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その日自室の長椅子にだらけて座りながら、ちっとも進まない歴史書をリーゼロッテは読んでいた。
最初はちゃんと机に向かっていたのだが、いい加減疲れてきたのだ。
トントンと扉が叩かれ、返事をする前に扉が開く。
「はしたないよリジー」
「なんだクレメンスか」
ノックの音に慌てて居ずまいを正そうとしたリーゼロッテは、再びだらりと長椅子に背中を預ける。
この男と出会って半年。
クレメンスはリーゼロッテをリジーと呼ぶようになり、リーゼロッテも猫を被らない唯一の友人となった。
「僕じゃなかったら叱られてたよ」
ただし若干口うるさいが。
「淑女の部屋に返事も待たずに入るのはクレメンスくらいよ」
「だってリジーは昼寝をして気づいてくれない事が多いじゃないか」
それを言われると立つ瀬がない。
クレメンスが来たら構わず自室に通していいと言っている手前、リーゼロッテ自身が出迎えないと廊下で待ちぼうけになるのだ。
テーブルに乗った小皿の上のチョコレートを一粒つまんで、ポイと口の中へ投げ入れる。
「行儀が悪いよ」
「いいじゃんお母様もいないし、まして王子様が見てるわけでもなし」
「何で殿下?」
「べっつにー」
部屋の隅に、いつクレメンスが来てもいいように予備で置かれているティーセットを自分で手に取ると、彼はいつものようにリーゼロッテの向かいの長椅子に腰を下ろした。
お茶は冷めていても全属性を持っているクレメンスにかかれば、一瞬で温めることが簡単だ。
そしてあいかわらず傍にメイドがいることも、何かをしてもらうのも苦手なリーゼロッテはお茶も全部自分で管理していた。
淑女として振舞うようにとは躾けられているけれど、基本大らかな両親なので家の中では好きにさせてくれる。
ありがたいことだ。
チラリと長椅子に座る友人を見やる。
侯爵子息のせいなのかクレメンスの資質なのか、この幼馴染の所作は優雅だ。
自らティーポットからお茶を注ぎ、ついでに空になっているリーゼロッテのカップにも注いでくれる。
甲斐甲斐しい男だと思う。
「でもちょうどいい所に来たわね。今日のおやつは特別なクッキーなのよ」
「特別?」
こてんとクレメンスが首を傾げると、サラリと長めの前髪が流れた。
「今日は私が作るから」
エヘンと胸を張る。
実は前世でやってみたかったけれど出来なかったことがある。
それがお菓子作りだった。
甘いものが好きだったけど買う余裕はなくて、まして作ってみるだなんて時間も材料費も調理器具だってない状態だから無理だった。
何度も母親にお願いして、やっと許可を取り付けたのだ。
こういった時はゆるい我が家の事をラッキーだと思う。
しかしウキウキしたリーゼロッテの態度に反してクレメンスは、目を丸くした。
「なに言ってるんだリジー、台所に立つなんて危ないじゃないか。火傷や指を切ったりしたらどうするんだ」
思わず脳裏をよぎった。
あんたは私の母親か。
実の母だって淑女がむやみに立ち入る場所ではないと言う理由で反対したのであって、そんな止め方はされなかった。
「大丈夫よ、そこまでまぬけじゃないわ。それに作り方もバッチリ覚えたし!」
ふんすと鼻息荒く言えば。
「まさかリジー、一人で作るの?」
思わずといった風に指を差されたので。
「当たり前じゃない。料理人がいたら仕事を取られるわ」
胸を張って答えた。
その言葉に真顔になったクレメンスは、数秒沈黙したあと。
「じゃあ僕も手伝う」
キッパリハッキリそう言った。
「ええー」
思わず出る不平不満だ。
「何か問題あるの?」
「……ないけど、クレメンスって料理したことないでしょ」
「リジーもないだろ。とても一人にさせられないよ」
過保護か。
結局クレメンスに押し切られ、リーゼロッテは淡いピンク色のドレスの上からエプロンをつけて、普段は片側でフィッシュボーンにしている髪をお団子にして台所に立っていた。
隣には上着を脱いでシャツにエプロンをつけたクレメンスだ。
ちなみにクレメンスは台所に来る前に、リーゼロッテの読んだクッキーのレシピを一読して覚えてしまった。
そうして始めたクッキー作りはドタバタだった。
おおざっぱなリーゼロッテの代わりに材料を計量したのも、腕が疲れるだろうからと混ぜるのも、クレメンスがやってしまった。
「ちょっと!邪魔しないでよ、全部クレメンスがやってるじゃない」
「リジーは卵割っただろ」
「失敗した卵の殻を取ったのもあんただし、私することないじゃない!」
あまりにも仕事を取られるので憤れば、ああほら小麦粉がついてると頬を拭われてしまった。
ふくれながらボウルの中の生地を味見とばかりに指を突っ込んで舐めると。
「こら、お腹壊すよ」
「ちょっとくらい平気だし。あんたは私の母親か」
「リジーが大雑把すぎるんだよ」
一利ある。
多分、優雅さで言えば圧倒的にクレメンスの方が上だろう。
クッキーの型抜きはこれを待ってましたとばかりに飛びつくと、クレメンスはくすりと笑って手を出さなかった。
一番楽しいところを独り占めにするのはどうかと思ったが、本人がリジーの一番やりたかった事だろと言ったので、遠慮なく型を抜きまくってやった。
そして使い込まれたオーブンにクッキーを並べた天板を入れて、待っているあいだにお茶しようと言われたが。
「ちゃんと焼けるか見てるからクレメンスはお茶してていいわよ」
じっとオーブンの扉をキラキラした目で見ているリーゼロッテに、クレメンスは苦笑すると。
「僕も気になるから見てるよ」
結局並んでクッキーが焼けるのをじっと待っていた。
そして甘やかな匂いがして焼き上がったクッキーの天板をクレメンスが取り出しテーブルの上に置く。
「綺麗に焼けたね」
星型やハート型のクッキーが綺麗なキツネ色になっている。
「成功よ!完璧だわ」
言うなりリーゼロッテは熱々のクッキーをアチアチと指先でつまむと、口に放り投げた。
「あっふ!」
ジュッと熱さを感じる甘さにハフハフと息を吐きながら咀嚼する。
熱い熱いと言っていると、クレメンスが慌てて水を入れたコップを差し出した。
「いきなり食べるからだよ。ほら水飲んで、まったく目が離せないな、リジーは」
差し出された水を一気飲みすると。
「美味しい!でも舌痛い!火傷した」
言いながら、ベッと舌を出してクレメンスに顔をズイと近づけると。
「お、お茶の準備してくるよ!」
何故か頬をうっすら赤くして、クレメンスは慌てたように台所を出ていった。
それに不思議そうに小首を傾げながらも、もうひとつとクッキーをつまむ。
結局、クレメンスが戻ってくるまでに半分も食べてしまい。
「意地汚いよリジー、お腹壊すだろ」
口うるさく注意された。
そうして半年が過ぎ、リーゼロッテは六歳になった。