7 陰謀論
7 陰謀論
おれはアパートに帰ると、頭が冴えているうちにユーチューブに「ムギヤマール」のことを載せようと考えた。誰かに先を越されたら元も子もない。
「子供たちを兵士にする新薬(ムギヤ○(仮))が密かに日本で開発されている」「こどもたちに集団行動を促し、秘密を守り、体力や筋力を増強するスーパー少年兵士製造薬。ある小学校で密かに実験が進んでいる。結果は上々」と麦山小学校の6年2組の子供たちが50メートル走の記録会をしている映像と、それとなくわかるように栄養ドリンクの「ムキット」をおれが話している横にラベルを反対側にして置いた。丘の上の製薬会社の写真も忘れなかった。いずれも当事者から訴えられないように映像をぼかしていた。だが、当事者が見たら絶対にわかるはずである。
「集団行動を促す」という説明のところでは、社会性昆虫のアリやハチが巣で群れている写真も使った。そしてアリやハチから「ムギヤ〇(仮)」と同じ成分が抽出され、マウスを使った実験でも「ムギヤ〇(仮)」によって集団行動が促進されることが明らかになったそうだ、と話をいくらか盛っておいた。このくらいは許されるだろうと思ったからだ。
おれの渾身のユーチューブに対して、最初の頃は何の反応もなかったが、「ハリウッド映画で観た壮大な陰謀が、この日本のどこかで行われているかもしれませんね。情報提供ありがとうございます。これからも期待しています」というコメントが載ると、このコメントに連鎖的な反応があった。
「これはロシアの陰謀かもしれない」
「いや、いや、陰謀の巣窟はアメリカでしょう」
「中国を忘れちゃあいけないよね。あそこは漢方薬の歴史もあることだしね」
(「ムギヤ〇(仮)」は漢方薬じゃないと思うんだけど)
「アメリカだって、ネイティブアメリカンの伝統的な薬があるはずだぞ」
(だから何だって言うんだ)
「インドを忘れたら、ひどいしっぺ返しがあるかもね。瞑想の国だよ」
(瞑想が薬とどう関係あるのかわからなかったが、真剣に受け取る必要はない)
「イギリスだって、007の国だから、可能性は十分じゃない」
(陰謀にはスパイはつきものだからね)
「イスラムの国も忘れないでね」
「これは国レベルの話じゃなくて、あの世界を背後で動かしている秘密結社の仕業じゃないのか?」
(おお、かの有名な陰謀論の登場だね)
「その可能性も高いよね」
「次回のオリンピックには10歳以上の選手も出場が可能になったそうじゃないの。きっとオリンピック委員会を動かしている裏の秘密結社が「ムギヤ○(仮)」の効果を調べているのよ」
「その可能性は大だね。オリンピックで効果が証明されれば、薬の値段も跳ね上がるだろうし」
「どうでもいいけど、うちの小学校1年生の子供に飲ませたいよ。将来大リーガーにするんだから」
コメントが急増するきっかけになった「ハリウッド映画」や、途中の「秘密結社」のコメントは、あとでおれのパートナーの洋子が書き込んだことがわかった。普段おれのユーチューブには無関心を装っていた彼女だが、陰ながらおれのユーチューブを見てくれていた。それに、それにだよ、当初のフォロワー3人のうちの1人が洋子であることを彼女が教えてくれた時、おれはこれまで以上に洋子が愛おしくなった。
コメント欄が急激に増加し、書かれる内容がどんどん過激になって行った。おれはコメントに触発されて、そこらの中学生に小遣いを与えて小学生を名乗らせ、顔をぼかし、声を変えて、おれが書いたシナリオ通りに、「ムギヤ〇(仮)」を飲んで力がついた、サッカーのチームプレーができるようになった、コーチに褒められた、と言わせた。おれのチャンネル登録数はほどなく1万を超えた。
夕食でおれが作った鳥のから揚げを食べている時に、これからはワールドワイドの展開をしていけば、と洋子が言った。おれは視聴者の関心を引くような映像を思いつかなかったので、とりあえずハリウッド映画の筋肉ムキムキの子供の映像を使った。洋子の提案によって、世界の子供の体操選手や水泳選手の写真を合成して載せるようになった。合成技術は彼女に教わった。
子供たちの従順さの促進をアピールするために、ボーイスカウトやガールスカウトの動画も忘れなかった。北朝鮮の子供たちの行進も北朝鮮からクレームがつかないように、ぼかして使った。全体的に脈絡はまったくないのだが、コメントは大いに盛り上がっていった。
次回は「ムギヤ〇(仮)」の真相を暴くと予告を入れて、毎回真相をあばくことなく、予告だけで引っ張った。テレビドラマの受け売りだ。時に、「商談のためにロシアの政府団が○○製薬の社長と接触か?」として、ネットの中から適当な写真を見つけて載せた。そのうちチャンネル登録数は10万を超して、なんとスポンサーもついた。おれもかなり怪しいユーチューバーになったものだと思ったが、こうして発信しているうちに、不思議と自分でも「ムギヤマール」がスーパー少年兵士養成薬であることを疑わないようになっていた。どこまでが自分が直接聞いた話で、どこからが自分が頭の中で創り出した話なのか、その境がわからなくなっていた。
おれには悪意のひとかけらもなかった。悪意がなくても人は悪人になる。悪人を決めるのは自分でなく他人だ。おれはあくまでサービス精神に従って事を運んでいるだけだ。みんなが盛り上がってくれればそれでいいではないか。とにかく、今自分はこれまでの人生で一番乗っているんだ。
おれは横断歩道で背後から誰かに押されて危うく死にそうになったと、その場面の動画を載せた。この動画はおれのストーカーがおれをスマホで撮影していた時に起こったものだ、とユーチューブで解説した。少し考えればこんな場面を都合良く動画に収めることができるはずない。洋子のアイデアで、彼女が撮影してくれたものだ。あたかもストーカーが隠し撮りしているようにローアングルからだ。視聴者は疑いながらも面白さに群がった。おれは命を狙われるようになったので、住所氏名は公開しないし、これからは自分の顔も公開しないで発信していく、と画面上で宣言した。
「「ムギヤ〇(仮)」は天使の薬かそれとも悪魔の薬か? 私は真相を明らかにするまで戦う」と宣言して、フォロワーから絶賛のコメントが寄せられた。「「ムギヤ〇(仮)」が今年の流行語大賞で決まりだね」という洋子のコメントに2万以上の「いいね」がついた。
ユーチューブが大ヒットしてそれまで手にしたこともないような大金が転がり込んできたが、洋子がこのブームはすぐに終わるのだから、今のうちに貯金をしておこうと言ったので、しかたなくずっとあのみすぼらしいアパートに住んでいる。おかげで随分お金が貯まっているはずだが、金の管理は洋子が担当している。おれは月に3万円の小遣いが貰えるだけだ。それでも、以前よりも3倍になった。彼女は、どうせ金を持ってもパチンコでするだけだから3万円で十分だと言った。自分でもこのおんぼろアパートの狭い部屋に住んでいたら、身の回りのものは増やせないし、たとえスーパーカーを買ってもこのアパートの住人である自分には不似合いだし、カッコいいスーツを買って颯爽とこのアパートから出かけても、大きな違和感があると思った。アパートに住む限り成金であることを周りにひけらかすことはできない。そう言う意味では、彼女のこのアパートに住み続けるという提案は、よく考えられたものであると思う。
洋子の両耳には大きなダイヤモンドのピアスがはめられている。そのことを彼女に言うと、これはガラス玉だと一蹴された。それにネイルアートというのだろうけど、爪の色や模様が派手になってきた。まあ、こうしたことを彼女に言うと、「小さい男ね」と鼻でせせら笑うので、うかつなことを口走ることはできない。彼女は今も印刷所で働いている。
ある日、洋子が二人の成功を祝って、桐の箱に入った高級マスクメロンを買ってきた。おれの好物を知っていたのだ。この時おれは金持ちになったことを実感し、心底嬉しかった。彼女がメロンに包丁を入れて、メロンの豊饒な匂いが空間に放たれた時、それを嗅いだおれは吐き気を催しトイレに飛び込んだ。便器に向かって吐いていると、ドアの向こうから「情けねー」という声が繰り返し聞こえてきたように思った。おれは一生メロンを食べられない体になっていた。
つづく