八月参十日
万蔵は、決まったルートを辿って、何か物珍しいものを発見するのが好きだった。特に何か特別な新しいものというわけではなく、ほんのわずかな変化に気づいたり、今まで気に留めてもいなかったものを改めて認識したりするのが好きだった。万蔵の目に映る日常の風景は、さしたる特別なものもない普通の田舎の風景であったし、特に大きな変化もない毎日同じ風景であった。万蔵の家のそばの空き家には、もう何十年もガラクタが詰め込まれていた。戦争の時に作っていたのであろう戦闘機の胴体から、何やら得体の知れない農機具まで、家の中から外まで雑多に放置されている。壁なんぞ、もはや部分的にしか残っておらず、どこから先が家なのかさえわからない。そもそも、もう戦後何十年も経つのに、なんで戦闘機が転がっているのかもわからないし、いったい誰の家なのかもわからない。最初は、いまだに錆びつきもせずに残っているなんて、一体どんな材料でできているんだろうかなどと素材を考えてみたり、一列に並んだリベットの数をかぞえつつ、機体の作り方を考えたりもしたものだが、なんども繰り返し眺めるうちに、それらは日常の風景の一部となり、気にも留めない近隣の景色となっていった。たまに植木が切られたり、看板などの古い構造物が朽ち果てて崩壊するようなことはあっても、新しい店や建物ができることもなく、あまり日時の変化を感じさせない景色の中で、新しい何かを見つけることは、万蔵にとって、時間はきちんと流れており、自分は生きているんだと再確認できる出来事であった。
そんな万蔵が、近所の沼を一周する道路へと自家用車を走らせていると、沼と言っても幅が5、6キロはあるかなり大きな、もはや湖といってもいいようなサイズの沼なのだが、ふと道路脇に並んでいるビニールハウスに目を取られた。ここら辺のビニールハウスでは、だいたい野菜を育てており、作物の背丈もそれほどおきくない。そのハウスの中の植物は、ゆうに1mは超えるような高さであり、斜め下向きに濃い緑色の葉っぱがわさわさと茂っている。この水不足と暑さの中、この茂りようにも気を引かれたし、そもそも見かけない植物である。1本1本の間隔がわからないぐらい密接して生えている様子から作物のようでもない気もするし、きちんとハウスの中だけに並んで生えている様子から、栽培されているなにものかにも見える。とりあえず写真に収め、グーグル先生に聞いてみたりもしてみたが、なんの植物なのかわからない。時節柄、大麻なら面白いのにとも思うが、少なくとも芥子ではない。自分も知らず、スマホも知らずなら、もうなにか生命力のある植物(セイタカアワダチソウでも、オオアレチノギクでもない)ということにしかならないが、この変わり映えのしない田舎生活にもよいところがある。もちろん、この植物の名前を知るのにという点でだけよいのであって、まあ一概によいとはいえず、一般的には悪い方で語られることの方が多いのであるが、家に帰り、年寄りの誰かに聞けば、まあ大概わかるのである。なんなら、誰が植えて育てているかまでわかってしまう、この田舎組織、敵対関係にあれば、めんどくさいことこの上なく、友好的な関係にあれば、便利な関係性である。案の定、帰宅後、尋ねるとモロヘイヤではないかという。そういえば、スーパーで見かけるので、どこかで栽培しているのであろうが、こんな近所で作っているとは思いもしなかった。葉っぱを揉むとネバネバするから、さわればわかるというが、まあ、あれだけ大量に植え付けて、ハウス何棟分も出荷しているのだし、間違いなくモロヘイヤだろう。
モロヘイヤ、和名は縞綱麻、エジプトなど中近東原産の一年生作物で、1980年代後半に日本に導入され、栽培・産地化が始まったらしい。導入理由が、現地で食べたモロヘイヤスープの味を懐かしんでというのだから、食の記憶とは恐ろしい。5から6月に植え付け、1ヶ月ほどで育成するというのだから、なんとも元気な草である。もっとも50cmぐらいで、収穫を始めるようだし、季節的にももうお盆明けなので、値段などなんらかの理由により、収穫せずに放置されたものなのかも知れない。ならば、万蔵がこの作物に気づいたのは、放置され背丈がのび、わさわさと茂っていたからのであろう。しょっちゅう見ているものは違いに気づきにくいとはいえ、なんともゆるゆるの観察眼である。馬頭尊の向こうにモロヘイヤ畑、そしてそれを植えるはきっと労働実習生の外人さんなのであろうから、なんとも摩訶不思議な光景なのだが、まったく違和感なく周囲に溶け込んでいる。万蔵は、仕事柄なんどか外国に住んだことがあり、住めば都などというのは、まるで嘘と思っているのだが、地元の設備の中で光と水を与えられれば、ハウスを占拠するまで育ち、存在感に風格まで出てくるものなんだなあと、植物の力強さなのか、経済的動機の凄さなのか、人間の知恵の深さなのかなんだかわからないものに圧倒されたのであった。
馬頭尊、そのまた向こうはモロヘイヤ