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「リーゼロッテ・レイーネです。お見知りおきください」
ピンクのリボンで胸まで伸びた髪を片側でフィッシュボーンに編み、若草色の爽やかなドレス姿でリーゼロッテは淑女の礼をとった。
その先には、テーブルについている同い年の少女。
「ユリーア・ウォルウィッシュです。どうぞよろしく」
静かに挨拶を返した少女は、サラサラとリーゼロッテの憧れのまっすぐなクセのない金髪に、青い目のお人形のような少女だった。
白い肌はミルクのようで、そばかすのあるリーゼロッテとは全然違う。
まつ毛も長く、着ている水色に白い刺繍の入ったドレスがよく似合っていた。
正直リーゼロッテのコンプレックスを刺激しまくりだ。
そしてそれ以上に気になったのが。
「レイーネ伯爵家のお嬢さんね。なんだか、まあ……」
くすりと口元に開いた扇子を当てて笑みを隠す妙齢の女性。
ユリーアとはまったく真逆の紫がかった黒髪に、アメジスト色の瞳。
赤いドレスは流行最先端の上等なもので、指や耳を飾る大ぶりな宝石は圧巻だ。
態度と視線に、この夫人が完全に自分を見下していることがわかることに、リーゼロッテは不機嫌を笑顔で隠した。
「はじめましてウォルウィッシュ夫人」
ユリーアの母である、ウォルウィッシュ侯爵夫人はなかなか贅沢好きの女性なのだろうと一目でわかった。
室内も調度品は宝石がはめ込まれていたり、テーブルクロスひとつとっても細かな刺繍が入ったレース付きのもので、なかなかの値段の物だろうと推測できた。
「殿下の婚約者候補のお嬢さんだと聞いて、どんな方かと思っていたのだけれど……」
もう一度値踏みするように、リーゼロッテを上から下まで眺めると。
「個性的な方なのね」
どういう意味だ。
外見が自信の持てるものでないことはわかってはいるが、真正面から言われればカチンとくるのが人のサガだ。
しかしここで負けてはいけない。
リーゼロッテは、嫌みを流すようににこにこと笑みを浮かべていた。
その反応に、一瞬ウォルウィッシュ夫人が鼻白んだことに心の中で舌を出す。
「座ってちょうだい」
ウォルウィッシュ夫人に促されて席につくと、部屋の隅に控えていた数人のメイドがテキパキとお茶の準備をしていく。
やはりここでも贅を凝らしたティーセットや、巷で流行のお菓子などが並べられていく。
お菓子を見て思わず美味しそうと思ってしまうリーゼロッテだが、敵の前で粗相は出来ないので残念だが淑女らしく控えめにお茶を楽しんだ。
そのあいだ、ユリーアになにか質問しても母親が代わりに応えるばかり。
ユリーアが口を開いても、ええ、とかはい、ばかりだ。
内心肩をすくめてしまう。
(この子見た目だけじゃなく中身もお人形みたい)
まあ、こんな我の強い母親が傍にいるのでは仕方ないかと、ティーカップを置く。
「失礼します、お手洗いに行きたいのですけれど」
愛想笑いも疲れたので、一時避難しようと口を開けばウォルウィッシュ夫人に目線で促されたメイドがススッと近寄って来た。
それに椅子を引かれるままに立ち上がり、ついて行く。
中庭に面した回廊を先導するメイドの後ろを歩いていると、前方から金髪で年配の男が歩いてきた。
三十代に見える年齢と落ち付いている上質な服装からしてこの家の当主であるウォルウィッシュ侯爵だろう。
向こうもリーゼロッテに気付いたので、立ち止まって淑女の礼をとる。
「ああ、客が来ていると聞いたが」
「リーゼロッテ・レイーネです。お見知りおきを」
顔を上げて、そこでおやと思った。
金髪のウォルウィッシュ侯爵は髪こそ娘のユリーアと同じだったが、顔がまったく似ていない。
目元だとか口元だとかのパーツの面影がまったくないのだ。
それに。
(目の色、違くない?)
ウォルウィッシュ侯爵も夫人もアメジスト色の瞳だ。
ユリーアは青い目だった。
(隔世遺伝ってやつかな)
一人納得していると、急にゴウッと強い風が吹いた。
中庭の方からだ。
何だと思ってそちらを見ると、一人の少年が開いた本を片手に、つむじ風を手のひらに起こしていた。
魔法だ。
少年は後ろ姿で顔が見えないが、間違いなく彼の魔法だろう。
(すごい!ファンタジーって感じ)
ほえーと間抜け面を晒していると、横にいたメイドは青ざめた顔で少年を見ている。
何だ?と思っていると、ウォルウィッシュ侯爵がツカツカと中庭の少年の方へと歩いて行った。
そして、気づいた少年が振り返る。
八歳くらいだろうか。
風になびく長めの紫がかった黒髪の下で、アメジスト色の瞳が驚きに丸くなっている。
(あ、こっちは同じ目の色なんだ。てことは息子かな?ユリーア嬢とは兄妹かしら)
少年は近づいてきたウォルウィッシュ侯爵に、向き直ると。
「父上」
どこか嬉しそうな声音で呼びかけた。
顔はぼんやりした無表情で声に比べて表情が乏しい。
あの妹にしてこの兄ありというところだろうか。
なんてことを頭によぎらせていると。
「もうこんな大きな魔法が使えるのか……」
ウォルウィッシュ侯爵が呻くように声をしぼり出した。
その声音は、とても息子を褒めているものではない。
「自分の方が強い力があると、この私より優秀なのだと言いたいのか!」
突然の罵声に、中庭の木々に止まっていた鳥たちがバサバサと秋晴れの空に羽ばたいていく。
びくりと一瞬リーゼロッテの体がすくんだ。
前世で散々罵声を浴びたせいか、今生でははじめて聞いた男の怒鳴り声に体が固まってしまった。
けれどすぐに、落ち着けと深く息を吐く。
自分が怒鳴られたわけじゃない。
そして内心ウォルウィッシュ侯爵に眉をしかめた。
どんな理由があろうと、相手を罵倒する人間にまともな奴はいないというのがリーゼロッテの見解だ。
「父上、そんなことは……」
少年が一歩踏み出すと、ウォルウィッシュ侯爵がそれを拒絶するようにドンと小さな体を突き飛ばした。
ドサリと尻餅をついた少年の右手をザシュリと切りつけ、風が収まる。
それを苦々しげに見下ろすと、ウォルウィッシュ侯爵はさっさと中庭を出て回廊の向こうへと消えてしまった。
(すごい修羅場を見てしまった……)
あっけにとられている間に物事は終わってしまった。
横を見るとメイドが青い顔をしたまま、リーゼロッテを先に促そうとする。
中庭にもう一度目をやれば、少年が尻餅をついたままぽつんと残されている。
そして右手は血まみれ。
大変に面倒くさいシチュエーションだ。
(まあ、恩を売っとくのもいいか)
ひとつ嘆息すると、メイドが止めるのを無視して中庭の少年の所へと向かった。
目の前に立つと、少年が顔を上げる。
無表情にぼんやりと見上げる少年は、リーゼロッテを見ると目を瞬いた。
「ほら手を出す」
ポケットからハンカチを取り出して、ん、と手を出すよう催促する。
ちなみにリーゼロッテにとって侯爵家の子息とは結婚相手としては王子の次に魅力的だが、すでに王子殿下に狙いを定めているので、淑女として取り繕う気はなかった。
パチパチと瞬きをする少年がまったく手を出さないので、焦れたリーゼロッテは無理矢理にその血濡れた右手を掴んで引き寄せた。
ハンカチで傷口の周りの血を優しく拭っていると。
「……怖くないの」
ぽつりと零された。
「怪我の事?まあ確かにグロいけど」
血に関しては、リーゼロッテは前世で死ぬときに大量に見たせいか怖いとか、動揺とかは特にない。
怒鳴り声の方がよっぽど怖い。
しかし怪我の事ではなかったらしく。
「僕の事」
「へ?」
何言ってんだこいつ、という顔をしてしまったせいだろう。
少年は目を丸くしたあと、目線を回廊の方へと向けた。
それを追いかけて見ると、そこには目が合ったとたんビクリと体を震わせたメイドがいる。
「怖がられてるの?」
「……僕の魔力が強すぎるんだ」
今度はリーゼロッテが目を丸くする。
「強いことの何が駄目なのよ。羨ましいわ」
「羨ましいの?」
「特技はいくつあってもいいのよ。自分の力になるんだから、幸せへの近道になるわ」
キョトンと少年がアメジスト色の瞳をリーゼロッテに向ける。
太陽光が反射してチカリと瞳が光を弾いた。
「特技……なんて言われたの初めてだ」
「特技でしょ。私は何もないもの、模索中よ」
ピンク色のハンカチが赤くなっていく。
ある程度血を拭きとると、ハンカチで傷口を包んで結んだ。
「じゃあ、早く治しなさいね」
魔法には治癒魔法というものもあったはずだ。
そう言って少年に背中を向けて中庭を出ようとすると。
「待って、君は?」
怪我をしていない方の手で右手を取られた。
「リーゼロッテ・レイーネよ。今日はお茶に誘われて来たの」
「そう」
名前を告げると、手を離されたので何だ?と思いながらも、今度こそリーゼロッテはトイレトイレと中庭を後にした。