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地球の片隅の陰謀論  作者: 美祢林太郎
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5 情けねー

5 情けねー


 おれは今日もユーチューブに載せるネタがないものかと近所をほっつき歩いていた。これがおれの日課である。

 近くの麦山小学校の運動場を覗くと子供たちが徒競走をしていた。何気なく見ていると、あのメロンの大食いの時にマルコの店頭にいた少年の一人をみかけた。あの子がおれをトイレのドアの向こうで「情けねー」と罵った少年かもしれない。少年はマルコでおれのメロンの大食いを見ていた時と打って変わって、真剣な顔つきで50メートル走のスタートラインについた。「よーい、どん」の声で走り出した。その子はスタートダッシュをきめ、ぶっちぎりで一番だった。やっぱりかわいげのない子供だ。おれは昔から運動会は一番びりだった。奥ゆかしさのない子供は大っ嫌いだ。

 そう言えば、最近は子供たちに競争させることを避けて、小学校から運動会の徒競走がなくなっていると噂で聞いたことがあるが、やっぱり徒競走は子供たちを真剣にさせてなかなかいいものだと思った。それは自分がビリであったぶざまさとは別の次元の話である。自分の負い目だけでその存在を否定することは、決してしてはいけないことだ。

 おれは気づかれないようにカメラを回し始め、子供たちの走る姿を撮影し始めた。おれはこのところ人間の真剣な表情を忘れていたから、とても新鮮に映った。

 その日から毎日、麦山小学校の放課後の運動場に通うようになった。通ううちに、走っているのが決まった顔触れであることがわかってきた。下校する子供に尋ねると、かれらが6年2組の児童だということがわかった。どうしてあのクラスだけが毎日走っているのかと訊くと、みんな「さあ」と首をかしげるだけだった。それでも、ある女の子は「もうすぐ行われるクラスマッチに勝つために練習をしているんじゃないの」と彼女の推測を教えてくれた。クラスマッチのために毎日走っているのは6年2組だけだ。おれはクラスマッチの日時を聞いて、その日が来るのを楽しみにした。6年2組のトレーニングを見つめるおれも真剣になり、かれらが日に日に速くなっていくのが遠目でもわかった。

 クラスマッチの日がやってきた。徒競走とリレーが行われたが、顔がわかるようになった6年2組の子供たちはほとんどみんなが一番か二番でゴールした。圧巻はリレーで、ぶっちぎりの一番だった。おれはそれを見て、一人で「やったー」と自然に声が出たほど嬉しかった。


 クラスマッチの日まで毎日放課後で6年2組のトレーニングを見学していたが、見学するうちにトレーニングはただ単にクラスマッチに勝ちたい理由だけではなさそうに思えてきた。小学生がクラスマッチにこれほど執念を燃やせるものだろうか? いくら純粋で単純な子供たちでも、ほんの二三日もすれば飽きてしまうはずだ。考えてみれば、大人の指導者がいないのに、ずっと子供たちだけで真面目に走り続けているのは不思議なことだ。そこでおれは下校する6年2組の子供たちを捉まえて、どうして毎日トレーニングをしているのか訊いてみたが、誰も何も答えずに、おれから走って逃げていってしまった。おれはそれほど悪人顔をしているとは思えないので、かれらが逃げるのが不思議だった。

 ある日、数人で下校している6年2組の子供たちの会話が耳に入ってきた。

 「記録は順調に伸びているよね。やっぱり「ムギヤマール」は効いているんだね」

 「ムギヤマール」が効いている? 何だ、その「むぎやまーる」って。これまで聞いたこともない言葉だ。「むぎやま」は麦山小学校の「むぎやま」だろうな。それに「あ―る」を付けたんだろうけど、それはいったい何だ? 「むぎやまーる」っていう歌が子供の間で流行っているのかな? でも走る前や、走っている時に誰もヘッドホンをしていなかったしな。それとも「むぎやまーる」は鉢巻かなんかの愛称のことを言っているのか? でも、鉢巻をしている子もいなかった。ランニングシューズの名前だろうか? みんな違う運動靴を履いていたし、彼らが履いている靴も別段何の変哲もなさそうだ。もしかしたら速くなるための呪文? 呪文? 子供だからそんなこともあるだろう。だけど、走る前のかれらの口元に気を付けてよく見ても、「むぎやまーる」という呪文を唱えているようには見えなかった。おれはスマホで「むぎやまーる」と検索してみたが、めぼしい答えは出てこなかった。

 そこで別のクラスのこどもたちに「むぎやまーる」を知っているかと訊いて回ったが、誰もきょとんとした顔をして「知らない」と答えた。知っててとぼけているようにはみえなかった。「むぎやまーる」を知っているのは6年2組の子供たちに限定されているようだ。

 アパートに帰って、「むぎやまーる」の事を考えていると、洋子がおれがさっきから呪文のようにぶつぶつと口にしている「むぎやまーる」っていうのは何なのかと訊いてきた。その後で、「何かの薬?」と洋子は言った。おれはこの時ハッとひらめいた。きっと「むぎやまーる」は薬なんだと。おれは洋子の両手をとって「ありがとう」と言って、二人でぴょんぴょんと飛び跳ねた。彼女は嬉しそうに「下の階に響くから跳ねるのはやめてよ」と言った。

 6年2組の子供たちは全員「ムギヤマール」という薬を飲んでいるんだ。ネットで「ムギヤマール」と検索しても出てこないのは、発売されていない未承認の薬だからだ。

 かれらから「ムギヤマール」の詳しい情報を聞き出すために、6年2組の子供たちが通っている学習塾やスイミングスクールで出待ちをして、一人ひとりに訊いてみた。すると、「ムギヤマール」という言葉に全員がぴくりと反応したが、その後で誰も「知らない」と言って、足早に去って行った。結局この方法では何の情報も得られなかった。6年2組の子供たちは全員で「ムギヤマール」を部外者の誰にも漏らさないかたい誓いを立てているように思えた。これじゃあまるで6年2組は秘密結社のようだ。そう言えば、子供の頃にこうした遊びをしたことを思い出した。いつの時代も子供たちは秘密結社が好きなのかもしれない。しかし所詮子供だから、すぐに突き崩せるだろうと考えた。

 こうしておれは「ムギヤマール」にどんどん深入りするようになっていった。下校する子供をつかまえて「警察のものだけど」と警察手帳らしきものをちらっと見せてすぐにそれを引っ込め、「薬のムギヤマールについてちょっと訊きたいのだけどいいかな?」と話しかけた。子供も警察には弱い。テレビの刑事物の影響なのだろうか。

 公園のベンチに座って二人で話すと、「これは秘密なんだけど」と断って、子供はあたりを気にしながらも、小声になって話し始めた。「あの丘の上に立つ製薬会社が給食のコッペパンの中に足を速くする薬「ムギヤマール」を入れて、その効果を6年2組のぼくたちを使って確かめているんだ。毎日計測していると確かに効き目があることが分かったんだから。これは秘密だよ。絶対に秘密だから」と教えてくれた。同じように、警察官を装って何人かから聞いてみたが、かれらの話す内容は最初に聞いた話とほとんど同じだった。

 聞き取り調査を始めて3日目になると、子供たちは誰かに口止めをされたようで、ぷつんと誰も口を開かなくなった。

 5日目に、偶然公園で一人の6年2組の少年と出会った。記録会でリーダーを務めていた少年だった。それにおれがマルコの店でメロンの大食いにチャレンジした際の観客の一人だった。そのうえ、トイレに閉じ籠ったおれに情け容赦なく「情けねー」と言い放った少年である可能性が高かった。おれは忘れてはいないが、こうしたことをおくびにも出さず、いつものようにかれにニセ警察手帳を見せて、「ムギヤマール」のことを尋ねた。かれは怯みもせずにおれに向かってふてぶてしくも「いつも警察官は二人で行動しているのではないですか? どうしてもと言われるならば、警察署に行ってお話ししますけど」と返してきた。ニヤッと笑ったようにも思えた。かれはおれがニセ警官であることを見破っているようだったし、もしかするとおれが「情けねー」奴であることをわかっているのかもしれない。確かにあの時の声に似ているようでもあった。おれはすっかり動揺してしまい、その場はスマホに緊急連絡が入ったことにして、誤魔化してかれと別れることにした。

 別れてしばらくして振り向くと、少年はすごすごと立ち去るおれに「情けねー」と聞こえよがしに声をかけ、お尻ぺんぺんをして笑いやがった。おれは耳まで赤くなった。さすがに温厚なおれも頭に血が上って、少年を走って追いかけたが、かれの足が速く、逃げ切られてしまった。あの「ムギヤマール」の効果だろうか? おれは普段の運動不足が祟ったのか、しばらくゼイゼイと喘いだ。おれの完敗だ。

 後で、他のクラスの子どもから少年の名前を聞き出すと、海野まことということがわかった。


                   つづく

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