第五話 戦いの後、束の間の休息
それから、エライザは母親に無理やり頭を下げさせられて、部屋に戻された。レオンは何も言わずにそのまま自分の家に帰った、らしい。
エライザは汗だくでベタベタになったのでお風呂に入れさせられた。俺は今、人肌よりちょっと温かいお湯に浸かっている。ちゃぷり、と音が響く。
ルマがお湯に浸かっているエライザの髪を丁寧に洗った。しゃわしゃわ、と心地の良い音が響き、石鹸だかシャンプーだかの匂いが気持ちを落ち着かせた。力加減も絶妙で、すこしうとうとしてくる。
「エライザ様」
俺はちらり、とルマを見上げる。ルマはいつもの無表情で話しかけた。
「お怪我がなくて、よかったです」
「あー、うん、」
レオンvsエライザの無謀とも言える戦いは、使用人たちの間で話題になっていた。表面上は緘口令が敷かれていたけれど、母親の取り乱す姿やレオンの悔しがる姿なんかが目撃されていたのだ。
「…………生きる価値のない人間なんて、いない」
ルマはぽつり、とこぼした。エライザの髪を洗う手が、止まった。
「…………聞こえてた?」
「はい。ちょうどあの頃、近くを掃除しておりまして」
「あはは、恥ずかしいや」
「盗み聞きしてしまい申し訳ありません」
「いや、いいんだけど」
俺ははぁー、と長いため息を吐いた。なんだかいろいろありすぎた。お湯は温かいしシャンプーは気持ちいいし、体の底からぽかぽかしてくる。まだ時刻的にはお昼ってとこだから、高い窓から差し込む太陽の光が眩しい。
「俺さ」
「………"俺"?」
「あっ、いや………え………っと、私?」
「エライザ様、今朝から口調が変わりましたね」
ルマは無表情を少し崩して、口角を上げた。優しくエライザの目を見つめている。
「………あー、うん、変?」
「そうですね。ご令嬢の言葉遣いとしては、よろしくないかと思いますが」
「……だ、……ですわよね」
「そのままのエライザ様という気がして、私は好きです」
ルマはくすくすと笑った。俺は少しホッとする。ルマはずっとどこか、自分を追い詰めているような雰囲気があったから。
「ルマ、ありがとう。お………私、ルマのこと好きだよ」
にっこり、と笑いかけると、ルマは目を丸くして、そのあと柔らかく笑った。
「私もですよ、エライザ様」
そう言うとルマはホースを持って、エライザの頭の泡を流した。手櫛で丁寧にときながら洗われる。耳元で流れるサラサラとした音が気持ちよくて、俺はそっと目を閉じた。
◇◇◇
お風呂から出て、とりあえず部屋で本でも読んでいることにした。この国の歴史や一般教養がうろ覚えだったりするからだ。
エライザの部屋に戻り、ファンシーな家具に囲まれて重い本を読む。
しばらく没頭して読んでいたところ、廊下にパタパタと響く足音が聞こえた。少し目を上げて扉に目を向けると、息を切らしたルマが入ってきた。顔はどことなく強張っている。
「ルマ? どうしたの?」
「エライザ様…………お客様です」
「え? 誰だろ。今行くね」
重い本をぱたり、と閉じて、ソファから降りた。とてとて、なんて可愛らしい足音を立ててルマのいる扉の方に向かうと、ルマはエプロンとスカートをギュッと握りしめていた。
「…………レオン様が、お見えです」
どきり、と心臓が鳴った。
…………嫌な予感がする。
レオンはこの国の第二王子。いくら子供とはいえ、まわりの大人はおいそれと逆らえない。
そんなヤツを、先ほどコテンパンにやっつけたのだ。怒鳴ったし、頬も叩いたし。
『エライザ、不敬罪で国外追放だーーーーー』
脳内のレオンが冷たく言い放つ。
そうとしか考えられない。もしくは処刑か……。
………おとなしくしてた方がよかったのだろうか。頭がカッとなってつい戦いを申し込んでしまったものの、エライザの立場を考えれば黙って去る方がよかったのでは。
現実問題として現れた"追放"の2文字に、もう頭がくらくらした。体温が一気に下がったような感覚になる。
ルマはエライザの手を優しく握ってくれた。触れる暖かさに、俺はふと涙が浮かんでしまった。ぐっと唇を噛み締めて、涙をやり過ごす。
…………行かなければ。
俺は少しふらつきながらも、レオンの待つ応接室に向かった。