「ハッピーシングル現金返礼事件」
「でさ、俺もう通算十何回ご祝儀出してるわけ。軽く車検通るレベルよ」
金曜の夜。居酒屋で俺は焼き鳥を片手に愚痴っていた。隣には大学の同期、山田。焼酎のロックをちびちび飲みながら相槌を打ってくれる、数少ない聞き役だ。
「いや、もちろん祝う気持ちはあるよ?でもさ、最近は結婚式に呼ばれるたびに財布がスースーするんだよ。マジで俺の銀行口座、穴でも開いてんのかな?」
「うんうん、それはまあ……」
山田は苦笑しながら、何か言いたげな顔をしている。たぶん彼は、もう三年前に結婚した。俺もご祝儀を包んだ。もちろん3万円。あれから彼の家に遊びに行ったことはない。年賀状もLINEスタンプで済ませている。そういう関係だ。
「それでさ、なんか見返りってないの?こっちはずっとシングルで、結婚式に呼ばれてはスーツ着て、駅のロッカーにでかい包み預けて、笑顔で『おめでとう』って言ってんのよ。もうね、自分が披露宴芸人なんじゃないかと思ってる」
俺がそう言うと、山田はコクリと頷いた。目がまっすぐで、やけに真剣だ。
「……実はさ」
「ん?」
「お前に返礼したいなって、前から思ってたんだよ」
「返礼?」
「うん。だってお前、俺だけじゃなくて、うちの嫁の友達の式にも付き合ってくれたじゃん。二次会のビンゴでDVDプレイヤー当てて、その場で新婦の甥っ子にあげてたろ?」
「え、あれ覚えてたの?」
「当たり前だよ。あれ見て俺、心が痛んだんだよ。俺だけ幸せになって、お前がその場で“ニコニコ要員”やってんの、なんか申し訳なくて」
「いや、ニコニコ要員て」
そのとき、山田がカバンをごそごそと探り始めた。こういう場で何か出してくる奴って、大体ヤバい。突然プレゼントを渡されたり、保険の勧誘が始まったりする。俺は身構えた。
そして、出てきたのは……ぽち袋。
「……なんすか、これ」
「開けてみて」
おそるおそる開けてみると、中には1万円札が一枚。そして袋の裏に、筆ペンで大きく書かれていた。
『ハッピーシングル御祝』
「……は?」
「いや、だから。俺が勝手に決めた“ハッピーシングル制度”なんだよ。既婚者側が、ずっとシングルでいてくれる友人に感謝を込めてお返しする制度。俺のオリジナル」
「制度にすんな」
「お前さ、今までいろんな式に行って、祝って、笑って、ちゃんと包んでくれて、文句も言わずにいてくれたろ?だから、これはその感謝。俺たち既婚者の代表として、心からの……返金だ」
「返金て言うな!」
思わずツッコミを入れたが、彼の表情は真剣そのものだった。
「……まじでこれ、俺にくれるの?」
「もちろん。来月もらったボーナスから“ハッピーシングル積立”始めようと思ってる。他の独身の友達にも少しずつ返していく予定」
「なんか……やべぇな、お前」
だが、俺はなんだかんだでそのぽち袋を受け取った。ふと、じんわりと嬉しくなったのは事実だ。冗談っぽいけど、本気の気持ちがこもってる。人から「ありがとう」と言われること自体、意外と少ない。現金というダイレクトな形でくるのも、悪くない。
その夜、ぽち袋を財布にしまいながら、俺は思った。
――これ、流行んねぇかな、「ハッピーシングル返礼」制度。
そして数日後。
職場の同期、渡辺からメッセージが届いた。
「山田から聞いたよ!ハッピーシングル制度、めっちゃいいね!俺もやる!」
……拡散、早っ。
その後、俺の机の上には、謎のぽち袋がぽつぽつ届くようになった。
宛名は「祝・独身生活満喫中」「愛すべきおひとりさま」「次は君の番!(でも無理しないで)」など。
世界は、俺のことを見ていた。
そして、現金で評価していた。
嬉しいような、切ないような、複雑な日々が始まった。