カオル、唸り声を聞く
カオルの感じた不気味な気配の正体を確かめるために、慎重に、二人は洞窟の奥へと足を進めていった。
やがて、洞窟の最奥が視界に入る。
そこは、天井からの光がほとんど届かない場所だった。
「……何も無いみたいだな」
ウォルは奥の暗がりへ視線を巡らせてから、振り返ってそう告げた。
だが――その闇の中に、不気味な存在感を放つ異様な扉が佇んでいた。
洞窟の自然な壁面とは明らかに異なる、人工物。
それだけで、この場所が特別であることを否応なく悟らせる。
表面には幾何学的な模様が刻まれている。
微かに差し込む外光を受け、薄暗闇の中で白く浮かび上がるその紋様は、見る者の視線を強く引き寄せた。
模様は、古代の文字のようにも見える。
だが、どの文明のものなのか――二人には、まったく見当がつかなかった。
扉の中心には、不思議な色合いを放つ宝石が埋め込まれている。
それは、まるで内側から別の光を反射しているかのように、
白く脈動するような輝きを放っていた。
──その存在感は、周囲の闇を押し退けるかのように、異様なまでに際立っている。
─────
洞窟内に漂っていた不穏な気配は、この場所で最も濃くなっているようだった。
「……封印の扉」
「ああ、言われてたな。触れるべからず、ってやつだ」
ウォルはカオルの隣に立ち、興味深そうに扉を見上げる。
彼の瞳には、宝石の放つ奇妙な輝きと、外から差し込むかすかな光とが、判別のつかないまま反射していた。
「でもよ、こんな扉、一体何の意味があるんだ?
古代文明の遺産って話だけど、誰にも開けられないなら、
ただの石切場の忘れ物みたいなもんじゃねぇか」
「ウォル……」
カオルの声には、隠しきれない不安が滲んでいた。
気づけば彼は、腰の短剣へと無意識に手を伸ばしている。
自分でも驚くほど強く、柄を握り締めていた。
「……何だよカオル、そんな顔するなって。多分、魔物はさっきのスライムで終わりだろ」
「別に……魔物だけが、怖いわけじゃないんだ」
カオルは視線を扉から離さず、言葉を紡ぐ。
「万が一……この扉の奥に、何か邪悪なものが封印されていて……
それが解き放たれたら……この集落が、どうなってしまうか……」
ウォルは、思わず目を見開いた。
冗談で流すつもりだった言葉が、喉の奥で引っかかる。
カオルの瞳に宿る真剣さが、それを許さなかった。
「……まあ、そうだな」
短く息を吐き、ウォルは再び扉へと視線を戻す。
「封印ってのは、そういうもんだ」
そう前置きしてから、続ける。
「だがな、カオル。考えてみろよ。
この封印が解けない限り、俺たちはこの扉の向こうに何があるのか、
永遠に知ることはできねぇ」
「中にあるのが、邪悪な魔物かもしれない。
けどな……そうじゃないかもしれない。
もしかしたら、俺たちを助けてくれる“何か”がある可能性だって、ゼロじゃないんだぜ?」
カオルは黙り込み、しばし考え込んだ。
未知への恐れと、わずかな期待――
外の世界を知らない彼にとって、その二つは常に表裏一体だった。
─────
「さてと……奥まで確認したしな」
ウォルは軽く肩を回す。
「これで、洞窟には特に異常なしってことで、集落に戻って親父に報告だ」
そう言って、カオルの肩を軽く叩いた。
伝わってくる力強さに、張り詰めていた肩の力が、ほんのわずかに抜ける。
――そのときだった。
「”ぐぉぉぉぉぉぉぉぉん……”」
洞窟全体を震わせるような、不気味な唸り声のようなものが響き渡った。
それは、巨大な獣が喉の奥から絞り出すような、低く、重く、揺らぐ音。
壁にぶつかり、何度も反響し、二人の鼓動を乱暴にかき乱す。
「なんだ!?」
ウォルは即座に剣の柄へ手を伸ばし、カオルも短剣に触れる。
全身が硬直し、毛が逆立つような感覚が背筋を駆け抜けた。
唸り声は、どこから聞こえてきたのか。
息を殺して周囲を見回すが、目に映るのは静まり返った闇と、天井から覗く微かな光だけ。
「さっきの音……魔物……?
それとも……魔獣……?」
カオルは壁に背を預け、震える声でウォルに尋ねた。
「分からねぇ……」
ウォルは低い声で答える。
「だが、あれが魔物や魔獣の声なら……相当ヤバい」
――次の瞬間
「”ぐるるるるるるるるるぅ……”」
再び響く、唸り声。
「……今度は……どこから……?」
唸り声は洞窟内にこもり、発信源を特定できない。
まるで――洞窟そのものが、低く鳴いているかのようだった。
……やがて。
洞窟に、静寂が戻る。
水滴が床に落ちる音が、異様なほど大きく耳に響いた。
「……止んだ?」
カオルが、ぽつりと呟く。
ウォルは無言で頷く。
視線は、なおも暗がりの奥を捉えたままだ。
「……分かんねぇ。とにかく、集落に戻って親父に報告するぞ」
その声には、張り詰めた緊張がはっきりと滲んでいた。
「……うん」
カオルは不安を隠しきれないまま返事をし、ウォルの背中を追う。
洞窟を抜ける二人の足音は、先ほどよりも速く、わずかに慌ただしい。
─────
洞窟の入り口に差し掛かったとき、夕焼けの光が二人の顔を照らした。
「はぁ……結構、時間かかったな」
ウォルが大きく伸びをする。
伸ばした腕の筋肉が、夕暮れの中に浮かび上がった。
「うん……」
カオルは、どこか遠くを見るように答える。
(さっきの唸り声……一体、何だったんだろう……)
歩きながら、何度もその音を思い返す。
(あんな声……今まで聞いたことがない。
もしかしたら……誰も見たことのない、新しい魔物……)
思考に囚われ、無意識のうちに足が止まる。
「おい、カオル! どうした?」
少し先を歩いていたウォルが振り返る。
その声には、はっきりとした気遣いが含まれていた。
「あ……ごめん。何でもない」
「そうか。なら、急いで帰ろうぜ
大丈夫だ、何かあっても、俺と親父がなんとかするからさ」
ウォルは隣に並び、歩調を合わせる。
二人が集落へ戻った頃には、すでに日の光は完全に失われ、世界は静かな闇に包まれていた。




