兄ちゃんに恋した俺の話【前編】
弟サイド前後編、兄サイド前後編の、全4エピソードになります。
「兄ちゃん、恋人ができたんだね」
俺の言葉に、ページを捲りかけていた指が止まった。
「……は?」
参考書から目を上げた兄ちゃんの視線が、まっすぐ俺を射抜く。長い睫毛に縁取られた深い色の瞳が、天井の灯りを受けてかすかに煌めいた。
「何の話だ……?」
「え、だって。昨日、デートだったんでしょ?」
俺は全然なんとも思ってない顔を作って言った。
──兄ちゃんが誰と付き合おうと、別に興味なんてないし? どうでも良いんだけど、たまたま目に入っちゃったから話題にしただけで。
「なんだそれ……。どこで聞いた?」
整った眉を顰めて言う兄ちゃんに、俺はスマホの画面を向けた。
「イ◯スタのストーリー。……これって、兄ちゃんの時計でしょ?」
画面に表示されているのは、一枚の写真だ。
『夜景が綺麗』
短いテキストと、宝石みたいな夜景が広がるホテルっぽい部屋の窓辺。サイドテーブルには、グラスと男ものの腕時計が置かれている。ただそれだけ。でも、分かる人には分かる。“誰かと一緒なんだな”って。いわゆる、匂わせ投稿だ。
芸能人でもあるまいし、この程度なら普通は相手が誰かなんて特定できっこない。でも、その腕時計だけは違った。
「その時計、兄ちゃんしか持ってないんでしょ?」
今もテーブルに外して置かれた腕時計に、ちらりと視線を向ける。
少しごつめのデザインで、それは兄ちゃんが間宮家の先々代から贈られたものだと聞いている。世界的なブランドの特注品で、この世に同じものは二つとないらしい。そんな特別な品だった。
「別に、恥ずかしがらなくてもいいじゃん。この人、高校生の頃から有名人だったんだよ。すんごい美人だ、って」
投稿主は同じ高校の卒業生。二つ上の先輩だった人だ。すごく綺麗な上に誰にでも優しくて──……みんなの憧れの的だった。俺は同じ部活の新入生だったから、よく面倒を見てもらってた。卒業後は会うこともなかったけど、まさかこんな形でまた名前を見ることになるなんて。
(兄ちゃんのタイプって、こういう人だったんだ……)
あの頃からやたらと目を引く人だったけど……。今はさらに垢抜けて、画面の向こう側で反則級の笑顔を浮かべている。
『恋をすると綺麗になる』っていうのは、案外本当なのかもしれない。
「美男と美男で、お似合いだと思うよ」
からかうように笑ってみせたけど、兄ちゃんは何も言わない。少し険しい顔のまま、画面をじっと見つめていた。
◇
俺はずっと「兄ちゃん」って呼んでるけど、本当の兄弟じゃない。うちの母さんと兄ちゃんの母さんは姉妹で、つまり俺たちは従兄弟だ。
うちは代々βの家系。でも、兄ちゃんの母さん──つまり俺の叔母さんは、珍しくΩとして生まれた。
どのくらい珍しいかっていうと、Ωってこの国じゃ本当に少なくて、統計だと全体の人口の0.05%しかいないらしい。
男女関係なく妊娠可能で、定期的にヒートが来るせいで就職は難しいし、危険にも巻き込まれやすい。ニュースでも “Ωの権利をどう守るか” なんて話題がよく取り上げられていたりする。
まして叔母さんは、子どものころからとんでもなく可愛かった。だから余計に、変なやつに目をつけられたり、勝手に「好きだ」と執着されたり……苦労の絶えない少女時代だったらしい。そのたびに長女の母さんが体を張って守っていたんだって。
そんな叔母さんも成長して、この辺りじゃ誰もが知ってる真宮家の御曹司と出会い、結婚した。頼もしい伴侶を得て、家族みんながホッとしたのも束の間──初めてのお産がひどく難産で、叔母さんは産後しばらく起き上がれないほど弱ってしまった。
大事な妹のことが心配でたまらなかった母さんは、生まれたばかりの兄ちゃんの世話を自ら申し出たんだって。当時、母さんは父さんと結婚していたけれど、なかなか子どもに恵まれず、兄ちゃんのことを本当に自分の子どもみたいに可愛がっていたそうだ。
そんなある日。
兄ちゃん──間宮律──が二歳のころの話だ。
急に母さんにしがみついてニコニコしていた兄ちゃんが、お腹に耳を当てたまま、
「かわいい、いるね」
と呟いたという。
最初は子どもの空想だと思って、みんな笑ってた。けれど、兄ちゃんが何度も「かわいい、かわいい」って繰り返すものだから、母さんは念のため病院へ行った。すると……そこには本当に、新しい命が宿っていたんだって。
それが、俺。高梨暁人だ。
「律くんはね、あんたが生まれる前から、もう『お兄ちゃん』だったのよ」
母さんは後になってよくこの話をしてくれた。
そんな不思議な出来事もあって、俺と兄ちゃんは、まるで本当の兄弟みたいに育てられた。家の格が違うとか、兄ちゃんがαで俺が凡庸なβだとか。幼い頃は、そんなこと全然関係なかった。兄ちゃんはいつも優しくて、俺はそんな兄ちゃんが大好きで、よく一緒に遊んでもらっていた。
転機が訪れたのは、俺が中学二年の春。原因のわからない微熱が何日も続いて、母さんに連れられて病院へ行った。下された診断は……俺が未分化のΩだ、ということだった。
思春期には、こういうケースがときどき見られるらしい。
生まれたときはβとほとんど変わらないけど、Ωの素質が体の奥に潜んでいて、第二次性徴をきっかけに現れることがある……って先生は説明してくれた。
その後の成長は人によるらしく、完全にΩになる人もいれば、どっちつかずのまま一生を終える人もいる。だから俺みたいなのは「擬似Ω」って呼ばれているんだって。
Ω性は弱いけれど、ヒートの可能性はゼロじゃない。そんなわけで、俺は四六時中、抑制剤を持ち歩く生活になった。
一番きつかったのは、経過観察のために“毎晩、体調をぜんぶ記録しろ”って指示されたことだ。体温、脈拍、血圧……めんどくさがりの俺にとっては、重すぎるノルマだった。
……でも、そこへ兄ちゃんが助け舟を出してくれた。
スマホのカメラに指先を当てるだけで体温と脈拍が簡単に測れるアプリを教えてくれたんだ。あれがなかったら、絶対続けられなかったと思う。正直、救われた。
Ωと診断された後、母さんには「大丈夫だからね」と何度も励まされた。叔母さんの苦労を間近で見てきたから、俺のことも心配になったみたいだ。
けれど──俺は内心、ちょっとだけ……嬉しかった。
たとえ未分化でも、擬似Ωでも。
兄ちゃんと番になれる可能性が、ほんの少しでも生まれたってことが。
俺は兄ちゃんのことが好きだった。
いつのころからか、兄弟としての憧れじゃなく、恋愛的な意味で……好きになっていた。
それなのに。
Ωだとわかった途端、母さんに「一人で間宮家へ行くのは禁止」と言われた時は、本気で焦った。
「万が一のことがあっては、間宮家に申し訳が立たないから」
という理由だった。
母さんの言う“万が一”とは──兄ちゃんと一緒にいるときに俺がヒートを起こし、そのまま取り返しのつかないことになるかもしれない、ということだ。
言葉こそ濁していたけれど、中学生にもなれば、その意味くらい分かる。
(兄ちゃんと俺が、あんなことやそんなことを……?! そんなの、むしろドンと来いって感じなんですけど!!)
想像するだけで顔が熱くなるけど、その時はその時。相手が兄ちゃんなら俺は大歓迎!
なーんて……、親に言えるわけない。
兄ちゃんに会えなくなって悶々としていた俺を助けてくれたのは、ほかでもない兄ちゃん本人だった。
急に俺が行かなくなったことを不思議に思ったのか、ある日、理由を尋ねられた。俺が正直に全て打ち明けると、兄ちゃんはすぐにウチへ来てくれた。
「赤ん坊の頃から知ってる暁人に、俺が何かするわけないでしょう」
兄ちゃんはそう言って、両親を説得してくれた。兄ちゃんも今まで通り、俺と一緒にいたいと思ってくれてるんだ。そう分かっただけで、胸がじーんって熱くなった。
でも同時に──
「暁人のことは、弟としか思えない」
その一言には傷ついた。ほんのわずかな希望もないんだって、キッパリ切り捨てられてしまったんだから。
結局、そのときは両親が折れて、俺は兄ちゃん解禁となった。あまりあからさまに反対するのも兄ちゃんに失礼だって思ったみたい。
その後、数年たったけど今のところ俺の体は、ほとんどβのままだ。
正直、ちょっと拍子抜けした。Ωの人って小柄でほっそりしてて、中性的で可愛らしい人が多いイメージ。だから俺もあんな風になるのかな……って思ってたのに。高校に入った途端、背が急に伸びて、どこにでもいる一般的なβ男性の体つきに成長した。俺がΩ(疑似とはいえ)だなんて、見た目で気付く人は多分いないと思う。
(ま、関係ないけどね……)
βだろうがΩだろうが、俺は兄ちゃんにとっては弟なんだから。
恋人にも番にもなれない代わりに、家族として一生近い位置にいられる。兄ちゃんは俺をベタベタに甘やかしてくれるし、考えようによっちゃ別れたりしない分、いい関係なのかもしれない。
(これ以上は、欲張っちゃいけない。今のままで満足しなきゃ……)
俺は自分に言い聞かせて、胸の奥に気持ちを押し込めた。弟として振る舞いながら、この先もずっと兄ちゃんのそばにいられることを願っていた。
あの投稿を、見るまでは。
◇
「学校始まって以来の秀才」
「天が二物を与えたもうた天才」
「将来の最有望株」
どれも、兄ちゃんに向けられた言葉だ。
そんな兄ちゃんと同じ血を引いているはずの俺はというと……、残念ながら、外見だけじゃなく頭の中まで見事に凡庸だった。
「兄ちゃんと同じ学校に行くには、どうしたらいいの?」
まだ小学生だった頃、そう聞いたことがある。担任も両親もそろって口をつぐみ、誰も答えられなかった。長い沈黙の中で、俺は『世の中にはかなわない望みがある』ってことを知った。
高三になって、進路指導の末に大学進学を決めた。だけど判定はいつも『ギリギリ』合格圏。そんな俺のために、兄ちゃんが毎週末、家庭教師をしてくれることになった。
だから今日もこうして、兄ちゃんの部屋にお邪魔して、過去問と睨めっこ中……ってわけ。
兄ちゃんは、アホにもわかるように、何度でも根気よく教えてくれる。おかげで、俺の小テストの点数は、ゆるやかにだけど確実に上がり始めていた。
応援してくれる兄ちゃんのためにも頑張りたい。そう、思ってはいるんだけど……。頭の中は詰め込んだ公式でパンパンで、もう爆発寸前。そのうち、参考書の中の公式がふにゃふにゃと踊り出すような錯覚まで見えて、思わずため息がこぼれた。
「少し休憩するか?」
俺の様子を見て、兄ちゃんが声をかけてくれる。
お手伝いさんに淹れてもらったお茶を飲みながら、俺はまたため息をついていた。
一生懸命がんばっているのに、成績は思うように伸びていかない。受験のことを考えると、どうしても気が重くなった。
「ごめんね、兄ちゃん。俺、すぐに覚えられなくて……」
「謝る必要なんてないだろ。暁人は頑張ってるんだから」
「そうだけど……」
見通しのつかない不安を抱えているせいか、目の前の兄ちゃんがいつもよりずっと大きく見えた。
「……兄ちゃんはもう、大学卒業したらなにをするか決めてるんでしょ?」
三つ年上の従兄弟は経営学部に通いながら、すでに両親が経営するグループ系列のバーの運営にも関わっているらしい。
「すごいなぁ……」
正直、大学進学すら危うい自分から見ると、着実に前に進んでる兄ちゃんは、まぶしくて仕方なかった。
そもそも、スタート地点が違う。こっちは普通の家の“なんちゃってΩ”。あっちは名家の跡取り息子で、しかも生まれながらのα。子どもの頃は気にもしてなかったけど、最近はその差が、嫌でも目につく。
「あーあ。かっこよくて頭が良くて、背が高くてお金持ちで……そのうえ可愛い恋人までいるなんてさ。完璧すぎてズルい、不公平だ!」
いずれこの家が持つものは、地位も、店も、名前も。全部、兄ちゃんが継ぐことになるんだろう。まるで、生まれたときからそう決まっていたみたいに。
「どうかな。そう上手くいくかわからないけど……」
兄ちゃんは苦笑して、湯呑を口に運んだ。
「いいなぁ。……俺もせめて恋人くらい欲しい……」
俺の言葉に、兄ちゃんの手がわずかに止まる。俺は気付かなかったふりをして、続けた。
「兄ちゃん、いい人紹介してよ」
そう言いながら、テーブルに突っ伏す。頭の上で兄ちゃんが小さく笑う気配がした。
「……お前にはまだ早い」
その一言に、ちょっとムッとして顔を上げる。
「俺、もう来年高校卒業なんだけど?」
「だから?」
「全然早くないよ。クラスでも、もう何人も初体験済ませてるって話だし。遅いくらいだって」
「そんな連中と一緒にすんな」
兄ちゃんは苦笑しながらも、どこか真剣な目で俺を見た。
「お前はお前のペースでいいんだ。この先、本当に好きな人ができたときのために、大事にしておきなさい」
やんわりとした口調で、そう諭された。
──その“好きな人”って、兄ちゃんのことなんですけどーーー!?
え、なに? 一生、俺にエッチするなってこと!?
そんなの、大事にしてるうちに干からびて死んじゃうよ!!
……なんて、心の中で叫んでみても、結局は何も言えなくて。悔しくて「うーーっ」て犬みたいに唸ったら、兄ちゃんは何を勘違いしたのか、俺の頭をぽんぽん撫でてきた。
「暁人は可愛いからな。おかしな奴に目をつけられないか、心配なんだよ」
などと、やさしく慰められる。
俺のことを「可愛い」なんて言ってくれるのは、この世界で両親と兄ちゃんくらい。従兄弟の欲目だってわかってるけど、ちょっとだけ気分は上がった。
「……俺って、可愛い?」
机に頬をつけたまま、じーっと兄ちゃんを見上げる。冗談っぽく瞬きをパシパシ繰り返して、精一杯の上目遣いで見つめた。
「うんうん、可愛い可愛い。可愛い暁人はもうすぐ試験だろ? いい子だからこの公式も覚えような?」
兄ちゃんは軽く受け流して、目の前に参考書をドンと置く。当然の反応なんだろうけど、やっぱりちょっと面白くない。
「またそうやって子ども扱いするっ」
「だって子どもじゃないか」
薄く笑って突き放されると、ついムキになってしまう。気を引きたくて、思わず口が滑った。
「違いますぅー。これでも最近、“俺と付き合わない?”ってDMもらったりしてるんだからね!」
「………へぇ」
兄ちゃんの声が少しだけ低くなった。俺は得意げにスマホを取り出して、ちょっと前に届いたメッセージを見せびらかす。兄ちゃんは画面をちらっと見て、薄く笑った。
「それ……知り合いか?」
「うん。バイト先の先輩。でもタイプじゃなかったから断ったけどね」
──本当は、タイプとか関係ない。
俺が好きなのは兄ちゃんだ。兄ちゃん以外なんて、みんな同じ顔にしか見えない。
こんな綺麗な顔が、物心ついた頃からずっとそばにあるんだ。そりゃ、末期の面食いにもなるって。
(俺って可哀想……)
なんて思っていたら、兄ちゃんがさらりと言った。
「まぁ知り合いならいいけど。SNSは成りすましも多いからな、気をつけろよ」
(心配するの、そこ?!)
俺は何も言い返せなかった。
本当は……ただ、他の人が俺に好意を見せたら、兄ちゃんがどんな顔するのか、ちょっと知りたかっただけ。
少しくらい心配してくれるかも。もしかしたら、ちょっとだけ嫉妬してくれるかも……って。
(『別にいい』んだ……)
まるで興味がないみたいなその反応に、胸の奥がチクッと痛んだ。
「で? そいつは、ちゃんと諦めたのか?」
「……ちゃんとって?」
「告白断ったせいで、嫌がらせされたり、付きまとわれたりしてないか? 後々トラブルになるって話、よくあるだろ」
兄ちゃんの問いかけに、ぼんやりしたまま答えた。
「うん、大丈夫。あの人、いい人だから。俺がΩだって知ってからは、店でもいろいろ気を遣ってくれるし……」
「……何?」
あ、やば。
急に兄ちゃんの顔が険しくなって、俺はその姿勢のまま固まった。
「何でそいつが、暁人がΩだって知ってるんだ?」
「……えっとぉ……」
「暁人」
兄ちゃんは滅多に声を荒げない。でも、あの整いすぎた顔から表情が消えると、本気で怖い。有無を言わせない迫力で見下ろされると、俺はいつも洗いざらい打ち明けてしまう。
「……いや、別に俺が話したわけじゃないんだよ? ただ……」
「ただ?」
「……初めてヒートっぽくなったのが、その……バイト先にいる時でぇ……バレちゃった、っていうかぁ……」
「……ヒート、来てたのか」
ぐっと兄ちゃんの眉間に皺が寄る。
「いつ頃の話だ? 何で俺に言わなかった」
「だって……」
「だってじゃないだろう」
低い声でたしなめられて、小さく縮こまった。
「ごめんなさい……。でも、もう半年以上も前の話だし。それに、ヒートっていってもすごく軽くて、聞いてた話と全然違ってたから。多分、大丈夫かなー……って」
「大丈夫? 何が大丈夫なんだ?」
「……このまま、兄ちゃんと会ってても……」
じっと見つめてくる視線に耐えられなくて、俺は目を逸らした。
「俺……普通のΩと違って、出るフェロモンの量がすごく少ないみたいなんだ、だから……」
下を向いたまま、ぽつりぽつりと言った。
「このまま兄ちゃんのそばにいても、迷惑かけることはないと思う。だから、わざわざ言わなくても大丈夫かな、って」
ため息が聞こえて、肩がぴくりと震えた。
「……またその話か」
呆れたような、でもどこか寂しそうな声だった。
「いいか、暁人。俺はお前を無理矢理どうこうしようなんて、思ったことはない。お前が嫌がるようなことは絶対にしない。この先、何があっても。それだけは断言できる」
「わかってる……」
「それに、お前はまだ子どもだ。子ども相手に発情するほど、俺は見境のない人間じゃないぞ」
「……わかってるってば……」
「暁人にヒートがきたことを知らないままだと、もしもの時に対処できないかもしれないだろ? だから──おい、ペンを噛むな」
気づけば、無意識にシャープペンの端に歯を立てていた。叱られているうちに、昔の癖が出てしまったらしい。
「わかってるよ……」
兄ちゃんが、俺なんかにその気にならないことくらい、わかってる。でも、改めてはっきり言われると、やっぱり胸の奥が痛んだ。
「俺……帰る」
そう言って、テーブルの上のノートと参考書を手早くまとめる。
「暁人」
「じゃあ……またね、兄ちゃん」
「暁──」
兄ちゃんがまだ何か言いかけたけれど、俺はその言葉を聞く前に、ドアを閉めた。
間宮家からうちのマンションまでは、ほんの数百メートル。俺はその距離を滅茶苦茶に走り抜けた。
悲しさと悔しさと恥ずかしさと、全部の気分が混じり合って、頭の中はぐちゃぐちゃだった。
【後編に続く】
実はこれ書くためだけにインスタ始めました。




