九月ハ日
大雨。万蔵は、台風のニュースが好きだ。勿論、黒いガムテープで身体をぐるぐる巻きにしてTMごっこの準備をするためでも、コロッケを買いに行くためでもない。各地の降雨量や風の様子、河川の水位などのレポートを聞き流すのが好きなのだ。チャンネルをザッピングすれば、視聴する番組には事欠かないし、他人事にしか思えない事件事故と違って、なぜか親近感がわく。災害のニュースに親近感というのは不謹慎かもしれないが、室戸岬はこんな感じ、新宿駅はこんな感じなどと各地の様子を聞いていると、今自分のいる場所もそういった著名な放送するに値する場所と同列に思えてくるというか、兎にも角にも身近なことに思える。台風そのものの情報もありがたいのだが、いまこの時間における各地の様子というライブ感が、自分と各地というある種の一体感を生み出しているのだ。つまり、2階席、1階席、アリーナー、うちーというよな感じで自分の家がそこに位置付けられ、その様子が日本中が放送されているのだ。何一つ珍しくもない自分の家の状況がなにか価値があるような錯覚、そして自分もこの日本のある一つの場所で生きているという、いや生きていてもいいんだという感情すらうっすらと生じさせるような台風報道。気温の報道ではこうはいかない。だって、暑いところやさむいところに傾いた報道だから。台風報道では、まだ雨は降っていませんが波は高く海は荒れています、いまは風はおさまっていますなどと、予兆、余波、対策などの観点から各地の状況を伝えてくれる。我が家は、あまり台風の影響をうけない場所なのだが、ここでは雨は降っておりません、風は少しありますがいつもの海風レベルですといった塩梅にとらえてしまえば、なにも起こっていないのに同列になれる事象なのだ。いや、勿論、今日は32度で、そこそこ暑いので、朝から冷房いれていますと言えば、温度でもノミネート可能なのだが、今後の進行ルートの不確実さ、帯状降水帯など周辺への影響なども考えれば、風雨がないことすら意味を持ってしまうのが台風という偉大なイベントなのだ。
若かりし頃は、風もないのに報道し、風に飛ばされ報道しと、台風報道なんてなんのショーだよと思っていたもんだが、あれは偉大なショーだったのだ。それならば、毎日のなんの変哲もないこの日常を台風報道のように扱い、表現上だけでもエネルギッシュな一日にできれば最高なのだが。はい朝8時です、朝ごはんはありません、昨日の晩御飯を食べすぎた影響でしょうか、お腹は空いておりません。今日も特別な予定はありません。道の曲がり角で天然娘とぶつかる予定もありませんし、トラックに轢かれる予定も、空から何か落ちてくる予定もありません。もっとも日本中探してもそんなことはないでしょうから、ありそうなのは、マクドナルドの店員がちょっと親切に感じるか、腰肩の張りもなく体調がいいことぐらいなら起こるかもしれません。おいおい、なんのショーだよ、些事小事拾いまくって感謝ショーなのか。こうなれば、この感謝ショーに名前でもつけるべく禅語のひとつでも探してみるかと思えば、禅語はとくにないが、「雲が晴れて山の頂に日が射し込むように、心が晴れて感謝の気持ちが満ちる」という表現がありますとAIがいう。なげえなあ、晴れ晴れ感謝ショー。兎にも角にも雲が晴れなければなにも始まらないようで、明日の天気は曇りだといいなあ。