マイナスとマイナス①
この度は数ある企業の中から弊社にご応募いただき、誠にありがとうございました。
現場メンバー含め、社内にて慎重に選考させていただきました結果、誠に残念ではございますが、今回は|新田 友也様の採用を見合わせていただくことになりました。
ご希望に添えず恐縮ですが、何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。
新田 友也、23歳。
今まで何度も見てきた文章。
それも、うんざりするぐらい。
ポートフォリオは出来てる。
履歴書も、自己PRも問題無い。
就活クソ過ぎて辛い。
総合職はまだ、楽だった。
口さえ達者なら、割とすんなり二次面接までは行ける。
だが、デザイナー職は違う。
ポートフォリオという作品集、実力見られた上で落とされる。
メンタルの削れ具合は、総合職のそれ以上である。
「あぁ……もう、ホント辞めたい」
デザイナーとしてのセンスとかは持ち合わせていない。
ゼロから磨くしか無かった。
高校卒業し、大学にも行った。
だが、大学は福祉大学しか行かせて貰えなかった。
父親がそこしか行かせなかった理由は、卒業前に知ったが、自分に祖父母の面倒を見させるためだった。
どこまでも、良い息子を演じる為とはいえ、自分の子の人生まで使うとはまともな人間じゃない。
大学時代も内定は複数あったが、父親が勝手に辞退のメールを会社に送っていた。
既に受理されてしまっており、就職先が無くなった。
親が言うには、大手上場企業以外認めないとのことだった。
毒親も大概にしろ。
そろそろ殺されても文句は言えないところまで来ている事を実感しろ。
何だったら、今殺してやる。
「はぁ……現実は甘くは無いか」
こうなると、悪いことしか出てこない。
また、嫌な事を思い出す。
それは、担任教員に言われたことだ。
担任教員に書いていた履歴書を見られ、
『なんで料理が趣味なのにそっちの学校に行かなかったんだ』
と言われた。
それは自分にとっては、実力無いんだから別の所に行ってくれと解釈できた。
正直、折れそうだった。
どうにもならない現実を前にただ、作品を作って足掻き続けた。