Big Blind - Broadway -
LEDの電灯は50 Hzで硬く光る。
安い明かりが冷たく照らす地下室。かつては、そこで蛍光灯が点滅していた。しかし半狂乱の莫迦が器用に割ってナイフよろしく振り回したことで、より無機質で非情な光に付け替えられた。その希望の無い室内で、捕らわれた半グレの男が暴行を受けている。すでに何度も殴打され、顔の輪郭は馬鈴薯よろしく凸凹に腫れ上がっていた。
「だ……から、知らねーッつってンだろ……ハハッ、バカが。」
悪態を吐けば拳が飛ぶ。それをわかっていて尚、縛られた半グレの男は口端を持ち上げて、あくまでも自身が優位な立場であるかのように強がった。
その態度に組の若衆は苛立ちを募らせる。
「ガキがぁ……っ。――っと若頭ァ、すんません。」
拳を振り上げた若衆の肩に手が置かれていた。
それは、さっきまで後ろで寛いで煙草の紫煙を薄く延ばすように吐いていた壮年の男の手。香りまでVERSACEを着こなす落ち着いた雰囲気の若頭は煙草を几帳面に灰皿で潰し、静かにゆっくりと腰を上げて数歩、若衆の肩に手を置いて低く渋い声で制止する。
「よせ。意味がねえ。」
「……すんません、コイツ口割らなくて。」
「いい、いい。俺が聞くよ。」
「へいっ。」
不惑ほどの男は静かに靴音を響かせる。縛られた半グレの莫迦の前へ進む間に腕時計を外せば、誰もがこれからの暴行を想像することだろう。若頭は、汚れを気にするように手首の袖口を捲るかどうか思案気で、まるで半グレの男など眼中にない自己中心的な几帳面さを覗わせる。
そしてふと、思い出したように半グレの男に声をかけた。
「兄ちゃん……なあ、兄ちゃんよ。不良気取りが遊び半分に首突っ込んで、時期がくりゃァ卒業で。昔はヤンチャしてたなんて飲み屋で昔話するところまで算盤弾いてたンか?」
しゃがんだ若頭は、半グレの男に目線を合わせて穏やかな口調で訊ねる。
「知らねぇよ。」
「そうか。」
言いながら、若頭は懐から葉巻を嗜むための器具――針とシガーカッター――を取り出した。
「最近、組長が舶来の葉巻にハマってなァ。俺も吸えなンてこんなオモチャを持たされてンだ。」
針は返しの付いた銛が段々と重なって針葉樹を連想させる抉りやすそうな形で、シガーカッターは切り落とすところが解りやすい形をしている。
「針を、てめェのちゃちなナニにぶち込んで抉って引き抜いたらどうなると思う? なあ兄ちゃん。縮こまったお前ェさんのナニなら、こんなオモチャの細せェ輪っかも通るンじゃねェか? ……ああ、口が堅ェ変態なら幾らでも居らァな。お前も端金で売られてみるか?」
と、器具をぞんざいに扱って見せ、半グレの男に分かりやすい恐怖を植え付ける。
鉄砲玉からの叩き上げ。それが三次団体朝霧組の若頭、鷹藤だ。
「……っ。」
そして半グレの男の心が揺れたと見るや追い込みをかける。
「なあ、積み重なる規制と無法なガキども、大陸の金持ちに思想塗れのボンクラどもが入れ替わり立ち代わりデカい顔をしやがる一方で世間様に煙たがられンのァ俺らだけ。……その中でも一本、筋通してずっとここにシマ張って居座り続ける度胸。――お前ェにはあるか?」
しかし応えたたのは縛られた半グレの男ではなかった。そのタイミングで聞こえたライターの擦過音に、誰もが振り向かざるを得なかった。
「高坂っ!」
地下階にも地上から指示が届くようにとドアが開けられていた。ゆえに冷たい室内の声は廊下に丸聞こえだった。その四角い枠に凭れて、高坂と呼ばれた半グレの狂犬がジャラジャラとCHROME HEARTSを遊ばせていた。
狂犬は、咥えたAMERICAN SPIRITのperiqueを不味そうに吹かす。そしてひと口ふた口吸えば十分とばかりに、消さずに吸い止しを放る。
Adidas、BALENCIAGAに半グレのドメスティックブランドとチグハグなアイテムが不思議とまとまっている。それが高坂という半グレ集団Crow(N)の狂犬。パーカーの上に着たジャケットに王冠を被ったヤタガラスのマークを背負って生きる男。
「……さっきの、それが時代に取り残された言い訳なら、だいぶダッセェな。」
「あ?」
「よォ鷹藤のオッサン。ここの組長とは、さっき話つけてきたとこだぜ?」
BVLGARIのMAN IN BLACKを纏って、余裕たっぷりに歩を進める。その手には、地下室に転がっている建築現場の足場が違和感なく収まっていて、違和感が無いからこそ誰もが対応が遅れてしまう結果となる。
「組長が……?」
「ああ――、」
狂犬は何気なく足場を振り上げて、縛られた男に振り下ろす。
「――この莫迦がっ! 何か間違ってっ! ここから出ちまったらっ! おらァッ! 警察ンとこ行っちまうかもしれねェからなァ! ェひゃははハハッ!」
豹変、としか言い表せない。
3打目には脂の混ざったドロリとした赤が頭蓋から漏れていた。殴打に合わせて左右に頭を振る振り子のような半グレの男。しかし狂犬は手を止めず、気が済むまでしばらく時間を要した。
「――気ぃ済んだか? 高坂。」
「あ? ああ、もう十分ダロ? こいつは喋らない。」
興味が無くなれば、足場も辺りに転がされて乾いた音が響いた。
若頭はそれを横目に腕時計を付け直しつつ、狂犬に疑問をぶつけた。
「組長と何をナシ付けたって?」
「ああ、端金じゃ莫迦のこと返してくれねェって言うからさ、もういいやって処理代だけ置いてこうとしたら、それもいらねェっつって、しかも誰も攫ってねェって言うワケ。わかる?」
「……ちっ。」
硬い地下室には、若衆も合わせて4人はいた。しかし堂々たる振る舞いの狂犬を恐れたか、若頭が手を出さなかったからか、狂犬が地下室を後にするまで若衆は誰一人微動だにしなかった。
そしてまた訪れた静寂を打ち破ったのは、若頭の喫煙だ。
「おい。誰かコレ捨ててこい。」
怒りを抑える為か、若頭は馴染みの煙草をじっくりと吸うしかなった。
『漁夫の利ってヤツよぉ。鷹藤……わかるだろ?』
『組長。それまで莫迦どもを跋扈らせておくってンですかい?』
『……ハハ。そこが頭が固い、って言うんだ。』
いつか、若頭は組長と言葉を交わした日を思い出していた。
たっぷりと時間をかけて、しかし、いや……そして若頭は答えを出す。
「……組長にも、わかってもらわにゃならんか。老舗の名は伊達じゃ保てねェ。」
ただし、作業にかかった若衆には聞こえない程度の声に抑えて。それでも耳聡い若衆の一人が、若頭の呟く声に気付いた。
「若頭、なんですかい?」
その言葉に、若頭は頭を振って答えた。
「こいつァ、何を知らなかったんだろうなァ。」
♛♕♛ ♕♛♕
「ご期待には添いかねます。室谷様。」
特注のお仕着せを優雅に着こなす副支配人。物腰柔らかに、されど普段よりも角のある言葉遣いで招かれざる客を拒絶していた。
揉め事対応の総責任者、西城。
「いえいえ、西城さん。ボクたちには他意など滅相もありません。……ただ、その時まで、もうしばしここにいても?」
薄っすらと笑みを浮かべる気味の悪い男。教団が謳う天然素材がのっぺりとして気味の悪い服を身につけた狂信者。それが室谷だ。ホテルのロビーに朝から張らせた信者と先ほど交代してコーヒーを啜りながら脚を小刻みに揺すり、その時を待っていた。
すでに、ホテルの他の出入り口にも他の信者が数人ずつ立ち代わり入れ替わり、何時間も見張っている。
ただ、ひとりの拉致目標が現れるその瞬間を。
「当ホテルの見解としては、すでに室谷様方の行為は当ホテルへの営業妨害行為であると見做しております。つきましては、こちらもそれなりの対応をせざるを得ない段階である、ということをご理解ください、室谷様。」
「いやだなァ西城さん。ボクはさっき、ここに来たばかりじゃないか?」
「ええ、室谷様はそうでしょう。……けれど、お連れの方は昨日からご利用されていらっしゃいますね?」
「――ァは、余裕がないなァ。西城さァん??」
ギョロリと、目玉を大きく動かして狂信者が副支配人を睨む。その異質な雰囲気に反して穏やかな甘い匂いが室谷から香ってくる。教団の作ったボタニカルなスズランの香りをバシャバシャと浴びているからだ。
それが甚だいやらしく、押しつけがましいと副支配人には感じられた。
「そうでしょうか?」
それは、ちょっとした意趣返しだったのかもしれない。
副支配人として服装の自由が許される小物類。例えばFerragamoの香水と革靴。
あるいはベストにかかるチェーンの先の懐中時計。指でその鎖を軽やかになぞって手に収め竜頭を押せばフタが開く。
「すでにレイトチェックアウトをご提案しましたところ、快くご了承いただいけました。……そう、あと6時間ほどはお部屋にご滞在いただけることでしょう。」
「へぇ……。」
「さらに――、」
と言ったところでエントランスのボーイが目配せをする。
「――おや、お早いお着きのようです。」
エントランスに身なりの良い男性が急いで入ってくる。不安と怒りを綯交ぜにした表情を隠すこともせず、周囲を見渡している。
「それでは室谷様、失礼いたします。」
「……後悔しないといいね。」
「多少の誤解は、当ホテルにはよくあることですから。」
「なるほどねぇ。」
少なくとも、ワケありの客が親の車に乗って大通りへ出ていくところまではホテルマンの仕事の範疇だ。ゆえに西城はいつものように部下に指示を出して、教団の車の進行を抑えつつ、宿泊客とその親の車を大通りまで案内する。
狂信者は、その一部始終を眺めているだけだった。
「……仕方ないなァ。まァ、機会はいくらでもあるし。」
とコーヒーを啜って考えた。どうせすぐにまたハメを外す。その時、そこに副支配人はいない。
その時を待てば良いだけだ。
~to be continued~
【Q2】半グレの下っ端は、何を知らなかったのだろうか。