第四話 そのプライド、へし折ってやる
ノイシュタット邸、剣術道場。
がらんとした広い空間は、ところどころ煤けていたり、傷がついていたりする。魔法を使っても壊れないし、実践的な戦いの練習もできる。打ち込み用の的や人形も奥の方に仕舞われている。
そんなところにエライザのレオンの二人は立っていた。医師と母は遠くで見守っている。エライザの体の心配というよりは、不敬罪に当たるのでは、という心配と、怪我を負うであろうエライザが死なないようにするための監視というところだろう。エライザはドレスからレオンと同じ修練着に着替えたものの、サイズが微妙に合わなくてやや大きかった。
「エライザ、お前がこんなに命知らずだとは知らなかったよ」
レオンの声がしんとした空間に響いた。
「お前が勝ったら、たしか謝罪と訂正だったな? わかった。いくらでも頭を垂れてやろう。俺が勝ったら……そうだな。今すぐこの国から出ていけ。二度と足を踏み入れるな」
ヒッ、という悲鳴が奥から響いた。エライザの母だった。
「レオン様、それは………」
「娘が、大変無礼を働いており、申し訳ございません!!」
医師はレオンを止めようとし、エライザの母は床に頭を擦り付けて謝り通す。レオンは二人に冷たい目線を送るだけだった。
医師とエライザの母の反応は当然だった。
ゲームの中のレオン・ルーデベルグは、建物だったら余裕でぶっ壊す火力を持っている。ルーデベルグ全土でも、剣術と魔法の双方において、トップクラスの実力者だった。
今の年齢はわからないが、握り込まれた剣からかなり修練は積んでいると考えていいだろう。そして、この修練場における落ち着きは確かな実力を伝える。
対して俺・エライザは、体においてまず劣る。精神は男子高校生だが、体は10歳くらいの女の子。とくに鍛錬もしていなそうだし、筋肉も心許ない。キレイで傷ひとつない手から、多分剣も握ったことがないだろう。魔力も失ったばかりだし。
客観的に見れば、エライザがレオンに勝てる可能性なんて、1パーセントもないのだ。
…………しかし、
負けられない戦いである、というのが事実で。
「ああ、いいぜ」
俺はキッ、とレオンを睨む。
この小さい女の子の体で、どこまでできるだろう。練習用の模擬刀をグッと握りしめた。少しだけ手が震える。
レオンはエライザの様子を見て、ふん、と鼻を鳴らした。
「まあまあ、弱いものいじめは良くないよな。殺さない程度にしてやるよ。そうだな、ハンデだ。魔法は使わないでおいてやる。……あァ、お前も魔法使えないんだっけ? ならハンデにもならないかな? 悪い悪い」
あざけりを含んで見下す顔は、まさに悪魔という表情。
「じゃあ、ルール。子供の試合で使われる、一番簡単なルールでどうだ? どちらかが剣を手放したら負け。これならお前も降参しやすいだろ?」
「………わかった」
「ナニ、今すぐ手放してもいいんだぜ? 怖いだろ? 痛いのは嫌だよな?」
「………いや?」
俺は剣をレオンに向けて、構えた。
レオンの目が、少し見開かれる。
「よかったよ、ありがとう。おかげで勝機が見えた」
俺の構えはこの国の剣術の構えじゃない。
日本の、剣道。中段の構え。
レオンは息を呑んで、エライザの剣の構えをじっと見つめた。信じられない、というような瞳で。そして、自分の模擬刀をギュッと握りしめていた。
俺はその顔を見て、冷たく話しかけた。
「二言はないな?」
「………ねェよ、」
レオンも模擬刀を構える。少しびくついているものの、隙のない構えで、視線は鋭かった。
スタート、の合図もなく、レオンが踏み出した。
途端にエライザの顔スレスレに振り抜かれる模擬刀。女の子の顔を真っ先に狙ってくるあたり酷い奴だが、それだけガチなんだろう。
すんでのところで避けると、レオンは目を見開く。避けられるとは思ってなかったんだろう。歯を食いしばって、レオンは体勢を戻し、また振り下す。今度は俺がしっかり受け止め、ガチン、なんて鈍い大きな音が轟いた。
レオンの表情が余裕のないものになってきた。そのまま何度も振り、エライザを壁側に追い詰めようとする。俺は少しよろめいた。
その瞬間を見計らって、レオンはエライザの頭に大きく振りかぶった。その瞬間、俺は攻撃を避け、振り下ろしたタイミングで小手を打った。
ーーーーーーバチン、………カラン、カラン
という音が響いた。
俺が、レオンの手を剣で打った音と、
レオンの剣が、床に落ちる音だった。
「……ッ!!」
レオンの息を呑む音が響いた。痛みで手を押さえている。
そして、床に転がる模擬刀を見て、呆然とした。
「…………は」
レオンは、床に転がる模擬刀から目を離せなかった。
ーーーーー手を離した方が、負け。
俺は上がる息を整えつつ、模擬刀を握っていた手の汗を服で拭いた。額からドッと汗が出てきた。手はヒリヒリするし、足は実はガクガクだ。
………一試合終わったみたいだ。こんなに緊張したのは、県大会の決勝くらいかも。
俺は剣道歴は長い。10年以上やってるし、全国にはあと一歩、というくらいまでいったことがある。だから、剣には自信があった。
それを念頭においても、慣れない体と剣というのは不安材料だった。"エライザ"の体力も心配だったし。
だから、レオンが出した『剣から手を離したら負け』というルールでなければ、俺は負けていたかも知れない。もし『どちらかが降参と言うまで』だったら、体力的に厳しかっただろう。レオンが降参と言うわけがない。
だからこそ、短期決戦ができるこのルールは、俺・エライザにとって、唯一の勝機だった。
俺は自分の手を見つめる。小さくて可愛らしい、子供の手だ。ざらつく持ち手の模擬刀のせいで赤く擦れ、ヒリヒリ痛む。よく頑張ったな、エライザ。
レオンはかくり、と膝をついた。呆然として、瞳には何も映していない。
医師と母親は信じられないとばかりに口をあんぐり開けている。
俺は膝をついているレオンの前に立った。
「謝れ、レオン」
「…………は?」
「約束だったろ、謝罪と訂正だ。魔力がなくてもお前に勝てた。魔力がなければ価値がないって言ったのを、謝れ」
レオンの顔が、グッと歪む。眉根はこれまでにないくらい寄せられているし、眼光は鋭く尖る。唇はわなわなと震え、全身で悔しさを表していた。
「………こんなの、……」
「勝ったのは俺だ」
レオンは息に詰まる。そのまま鼻をずず、と啜った。意地でも涙は流さないらしい。うつむいて、震える両手を見つめて、歯を食いしばる。
「…………魔力がなかったら、価値がない、というのは、訂正する」
小さく震える声で、レオンは呟いた。
「……………エライザに、そう言ったのも………謝罪、しよう」
頭を垂れ、レオンは言った。
全身が小さく震え、子供らしい体は一層可哀想に思えた。
多分、人生で初めての挫折か、それに近い物だろう。それも、魔力もない、格下の女の子、エライザに。
涙を必死で堪えながら歯を食い縛るレオンに、俺は近づいた。そして、努めて優しい声になるようにして、話しかける。
「お前は強いよ」
「………は?」
「振りは速いし、鋭いし、反応もすごかった」
「…………黙れ」
「負けるかと思った。隙を見つけるのが難しくてーーーー」
「黙れッッッ!!!!」
レオンは勢いよく立ち上がり、エライザの胸ぐらを掴んだ。そのまま、フーッ、フーッ、と、獣のような息をこぼしながら、鋭く睨む。目は瞳孔が開いて、怒りに燃えていた。
「同情か!? 勝ったやつはいい気なモンだな!!! 俺は!!!! 俺は負けたんだよ!!!!」
掴んでいた胸ぐらを離して、そのまま突き飛ばした。エライザは勢いで尻餅をついた。
レオンはもう、涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになっていた。怒りと悔しさからか、顔は真っ赤だ。
「雑魚だ、クズだ、俺だ、俺こそ、俺こそが、生きる価値がない人間なんだよ!!!!!」
レオンの声は、痛いくらいの、叫びだった。
鼓膜に響くたびに、心が痛くなる。
俺は体勢を立て直して、レオンの頬を叩いた。バシン、なんて乾いた音が響く。
とっさのことで、レオンは止まった。
俺は唇をぎゅっと噛んで、ごくりと唾を飲み込む。
呆然とレオンはエライザを見つめている。
俺はできるだけ感情的にならないように、声を出した。
「生きる価値がない人間なんて、いない。お前もだ」
俺はチラリと落ちているレオンの模擬刀に目を向ける。こんなに使い込むには長年の鍛錬が必要だ。レオンの技術は確かなものだった。日々努力しているのが伝わってきた。
俺だって、生前は何度も負けた。こいつみたいに、プライドが高かったから負けた時は本当に辛かった。涙ダラダラで泣き喚いたし、相手を殺したくなるくらい、悔しいし。
でもそれ以上に許せないのが、相手よりも、自分自身。自分の至らなさと、劣等感と、踏み躙られた自尊心が、自分の価値を傷つけるように感じるんだ。自分なんてダメだと、思ってしまうんだ。
でも、そんなのは、実は自分で生み出してるだけの幻だ。
自分の努力は、自分が一番知ってるだろ。
お前の価値を、お前が否定するな。
「一回負けたくらいで喚くな、次勝てばいいだろ」
「…………次?」
レオンは信じられない、とばかりに、俺を見つめる。
「ああ、次だ。何度だっていい。受けてやる」