マナンの、シチュー
「よしっ!! 調理開始っす!!」
マナンは得意げに頷くと、帽子から木べらやスプーンを取り出した。
“便利道具”と言い張るそれらが、次々と台所に並ぶ。
カオルは釣られるように、いつもの流れで火種の確認をする。
薪を組み、種火に息を吹きかけると、ぱち、と小さく火が立った。
(……いつもは、これを一人でやってたな……)
今日は、背中に視線がある。
それだけで、火がいつもより温かく見えた。
「まずは具材っすね!」
マナンが腕を組み、真剣な顔で台所を見回す。
「えーっと……お肉は……」
「あっ、肉なら、猪の干し肉が少しあります」
カオルが食料庫から、干し肉の塊を取ってきてマナンに見せる。
「干し肉! いいっすね!」
マナンはぱっと笑って、次に言った。
「野菜はあるっすか?」
「根菜なら……森で採ってきたものが少し。乾燥させた薬草もあります」
「芋って、あります?」
「……芋という呼び方はしませんけど、似たようなものなら」
カオルは木箱から、黄土色の硬い根を取り出した。
「こっちは“ツチネ”。煮ると柔らかくなります」
「ツチネ……かわいい名前っすね」
マナンは受け取って、手の中でころころ転がした。
目がきらきらしている。
まるで、新しい魔導具を初めて触る研究者みたいに。
「じゃあ、材料は決まったっす!」
マナンは、テーブルに並べたものを指差しながら、指折り数えた。
「ミルク、ツチネ、干し肉、スパイス……」
そして、出来立てのチーズに視線を落とす。
「チーズは……最後に入れるっすね。火を入れすぎると分離してボソボソになるっす」
「そんな事まで分かるんですね……」
「そりゃそうっすよ。私、シチューだけは得意って言ったじゃないっすか!!」
マナンは胸を張った。
でも次の瞬間、少しだけ声を落とす。
「……得意、だった……っす」
カオルは、言葉を飲み込んだ。
“だった”の理由を聞けば、きっと思い出したくない話を思い出させてしまう。
ここで空気を冷やしたくない。
――でも、逃げるのも違う。
カオルが迷っている間にマナンは”ぱん”と手を叩いた。
「さぁさぁ! 役割分担するっすよ!」
「役割分担……ですか?」
「カオルくんは、ツチネと干し肉を切る係っす!」
マナンは包丁を指さした。
「私は、火加減と味見係をやるっす!」
「……火加減なら、僕の方が――」
「だめっす!」
即答。
「カオルくんは切るのが上手そうっす。手付きが“生き生き”してるっす」
「生き生き……?」
「そういう風に見えるんっすよ」
マナンは笑いながら言い、急に真顔で続ける。
「それに、包丁は危ないっす。私がやったら指切るっす」
「……自信満々に言う事じゃ、無いですよ……?」
「自信あるっす!」
マナンはにやりと笑った。
(あっちゃ駄目なんだけど……)
カオルは観念して、ツチネの皮を薄く削り始める。
乾いた表面が、刃の下でさらりと落ちる。
硬いのに、芯はほんのり湿っており、かすかに土の匂いがした。
干し肉は、包丁を入れるとぎゅ、と抵抗して、塩と獣の脂の匂いが立った。
「……マナンさんは、こういう匂いは嫌じゃないですか?」
カオルは思わず聞いた。
マナンは鍋に水を張りながら、首を振る。
「ん~……別に嫌じゃないっす」
それだけ言って、少し間を置く。
「……”命が生きてる”匂いっすよ」
その言葉が、カオルの胸に静かに落ちた。
(……命、か)
“生きてる”。
――彼女の口からそれが出ると、急に重みが増す。
─────
マナンは鍋を火にかけ、ミルクを少しずつ注いだ。
白い液体が鍋底で揺れて、木造の部屋に甘い香りが広がる。
「焦がしたら終わりっす……」
マナンが小声で言って、木べらを握りしめる。
「焦げたら、また作ればいいですよ……」
カオルは切る手を止めずに言った。
「だめっす。今日のはカオルくんが人生で初めて食べる、”記念のシチュー”っす」
マナンは真剣だった。
「初めてのやつは、絶対に成功させたいっすからね……!!」
カオルの指が、一瞬だけ止まる。
胸の奥が、温かくなる。
その温かさが、同時に痛い。
(初めて、って……言えるくらい、作るつもり……なのかな?)
鍋の中で、ミルクがゆっくりと温まり始めた。
縁に小さな泡が、ひとつ、ふたつ。
「……来たっすね」
マナンが息を呑む。
彼女の横顔は、強敵を前にした時みたいに真剣で――
でも、魔法は使わない。使えない。
「カオルくん、ツチネ、あとちょっとっすか?」
「……はい。今、切り終わります」
「了解っす!」
マナンは小さく頷くと、無意識に唇を噛んだ。
その目は鍋の白い海をじっと見つめている。
湯気が、ふわりと立ち上る。甘い匂いが、家の中を満たす。
そしてカオルは気づく。
その匂いが、昨日までの孤独を少しずつ塗り替えていくことに。
――ただし。
塗り替えれば塗り替えるほど、失うのが怖くなることも。
マナンが、木べらを握ったまま、ぽつりと言った。
「……ねえ、カオルくん。なんとなくっすけど……」
「はい?」
「シチューって……」
マナンは笑う。
「失敗したら、泣くタイプの料理っすよね」
カオルは、思わず息を漏らした。
「……泣くほど大事なんですか」
「大事っすよ!!」
「だって、今日は――」
言いかけて、マナンは言葉を飲み込んだ。
代わりに、いつもの調子で笑う。
「ほら! 具材入れるっすよ!! 次の工程っす!!」
鍋の縁で泡が増え、
“これから味が生まれる”予感が、台所を満たしていった。
─────
暫く煮込み続けた後――
鍋の中で、とろり、と白い液体が動く。
それはもう“ミルク”ではなかった。
火と時間と手の動きによって、別のものへと変わり始めている。
「……ふふっ、いい感じっすね」
マナンの声は、いつもより少し低い。冗談も、軽さもない。
木べらでゆっくり底をなぞるたび、
鍋の中のシチューは、応えるように静かに波打つ。
ツチネは角が取れ、干し肉は繊維がほどけ、
ミルクは具材を包み込むように色を変えていた。
「……焦げてないっすよね? ね?」
「はい。大丈夫……です」
カオルはそう答えながら、
実はずっと、鍋よりもマナンの横顔を見ていた。
(……真剣な顔だ)
今のマナンは――ただの“料理を失敗したくない人”だ。
それが、なぜか胸に来る。
「じゃあ……」
「チーズ、入れるっすよ」
マナンは、小さく息を吸った。
出来立ての白い塊を、指でそっと割る。
柔らかく、まだ温もりの残るそれを、少しずつ鍋へ落とす。
ぽとり。
ぐつ、ぐつ……
チーズはすぐに形を失い、
シチューの中へ溶けていった。
「……お願いっす」
誰にともなく、マナンが小さく呟く。
魔法の詠唱でも、研究の確認でもない。
ただの願い。
カオルは、息を止めて見守った。
鍋の中の色が、ほんの少しだけ濃くなる。
匂いが、変わる。
甘さと、コクと、どこか懐かしい温もり。
「……」
マナンが、木べらを止めた。
「……ふぅ、完成っす」
その言葉は、誇らしげでも、派手でもなかった。
けれど確かに、“やり切った”声だった。
二人は顔を見合わせる。
「……味見、するっすか?」
「……します」
木の器に注がれたシチューは、
湯気を立てながら、静かにそこにあった。
(……なんで、こんなに緊張してるんだ)
ただの食事だ。
昨日も、何度も食べてきた“食べる”という行為。
なのに――
マナンが、先に一口すくった。
ふー、と息を吹き、
そっと口に運ぶ。
その瞬間。
――マナンの目が、ゆっくりと見開かれた。
「…………」
一秒。二秒。
カオルの心臓が、嫌な音を立てる。
(……だめだった?)
そんな不安が浮かびかけた瞬間。
「……うっっっま……」
ぽつりと、落ちた言葉。
次の瞬間。
「美味しいっす!! めちゃくちゃ美味しいっすよ!!」
マナンは顔を上げ、満面の笑みを浮かべた。
「なにこれ……あったかくて、優しくて……でも、ちゃんと力があるっす!!」
「……本当、ですか?」
「嘘つく理由がないっす!!」
そう言って、もう一口。
そして、更にもう一口。
「……カオルくん」
「は、はい」
「これ……私、好きっす」
その一言で、胸の奥がじん、と痺れた。
“料理が好き”なのか。
“この味が好き”なのか。
――それとも。
カオルは、遅れてスプーンを口に運んだ。
(……)
一瞬、言葉を忘れる。
濃厚なのに、重くない。素朴なのに、満たされる。
冷え切っていた体の奥に、その味がゆっくりと熱が広がっていく。
「……」
声が出ない。
「どうっすか?」
マナンが、不安そうに覗き込む。
その距離が、近い。
近すぎて、
このシチューの温度と、彼女の存在が、混ざる。
「……美味しい、です」
ようやく、そう言えた。
「本当に……美味しいです」
マナンの肩から、ふっと力が抜ける。
「よかった……」
その声は、安心そのものだった。
二人は、並んで腰を下ろし、
同じ鍋から、同じ料理を、
同じ時間を使って、食べた。
――言葉は、少なくなった。
――けれど沈黙は、重くない。
スプーンが器に当たる音。
湯気の向こうで、笑う気配。
(……こういう時間が)
カオルは、ふと考える。
(“生きてる”ってことなのかもしれない)
一ヶ月。期限。別れ。
全部、まだ消えていない。
それでも今、この瞬間だけは。
「……ねえ、カオルくん」
「はい?」
「このシチュー……」
マナンは、少し照れたように笑った。
「また、作れたら、いいっすね……」
その問いは、料理の話のようでいて、
それだけじゃなかった。
カオルは、一瞬だけ迷って――
でも、すぐに答えた。
「……はい」
「何度でも」
マナンは、嬉しそうに頷いた。
二人の間に、
湯気のような温もりが、静かに満ちていった。
それが、長く続くかどうかなんて、今はわからない。
でも確かに。
“一緒に食べた”という記憶は、ここに残った。




