07:騎士団長ミハイル様登場
わたしではなくて、今こうしているのが本物のリカルド様だったらどうしていただろうかと考える。
きっと毅然とした態度でヴィタリスの手を振り払い、彼女のことを軽蔑すると言い放つ……はず……。
昨日までのわたしだったら、自信を持ってそう言えただろう。
けど……、この身体に満ちる謎の火照りがわたしを不安にさせた。
女のわたしですら、こうやって言い寄られてドキドキしてしまうのだ。
男の人であれば、心では拒んでも、身体が言うことを聞いてくれない、ということもありえるのでは?
ほら、今のわたしが、そんなふうになっているみたいに。
ヴィタリスが妖しく微笑みながら両手でリカルド様の右手首を捧げ持つ。
彼女に誘われるまま、リカルド様の指先がヴィタリスの大きな胸に触れようとした──そのとき。
色っぽく艶やかに映るヴィタリスの肩越しに、部屋のドアが開け放たれるのが見えた。
わたしが驚いて目を見開くと、ヴィタリスもドアの方を振り返る。
ん? 今、舌打ちした?
「殿下。ご無事ですか」
男の人の、低く力強い声がわたしの鼓膜を震わせた。
直接お話ししたことはなかったけれど、このような精悍なお声をされていたのだなと、変なところに頭が働く。
入ってきたのは、王国騎士団長のミハイル様だった。
大柄なお身体で、艶のある黒髪が特徴的。
遠くからお見かけしても、そのキリリとした立ち姿だけで、すぐに彼だと分かる存在感、というか、そこにいらっしゃるという華を感じる御方だ。
まだお若いのに──と言っても、わたしとは十ほどもお歳が離れているけれど──騎士団長にまで上り詰めた実力を有し、かつ上の者からも下の者からも信頼を集める人格者と聞く。
そのかたが何故今ここに?
「殿下。お立場をお考えください。こんな密室で二人きりになるなど。殿下の身に何かあればなんとされます」
ああ、そうか。
王子だ。王子の身の安全を気遣うのは当然のことだ。
でも、二人きりってどういうこと?
この部屋には三人いるわよね?
あ、でもわたし(の身体のアシュリーの方)は寝てるし、そういうことか。
ミハイル様は、きっと王子がヴィタリスに誘惑されてその貞操を危うくされていることを危惧しておられるのだわ。
「これはこれはミハイル様。どうかご安心ください。わたくしが、ヴィタリスがおります。この女が目覚めても、わたくしがこの身を呈して王子をお守りいたしますのでご安心を」
えっ、そっち?
わたしがリカルド様と二人きりになるのが危険だと?
うーん、そう言えば、もともとリカルド様がこの部屋に入ってきたときには、ご自身で二人きりにさせてくれと人払いをされていたし、そのことが伝わってミハイル様が駆け付けてきたのであれば、そういうことになるのか……。
少なくともヴィタリスは自分に都合良く、そんなふうに解釈したみたい。
でも、十六の小娘が一体全体どうやって王子に危害を加えるって言うのよ?
わたしをどんな凶悪な人間だと思ってるの? 失礼過ぎない!?
気付くとヴィタリスはわたしの側からさっと離れて、今度はミハイル様の元へすり寄っていた。
手は……、握ってないみたいだけど、大柄なミハイル様のお顔を下から仰ぎ見るようにするその顔は、媚びへつらうようでもあり、恋する乙女のようでもあり……。
あれ?
なんだか違和感があるわ。
横から客観的に見ているからそう思うだけかも知れないけど。
先ほどヴィタリスがリカルド様に見せていた計算づくの妖艶な微笑に比べて、今、彼女がミハイル様に向けている目は……、なんというか……、そう、貴方に恋してますっていう目に見える。
ちょっと余裕がない感じ。
そう思うと、彼女が今ミハイル様の前で、もじもじと手をもてあそんでいる様子も、なんだか可愛らしく見えてしまう。
いや。
いやいや、いやいやいや。
駄目よ、駄目。
ヴィタリス。貴女。仮にもわたしからリカルド様を奪おうとしてるんでしょ?
本当はミハイル様のことが好きなのに、そんな、あれもこれもだなんて節操なしに、何てアバズレなの?
毒婦というなら貴女のことよ!
「あっ、おい」
あ、手を取った。
ヴィタリスがついにミハイル様の大きな手を取り、蛇のように身体を絡みつかせた。
ねえ貴女、リカルド様が見てる前よ?
自覚あるの?
「わたくし、以前からミハイル様とお話ししたいと思っておりましたの。でも、周りのかたのガードが固くって……。こんなところではなんですから、向こうへ行ってお話しいたしましょう?」
ヴィタリスが強引に連れ出そうとするのをミハイル様は迷惑顔で見下ろしていた。
その顔が救いを求めるようにこちらを向く。
いや、わたし(リカルド様)は助かったから、どうぞそのままお願いします。
どうかその色情魔を引き取ってください、という意思を込めてコクリと頷いてみせた。
「わ、分かりました。参りましょうヴィタリス様。私も貴女にはお聞きしたいことがありました」
「まぁ、何でしょう? わたくしに?」
ヴィタリスは見ているこちらが恥ずかしくなるくらい、浮かれた様子でミハイル様と連れ添って部屋の外に向かう。
リカルド様のことなど、まるっきり忘れてしまったかのようだ。
「おい、そこの者。私が戻るまで、この部屋には誰も入れないように。人払いを」
ミハイル様は出掛けに、部屋の外に控えていた者に向かってそうお命じになり去っていった。
最後に、これは貸しだぞ、と言いたげな目配せをリカルド様に残して。
お二人は昔から気心の知れたご友人であるとリカルド様からお聞きしたことがある。
ミハイル様はきっと、リカルド様のお気持ちを汲んで、アシュリーと二人きりになれるように取り計らってくれたのだろう。
そうして、再びわたしは、わたし(ベッドで寝たままのわたし)と二人きりで取り残されることになったのだった。