カオル、スライムと戦闘
洞窟の中は、外界の明るさとは切り離された、薄暗さと静寂に満ちていた。
天井のいくつかが崩れ落ち、その隙間から差し込む淡い光が、内壁をぼんやりと照らしている。
そのおかげで、松明などの光源がなくとも、内部を進むことはできた。
「……今のところ、何もいないみたいだな」
ウォルが洞窟の奥を覗き込みながら、小さく呟く。
声は壁にぶつかり、歪んだ反響となって戻ってきた。
その響きが、余計にこの場所の不気味さを際立たせる。
「……カオル、もう少し奥まで進んでみよう」
「そうだね」
カオルは短く頷き、ウォルの横に並んで足を踏み出した。
二人分の足音が、湿った洞内に鈍くこもる。
土の湿り気と、壁面に張り付いた苔の匂いが混じり合い、鼻腔を刺激した。
足を進めるたび、靴底の下で水が小さく鳴く。
─────
奥へ進むにつれて、外から差し込む光は次第に細くなっていく。
「……」
「……」
二人は、声を殺しながら慎重に進んでいく。
そのとき、二人の視線が同時に、洞窟の奥に揺れる微かな影を捉えた。
「……何か……いる……?」
カオルが足を止め、囁くように声を漏らす。
影は、そこにあった。揺れながら、ゆっくりと、粘りつくような音を立てて動いている。
「……待て、カオル。慎重に行こう」
ウォルが手を伸ばし、カオルの肩にそっと触れた。
警戒するように細められた瞳が、暗闇の向こうを射抜く。
二人は呼吸を殺し、物音を立てぬよう距離を詰めていった。
─────
距離を詰めると、影の輪郭がはっきりしてくる。
それが、小さな魔物であることに気づくまで、そう時間はかからなかった。
ゼリー状の体を持つ下級魔物――【スライム】。
半透明の肉体が、虹色に鈍く光りながら、ゆっくりとうねるように蠢いている。
二人の存在に気づいたのか、粘液を床に引きずりながら、こちらへ向かって動き出した。
「なんだよ……スライムじゃねーか。本当に弱そうだな」
ウォルは肩の力を抜いて言った。
だがカオルは、短剣の柄を握る手に力を込めたまま、警戒を解かない。
――『どんなに弱くても、魔物は魔物だ』
ルクスの言葉が、脳裏に蘇る。
スライムは攻撃力の低い魔物で、集落周辺にも時折現れる。
性質は大人しく、人を襲うことはほとんどない。
体の内部には濃い色の核が浮かび、核を壊せば活動を停止する。
動きは鈍く単純で、知性の低さが一目で分かる。
だが、集落では魔物はすべて警戒対象だ。
まして、洞窟という閉ざされた空間での遭遇は、どんな弱敵であっても油断を許さない。
カオルは素早く回り込み、スライムの背後に位置を取る。
腰の短剣を抜くと、金属音が静寂を裂いて小さく響いた。
――『油断するなよ』
短剣を構え、切っ先を魔物へ向ける。
足を地に根づかせ、わずかな動きにも即応できる体勢を取った。
薄暗い洞内で、スライムの体が不気味に脈動し、歪んだ光を反射する。
ウォルも隣で長剣を抜き放つ。黒い刀身が、淡い光を吸い込むように鈍く光った。
二人は無言で視線を交わす。それだけで、合図は十分だった。
「今だっ!!」
ウォルの声と同時に、二人は駆け出した。
湿った土を蹴る音が洞内に響く。左右に分かれ、自然な動きでスライムを挟み込む。
この連携は、幾度となく重ねてきた訓練の成果だった。
「はっ!」
ウォルの剣が振り下ろされる。
刃は抵抗もなくゼリー状の体へ沈み込み、ぬめりと共に、不気味な鼓動が伝わってきた。
カオルは一歩遅れて踏み込み、短剣を突き出す
豪快さはない。だが、無駄のない正確な一撃だった。
刃が側面を貫くと、スライムの体は不安定に揺れ始める。
透明だった体は徐々に濁り、脈動は乱れ、虹色の輝きが失われていった。
スライムは、微かな音を立てて、何かを訴えるように震える
だが、それが悲鳴なのか、最後の抵抗なのかは分からない。
――そして、決着。
カオルの短剣が中心へ到達した瞬間、内部の核が砕ける乾いた音が洞内に響いた。
スライムの動きが止まり、体は急速に固まっていく。
透明だった肉体は青緑色に変色し、やがて崩れ落ちた。
湿った苔のような匂いが立ち上り、洞内の空気が一瞬だけ変わる。
床に残ったのは、もはや生き物とは呼べない、ゼリー状の残骸だけだった。
「……終わったか」
ウォルは息を吐き、剣先の粘液を払い落とす。額には汗が浮かび、体は戦闘の熱を帯びている。
カオルも短剣を拭い、鞘に戻した。
胸の奥で、激しい鼓動がまだ収まらない。
初めて任された任務での戦闘――その緊張と興奮は、簡単には消えなかった。
─────
「ふぃ〜……まぁまぁ楽勝だったな」
ウォルは安堵の息を漏らす。
「……弱いと言っても……油断は禁物だからね」
カオルは静かに答え、残骸から視線を離さない。
「でもさ、親父は何で、こんなスライムしかいなさそうな洞窟を、わざわざ調べさせたんだろうな」
「……何かあってからじゃ遅いって言ってたし……慎重だったんじゃない……かな」
「それに……本当に弱い魔物だけとは限らないし……昨日、変な音がしたって話だし……」
「まぁ、それもそうか」
ウォルは洞窟の奥を見据えた。
「じゃあ、もう少し先まで見ておくか」
「うん……念のため……ね」
二人は並び、再び歩き出す。
洞窟の奥には、より濃い闇が広がっていた。
完全な暗闇ではないが、天井からの光はほとんど届かない。
壁に手を触れ、慎重に進んでいると、カオルがふと立ち止まった。
「……何か、気配がする……」
湿った土や苔とは違う、微かに甘い匂い。
「気配?」
ウォルも足を止め、周囲を警戒する。
「……もっと奥から……」
カオルは暗闇の先を見つめる。
その瞳の奥には、抑えきれない好奇心と、不安が静かに入り混じっていた。




