第二話 さっそく逆境だらけかよ
「エライザ様」
ギイ、と小さな鈍い音を立てて部屋の扉が開いた。
そこに立っていたのは、ルマ。エライザのメイドだ。無口で、なんか……あんま覚えてねーや。
長い黒髪をきついお団子にして、じとりと冷たい目で見ている。長い黒いスカートと白いエプロンが全く揺れないくらい、凛とした立ち姿だ。
「朝食のお時間です」
「あ、ありがと。いま、いく」
ルマは驚いたように目を見開いた。びくり、と少しスカートが揺れた。しかし顔を動かしたのは一瞬で、そのままお辞儀をした。俺はとたとた、と急ぎ足で部屋を出た。
エライザの住む邸宅、ノイシュタット邸はなぜかゲームでもわりと登場する。エライザを追い詰めるルートで、ノイシュタット邸を歩き回ることがあるのだ。俺は姉ちゃんが徹夜でやっているのを横で見てたら、屋敷の景色はなんとなく覚えていた。
あたりをチラリと見渡して、やっぱりここは『深淵のフロンティア』の世界だと確信する。白を基調とした広い廊下には、真っ赤でふかふかの絨毯が敷かれている。一定間隔で置かれるツボやら銅像やらが目に入る。大きな窓からは太陽の光がきらきらと入っていて、綺麗な豪邸だと思う。
でも、どこか冷たくて、世界に一人でいるような感じがする。
そんな廊下を歩いて、大広間、客室などの部屋を横目にダイニングルームへ。
食事はもう準備されていた。けど、部屋には誰もいない。
テーブルはすごい長くて大きくて立派で、花瓶には彩りの花が挿さっている。用意された食事は、ホテルのバイキングなんか目じゃないくらい豪華だ。隅々まで磨き上げられた食器には、かぼちゃのポタージュや、牛肉のソテー、パン、スクランブルエッグ、サラダなど、見た目にも美しい食事が載せられている。
美味しそう、ではあるけれど。
なぜか、この景色を目にすると、胸の奥から寂しさが込み上げてきた。この切なさは、エライザのもともとの感情だろうか。痛みを堪えたくて、胸元の服を、ぎゅう、と掴んだ。
広い部屋でその景色を見ながら、呆然と突っ立ってしまった。
この美しさが、逆にひとりだと痛感させるのだ。これを『美味しそうだね』とか『きれいだね』と共有できる人はいない。
俺が生きてる時は家族や友達と食べていたからかもしれないけど、多分それだけじゃなくて、………誰かと、一緒にいたかった。
カタリ、と音がして、音がした方に目を向けると、ルマが椅子を引いてくれていた。俺は少し頬が緩んだ。ルマの姿が目に入るだけで安心した。ゆっくりと椅子に座る。ルマが部屋の隅に移動しようとして、俺は声をかけた。
「ーーーールマも、一緒に、食べない?」
ルマはまた目を見開いて、ギュッと唇を結んだ。そのまま姿勢を正し、両手を前で揃えて、凛と立つ。そして、きっぱりと機械的な口調で言った。
「使用人は主人と一緒に食事することはできません」
そのまま軽く頭を下げ、ルマは部屋の隅に移動した。
なんとなく、心ががらん、と空いた気がした。目の前の食事は美味しそうだけど、あんまり食べる気にならなかった。カチャカチャ、とナイフとフォークがぶつかる音だけが響く中、エライザは静かに朝食を食べ始めた。
◇◇◇
ひとりの食事を終え、エライザは部屋に戻る。なんとなくモヤモヤが残る中、広い廊下を歩いていると、後ろからヒッ、という悲鳴が聞こえた。
驚いて振り返ると、そこにいたのはエライザの母親。背が高くて痩せこけて、赤毛だけどストレートの髪。紺を基調とした高そうなドレスだ。
たしか、エライザの両親は仲が悪かった気がする。理由は忘れたけど。
エライザの母親……まあ、今の俺にとって本物のお母さんになる人は、バケモノを見る目でエライザを見つめていた。実の娘に向ける顔じゃない。両手がぶるぶると震えている。
………もしかして、中身が変わったことに気づいたのか? 歩いていただけで。
俺はごくり、と唾を飲み込む。言い訳をしようかとも考えるけど、何を言ったらいいかわからない。そのまま母親と向き合っていたら、母親はカツカツとヒールを鳴らして近づいて、そのままエライザの肩を勢いよく掴んだ。そのままじっと近くで顔を見つめられる。
「エライザの魔力が、感じられない…………」
どういうことだろう、と、母親の顔をじっと見返した。母親は完全に取り乱して、エライザの頭をギュッと掴んで、何か唱える。魔法だ。あたりがパッと明るくなるも、何も変わらない。母親は、回復しない……?と小さく呟いた。
母親はわなわなと震え、掴んでいた手を離し、エライザを突き飛ばした。勢いは思ったより強く、どしん、と尻餅をついてしまった。
「魔力なくなったなんて、ふざけんじゃないわよ!!?」
その声は悲痛そのものだった。音が破裂したようで、耳が痛い。
母親を見上げながら、言葉の意味を考えた。
ーーーーー魔力が、なくなった
この世界は魔力がステータスの世界だ。
魔力の有無が全てを決める。
………つまり、俺は?
医者を呼んで!と、母親は叫んだ。廊下には悲痛な声と使用人が走る音が、しばらく鳴り響いていた。