01:王子、乙女の寝込みを襲うなんて最低です!
多くの人たちの面前で婚約破棄を言い渡され、その場で意識を失ってから、わたしは王宮内の一室に運ばれたらしい。
見慣れない豪華なベッドの天蓋を見上げてそれを思い出した。
ベッドの側ではお父様が大声で怒鳴っていらした。
お医者様が一向に姿を見せないことに苛立ち、周囲の者に詰め寄っているようだった。
周囲の者たちの受け答えも要領を得ないので、そのうち痺れを切らし、お父様は自分でお医者様を探しに部屋を出て行ってしまう。
わたしは意識を取り戻したことを報せることも、身を起こすことも面倒で、そのままベッドの上で目をつぶり横になっていた。
自分の身に起きた事があまりにショックで何もする気が起こらない。
今日この日まで、わたしは間違いなく、幸せの最中にいた。
リカルド王子と結ばれる婚儀の日取りは、もうすぐそこだったというのに、一体どうしてこんなことに……?
自分がヴィタリスの罠にハメられたのは分かったけど、一体全体どうして自分がこのような目に遭わなければならないのか、その理由が全然分からない。
長年の敵国であるアダナスの地を追われて、家族ごとこのオリスルト王国に身を寄せてきたメフィメレス家とその令嬢のヴィタリス。
その境遇を不憫に思いこそすれ、彼女から恨みを買ったり、ましてや、このような大掛かりな企みで陥れられなければならない覚えはないのだけれど……。
「──どうする? 手筈は違うが今やるか?」
「いや、今はまだまずい。人の出入りが多すぎる」
寝たふりを続けるわたしの側では、二人の男が何やら良からぬ相談を始めていた。
何故それが良からぬ相談だと分かるかと言えば、それが明らかに悪い奴がしそうな、ひそひそ声だったからだ。
やるって何?
殺るってこと?
だ、誰? 誰を殺るの?
「だが、このままこの娘が屋敷に帰ってしまえば、偽装するのは一苦労だぞ? 毒殺するだけなら容易いが……」
どっ、毒殺! 毒殺って言った!?
〈この娘〉って、わたしのことよね?
わたし、婚約破棄された上に毒殺されちゃうの?
「このまま一晩ここに寝かせて安静にするようにと、医者に言わせて引き留めよう。医者が置き忘れた薬箱の中から劇薬を探し出し、身を儚んで服毒したという筋書はどうだ?」
「……なるほど。そうするか」
なるほど……、じゃないわよ!
冗談じゃない。
このまま何もかも、こいつらの思い通りになってやるものですか!
今すぐ起き上がって、眼の前の二人を一発ずつブン殴ってそう言ってやるんだから!
……だけど、フカフカのベッドに沈み込んだわたしの身体はピクリとも動いてくれなかった。
怖いのだ。
怖くて怖くて堪らない。
突然自分の身に降りかかった理不尽に対し、ドタマに来ているのとは全く別に、わたしの身体は恐怖でガチガチに凝り固まっていた。
実はもうとっくに、わたしが目を覚ましていて、彼らの悪だくみを聞いていた……なんてことがバレたら、今すぐこの場で殺されてしまうかもしれない。
男二人に対し、女のわたしが敵うわけがない。
助けて……お父様……!
必死で寝たふりを続けながら、わたしはさっき出て行ったばかりのお父様が戻ってくることを願う。
そして、部屋のドアが開く音がしたとき、わたしは自分のその願いが通じたのだと思った。
「王子!?」
「アシュリーは? まだ目を覚まさないのか?」
部屋に入ってきたのはお父様ではなかった。
リカルド様の声だ!
助かった、と一瞬そう思ったけれど、すぐに思い直す。
わたしは彼に捨てられたのだった。
先ほどわたしに婚約破棄を言い渡したばかりのリカルド王子。
最も助けて欲しかったあのときに、わたしを冷たく見放した彼に、身の危険を訴えてみても、かばってもらえるとは限らない。
そのことを、リカルド様の本心を、確かめることになる……。
全部、全部……、はっきりしてしまう……。
「二人にしてくれ」
「いや、それはしかし……」
「頼む。このまま彼女が謹慎となれば、私はもう彼女と二人きりで会う機会はなくなるだろう。最後に、お別れを言いたいんだ」
最後……。
やはり、リカルド様にはもう、わたしへのお心がないのだわ……。
どうやら完全に嫌われてしまったわけではないようだけど、彼の描く未来に、わたしという存在はいないのだ。
一瞬で分かってしまった。
そのことが、どうしようもなく悲しかった。
突き放されたように感じる。
あの謁見の間で味わったのと同じ喪失感が繰り返しわたしを苦しめる。
男たちが部屋を出て行き、リカルド様と二人きりになっても、私は目を開けることができなかった。
今さらどんなふうに接すれば良いのか分からない。
このまま目を覚まさないふりをしよう。
「アシュリー……」
リカルド様が側で屈み込む衣擦れの音。
気付いたときには、息がかかるほど近くに彼がいるのを感じた。
寝ているわたしに顔を近づけ、そうやって名残惜しんでいるのが分かった。
…………。
ちょっと……。
ちょっ、ちょっ、ちょっ、ちょーっと!?
ちょっと!
さすがに!
あまりにも!
これは、この距離は、近過ぎなのではありませんか!?
リカルド様は、わたしが頭をのせる枕の上に腕を置き、そこにご自分の体重をのしかからせていた。
枕が沈み込む感覚と、わたしの身体の真上に覆いかぶさるような彼の気配でそのことが分かる。
女性の寝込みを襲うなんて最低です!
そう思いながらも、でも、これが最初で最後のひとときとなるのなら、という投げやりな、というか、破れかぶれな感情も、確かにわたしの中にあるのだった。
突然わけの分からない企みで非情に引き裂かれてしまった二人だけど、それまで育んできた親愛の情は間違いなく本物だったのだから。
押し寄せる緊張と不安。
そして微かな期待。
彼がこれから何をしようとしているのかが分かる。
そして、わたしはそれを知りながら、寝たふりを続けようとしている。
もう婚約は破棄されてしまったのに、こんなことは許されないという背徳的な感情に、胸が締め付けられる……。
彼の唇が、私の唇に触れ、深く、合わさりあった──。
「……!」
その瞬間、天地がひっくり返ったような衝撃に頭が揺らされた。
身体が前につんのめる。
バランスを取るとか、腕に力を入れるとか、そんな対処方法を思い浮かべる間もない。
わたしは前に倒れ込み、何か硬い物に思い切り額をぶつけてしまっていた。
「ってて……」
床にペタリと座り込んで額に手を当てる。
かなり強くぶつけたらしい。
ゴチンと骨を打った音がしっかりと耳に残っていた。
目がチカチカする。
「リカルド様……?」
一体わたしに何をしでかしたのですか?
そう言って問い詰めるため、わたしは寝たふりをやめて周囲を見回した。
「あれ?」
変だ。
ベッドで横になっていたはずなのに、今のわたしはベッドの下で尻もちをついていた。
それに頭を打ったせいか、先ほどから耳に届く自分の声が妙にこもって聞こえて変な感じだった。
あとそれに、リカルド様の姿も見当たらない。
おそるおそる膝を伸ばして腰を持ち上げる。
先ほどまで自分が横になっていたはずのベットの上を覗き込む。
リカルド様と身体の位置を入れ替えるようにして、ベッドからずり落ちてしまったのだろうかと考えたのだ。
だけど、リカルド様はそこにもいなかった。
その代わり、ベッドの上には、目を見張るような美しい顔だちの女性が横たわっている。
「だ、誰!?」
思わず大きな声で問いかけた。
けど、返事はない。
彼女は目をつぶったまま、どうやら眠っているらしい。
おでこの部分が少し赤く腫れているけど、そんなことお構いなしにスヤスヤと寝息を立てている。
いや……、あれ?
あれ、これって……。
「わたしぃ!?」