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そんなことがありつつも、年一回のお茶会で、候補はドンドンと絞られていく。

そんななか十五になったクレメンスが王立フェアリシエル学園の高等部に進学することになった。

初等部、中等部は自宅から通うのだが、高等部は違う。

自主性を高めるために寮に入るのだ。

まだ高等部には入れないリーゼロッテは、長いこと一緒にいた幼馴染がいなくなるということに、内心つまらなく思っていたが顔には出さなかった。

わざわざ入寮する日にウォルウィッシュ家まで見送りに行く程度には、名残惜しかった。

屋敷の前にはウォルウィッシュ家の馬車とクレメンス一人だけだ。

荷物は送ってしまったからだろう身軽な姿で、見送りに来たリーゼロッテにうっすらはにかんで見せる。


「見送りに来てくれたんだね」

「まあね。それより誰もいないの?」


 侯爵家の嫡男の旅立ちだというのに、家族はおろか使用人さえいない。


「気楽なものだよ」


 ぱちりと瞬きしたあとにはいつものぼんやりした無表情になり、クレメンスは肩をすくめる。


「えぇー……ないわ」

「リジーが来てくれただけでいいよ」

「ふうん。じゃあ、いってらっしゃい」


 ひらひらと手を振ると、リーゼロッテに背中を向けて馬車に乗ろうとしたクレメンスは肩越しに振り返った。


「リジー、僕の事忘れないでくれる?」


 何を言ってるんだこいつは。


「あーだいじょぶ、たいじょぶ」


 不審気に答えるが。


「前科があるからなあ」


 苦笑されてしまった。

 クレメンスは六歳の時のお茶会でリーゼロッテが彼に気付かなかったことを、今でも根に持っているようだ。

 まあ、たしかにあれは自分もどうかと思ったので仕方がない。


「いいから行きなさいよ」


 ぷくっと頬をふくらませてしっしっと手を振ると、今度こそクレメンスは笑いながら馬車に乗って行った。

 結論から言えば、リーゼロッテがクレメンスを忘れることはなかった。

 クレメンスは休暇のたびにリーゼロッテに会いに来たし、手紙やプレゼントも届く。

 忘れる暇などないというものだ。

 いつものクレメンスからの定期便についていたハンカチを仕舞い、読み終わった手紙を水色に白い猫が描かれたお気に入りの箱に入れて一息ついた。

 筆まめな方ではないけれど、短いながらにリーゼロッテはいつも返事を書いている。

 机の引き出しを開けてレターセットを取り出すかと思ったところで、はてと立ち止まった。

 毎回手紙と一緒にリボンやお菓子、花が一緒に届くなあと思い至ったところで、自分は手紙以外渡していないことに気付いたのだ。


「……なんかあげようかな」


 貰ってばかりもなんだと思い、そんなことを考える。

 クレメンスはおそらく気にしないだろうけれど、リーゼロッテのなかではタダより高いものはないという言葉が脳裏を駆け抜けたのだ。


「男のプレゼントって何送ればいいわけ?」


 はてと首を傾げる。

 多少髪が長めとはいえリボンなんかは無用の長物だし、お菓子はリーゼロッテの作ったものぐらいしか食べないと本人が言っていた。


「うーん……ハンカチ貰ったし、ハンカチ渡そうかな」


 そうと決まれば淑女のたしなみとして刺繍のひとつでもしてやろうと、無駄なやる気が沸いてきた。

 その日のうちに無地のハンカチを購入してきて、準備に取り掛かる。


「ミモザ好きだからミモザの刺繡しようかな」


 机に向かってミモザの柄の図を紙に何枚か書き出して、それっぽく見える図案を決めたら刺繡糸を選ぶ。

 長椅子にクッションを置いて腰を押し付けると、リーゼロッテはいざと針を手に取ったのだった。

 そんな日から二週間。

 これで完成というところで刺繡糸が絡まった。


「うぐぅ」


 またかともう何度目かわからない糸の絡まりを指先でほどいて、再び布に刺す。


「むぎぎぎ、いったー!」


 力任せに針を動かしていたら本日五度目の負傷を指に負った。

 この二週間ちまちまと進めている刺繡によってリーゼロッテの指先は穴だらけで小さな包帯を巻かれている。

 小さい頃から刺繡を一応してはいたけれど、何それ役に立つの?と真面目にしてこなかったツケが今完全に返ってきている。


「で、できた」


 ぜえはあと、およそ刺繍をしていたとは思えないほど消耗した声を出してリーゼロッテはハンカチを広げた。


「可愛いんじゃない?うん、うーん?か、わいい……か?」


 最初の感想は自信に溢れたものだったけれど、だんだんと疑問形になっていき。


「いや汚いわこれ」


 悲しい感想に落ちついた。


「えぇ……こんな頑張ったのに」


 そこには白い布の中で緑のミミズと黄色のダンゴムシが狂ったように踊っている絵にしか見えなかった。

 どう頑張ってもつる草とミモザなどと可憐なものではない。

 思わず眉がぐにゅうとなってしまう。

 トントントンと三回のノック。

 それがクレメンスのノックの癖だということにすぐに気づいたリーゼロッテは。


「ちょっとま」

「リジー入るよ」


 待てという前にクレメンスは扉を開けて入ってきた。

 濃い青のシャツにチャコールグレーの上着を着たクレメンスがさっさと長椅子の方へと歩いて来る。

 余談だがクレメンスはいつも学校の制服は着てこないので、いつも見慣れた私服姿だ。


「ちょっと返事待ちなさいよ!」

「ええ?」


 リーゼロッテがハンカチをクッションの下にくしゃくしゃと隠しながら怒鳴れば、クレメンスは今さらという顔で不思議そうに首を傾げた。


「リジー、今隠したのは何?」

「くっ目ざといわね」


 何でもないとぐいぐいとクッションの下に手の中のハンカチをいれようとしたけれど。


「あ!」

「ハンカチ?」


 クッションを取られてしまい、易々とハンカチは見つかってしまった。


「見ないでよ!」

「刺繡したの?リジーが?」


 クッションを長椅子の下に落としてリーゼロッテの手から取った布を広げると、クレメンスがマジマジとそのミモザもどきを見つめる。


「気まぐれよ」


 こんな出来だから、絶対に練習しないからだとか淑女のたしなみだよとか、小言が飛んで来るに違いないとリーゼロッテは身構えた。

 しかし現実は予想と違った。


「リジーが刺繡を完成させるなんて凄いじゃないか。花だよね?今までで一番上手く出来てるよ」


 手放しで褒められた。

 多分母親に見せてもこんなに褒めてはもらえないだろう。


「……ミモザよ」

「ミモザかあ、百合の時より上手になったね」


 何年前の話だと思うが、リーゼロッテが刺繡など年単位でしかしないので仕方がない。

 ちなみに百合を刺繡したのは十一歳の時。

 約一年前だったりする。


「でも本当珍しいね……もしかして誰かにあげるの?殿下とか」


 ハンカチを綺麗に折りたたんでリーゼロッテに返そうとしたクレメンスが、珍しくぎこちない。


「なんで殿下?」


 他の婚約者候補は何か贈っているのだろうかと焦ったけれど。


「……なんとなく。違うの?」


 そうではないらしいので胸を撫でおろす。

 変に焦らせないでくれと思いながら、もう見られたしいいかとリーゼロッテはハンカチを受け取らなかった。


「クレメンスのよ」

「え?」

「あげる」


 もうちょっと体裁の整ったものをあげたかったけれどと思っていると、クレメンスがハンカチとリーゼロッテを交互に見るので、幼馴染の反応にリーゼロッテはふてくされたように手を出した。


「いらないなら返してよ」

「や、やだ!」


 思いのほかキッパリと抵抗されてしまい。


「ならいいけど」


 ハンカチを返してもらおうとした手を引っ込めると、クレメンスは目に見えて機嫌よく笑った。


「嬉しいな。ありがとう」


 花が飛ばんばかりの笑顔は、普段のぼんやり無表情とのギャップが凄いなあと思ってしまう。

 綺麗な顔でそんなに嬉しそうに笑うのだから、プレゼントを贈ったかいがあるといものだ。

 たとえへなちょこな刺繍でも。


「手が傷だらけだ。頑張ったんだね」


 まるで小さな子共を褒めるような口調でクレメンスがリーゼロッテの指に巻いてある包帯を外していく。

 針をぶっ刺して血の滲んだ場所もあるリーゼロッテの小さな手を両手で包み込むと、クレメンスの手がぽうっと淡い光りに輝き傷を一瞬で治してしまった。


「ありがと」


 離された手の指先にまったく傷がないのをしげしげと見ながら。


「あいかわらず不思議」


 感心したように呟いた。


「にしても月に二回も来なくていいわよ。手紙が毎週届くんだから」


 隔週で姿を現す幼馴染は手紙とプレゼントも忘れない。

 マメな性格だなと思う。


「今日は渡すものがあったんだよ」

「渡すもの?」


 クエスチョンマークを浮かべると、お菓子じゃなくて悪いけどと言われてしまった。

 食べ物以外だと文句を言うとでも思っているのだろうかと遺憾に思う。


「はい」


 上着の内ポケットからクレメンスが出したのは、白い何の変哲もない便箋だった。

 普通のものよりも小さくて、封筒は無い。


「なにこれ」


 渡された便箋を表から見たり裏返したり透かしたりとしても、なんの変哲もない便箋だ。


「緊急用の便箋だよ。何かあったらそれに書いてね、最速で届くから」

「ふうん?」


 そんな緊急事態なんて早々ないのではないかと思いながらも、ありがたく受け取ることにした。

 あるに越したことはないだろう。


「ありがと」

「うん、僕こそありがとう。大事にするよ」


 虫の集合体にしか見えない刺繍の入ったハンカチにそんなことを言われ、リーゼロッテは微妙な気持ちになったのだった。


「そういえば今年もバラ祭り行くわよね!」


 もうすぐある大きな祭りを思い出して、確認のためにリーゼロッテは机の引き出しに便箋を直して、長椅子に腰かけなおした。


「リジーが一緒に行くならね」

「行くわよ、当たり前じゃない。毎年楽しみにしてるんだから、あのお祭り」


 部屋の隅のティーセットに向かったクレメンスがおかしそうに笑う。

 カチャリとお茶を入れてテーブルにカップを二人分置くと、長椅子に座る。

 リーゼロッテは当たり前のようにカップを持ち上げると、喉が渇いていたのでぐびーっと一気に飲んでしまった。


「リジー、行儀が悪いよ」

「喉乾いてたんだもん」


 ぺろりと淑女らしくないしぐさで唇の端の水滴を舐める。

 軽い溜息を吐くクレメンスだ。


「じゃあその日はまた迎えに来るから」


 毎年恒例になっている言葉にこくりと頷くと、クレメンスはお茶を一杯飲んで学園に戻って行った。

 そしてはたと気づく。


「あいつ友達とか約束しなかったのかしら」


 毎年の疑問が浮かび上がる。

 しかしリーゼロッテの誘いに乗るという事は暇なのだろうと結論づけた。


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