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転送少女とケモミミ少年 -Zerofantasia Gaiden-  作者: zakoyarou100
序章(下)人間の少女、マナン
19/37

カオルの、自宅

「さて……」


帽子の縁を指でくいっと直すと、マナンはカオル達へ向き直る。

月明かりが尖った帽子に淡く反射し、影が彼女の表情を半分隠していた。


「とりあえず、今日泊まれるとこ、あるっすかね……?」


髪を指先で撫でながら、何でもないことのように問う様子はまるで

親に「晩ごはん、ある?」とでも聞くみたいな調子で、

その軽さが、逆にカオルの胸をざわつかせた。


ウォルはカオルへ視線を投げてから、淡々と告げた。


「その件なんだが……

――とりあえず今日は、カオルの家に泊まってほしい」

「ええぇぇっっっっ!?」


思わず、カオルの声が裏返る。


(うぅ……やっぱり、こうなるのか……)


薄々覚悟はしていた。していたはずなのに、改めて言葉にされると脳天に電流が走る。


(いや、無理……ではないけど……うぅ……)


口は情けないほど開いたままだ。

獣耳が落ち着きなく跳ねて、心臓の音がやけに大きい。


「もう夜も遅いし、これから泊めてくれるところを探すとなるとな……」


ウォルは森の向こう、集落の中心を見やりながら続ける。

闇の中にぼんやりと、遠い灯りが点在している。あそこに人がいるはずなのに、今はやけに遠い。


「俺の家でもいいんだが、家には親父……集落のボスがいる。

突然会って『泊めてください』って言っても、説明が面倒だろう」


その理屈は、分かる。分かるのだが――。


カオルの頭の中には、自宅の惨状がずらりと並んだ。

狭い。古い。寒い。床は軋む。壁は薄い。

屋根の隙間から風が入る夜もある。

そして何より、客を迎えるような家じゃない。


マナンみたいな――眩しいほどの女の子を泊めるなんて、あまりにも不釣り合いすぎる。


(いや、マナンさんからしたら、そんなこと言ってる場合じゃないのに……)


恩人だ。命の恩人だ。

断るなんて選択肢はない。なのに、胸の奥が落ち着かない。


「うーん……それもそうっすかねぇ……」


マナンは顎に指を添え、現実的な悩みとして受け止めた顔で視線を落とした。


洞窟で見せた探究者の目ではなく、今は「今日の寝床」という生活の話をしている。

その“生活感”が、妙に眩しい。

この人は本当に、現実の人間で――いや、人間なのか――と

カオルはまた考えそうになって、慌てて思考を止める。


「だから、今日はカオルの家。明日、改めて団長に会ってもらう。そこで今後どうするか話し合いたい」

「そういうことなら了解っす!」


あっさりと、マナンは受け入れた。そして当然のようにカオルへ向き直る。


「カオル君、ダメっすか?」


カオルの獣耳が不安げに伏せられる。


――ダメじゃない。ダメじゃない、はずだ。

命を救ってもらった恩人だ。泊めるくらいで拒むなんて、あり得ない。


「えっと……あの……大丈夫っすか、カオル君?」


マナンの声が、迷走する思考をスパッと切る。

彼女の青い瞳に浮かぶのは、心配の色だ。悪意なんて欠片もない。

――だから余計に、断れない。断ったら、自分が卑怯者みたいに思える。


「あ、あの……えっと……」


言葉が絡まる。手のひらが汗ばむ。

心臓は、恐怖と期待の混じった早鐘になっていた。


「……うちでよければ……」


その一言が落ちた瞬間、


「やったぁ!」


マナンは子どもみたいに両手を上げた。


「じゃ、お言葉に甘えて早速お邪魔させてもらうっすよぉ〜」


軽やかに古びた扉へ向かい、くぐっていく。


「……はい……」


カオルは小さく頷いた。


こうして、マナンがカオルの家に泊まることは――あっけないほど簡単に決まった。

決まった瞬間に、逃げ道が消える。

カオルの胃の辺りがきゅっと縮んだ。


─────


「まぁ、親父も自警団の皆もびっくりするだろうがな……明日はせいぜい説得しろよ」


ウォルはそれだけ言い残し、闇へ溶けるように去っていく。

足音が森の静寂に吸い込まれていき、カオルの周りには深い沈黙が戻った。


「はぁ……」


吐息が夜気に混じり、白くほどけて消える。

自分の家に女の子が泊まる、という不安。

明日、集落に受け入れられるのかという不安。

それでも、守りたいという決意。


やがてカオルは、先に家へ入ったマナンの姿を思い出し、震える足で戸に手をかける。


「”キィィィィイ”」


扉が軋む。

その音だけが闇を割った。

――まるで、別世界へ踏み込むみたいに。


─────


「うわぁ!! すっごいっすねぇ〜!!」


カオルは自宅の暗闇へ足を踏み入ると、マナンの大声が部屋を跳ねた。


マナンの瞳は好奇心でいっぱいと言ったようにカオルの家の中を見渡している。


「へぇ〜、こういう暮らし方もあるんすかねぇ……」


壁にかけられた狩猟道具。簡素な家具。月明かりが照らし出す床の傷み。

どれも彼女の世界にはないものなのだろう。

まるで展示物でも眺めるように、ひとつひとつを目で追っていく。

触れようとして、やめて、また覗き込んで――視線が忙しい。


「いやぁ、突然来てこんな素敵な家にお泊まりさせてもらうなんて

……なんか申し訳ないっすね〜」


軽い口調なのに、どこか含みのある響きが残る。

“素敵”という言葉が、カオルには痛かった。

素敵じゃない。自分の家のことは一番分かっている。


「……そんな、褒められるようなところなんて、ないですよ……」

「いやいや、謙遜しなくても大丈夫っすよ!

置いてある道具を見れば、丁寧な暮らしぶりなんて手に取るようにわかるっす」


さらっと褒められて、カオルは返す言葉を失う。

丁寧――ただ、生きるのに必死なだけだ。

それが“丁寧”に見える世界から来たのか、と考えてしまう。


「ところで、カオルくん以外には誰も住んでないんっすか?」


とどめの一言が来た。


「にしても、ぶっちゃけこの家、一人で住むには広すぎる気もするっすね〜」


カオルの胸の奥が、鈍く痛む。


――そうだ。ここは、本当は「一人の家」じゃない。


かつて両親がいた。笑い声があった。温もりがあった。

今は、広いだけの空洞だ。広さは、孤独を強調するだけだった。

床の軋みも、壁の薄さも、全部が“欠けたもの”の形に思える。


「そういや、ご両親はどこに住んでるんすか? お仕事とか?」


ランプの光にきらきらした瞳。純粋な好奇心。悪気がないからこそ、逃げ場がない。

黙れば不自然になる。笑って誤魔化すには重すぎる。


――無邪気な問いが、刃のように刺さる。


「えっ……えっと……僕の両親は、もう……いないんです」


言い終えた瞬間、空気がひやりと冷えたように感じた。


「えっ!?……あ……そうなんっすね……ごめんなさい……」


マナンの声色が、はっきりと沈んだ。

軽さがすっと引き、代わりに不器用な優しさが顔を出す。


「いえ……気にしないでください……もう慣れましたし。

一人でも、集落の皆が助けてくれるので、なんとかやっていけてます」


カオルは無理に笑ってみせる。自分でも分かるほど、脆い笑顔だった。

“慣れた”という言葉は、便利な嘘だ。

――慣れてなんかいない。ただ、慣れたふりをしているだけなのに。


─────


カオルはマナンを奥の小部屋へ案内する。


マナンは帽子を部屋の隅に置くと、ひと回り見回して、


「結構、綺麗な部屋じゃないっすか〜」


と言った。


「それは……ほとんど使わないから……」


そこは、かつて父の部屋だった。

今は狩り道具の置き場で、思い出ごと封じるための空間になっている。

“使わない”のは、物じゃない。そこにある空気だ。


「すみません……とりあえず居間の掃除をしてくるので、ここで待っていてください」


カオルは部屋の隅においてあった掃除道具を持ち、逃げるように部屋を出ようとした。


「いやいや、遠慮しなくてもいいっすよ! 私にも手伝わせてくださいっす!」


前のめりの声。けれど――


「いえ……マナンさんはお疲れでしょうから……」


カオルはやんわり断り、そのまま居間へ消えた。


「そ、そうっすか……」


マナンは言われた通り小部屋に残った。

カオルの足音が遠ざかると、部屋へ沈黙が降りる。

屋根の隙間から吹く風が、窓枠をかすかに鳴らすだけだ。


(……文化というか、文明レベルで私の世界と違うっすね……)


目に入るのは手作りの弓、粗末な矢、狩猟道具、獣の角や骨。


生きるために作られ、生きるために残されたもの。

荒々しいのに、必死さがあって――どこか美しい。


マナンは鹿角の置物に指先を触れ、ざらりとした感触を確かめる。

そのざらつきが、ここでの暮らしのざらつきにも思えた。


(……でもまぁ、元の世界よりは、こっちのほうが……素敵っすね)


小窓の外、星空がやけに近い。

人工的な光が少ないぶん、夜の天は鮮明だ。銀河の帯が流れ、時折流れ星が線を引く。

マナンは窓辺に寄りかかり、冷たい夜気を肌で感じながら考える。


洞窟。魔獣。ウォル。カオル。

そして――カオルの孤独。


(カオルくん、私が居なくなったら、ずっと一人暮らしなんっすよね……)

(……この気持ち……可哀想、って思ってるんっすかね? 私……)


(でも明日、集落の人たちが私を拒絶したら……)

(もし、カオルくんが私を庇って追われることになったら……)


胸の奥が、妙に重くなる。

想像だけで息が詰まる。

自分が原因で、彼の居場所を壊すかもしれない。

その恐れは、どんな魔獣よりも厄介だ。


─────


「お待たせしました……」


やがて、居間の掃除を終えたカオルが小部屋へ来た。


「あの、居間にあるベッドを……マナンさんが使ってください」

「えっ、そんなの申し訳ないっすよ!」

「いえ……マナンさんに床で寝てもらうわけにはいかないので……」

「……なるほど……」


マナンは顎に手を当て、少し考えた――と思った次の瞬間、にやりと笑う。


「それなら私、カオル君の横で眠るっすよ!」

「……えっ、は、はぃぃ!?」


声が裏返り、ホウキが床に当たってガチャンと鳴った。

獣耳がものすごい反応を見せ、カオルの顔が一気に熱くなる。

心臓が、今度は“戦い”とは別の理由で暴れ出す。


「だって、一人だけ広いベッドを占領するのも悪いっすし〜。一緒で全然問題ないっすよ〜」


真面目な顔で言うから、余計にまずい。

冗談ならまだ反応できるのに、冗談じゃない目をしている。


「えっ!? そんな……ダメです!! 僕は小部屋に茣蓙を敷いて寝ますから!!」


カオルは後ずさり、背中が廊下の冷たい壁にぶつかる。

その拍子に、頭の中へ勝手な想像が滑り込んだ。

同じベッド。近い距離。髪の匂い。吐息の温度。柔らかな体温――。


(い、いや……何を考えてるんだ、僕は……!)


首を振っても消えない。むしろ鮮明になる。


(彼女は命の恩人で……僕やウォルを助けてくれた人なんだぞ……)


必死に言い聞かせても、鼓動がうるさい。

耳が熱い。手が熱い。頬が熱い。


「ふふふ……カオルくん、今、何か失礼なことを考えてるっすね!!」


マナンが人差し指をビシッと向けた。


「そそそそっ……そんなことありません!!」


カオルはぶんぶん首を振り、視線を床へ落とす。


(わっかりやすいっすねぇ〜、この子……)


マナンは内心で満足げに呟くと、あっさり話題を切り替えた。


「じゃあ、とりあえず寝る前にシャワーとか浴びれないっすかね?」

「……えっ、シャワーですか……?」

「あ~、お風呂って言えば良かったっすかね? とにかく体を洗える場所、あるんすよね?」


カオルは首を傾げつつ、頭を働かせる。

“シャワー”という言葉がよく分からない。

だが“体を洗う”なら――一応、ある。


「もしあるなら教えて欲しいんっすけど……まさか、無いっすか?」

「えっと……その……ある事には、あります」


カオルは、迷いながらも答えた。


「体を綺麗にできればいいんですよね……? それなら、あります。……多分……」

「おっ、よかったっすね〜。お湯はどこから出るんすか? 火を使うんすか?」

「家のすぐ横にある井戸から水を汲んで、それを風呂釜に入れて、薪で沸かすんです」

「おっ、風呂釜ってことは、やっぱ薪とか必要っすかね?」

「それは……」


薪――確かに必要だ。

でも今から取りに行く?夜の森に?

――カオルが言葉に詰まった、その瞬間。


「分かったっす!」

「えっ、マナンさん!? ちょ、ちょっと待ってください!!」


マナンは小気味よく言い放ち、カオルの呼び止める声にも構わず、

小部屋に置いてあった帽子を取ってきて、戸口へ向かう。


「大丈夫っす、いい考えがあるっす!! すぐ戻るっすよ〜」


そう言い残して、夜へ飛び出していった。


朽ちかけた戸口からその背中が消えるのを、カオルはただ呆然と見送るしかなかった。

ランプの灯りが揺れ、冷たい夜気が一瞬、家の中へ流れ込む。


――そして、カオルの胸に別の種類の不安が芽を出す。


(本当に、自由な人だな……)


その背中が闇に溶けたあとも、カオルの耳は、遠ざかる足音を探すように小さく動き続けていた。

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