づいたマナンは、思わず息をのむ。

胸の奥が、きゅっと縮む。

ウォルはカオルへ視線を送り、小さく頷く。


カオルはゆっくりと弓を構える。矢を番え、弦を絞り込む。

その動きは、まるで儀式のようだった。

マナンはその横で、息を殺し、無意識に一歩後退りする。


(……すごい……)


カオルの息遣い。筋肉の動き。目の焦点の合い方。

すべてが、一つの“目的”に向かって静かに収束していく。


”ヒュンッ”


矢が放たれた瞬間。

ダスクリットが動く。


――が、その動きは、矢の速度には及ばなかった。


ぷっ、という小さな音を立てて、矢はダスクリットの首筋に深く突き刺さる。

獲物は少しもがいた後、動かなくなった。


「……」


カオルは弓を構えたまま、しばらく動かなかった。

その姿が、マナンの目に焼き付く。


「……すごいっすね……」

「ああ、カオルは狩猟の腕前に関してはまさに“天才”だ」


ウォルは誇らしげに言った。


「一発でしとめる。無駄がない。苦しみも最小限。あれが、カオルの狩猟の腕前だ」

「……」


マナンは言葉を失っていた。


「さ、確認しに行こうぜ」


ウォルがそう言うと、カオルはゆっくりと弓を下ろした。

三人が獲物の周りに集まると、カオルは跪き、獲物に手を合わせた。


「……ありがとう」


その言葉が、森の静けさに溶けるまで、誰も動けなかった。

静かな声。

――その声に、マナンは再び息をのむ。


(……ありがとう?)

命を奪ったのに。

それでも、カオルの声には確かな感謝が込められていた。


「何をやっているか分かるか、マナンさん?」


ウォルが静かに問う。


「……えっと、お祈り、っすか?」

「そうだ。あれは、“感謝の祈り”だ」


ウォルは、カオルの背中を見ながら続ける。


「俺たちは自然の一部だ。命をいただくことには、必ず感謝を捧げる。それが、この世界の掟だ」

「……命をいただく……」


マナンは小さく呟いた。


「ああ。そうだ」


カオルはゆっくりと立ち上がると、懐からナイフを抜いた。

獲物の腹を裂き、内臓を取り出す。血の匂いが立ち上り、森の静寂の中で鋭く香り立つ。

その手つきは熟練の職人のようで、一連の動きが流れるように行われる。

マナンは息を飲み、その手元を見つめていた。


「これが、命をいただくということ……」


マナンが小さく呟く。


「ああ」

「命を無駄にしない。全てを使い切る。それも、感謝の形だ」


カオルは手早く血抜きを終え、皮を剥いでいく。

その指先は獣の体に沿うように動き、一切の無駄がない。

下処理を終えたカオルは、獲物を背負えるように紐で縛り、ゆっくりと立ち上がった。

彼の顔には達成感と、どこか悲しみのようなものが混じっていた。


「さ、新鮮なうちに料理しないとな」

「料理、っすか……」

「ああ。これをどう食べるか。それも、“生きる術”の一つだ」


マナンは黙って、ウォルの背中を見つめていた。

歩くたび、胸の奥で“覚悟”が形を変えていくのが分かる。


「マナンさん」


ウォルが振り返った。


「今日、カオルが取った獲物を、アンタが料理してみろ」

「えっ……私が、っすか?」

「ああ。試験の練習だと思え」


マナンは、カオルと、彼が背負う獲物を交互に見た。

その姿に、マナンの胸の奥で何かが動く。


(……私が、この命を……)

(……いただく、っすか)


「……分かったっす」


マナンは静かに頷いた。

その瞳には、迷いと覚悟が入り混じっていた。


「おっ、やる気になったみたいだな」


ウォルが笑う。


「じゃあ早速、カオルの家に戻って、マナンさんの料理の腕前を見せてもらおうじゃないか!」

「はいっす!」


マナンは自信なさげに、でもそれでも強い意志を持って頷いた。


カオルは、マナンの横顔を見つめていた。


(……これで、いいのだろうか)


彼女に、この世界の過酷さを見せてしまった。

けれど、それが彼女の生きる術になるのなら。


カオルはそう、自分に言い聞かせた。

その選択が、次にどんな一日を連れてくるのかも知らずに。

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