Preflop - HiJack -
「ありゃアミさんの、なんだ、飼い主が送ったンじゃあ、なかったってことかい?」
「……正気? 若頭、こんな自己陶酔が過ぎるものを、わたし達が送ると思うの?」
昼日中。
あまりにもゴージャスな女が、あまりにもゴージャスな雰囲気をたっぷりと振りまいて足の低い革張りのソファーに深く腰掛けていた。足を組み替える間際、ひざ丈のタイトスカートの奥の暗がりに、扇情的なレースの飾りが一瞬覗いたかもしれない。
それを盗み見て生唾を飲み込むのは、若頭の後ろに控える下っ端でしかないけれども。
「……まあ、なんだ。ウチの若ぇのを刺激しないでくれるか?」
「下品なソファーを置くからじゃない。」
「フン……まあいい。」
若頭は、左手で口元を覆う。ジャケットから腕時計が覗き、香りまでEROSを纏った若頭はしばらくして頭を振った。普段から匿名の挑発の的にされるであろう女傑が、今回に限って誘いに乗り気である理由を、馬鹿正直に真正面から訊いて利口であるハズが無い、と。
きっと「女は移り気なものよ?」などと逸らかされるだけだろう、と。
「いや、鍵番とのことも考えれば、アミさんが朝霧組を陥れる意味は無い、か。」
「理解してくれて嬉しいわ。」
「けどなァ、アミさんも拝金主義者だろ? いくらか積まれりゃ、それまでじゃねえか?」
「いくらかしら?」
返す刀の鋭さに、若頭は小さく笑った。
「高ぇ女だなあ。」
「当然でしょう?」
あまりにも無敵の女王たる姿に、若頭は破顔する。15年も前ならきっと、続けて「一晩いくらだ?」と無意識の欲求を抑えられずに無様な道化を演じてしまっていたことだろう。
「フ、ぅはははははは! ……クク。まあ、いい。いい。」
その隙に、女がHERMESのポーチから赤いMarlboroとS.T.Dupont取り出していることを、若頭は見逃さなかった。
「――バカヤロウ! 見惚れてねぇで火ぃ点けやがれ!」
若衆への叱責を聞いて、無敵の女王はS.T.Dupontをポーチに戻す。そして若頭は、好い匂いの女が煙草を吹かすまで見届け、直後頭を差し出した若衆のひとりをクリスタルガラスの灰皿で指導する。
「換えろ。」
「――ありがとうございますッ!」
灰皿を受け取り、顔を上げた若衆の額に赤い筋が走っていた。
女はその一部始終に心底興味がなかったか、若頭から視線を外さなかった。
若頭も懐からわかばとVERSACEのケースに収められた安いガスライターを取り出して、火を点けようとする若衆の手を払って自ら燻らせる。紫煙を二、三度吐き出す静寂があって、若頭の「好い女だなァ。」という呟きに好い女が「控えめな表現ね。」と微笑む。
ふわりと舞った煙が落ちる頃、女は軽そうなポーチから招待状を取り出した。
「この、下品なお誘いに、気障ったらしいカードが入っていたじゃない?」
「あン? ……おい。」
と若頭は後ろの若衆に招待状を持ってくるよう目配せした。
「――ああ、俺ぁキングとクイーンの二枚か。」
「そう、わたしはクイーンとエースの絵柄。……これ、片方が席次を表すなら、もう片方は何なのかしら?」
その、明白な問いに若頭は裏を予想して、そしてそれが間違いだと気づいた。目の前の女はさっき「自己陶酔が過ぎる。」と言っていたではないか。端から若頭や朝霧組が差出人でも黒幕でもないと思って、女は若頭に会いに来たのだと理解した。
「……ああ、そうか、俺ァ、アミさんを殺せ、ってことか。」
「そうなるわね。」
つまり、この話の主導権は若頭にあるということを、女は曝け出したことになる。条件次第では、女を食い物に出来ると気づいて、笑みを零しそうになったところで若頭は気を引き締めた。
無敵の女王が、その程度であるハズがないという勘だった。
「……で?」
逆に、ここで間違えると食い物にされると、若頭は眼光を鋭くする。悲しいかな、その意味を周りの若衆は理解できずに、雰囲気の急変に僅かに動揺してしまった。後ろに回して重ねていた手を反射的に握り肩が少し強張った。
その様子を視界の端で捉えた若頭は、心中で嘆息した。
まだまだ教育が足りない、と。
「で、とはご挨拶ね?」
「別に、俺ぁアミさんが死のうが構わねぇだろ?」
「そうね。」
安物のドレスを纏い、HERMESとCHANELの香水で身を護る好い女は、しかし、あっけらかんとして見せた。
若頭は、転々と表情を変える女だと、やはり警戒を深める。
焦々と、紫煙だけが素知らぬ顔で空白に揺蕩う。
張り詰めた緊張は、そして好い女によって破られた。
「……ばか。」
「なに?」
「ばか、って言ったの。」
まるで、悪戯が成功した少女のような顔を一瞬だけ覗かせる。
それが、この女の一番ズルいところだと、若頭は毒気を抜かれて思う。
「駆け引きを、しに来たワケじゃないのよ?」
本当よ? と男に甘えながら囁く女の、女としての駆け引きの言葉に何度か振り回された過去を、若頭は幻視した。
その光景が懐かしくて思わず笑みを零してしまい、咄嗟に右手で口を覆う瞬間に失策ったと気づく。唯一、自身の反応の意味を逸らすために若頭ができたことは、まるで咥えた煙草の灰を落とすために、口に手を持っていったとでも言うような態度を取ることだけだった。
その、行動の浅ましさに若頭は数舜固まって、吸い止しを若衆の持つ灰皿で潰しながら上体を深くソファーに預けて、顔を上に向けて煙を吐き出した。
「ふぅー……アミさん。学のねぇ俺にもわかるように教えてくんねぇか? ここからは肚の探り合い無しでさァ。」
言いながら若頭は上体を戻して、いやむしろ前のめりの姿勢を取った。
その様子に満足したのか、女は含み笑いで答えた。まるで若頭の威圧を許すとでも言いたげだった。女は視線を若頭から外さずに、指先だけで咥えた煙草を若衆の持ってくる灰皿で潰し、そして組んだ足を崩さずに少し身体を前に傾ける。
女と若頭の額が、初めよりは少し近付いた。そして女が告げる。
「鷹藤にも招待状が届いたという事実でわかることは二つ。一つは……ねぇ?」
「なんだ?」
「変だって、思わない? きっと招待状は何人か、わたし達が知っているひと達に届いたことは間違いない。……けれど例えば、わたし達みたいな末端を集めて片付けても、この街の実権は得られないでしょう? それどころか警戒心を煽るだけ。」
「確かになァ。」
「つまり、わたし達を集めたい理由があるということ。」
「なるほど。」
若頭は思案をする際にわかばを吸う癖があった。無意識に懐に手を忍ばせて、慣れた手つきでまた煙草を燻らせる。もちろん、手で払い除けられると知って若衆は何度でも火を付けようと若頭の側に寄っていた。
「……それで二つ目は?」
「知りたい?」
「は?」
「別に、わたしは若頭に教えなくても構わない、でしょう?」
若頭が呆気に取られている隙を縫って、好い匂いの女は立ち上がって背を向けていた。話は終わりだ、とでも言うように。
しかし女ははたと立ち止まり呟いた。まるで別れ話の最後のひと言のごとき湿度をもって、何かの意図を匂わせた。
「駆け引きを、しに来たワケじゃないの。本当よ?」
「……。」
目の前の女ほど交渉に明るくない若頭は、言葉の裏を読み取る暇も無いと諦めて最後にひと言、女の後ろ髪に投げかける。ちょうど、自前の一張羅の襟を両手でピンと張りながら。
「コイツぁドレスコードに引っかからねぇと思うかい?」
気障な科白に見返る女の口端は弓なりに持ち上がり、CHANELの#444の赤が目を惹いて、その、しっとりと濡れて艶めく唇から秘め事を囁くように言葉が漏れた。
「わたし、若頭の趣味は好きよ?」
それだけ告げて、コツコツとピンヒールの靴音が階段を下って消えた。
そこに女がいたという、確かな痕跡だけを残して。
そして、それほど美味くも不味くもない煙草の味を吟味するような時間がしばらくあって、それから。
「そうかよ。」
若頭は、そう呟いて残りを灰皿で潰した。
その余韻が終わる頃、灰皿を置いた若衆のひとりが吐き捨てるように不満をぶちまけた。
「ちっ……使える間は輪さねえでいるだけの女がよぉ。」
若頭も、15年も前なら同じようなことを口にしていたかもしれない。
だから、一段と強く若衆の頭を叩いて教育した。
「バカヤロウ。そう言ってる間はチンピラだ。」
そして嘆息をひとつ漏らして言葉を続ける。
「手前ぇらも、一度くらい女のケツを追ってみろや。」
「へ、へぇ……。」
「そんで、気に入らねぇヤツの所に行っちまう前に、後ろから教えてやンだよ。」
「そういうモンですか。」
まだ、何もわかっていないと若頭は目頭を揉んで呟いた。「ここには、何番目に来たんだろうなァ。」と。しかし、それが若衆達に伝わることはなく、若衆は的外れな言葉を重ねた。
「けど若頭、女のケツ追ってるなんて知られた日にゃ、バカにされちまいますよ。」
「……バレねぇようにやるんだよ。」
~to be continued~
【Q4】なぜ、アミは自分のライターで火を付けなかったか。