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転送少女とケモミミ少年 -Zerofantasia Gaiden-  作者: zakoyarou100
第一章 無もなき集落
30/41

マナンと、宴会

西日が差し込む中、二人は古びた木造の家の前まで戻ってきた。

斜めの光が屋根の苔を金色に縁取り、長年雨風に晒された木材の黒ずみを、

まるで古傷みたいに浮かび上がらせている。


ここが――自分の家で、そして今日からは、彼女の住まいでもある。


そう思った瞬間、胸の奥に甘いものと苦いものが同時に渦を巻いた。

“嬉しい”と“怖い”が、同じ速さで心臓を叩く。


(……本当に、ここに帰ってきたんだ)

集会所で認められた。言葉にしたら簡単なのに、現実味がない。

なのに家の前に立った途端、現実が急に肌に刺さる。

――共同生活。

――同じ屋根。

――同じ時間。


玄関の前で足が止まる。

把手に伸ばしかけたカオルの指が、ほんの少し震えていた。


「あ……あのっ……」

「なんっすか? カオルくん」


マナンはきらきらした目でこちらを見ていた。

共同生活を面白がっているような、好奇心の混ざった表情。


その明るさが、逆に怖い。

(期限があるのに……)

口に出せない言葉が喉の奥で引っかかり、飲み込むたびに苦い。


「その……今日から、マナンさんと暮らすことになるわけですけど……」

「そうっすね」


軽く頷く声。

返事があまりにも自然で、胸がきゅっとなる。


(当たり前みたいに言うんだ……)

その“当たり前”が嬉しくて、そして怖い。


「その……僕の家、隙間風もすごいし、雨漏りもするし……

あんまり居心地がいい場所じゃないかもしれないです。……それでも、大丈夫ですか……?」


言いながら、言葉が小さくなっていく。

自分でも、何を確認したいのかよくわからなかった。


きっと、嫌だと言われるのが怖いのだ。

“歓迎会の熱”が醒めたあと、現実の寒さに気づいて、彼女が顔を曇らせるのが怖い。


壁板の隙間は目で見てわかる。雨が降れば決まって水が落ちる場所もある。

そんな家を、外の世界の“綺麗な人”に見せるのが恥ずかしい。

自分の暮らしが丸裸になるみたいで、居心地が悪い。


「心配ないっす!!」


マナンは即答して、胸を張った。


「一人だと大変なことも、二人ならなんとでもなるっすよ!!」


その言葉が、カオルの胸の奥の冷えをほんの少し溶かした。


“二人”。

その単語だけで、家の輪郭が少し変わった気がする。


「それに魔法を使えば……あっ」


マナンが途中で止まる。

笑顔の端が、ほんの少しだけ崩れた。


「……もうあんまり使えないんでしたっすね。えへへ……」


カオルは言葉を失った。

慰めたら、傷をなぞることになりそうで。

黙ったら、見捨てたように思われそうで。


(……今の、聞かなかったことにしていいのか……?)

(でも、聞いたふりをしたら……彼女はもっと無理をする)


沈黙が怖い。

沈黙が優しい時もあるのに、今は針みたいに刺さる。


「とりあえず!!」


マナンが、空気を払いのけるように声を上げた。

まるで自分で自分を鼓舞するみたいに、明るさを作る。


「大丈夫っす!! なんとかなる時はなんとかなる、

なんとかならない時はなんとかならないっす!!」

「……は、はい」


カオルは小さく頷き、古い扉の把手を握った。

力を込め、ゆっくり押し開ける。

中から、湿った木材と埃と、時折忍び込む雨水の匂いが流れ出た。


─────


室内は薄暗かった。夕陽が斜めに差し込み、舞う埃が金色の筋になって見える。

家具の輪郭だけがぼんやり浮かび、それ以外は影に溶けていた。


カオルにとってはいつもの暗さだ。

けれどマナンは、まるで洞窟に入ったみたいに目を瞬かせる。


「お邪魔しますっす……あっ、違うっすね!!」

「え……?」


戸口で止まり、慌てて言い直す。


「今日からは『ただいま』って言わないとだめっすね!!」


マナンが振り返った。

夕暮れの光が彼女の輪郭に淡い金色を落とし、瞳がきらりと光る。


「ただいまっす!! カオルくん!!」


反響した声が、家の空気を一気に塗り替えた気がした。

長年、この家にはなかった種類の響き。

“帰ってくる声”。


胸の穴が、言葉ひとつで少し埋まっていく。

それが嬉しくて、同時に怖い。

――埋まったぶんだけ、失うのが怖くなる。


「……おかえりなさい。マナンさん」


かろうじて言葉を絞り出す。声が震えた。

獣耳が、恥ずかしさと喜びの間でピクリと小さく動く。


マナンは満足そうに笑った。

カオルも、つられて笑ってしまう。


しばらく顔を見合わせ、互いに照れたように目を逸らした。

その“気まずい沈黙”が、なぜか悪くない。

一人の沈黙より、ずっと温かい。


マナンはゆっくり足を踏み入れると、きょろきょろと室内を見回す。


「……ふむふむ……」


朽ちかけた棚には古びた食器と本。虫食いの穴、うっすら積もった埃。

その中で唯一、かろうじて“良いもの”に見えるのは、小さな銀色のスプーン――母の形見だ。

ただ、それも光は鈍い。


マナンの視線が、カオルが一人で過ごしてきた時間をなぞるように動く。

覗き見されているのに、不思議と嫌ではなかった。

むしろ――見てほしいと思ってしまう自分が、怖い。


「カオルくん」


呼ばれて、胸が跳ねた。


「……はい?」

「ご飯にするっすか? お風呂にするっすか? それとも、私がいいっすか?」


ふざけた声。

片手を腰に当て、もう片手で顎に指を添える。

獣耳がびくっと跳ね、熱が頬まで駆け上がった。


「……えっ? どういう意味ですか?」


真顔で返してしまってから、遅れて気づく。

冗談なのだろう。たぶん。

たぶん、そうであってほしい。


「なんでもないっす! ちょっと言ってみたかっただけっす!!」


マナンは声を立てて笑い、猫みたいに背を丸めて笑い転げた。

その笑い声が家の中に弾み、また胸の穴が少し埋まっていく。


「……ふふっ。なんですか、それ……」


カオルもつられて笑っていた。

自分でも驚くほど、自然に。


(……笑えるんだ、僕)

それだけで、救われる。


「とりあえず改めて、”私達の”家の中を案内してほしいっす!!」


期待に満ちた目で見られ、カオルの胸が熱くなる。

頼られることが、こんなに嬉しいなんて知らなかった。


「はい」


カオルは頷き、部屋の奥を手で示した。指先が少し震える。


これから自分の生活圏を他人に晒す。

――それも、大切に思い始めている人に。


薄暗い部屋に家具の影が伸び、長年の孤独と、

これから生まれるかもしれない時間が、奇妙に混ざり合っていた。


─────


ひと通り見終えたマナンは、床板に腰を下ろしたまま天井を見上げていた。

夕陽が傾くにつれて室内はさらに暗くなり、天井板の亀裂や雨染みが影絵のように浮かぶ。


カオルは少し離れた場所で膝を抱え、床板を見つめていた。

まるで自分が、この部屋の隅に「置かれている」みたいな姿勢だ。


沈黙が重い。

一人でいた頃の沈黙とは、違う種類の重さだった。

“誰かがいる”からこそ生まれる沈黙。

言葉を探してしまう沈黙。


「……暇っす……カオルくん……暇っすよ……」


さっきまでの弾む明るさが、嘘みたいに消えている。

ため息を漏らし、そのまま背中を床に預けて、マナンは両腕を大の字に広げた。


カオルは胸がきゅっとなる。

彼女が“暇”と言っただけなのに、そこに別の意味を読みたくなってしまう。


(……暇、って……)

(待つのが苦手なだけ? それとも……)

(考えないようにしてる?)


「えっと……もう少しの辛抱です」


カオルは床板の荒い木目を、指先でなぞった。

節や傷。自分が長い月日でつけた、小さなへこみ。

それらは孤独の証で、今は、なぜか恥ずかしい。


「はぁぁ~……退屈っすねぇ~……」


今度はさらに大きなため息。

その響きが部屋の隅に反射して、耳に残る。


「……そうですね」


カオルもつられて息を吸い、ゆっくり吐き出した。

胸の重みが少し軽くなる錯覚――すぐに消えた。

二人のため息が重なった、その瞬間――


「カオル~、マナンさ~ん、いるかぁ~?」


玄関から少年の声が響いた。ウォルだ。

薄暗い部屋の中で、二人は同時に身を起こし、顔を見合わせる。

“助かった”という気持ちと、なぜか少し“惜しい”気持ちが同時に湧く。


「ウォルくん!!」


マナンは弾んだ声で返事をし、足元の杖を慌てて拾って玄関へ向かった。

いつもの“外向きの明るさ”に戻るのが、早い。

その速さが、カオルには少しだけ痛い。

カオルもゆっくり立ち上がる。足が少し痺れていて、動きがぎこちない。


「待たせたな。宴会の用意ができたから、集会所に来いだってよ。

見たことないようなご馳走がたくさんあるぜ!!」


扉から身を乗り出したウォルは、興奮で目を輝かせている。

昨日までの“疑い”は薄い。今はただ、面白いことが起きる予感に乗っている。


「ほんとっすかぁ!? いやぁ、申し訳ないっすねぇ!!」


マナンが満面の笑みを浮かべ――突然、カオルの手を掴んだ。


「さぁ、ご厚意を頂きに行くっすよ!!」


勢いのまま、走り出そうとする。


「ちょ、ちょっと待ってください!!」


引っ張られたカオルの声は、悲鳴に近かった。

獣耳がばたばたと揺れる。

ウォルが「相変わらずだな」と笑ったのが、妙に悔しい。


足音は不規則になり、夕暮れの道に三つの影が伸びた。

その影はひとつに重なりながら、集会所へ向かって駆けていった。


─────


集会所の扉に手をかけた瞬間、中から漏れる笑い声と物音、

木炭の匂いと焼き肉の香りが鼻をくすぐった。

喉の奥が、空腹でなくても反応してしまう。

“生きている匂い”だ。


扉を押し開けると、熱気が顔に当たる。

一瞬、目が眩むほどの明るさ。

ランプの火がいくつも揺れ、鍋の湯気が白い雲みたいに漂っていた。


「おお、来たか! ちょうどいい頃合いだ!」


ルクスの堂々とした声が響いた。


中にいた十数人の村人は会話を止め、興味津々の目で三人を見た。

視線の温度が一斉に上がる。

好奇心と警戒と期待――それが混ざった視線。


部屋の隅では大きな鍋が湯気を上げ、中央の長いテーブルには木の器や角杯がずらりと並んでいる。

肉の脂が焼ける香りが、鼻先で弾ける。


「さぁさぁ、入って入って!! 今日は無礼講だよ!!」


割烹着姿の女性・フウカが、エプロンを叩きながら招いた。

その声は強い。集落の“母”みたいな強さ。


「フ、フウカさん、そんな急に……」


カオルが気まずそうに言う間に、マナンはすでに目を輝かせて中を覗き込んでいる。


「ささ、三人ともコップを持って……あ、マナンさんはイケる口かい?」

「飲めないの?ならカオルくんとマナンさんは葡萄ジュースね、ウォルはこっちだろ?」


木の器を手渡され、ウォルは嬉しそうに受け取った。


「あらぁ~、あなたがマナンさん? 美人だことぉ~」


年配の女性がマナンの周りをぐるりと回る。


「髪の毛、星みたいに輝いてるわぁ~!」

「おい、あんたらそこどいて! 今日はマナンさんの歓迎会なんだから!!

中央に居座ってんじゃないよ!」


押し合いへし合いが始まり、笑い声が弾ける。

もう酒が回り始めているのが分かる。

杯の匂いが甘い。


集会所は、熱と声で膨らんでいた。

杯を打ち鳴らす音、子どもたちの足音。うるさいのに、嫌ではない――はずなのに。


パンッ、パンッ。


ルクスが手を叩くと、驚くほど静かになった。

この静まり方だけで、彼が長であることを思い知らされる。


「皆、集まってもらったのは他でもない!!」


ルクスが大きな声で続ける。


「この度、短い間ではあるが、我々の集落に新たな同胞を迎え入れることになった!!」


一斉に視線がマナンへ集まる。

星空のような髪が灯りの下でさらに輝き、マナンは少しだけ肩をすくめた。


(……頼む。帽子と耳、ずれないでくれ……)

カオルの心臓が早鐘を打つ。

自分だけが知っている“嘘の綱渡り”。

この場でバレたら、すべてがひっくり返る。


「光の守護地カリオスから来た……マナン=エリクシル殿である!!」


木造の天井に声が反響する。


マナンは深く頭を下げ、銀色の杖が床を叩いて小さく鳴った。

その音が、妙に“誓い”みたいに聞こえて、カオルは胸が詰まる。


「あの子が……本当に外から来たの?」

「古代の遺跡を調べてるだなんて……信じられないわ」

「あんな小さな子が……」

「でも……綺麗な子ねぇ……」


ざわめきが波のように広がる。

“歓迎”の波。

けれど、波は時に飲み込む。カオルはそれを知っている。


「みんな!! 彼女は今日まで様々な経験をしてきたのだ!!

その中には我々と異なる文化や常識もあるだろう!」


ルクスがさらに声を張る。


「だが!! 彼女は我々と共に歩んでいく覚悟を持っている!!」


部屋が再び静まった。

フウカが目を潤ませ、ウォルは誇らしげに胸を張る。

若い団員の何人かも、羨望の目をしている。


(……みんな、マナンさんを見てる)

(僕だけじゃない)

それが嬉しいはずなのに、胸の奥がちくりと痛む。

独占したいわけじゃない。

でも――“離れていく未来”が勝手に見えてしまう。


「そして今日この時をもって!! 彼女の存在は我々の同胞として認められた!!

だから!! 皆で歓迎してあげようではないか!!」


「おめでとう!!! 乾杯!!!」


─────


「かんぱ~い!!!」

「乾杯!!!」


一斉に上がった杯が打ち鳴らされ、甲高い音と歓声が弾けた。


「さぁさぁ、どんどん食べて飲んでいってね!!」


鍋の湯気、肉と野菜の香ばしい匂いが一気に広がる。

喉が鳴る。

腹が、今さら自分の空腹を思い出した。


「おぉ~っ!! 美味しそうだ!!」

「これは……なんの肉だい?」

「見たこともない野菜もあるじゃないか!!」

「おいしー!!!」

「ぬぉぉお! 酒がうまい、うまいぞぉ!!」


床を叩く足音、子どもたちの駆け回る声、酔い潰れた者のいびき。

それらが混ざって、奇妙な“祝祭”になる。


「マナンさんも、どうぞ!!」


フウカが差し出した蜜をまとった木の実は、宝石みたいにきらきらしていた。


「あっ、ありがとうございます! 美味しそうですね!!」


マナンが返事をすると、年配の女性たちが一斉に囲み込む。


「マナンちゃんこっち! こっちにおいで!」

「髪、本当にお星さまみたいだねぇ~」

「わぁ、お肌もツルツルじゃないか! どうしてるのかしらねぇ~」

「うちの孫にでもお嫁に行ってほしいくらいじゃ!!」


賞賛が、雨みたいに降り注ぐ。

マナンは困った顔をしながらも笑い、受け取り、返す。

外向きの笑顔。完璧な愛想。

“生きるための笑顔”。


(……無理してないか?)

カオルの目は、彼女の胸元に吸い寄せられる。

ペンダントが、灯りを反射して淡く光っていた。

まるで命の残量を知らせる合図みたいで、視線を逸らしたくなる。


そこへ団員たちが押し寄せる。


「カオル君、まだ食べないの!? 遠慮しないで食べないと勿体ないよ!!」

「カオルくんは飲めないでしょ? でも食べるのはいいから!!」


山のような肉料理とパンが、半ば強引に目の前に積まれる。


「は、はい……ありがとうございます……」


カオルはぼんやりと木の実を口に運ぶ。甘い酸味が舌に広がる――はずなのに、味が遠い。


視線の先では、マナンが子どもたちにすっかり囲まれていた。


「マナンさん、その服、綺麗ですね!!」

「見たことないぞ、こんなきれいなペンダント!!」

「この服、触ってもいい!?」

「ねぇねぇ、外の世界のこと教えてよ!」


無垢な質問の雨。

マナンは一つ一つに微笑みながら答え、星空の髪が灯りの下でさらに輝く。


――そして、その耳が、ほんの少しだけ動く。


喜んで揺れた……のか。

それとも、“ずれないように”無意識に力が入ったのか。


「……」


カオルは無言のまま、果実の汁を飲み込んだ。


宴の騒ぎは、まるで自分とは別の世界で起きている。

皆が笑い、叫び、食べている。

自分だけが、輪の外に立っている。


――違う。立っているんじゃない。

自分から、踏み込めないんだ。


胸の奥が、ちくちく痛む。

羨ましいのか。怖いのか。

その両方かもしれない。


(……誰も、この中の誰も……)

(マナンさんの正体も、秘密も……知らない)


それを知っているのは、自分だけだ。

“余命”も、“魔界樹”も、“魔法が命を削る”ことも。

そして――彼女の笑顔が、時々ほんの少しだけ“ひび割れる”ことも。


祝祭の中で、その秘密は一層、際立った。

カオルは、酒の匂いと笑い声の渦の中で思う。


(……僕が守らなきゃいけないものが、増えていく)

(嬉しいのに……怖い)


宴は夜更けまで続いた。月が窓から差し込む頃になっても、熱気は冷めなかった。

笑い声が大きくなるほど、カオルの胸の奥は静かに重くなる。


(……この光景が、ずっと続けばいいのに)

(でも、続かない)

(“続かせる方法”を、僕は見つけなきゃいけない)


カオルの思いをよそに宴は続き、夜は更けていった。

そして、祝祭の灯りの中で――カオルだけが、静かに決意を固めていた。

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