未知の開花
去年書いた短編です。
高校の時、大阪で行われた全国から集められたモネの展覧会にいった。私は、その中の一枚の絵に心を奪われた。その絵は、美しい女性を描いていた。正確には、女性の表情は、帽子の影になっていて、正確に美しい女性であるかは断言できないかもしれない。
しかし、私は蒼穹見下ろす川岸で、洗い立てのシーツのようなワンピースに身を包む、百合のような傘を持った女性を見て、心を鷲掴みにされたような感覚に呆然と立ち尽くしていた。
「学生さん?」
学生服を着たままだった私に、いつの間にか隣に来ていた60代くらいの貴婦人は柔らかく微笑んだ。ゼブラ柄のマフラーと、白いファーの帽子がよく似合う鮮やかな柿色のコートの女性は、お年寄りというより貴婦人という言葉が似合った。
「はい、私は高校の美術部で絵を描いてまして、いつか他人の心を奪うような、この絵のような絵が描けるようなそんな画家になりたいんです」
「モネの【日傘をさす女】が、そんなに気に入ったの?」
「はい、本当に、心を奪う絵というのは、こういうものなんだと思います」
高揚した様子で答えた私に対し、貴婦人は落ち着いた様子だった。
「そうですか、ではこの絵に値段がついていたら買いますか?」
「勿論!」
「この絵が贋作だとしても?」
私は、面白い質問をする貴婦人だと思った。貴婦人は、私の目をじっと見ながら質問の答えを待っている。
「贋作だったら、買いませんよ。流石に。本物だからこその美しさでしょう、この絵は」
大人のように自信たっぷりに答える私に、予想外にも貴婦人は悲し気に俯いた。
「そう……贋作より、本物を見た方が絵の勉強になりますよ」
その言葉に、私の全身から汗が噴き出した。思わず口から、「は」という息か声だか、わからないような間抜けな声が出て、その女性は、そんな私を無視して他の絵へと歩き出していた。そして、極めつけにはゆっくりと厭味ったらしく振り返った。
「画家になりたいなら、“本物”と“偽物”の区別くらいつくようになりなさいね」
私はその言葉に、空気の抜けたかかしのように立ち尽くしていた。
追い打ちをかけるように、次の日、モネの展覧会で贋作が見つかったというニュースが流れた。私はそのニュースを見た時、耳が死んだように周りの音を拾わなくなった。熱いコーヒーを膝にこぼして、やっとのことで現実に帰ってきた私は、そこで初めて、母親が「コーヒーこぼすよ」とずっと声をかけてくれていたことに気が付いたのだった。
*
それから月日は流れ、美術の大好きな美術部学生から、美大生へ、そして今は38歳で、絵を描きながら小学生たちに美術を教える美術講師をしている。
「先生」と慕ってくれる子供たちを見ていると、私はとても温かい気持ちになる。と、同時に喉に太い骨が刺さったような背中を蟻のような冷や汗が這うことがある。
当然、私が高校生の時にモネの展覧会で出会ったあの老婆である。あの目、あの私を小ばかにしたような眼を、私を最初から嘲笑っていたあの顔を、私は決して忘れていない。
あれから絵をやめなかったのも、美術講師になったのも、あの私を馬鹿にした老婆に自分の絵を見せつけてやるためだったのだ。
腐らなかったお陰で、私の展覧会のお客さんも年々増え、現在は展覧会の回数も増えてきた。
しかし、幾度か県を跨いで展覧会を開いても老婆には会っていない。
それなのに、またあの老婆が自分の目の前に現れる気がしてならないのは、絵を辞めたいと思うたびに、幻影で嫌味を言いに現れる老婆に目の前で一泡吹かせてやりたいとか、老婆に直接会えば、もう二度と“あの老婆”に会うことはないんじゃないかという嫌な期待感を抱いているからだった。
私は、モネ同様高校の時に出会った運命的な絵の影響で花の絵を沢山描くようになって、その作品をギャラリーで展覧会という形で発表していた。講師が休みの日は、できるだけ自分の展覧会へと足を運ぶようにしている。展覧会に足を運んでくれるお客さんに、精一杯の感謝を伝え回るためだ。その甲斐あってかリピーターも増えてきた。
「こんにちは」
私の自信作の絵の前で、じっと絵を見つめているご老人がいた為、私はいつものように声をかけた。そう、いつものように。
「あら、こんにちは」
だが、私を振り返ったその女性を見て、私の今日という日は一瞬にして“ただの一日”ではなくなった。
「が……画家の、麻原一郎です。この絵の作者です」
私は、努めていつものように自己紹介をした。喉がからからになり、身体が死んだように冷たくなってくる。その女性は、よく見たら、あの時と同じゼブラ柄のマフラーを巻いていた。紺色のコートに、帽子は被っていない。なんだか前より雰囲気が柔らかくなっていて、“あの時の老婆”ということに、私は気づかなかったのだ。
「これは、素敵な絵ですね」
「え……?」
女性は、前より格段に更けているが、少女のように優しい目をしていた。もつれていた糸が走馬灯のようにほぐれていく。私は、息ができなくなるくらいに苦しくなって胸を押さえた。
「大丈夫ですか?」
「だい、丈夫です」
「そうですか……私も、絵を描いているんですよ、昔は絵の講師をしていまして」
「え、わ、私も講師をしています、この近くで、美術講師を、子供たちに絵を教えています
心はほぐれていても、頭はこんがらがった糸のようになっていて、私の言葉はぷつんぷつんと途切れながら、私の喉をやっとのことで通っていった。
「そう、そうですか、あなたのような素敵な絵を描く人が教えているなら、さぞ子供たちも嬉しいでしょうね」
前とは別人のような女性に、私はなんだか拍子抜けしてしまった。
「昔は、私もここでよくギャラリーをしたものです」
女性は、昔を懐かしむように目を細めた。私は中学の頃から美術館や展覧会巡りが趣味だった。しかもここは実家からも近い。
「失礼ですが、展覧会をしていた時のお名前を伺っても?」
もしかしたら知っている名前かもしれない、なんて軽い気持ちで問いかけた。
「桜雪子と、本名が春子なのですが、冬が好きなので」
知っているどころではない。私は飛び上がりそうになって、女性をまじまじと見つめた。
「桜雪子さん!?大ファンですよ、独特なタッチと技法で描かれる、桜先生最後の大傑作、【未知の開花】を見に何度ギャラリーに足を運んだことか!」
思わず声を荒げてしまい、閉店前で他にお客さんがいなかったことにほっとする。
「ふふ、ありがとうね、こんな若い人が私の絵を知っていてくれただなんて嬉しいわ」
あの時私に声をかけた老婆は、酷く冷たい目をしているように感じた。しかし、それさえも私は、自分の憧れている先生とあの日に隣になり、話をしたという事実に震えていた。しかも、私が花の絵を描くようになったきっかけが桜雪子先生の未知の開花という花の絵だったのだ。
「凄く、驚きました。お会いできて、嬉しいです。まさか私の絵を褒めていただけるなんて……」
感極まるばかりである。その場で小躍りしてしまいそうな程、私の体は軽くなっていた。
「あら、では今度私の家に絵を見に来ませんか?良い絵を沢山飾っているのです、ちょっとしたギャラリーのようになっていましてね」
そういって桜先生は上品に笑い、私の腕を弱弱しい骨ばった手で掴んだ。突然の誘いに面くらったが、色々な絵は見てみたいし、何より大好きな桜先生のおうちにお伺いできるチャンスなんて二度とないだろう。
「私、アナログな人間なので、携帯電話がないんです。お恥ずかしい話ですがもう今月80を迎えたおばあちゃんなのでね、連絡が取れないので、よろしければ、この近くに家があるので、お時間あればおうちにいらっしゃらない?」
「よ、よろしいんですか?」
「ええ、勿論、あなたがよければ、あ、そうそう帰る前に絵を買わせてくださいますか?」
「え、そんな、桜先生が私の絵を!?」
「ええ、こんな素敵な絵、買わないと損です」
桜先生は、ギャラリーのお土産コーナーで、1万5千8百円の私の絵に、札束でぱんぱんになっている財布から、3万円を、“私”に差し出した。
「あ、絵を買うときはレジで、あちらのレジでお願いします」
私はその姿に感動さえ覚えていた。あの出来事から、ずっと憎んでいたあの女性に絵で見返してやりたい、認めさせてやりたいという気持ちはずっとあったからだ。
レジで私の絵を買っている桜先生の後ろ姿を見ながら、こんなことになると思わなかったと、私は拳を握りしめていた。あんなに憎かった女性が、憧れの作家だったというだけで、私は“あの時出会った女性”に今は感謝さえしている。レジでお会計が手間取っている様子だったので心配だったが、すぐに財布にたどたどしくお金を仕舞いながら、桜先生はぱたぱた戻ってきた。
「お待たせしました」
「いえいえ、よろしくお願いします」
「ええ、行きましょう」
桜先生はギャラリーから出ると、「少し待っていてください」と、近くにある公衆電話のところに歩いていった。公衆電話で何か話をしている先生は、すぐに電話を切って、私の方へ歩いてきた。
「タクシーを呼びましたので、ここで少し待ちましょう」
「え!?」
「えっと、どのあたりまでタクシーで?この近くでは?」
近いというから、歩いて行ける距離かとばかり思っていた。しかし、まさかタクシーとは、私もギャラリーから歩いて行けるところに家がある為、桜先生も近いところに住んでいるのだろうか、などと考えていたが、近くというのは車で向かえばということだったのかもしれない。
「いえいえ、ここから歩いて10分程度のところですよ、でも息子がこの年だから危ないからって、少し出歩くだけでもタクシーを使いなさいっていうんです」
私は歩いてギャラリーまできたので、帰るときは歩いて帰りたい。どこの辺りか聞いたら、本当にここから歩いて10分程度の場所だった。安堵していると、すぐにタクシーは私たちの前の停まり、桜先生は当たり前のように乗り込んだ。
「どうぞ、お金は私が払いますし」
「そんな……」
「気にせず気にせず、さあ」
桜先生は、気さくにそういって運転手さんに、「お願いします」といった。
「はい、桜先生、いつものようにご自宅でいいですか?」
「はい、お願いします」
桜先生が二回お願いしますというと、運転手さんはわかっているというように頷いて車をゆっくり走らせた。
やはり有名な先生は違うなあ、と私は関心していた。数分でタクシーは立派な門構えの、密集している家々から少し離れた緑の多い庭が美しい木造の一軒家に到着した。運転手に1000円を渡した桜先生はゆっくりとこちらへ歩いてきて、「さあ」と私に声をかけ、家に入るように促した。
絵本から出てきたような赤い屋根の木目さえ美しいと感じるセンスを感じる家だった。憧れの画家の家はこうでなくては、とさえ思うほどに庭も綺麗に手入れされていて、様々な植物がふわりと揺れながら私に挨拶をしている。
「お邪魔しま……わあ」
しかし、驚くべきは家の外ではなく家の中である。昔展覧会で見ていた絵がいたるところに飾ってあり、家というより画廊だった。先生の絵の世界の中に入り込んだような感覚にワインを楽しむように身を浸しながら短い廊下を歩いて通された客間。モスグリーンの壁に、赤いソファがよく映える客間の中央には、私が生涯の中で一番好きな絵。
「これ……未知の開花……ですよね」
「ええ」
未知の開花、という桜雪子の発表した最後の作品は、一枚の大輪の絵である。しかし、ただの花ではなく、それは未知の開花というタイトルの通り、ダリアの花のような悠然とした華やかな大きさで、カーネーションのようにドレスの裾を思わせるようなふわりとした花弁が連なり、その中に、数枚カサブランカのような上品な百合の花弁が混ざり合い、クリスマスローズのように雄蕊と雌蕊が力強く主張し、しかしその色は黄色ではなく、虹色に光り花の花弁に負けない美しさを放っている。
花弁の色は何百種類も園芸種が存在すると言われているパンジーの色の中にも存在していないのではないかという程、言い表せない不思議な色をしていた。碧海のような青色の花弁があるように見えるし、春茜のような燃えるような赤色の花弁も見える、夏峰のような青青しい色の花弁もあるように見え、様々な色の花弁がそれぞれを邪魔しないように主張している。
その“未知の花”を一目見るだけで、日本の様々な四季の情景を現しているような、大袈裟に聞こえるかもしれないが、私は高校の時この絵を見て心の底からこの絵を描いた人間を敬愛した。大袈裟ではなく、この絵は本当に素晴らしいものなのだ。
「またこの絵を見ることができるなんて……感動です」
私は跪きそうになるのをぐっとこらえ、桜先生に促されるままソファに腰かけた。
「ありがとう、みんなここに来るとあなたみたいな表情をして、立ち尽くしているの」
「そりゃそうですよ、それだけ美しい絵なんですから!いやー本当にここに来れてよかった」
「ふふ、でも私が本当に見てほしいのはこの絵だけではないの」
桜先生はそういって、ソファの右から見える大きな窓から見える庭を目で示した。私もつられて庭を見ると、そこには更に驚くものがあった。
「……嘘、嘘だ」
「驚くでしょう?」
「未知の開花……」
そう、未知の開花で描かれた花が、一輪咲いているのだ。大きな窓の透明なガラス一枚の向こう側で、“未知”である、あの花が凛とした姿で立ってこちらを見ている。私は高校の時、未知の開花を見た時、あまりにも現実離れしたその美しさに、天国に咲いている花なのではないかと思っていたくらいだ。そして、あんな美しい花があるなら、天国はどれほど美しい場所なのだろうとさえ、まだ見ぬあの世に思いを馳せてしまうくらい、あの花には魔性の魅力があった。
「そんな、そんな馬鹿な」
私は、吸い込まれるように窓の向こうにある花の方へと歩き出した。
「花屋の息子が、喜寿のお祝いに庭に植えてくれたの、この花をモデルに当時未知の開花を描いたのよ、海外から取り寄せてくれてね、それでもういい年だから最後の作品にしようと思って」
桜先生の話は、私の耳を風のように通り抜け、私は未知の開花の花をぼーっと見つめていた。窓に手をついてずっと探していたお姫様を見つけ出したような気持ちだった。まさか、実物が存在するなんて。
「この花を直接見せていただきたいのですが」
窓に微かな違和感を感じながら、桜先生を振り返ると、
「ごめんなさい、その花はこの世にもう一輪しかない貴重な花だから誰にも触らせないように、窓も開かないようになっているの、ほら鍵がないでしょう?ずっと変わらない美しさを保存するという目的もあるのだけれどね」
「じゃあ外から!」
「外は草木が邪魔して簡単には入れないようになっているの、たった一輪の花を盗まれても困るしね」
桜先生はそういって、「ここで一緒に楽しみましょう」と微笑んだ。私はその笑顔を、持つ者が持たざる者に対しての優越感からくる笑みに見えた。
その後先生と少し会話したような気がするが、全く覚えていなかった。帰りにタクシーを用意してもらい帰路に時でさえ、私の頭の中は、未知の開花のことでいっぱいだったのだ。自分の脳みそに根深い球根を植えられたかのように、あの魔性の魅力は私の脳内を支配し、あの花を手に入れたいという欲が突っ張ってパンパンに膨れ上がった風船が破裂しそうだった。
「だめだ」
一旦忘れて眠ろうとベッドに入ったが、気づいたら次の日の朝を迎えていて、私はあの未知の開花の魔性の魅力にすっかり取り憑かれてしまっていた。あの花を私だったらどの構図で描くだろうか、どういう構造の花なのかもっと近くで見てみたい。未知の開花に出会ってから、花を主で描いているわけではない桜雪子に影響を受け花の作品ばかり描いてきた私はあの花を自分で思う存分描いてみたいと思った。“絵”が欲しいのではない、私は“本物”が欲しくなったのだ。
しかし、今日も美術講師の仕事が入っている。着替えていつも通りに出勤したが、どうしてもあの花のことが忘れられず、私は仕事が終わると昨日訪れた桜先生の家までフラフラと向かっていた。
「また、未知の開花を見せてもらおうと思ったんですよって言おう」
あんまり美しいので、空を切った言い訳は美しい茜空に黒い墨汁を垂らしたように滲んでいく。
「あの」
「わー!!」
いざ先生の家の前で立ち尽くしていると、急に背後から若い男性の声が降ってきた。思わず大きな声をあげて振り返ると、若い青年が鏡写しのように驚いた表情で立っていた。
「う、うちに何か用ですか?ばあちゃんは今ギャラリーにいってると思うんですけど」
20代くらいの茶髪の快活そうな青年は、黄色い百合をメインに、様々な色の百合の花束を抱きながら、不思議そうに首を傾げていた。
「あ……うちっていうのはもしかして」
「はい、俺ばあちゃんの、藤原春子の孫なので」
「お孫さんなんですか、その百合の花、綺麗な花ですね、私は春子さんの知り合いで、昨日未知の開花の花を見せてもらったんですが、あまりに綺麗だったのでまた見せてもらおうと伺ったんです」
必死に変な人だと思われないようにしている自分が、穴に入りたいくらい恥ずかしかったが、花が綺麗だというと訝し気だった青年の表情も少し和らいだ。
「ありがとうございます、未知の開花なかなかの完成度でしたよね?俺、半年くらいかけてあれ作ったんですよ~花屋なんで、あ、ばあちゃんから聞いてます?」
「……」
「喜寿のお祝いに未知の開花の絵を真似た造花を一輪作ってプレゼントしたんです。そしたら、あんなところに差して、「咲いてる!見て!」って急に言うもんだから驚きましたけど、まあばあちゃんが嬉しそうならいっかーって」
俺は、嬉しそうに破顔しながら頭をかく目の前の青年が言っていることを最後まで理解するのに数秒かかった。
「え?どうしたんですか?」
「あ、いや、花屋なのは息子さんだと聞いていたので」
背中から嫌な汗がつーっと流れた。なんとか答えを返したが、青年は「あー」と眉間に皺を寄せて百合の花束を抱く手に少し力を入れた。
「ばあちゃん、認知症なんですよ。俺と父さんのことよく間違えるし、夕方フラフラこの辺徘徊してるって近所の人に聞いたし、自分の展覧会がやっていると思ってよく近くのギャラリーにいっちゃうみたいで、危ないからタクシー使って家に帰るように言ってるんです、お金の計算とかもできなくなってるから心配で心配で」
そういえば、昨日桜先生に会っただけで思い当たることはいくつもあった。
「父さんが言ってたんですけど、認知症になってからばあちゃんは、めっきり“絵を見る眼”がなくなってしまったらしいんですよ。桜雪子としてセンスが光り輝いていた時、駄作だと言い切っていた絵を集めている始末で、買った作品はすぐ段ボールにしまい込んで自分の絵だけ飾っているんですけどね、はははっ」
「そっか、そうだよね……ごめん、私用事を思い出して、ちょっと帰ります」
「あ、そうですか、それでは」
青年は軽くお辞儀をして当たり前に家の中に入っていった。私は、くるりと向きを変えて、早歩きで歩き出した。徐々に足は速くなり、気づいたら、私は風を切って走っていた。
よく考えたら喜寿、77歳に花を植えたのに、私が高校の時に見た絵の花をモデルにして書いたというのはおかしいし、そもそも3年前に植えたとしても、“そのまま”咲き続けることは、おかしい。おかしいのだ、何もかも。どうして、どうして私はあの時何の疑問も持たなかったのだろう。あれが“偽物”だと、気づかなかったのだろう。
「画家になりたいなら、“本物”と“偽物”の区別くらいつくようになりなさいね」
あの日、桜雪子に言われた言葉を思い出した。結局のところ。人間は、本当に自分の見たいことを見たいようにしか見えないのだ。“あの時”の桜雪子が、幽霊のようにふわりと風に乗って、逃げるように風を切る私の背後で語り掛けてくる。
「あなたは、“あの花”を買いますか?」
あの当時の声で問いかけてきた。厭味ったらしく、私を試しているかのように。その問いに対し、当時のように「造花なら買いませんよ」と簡単に答えることはできない。だから固く目を閉じて首を振った。だが、振った首は鉛のように重く、私は錆びたロボットのように鈍色に歪んでいく空の下、闇に覆われていく自分の影を呆然と眺めていた。
最近久々にBL小説を書いていたのですが、「なんか、セックスかき飽きたなあ……」とひとりごつ。横を見ると、飼っている犬が、ボールをくわえて近づいてきました。「百合小説書きたいなあ」と思いながらボールを投げると、ショートショートの募集ちらしが机から落ちました。
おばあちゃんが死んだおじいちゃんの手をぬか漬けにする話……書くかあ、と思いたち、今書いてます。