32:お助けに参ります、ミハイル様
ミハイル様がこのヒーストン伯爵家をお訪ねになったのが五日前のこと(正確に言えば宿屋からここまで足を運んだのはわたしだけど)。
三日前の朝までは騎士団の方とご一緒だった、ということは、最後にミハイル様のお姿をお見掛けしたのは騎士団の人たちのはずだ。
当然わたしは今日までの五日間家族以外の誰とも会っていない。
王から謹慎を命じられた身であるのだから当然だ。
にも関わらず、わたしやお父様にミハイル様の行方を尋ねるということは、騎士団の人たちはすでに八方手を尽くして探した後ということだろう。
騎士団長というお立場のあるかたが行く先も告げずに三日も姿を眩ますというのは普通ではない。
エッガースさんたちが帰られた後、わたしは不安を募らせ、部屋の中で立ったり座ったり、歩き回ったり、ベッドに寝転んだりして気を紛らすのに四苦八苦していた。
お父様に目配せで制止されたから、結局お二人には何もお話ししなかったけど、このタイミングでミハイル様の身に何かあったとするなら、それはメフィメレス家絡みの問題以外には考えられなかった。
お父様がおっしゃるには、行く先も告げずに行動されているということは、極秘の調査中である可能性が高い、だから、今はまだ誰にも話すときではないとのことだった。
エッガースさんたち騎士団の人が信用できないというわけではないけれど、確かにミハイル様が話すべきでないとお決めになっている相手に、わたしたちから勝手に情報を明かすのは良くなさそう。
若くして、栄えある王国騎士団の団長に昇り詰めるほどの人が、御一人で対処できない状況に身を置くとも考えにくい。
お父様のおっしゃるとおり、ミハイル様がなんらかのトラブルに見舞われている、などと考えるのは時期尚早かもしれない。
なんと言っても、連絡が付かなくなってからまだ三日。大の大人である御人に何かあったと決め付け、事を荒立てるには、絶妙に微妙な日数だ。
だけど、わたしは今になって思い出していた。
わたしが持ち帰ったルギスの書簡を前に、これでメフィメレス家の陰謀に迫ることができると喜んでいたミハイル様の表情を。あそこには喜びや安堵以外に、幾らかの陰が──、焦りのようなものが見て取れなかっただろうかと。
ミハイル様は思い切りのいいわたしなどとは違い、冷静な判断のできるかただとは思うけれど、焦る余り、慎重さを欠いてしまうようなことはないだろうかと……、そのことが心配だった。
「お嬢様。お茶をお淹れしました。これで心を落ち着かせてください」
リゼがティーポットとカップを盆に載せて部屋に入ってきた。
その姿を見て、わたしの中にある考えが浮かぶ。
穏やかならぬその考えを頭の中で巡らせながら、わたしは無言で椅子に掛けた。
お茶を飲みながら紙片にペンを走らせる。
アダナスの言葉で書かれていたルギスの書簡の中身を思い返し、気になった語句をオリスルトの言葉で書き出していった。
〈死にたての死体〉……全然足りない。
〈国境付近にしか生えない毒草〉……もっと足りない。
〈地下牢〉、またはその用途に十分な密室……再び必要になるかもしれない。
……こんなところだろうか。
あの書簡は、以前ルギスがタッサ王ではない誰かに向けて、欠乏品を報せ提供を求めた書簡の、その返信のようだった。
相手は文脈的に王都から遠く離れた場所にいる者、おそらくは敵国アダナスの人間ではないかと思われたが、はっきりとはしなかった。
あの書簡自体、ルギス背信の証拠とも言えそうだけど、単にアダナスの地に残った協力者だと言い張って、言い逃れすることもできそうな内容で、決定打にはならない。ミハイル様がこれではまだ足りないとおっしゃっていた。
だけど、ミハイル様はあの書簡に書かれていた内容から、ルギスが王命によって用意しようとしている秘薬の調合施設を特定できると喜んでいらした。
きっとその場所に向かったに違いない。
特定できるということは、その場所でなければならない理由があったんだ。
人目に付くことなく、秘薬の材料を入手し、運び入れることができる立地。
そういった情報からミハイル様がその場所を特定したのだとすれば、やはり一番手掛かりになりそうなのは〈死にたての死体〉だろうか。
あまり良い気のしない想像だけど、そんなものを手に入れやすい場所と言えば墓地───その近く、だろうか。
〈国境付近にしか生えない毒草〉というのは、おそらくヴィタリスの火傷痕の偽装にも使ったあの葉っぱのことだと思う。
どれだけ大量に使うのか知らないけど、それを荷馬車に積んで運び入れるだけなら王都のどこでも構わないはずだ。
ほかに条件を絞り込めそうな情報と言えば〈地下牢〉?
ミハイル様が捕らわれてしまったかもしれないという想像をしている今となっては、非常に不穏な響きがある。
それはさておき、人を捕らえておくだけなら、それなりに大きな屋敷であれば難しい条件ではないはず。
分かるのは、墓地からほど近い、それなりに大きなお屋敷ということか……。
だけど、そんな情報があっても、わたしの頭には肝心の王都の地図が入っていなかった。
それらの条件と照らし合わせて絞り込むための基本的な情報が不足している。
それにミハイル様はもともと、そのルギスの研究施設の場所を探っていらしたのだから、ある程度の目星は付けてあったはずだ。
だからこそ、あの書簡の情報だけで場所を特定することができた。
つまり……、わたしには無理だ。
ペンを置き、天井を仰ぐ。
部屋の中で軽く掃除と片付けをしていたリゼと目が合った。
もう一度リゼと入れ替わり、ミハイル様を探しに外へ出ようか、なんて企んでいたわたしだったけど、いくらなんでも探す当てもなしに屋敷を飛び出すなんて、無謀を通り越して愚かなだけだわ。
一方、わたしと目を合わせたリゼの方はそれとは違うことを感じ取ったらしい。
「もしかして、実験をするおつもりになられました?」
リゼの言う実験とは、わたしが鏡の悪魔によって掛けられた呪いがどのような挙動をするのか確かめるための検証のことだった。
それは今に始まったことではなく、あの日以来、リゼからは、鏡の悪魔の呪いについて、もっと正確な効果を調べましょうと度々提案をされていたことだった。
呪いを解くためにも、あるいは、呪いと上手く付き合っていくためにも、この呪いがどのような働きをするものなのか、正確に知っておくことは有益だろうと思う。
わたしだってそのことには興味がある。
例えば、唇同士でないキスでも入れ替わりは発生するのか、とか。
わたしが眠っている間にキスをされたらどうなってしまうのか、とか(リカルド様のときのような寝た振りではなく本当の寝込みを襲われた場合ね)。
前回、ミハイル様がわたしの身体で目覚めたのは、本当に二人目の入れ替わりをしたことが切っ掛けだったのか、それとも時間経過によるものなのか、ということもはっきりとさせておきたい。
事情を知るリゼ相手にそういった検証ができるのはありがたい話……、なのだけれど、その検証の方法というのは、取りも直さず、リゼがわたしにキスをすることなのだと思うとどうしても気が引けてしまう。
あのとき、リゼがわたしに向かってみせた熱い眼差しをしっかりと覚えているだけに、「実験台になりますよ」と献身を装うリゼに対し、申し訳ないけどちょっとした警戒感を抱かずにはいられないのだ。
「ほら、ずっとお部屋の中にいては気詰まりでしょう? 気を紛らすためにもお外を散歩されて来てはいかがでしょう?」
「え、ええ、そうねぇ……」
──五分後。
わたしはメイド服に身を包んだリゼの姿となっていた。
アシュリーのわたし──おそらく中にリゼの精神を宿したアシュリーの肉体の方──は、意識を失いベッドの上に横たわっている。
謹慎中の身であるわたしは他に逃げ場がなく、また、熱心に詰めてくるリゼの提案をていよく断る言葉も十分に持ち合わせていなかった。
わたしには最初戯れ半分で自分からリゼに対しくちづけをした負い目がある。
女性同士でキスをすることくらい何でもないことなのだという体面を作る必要が、わたしにはあった。
リゼは、検証のためですから、とわたしに言い聞かせつつ、まずは手の甲に、次いで首筋、おでこ、そして頬への愛撫を、たっぷりと時間を掛けて行った。
熱く湿った表情のリゼ。その意味するところに、わたしは徹底して気付かぬ振りを貫き、為すがままとされた。
最も困ったのは、もう一度、確認のためにわたしの方からリゼへのくちづけを試してみましょうと言われたときだ。
こちらから唇を近づけているはずなのに、そのことを強いられているせいで、彼女の方から攻められているような錯覚に陥ってしまう。
どちらから口を開いたのかも曖昧だ。
舌全体にリゼの熱い体温を感じた。
そう思ったら、次の瞬間には、すでにわたしはリゼになっていた──。
まあ……、いっか。
リゼの言うとおり、ずっと同じ部屋の中にいることに飽きてもいた。
行方を暗ませたミハイル様のことが心配で、居ても立ってもいられなかったというのも本当。
当てはなくとも何か行動をしていた方が気が紛れるだろう。
今回はちゃんと、寝ている自分の身体とベッドを綺麗に整える。
そうして、思い切りのいいわたしは、特に何の策も持たずに、エイヤッと部屋を飛び出したのだった。




