魔法との、遭遇
「おっ、やるんすね〜、カオルくん!!」
カオルが杖を受け取ると、ぱっと花が咲いたようにマナンの顔が輝いた。
「マナンちゃん感動っす……まさか今日初めて魔法を見た子が
魔法を出してみたいと思ってくれるなんて……すっごく嬉しいっすよ!!」
「……は、はい」
マナンは満面の笑みだった。
夜風に揺れる長い青髪が、まるで喜びを表現するかのようにふわりと舞い、
帽子の影から覗く青い瞳は、まっすぐにカオルの手元――銀色の杖へ向けられていた。
「失敗を恐れないで、気楽にやれば大丈夫っす!!」
「気楽、に……」
その笑顔の輝きに、カオルの胸がきゅっと締まる。
――期待されることに慣れていない。
ましてや、“魔法”なんて伝承の中の呪いの力だと刷り込まれてきたのに、
今はそれを「楽しいこと」みたいに扱われている。
「それじゃ、ちょっとこっちへ来てくださいっす〜」
そう言うや否や、彼女は足元に置いてあった細い木の枝を一本取り上げると、
カオルを軽やかに手招きした。
─────
小枝をくるくる回しながら、かまどの前にしゃがみ込むマナン。
月明かりが、枝の乾いた表面を僅かに照らし、かまどの煤と苔の黒緑をぼんやり浮かび上がらせた。
「え……えっと……」
カオルは杖を握ったまま、マナンを見つめる。
(うぅ………凄いキラキラした目で見られてる……)
カオルの胸の奥は、不安と期待がせめぎ合っていた。
自分が今、どれほどとんでもない場所に立たされているのか、
それを理解しているからこそ、足がすくむ。
「緊張しなくても大丈夫っすよ~」
マナンは体を反らし、満面の笑みを向ける。
その姿は、これから始まる遊びを心から楽しみにしている子供そのものだった。
その無邪気さが、カオルの緊張を少しだけほどく。
――怖いのに、逃げたくない。
怖いからこそ、確かめたい。
「まず、杖の使い方っすけど」
マナンは自分の手を握り、まるでそこに杖があるかのような仕草をする。
手首の角度、指の置き方、力の入れ具合――その動きだけで、彼女が“慣れている”のが分かる。
「杖の先から炎が出るのを、頭の中でイメージするっす!!」
「……え、それだけですか?」
思わず、声が裏返りそうになる。
魔法って、もっと複雑な操作が必要なんじゃないのか。
紋様をなぞるとか、石を嵌めるとか、何か儀式めいたことがあるんじゃないのか。
「そうそう。ただそれだけっす。魔法はイメージなんで。」
マナンは、カオルの手の中の杖を指差した。
「魔法の力は、使う人の想像力に左右されるっす。
だから、想像力が豊かな人ほど、魔法は上手く扱えるんすよ。」
「想像力……」
カオルは杖を見つめる。
(僕の想像力は……豊かなんだろうか)
火花が散る瞬間の眩しさ。薪に移る熱。煙の匂い。
それなら、いくらでも思い出せる。
それは“想像”というより“経験”だ。
(火を起こすのは……生きるための技だった、けど……)
(それを、“想像”でやれって……?)
「ほらほら〜、早くっすよ〜」
マナンは、かまどに置かれた小枝を指差した。
「ここに向かって、炎をつけるイメージっすよ!」
そう言って、彼女はカオルの背にそっと手を添え、杖の先端が火口に向くよう導いた。
小さな手なのに、芯があって、迷いなく方向を決める。
「……こう、ですか……?」
カオルは、おずおずと杖を向ける。
月明かりが杖に刻まれた文様を照らし、揺らめく影がカオルの不安を映し出していた。
(えっと……イメージ……イメージ……)
(炎……炎……)
彼の脳裏には、これまで幾度となく行ってきた火起こしの光景が浮かぶ。
火打石、火花、燃え移る小さな炎――その炎が息を吸うみたいに揺れて、やがて確かな熱になる感覚。
「イメージしたら、後は杖を振るっす!!」
「は、はい! えいっ……えいっ……!」
カオルは力を込めて杖を振る。しかし、何も起こらない。
夜風が、乾いた枝をかすかに揺らすだけだった。
「ありゃ? 出ないっすね……」
「……」
――沈黙が、妙に重い。
かまどの前にいるのに、寒さが増した気がした。
「う〜ん……惜しいっすね、もう少しだと思うんっすけど」
マナンは隣にしゃがみ込み、軽く肩を叩く。
「力まないで、炎の熱とか、枝が燃える感じを、もっと膨らませるイメージっす!」
その声は優しく、責める色は一切ない。
むしろ――一緒に成功を待ってくれている響きだった。
(惜しい……?)
(今、何か起きたのか……?)
何も見えないのに、“惜しい”と言われるのが怖い。
自分には見えない何かが見えているのかもしれない、という恐怖。
でも同時に、見えないなら見えるようになりたい、という欲も湧く。
「えいっ……えいっ…… えいっ……!」
カオルは目をつぶり、杖を振る。
何度試しても、杖は沈黙したまま。
(できない……?)
胸がじわじわと焦りに締め付けられていく。
手のひらが汗で滑りそうになる。
耳の奥で、自分の鼓動がうるさい。
(やっぱり僕には……)
失敗の記憶が、いつもより鋭く刺さる。
両親を失ったときも、魔獣から逃げたときも、“できなかった”が重なってきた。
ここでも同じなのか、と。
─────
「……あの……」
思い切って、カオルは口を開いた。
「僕も……マナンさんみたいに、何か言ったほうがいいですか?」
「へ?」
マナンは一瞬、きょとんとした顔をする。
「あの……何か、呟いたりしてたので……」
「ああ、詠唱のことっすか?」
カオルが頷く。
「あれは、魔力――マナを安定させるための補助みたいなものっす。
別に、絶対必要ってわけじゃないんすよ?」
「詠唱を省略して直接発動させることも出来るっす。短縮魔法、とか言うんっすけどね」
確かに、彼女は先程水を出した時、短い言葉しか口にしていなかった。
それでも水は溢れた。止まること無く、滾々と。
「高度な魔法は詠唱が必要っすけど……」
マナンは、ふっと悪戯っぽく笑う。
「でも、せっかくっすから……
カオルくんにもやってほしいっすね〜、是非是非」
その言い方が、どこか“期待している”ように聞こえた。
「……分かりました」
不安と期待が、胸の中でせめぎ合う。
それでも――彼は頷いた。
言葉を口にすることで、自分の中の恐れを越えられる気がする。
ここで逃げたら、きっと一生“魔法”が怖いままだ。
─────
「じゃあ、合図に合わせて言うっすよ。『ネオン・フレイム』!」
マナンは、カオルの杖を持つ手を両手で包み込む。
彼女の指先が温かい。
その温度が、妙にカオルを現実に引き戻す。
「もう少し上っす!」
肩を支えられ、体が自然と引き寄せられる。
近い。息がかかる距離だ。
でも今はそれが、不思議と心強い。
「炎が出るのを、はっきり想像するっす!!」
「は……はい……先生!!」
その言葉に、マナンが硬直した。
「……先生?」
「……あっ……ダメでした……?」
カオルの耳がぴくりと震え、焦って視線が泳ぐ。
何かまずいことを言った気がする。
でも、出てきたのがそれだった。
教えてくれる人に、つい言ってしまった。
一瞬の沈黙。
「………………まぁ……いいっすけど……えへへ」
マナンは視線を逸らし、頬をかく。
彼女の耳元は、ほんの少しだけ赤く染まっていた。
「と、とにかく集中っす!!」
「はい!!」
「ネオン・フレイム!!」
「もう少しお腹の中から!!」
「ネオン……フレイムっ!!」
叫んだ瞬間――
杖の先に、赤い光が灯った。
「――っ!!」
カオルの息が止まる。
目の前に“生まれた”。
――何もなかった場所に、確かに光がある。
光は揺れ、膨らみ、やがて確かな炎へと姿を変える。
ぱちっ、と小さな音。
熱が、夜の冷たさを押し返した。
鼻先に、燃える木の匂いが届く。
懐かしくて、でも全然違う。
「わぁ……」
言葉が震える。
嬉しいのに、怖い。
自分の中から出てきた力が、嬉しくて怖い。
「やったっすよ、カオル君!! もう少しっす!!」
「さぁ、あともう一息っす、いっせーのーせーで……」
さらに二人で声を重ねる。
「「ネオン・フレイム!!」」
杖先から出た炎は七色の閃光を帯び、夜を切り裂いた。
一瞬、かまどの周りの影が虹色に揺れて、森の闇が息を呑んだように静かになる。
「すごい……本当に……!」
その瞬間、マナンはカオルを強く抱きしめた。
「おめでとうっす~!!」
温かい体温が、胸いっぱいに広がる。
抱きしめられた瞬間、カオルの中の緊張が糸が切れたようにほどけ、危うく膝が崩れそうになる。
カオルは杖を落としかけながらも、その腕を拒まなかった。
拒めなかった、というより――この温もりが、今の彼には必要だった。
胸に顔を埋め、込み上げる感情を必死に抑える。
(……出来た……)
ただ火を点けただけじゃない。
“自分でも何かができる”って証明が、胸の奥で燃えていた。
マナンは、彼の頭を優しく撫でる。
「よくできました〜♪」
その声は、教師でも魔法使いでもない――
ただ、彼の一歩を心から喜ぶ声だった。




