1 麦山小学校6年2組
1 麦山小学校6年2組
校庭の満開の桜の花がすっかり散ってしまった四月の中頃、麦山小学校6年2組の子供たちの間で密かに噂になっていることがある。給食に出されているコッペパンの味が微妙に変わったというのだ。最初に誰が言い出したのかは誰もわからない。当初は半信半疑だったものも多かったのだが、そうした懐疑派は瞬く間に声を大にして味が変わったと主張する連中に駆逐されて行った。声の大きな者に従った方が無難だというのは、小学校高学年の頃に誰しもが気づくことなのだろう。長い物に巻かれた方が厄介がないことは、子供も大人もそう違いはない。それに、コッペパンの味が変わらないと決めてかかるとそれで話は終わってしまい、変わったことにして話が続いて行く方が、ずっと面白い事は暗黙のうちにみんなが共有することだった。6年生になってクラス替えが行われた6年2組は、四月の中旬になってもまとまりはまったくなかったが、取るに足らないコッペパンの味の変化が共通の話題となって、みんなを引きつけて行くことになった。
コッペパンの味の変化をクラスの誰かが給食を作っているおばちゃんに直接尋ねてみたそうだが、おばちゃんは少し困ったような顔をして「味は変わっていないはずだけど……」と答えたそうだ。また他の誰かがいつも教室で児童と一緒に給食を食べている担任の教師の有馬に訊いてみたが、有馬は改めてコッペパンを一口頬張ってゆっくりと味を確かめ、「特別、味が変わったようには思えないけど……」とパンの欠片が残っている口を開いた。コッペパンを家に持って帰り親に食べてもらった子供もいるが、親もコッペパンの味が変だとは思わないと言った。親たちはこれまで学校のコッペパンを食べたことがないので、味の変化がわからなかったのは当然だ。
誰かが、他のクラスのコッペパンをかき集めてきて、みんなで少しずつ食べてみたが、誰かが「これは以前のコッペパンの味だ」と言うと、みんなが「そうだ、そうだ」と同調した。全員の結論は、味が変わったのは6年2組だけということになった。
ホームルームの時間、コッペパンの味の変化が話題にのぼり、担任の有馬が子供たちに味がどう変化したのか訊いたが、即答する者は誰も出てこなくて、隣や後ろの席の者と勝手に話を始め出した。味を正確に言葉で表現するのは大人にしたって難しいことだ。ましてやかれらは子供だ。みんなどのように表現したらいいのか困っていた。周りの席の者と話し合っていると、具体的な味の変化が思い出せないものがほとんどだ。
教室がざわつき始めた頃、海野まことが「先生」と真っすぐに手を上げて立ち上がり、「味の変化はわずかなので言葉で表現するのは難しいのですが、そこでこれはあくまでぼくの感想になるのですが、どことなく渋かったり、苦かったりする、あの薬のような味がすると思うのです」と大人びた口調で発言した。誰もがクラスで一番賢いことを認めているまことの発言に、何人かから「そうです、そんな味です」と同意する声が上がった。コッペパンの味を思い出せなくなっていた子供も、口の隅でほんわかと薬のような渋い味が蘇ってくるようだった。それでも首をかしげている者もいたが、後ろの方から「味に鈍感な奴にはわからないよな」と言う声が聞こえると、みんなが「そうだ、そうだ」と言った。
では味が変わったのはどうしてなのだろう、と誰かが着席したままで、みんなに聞こえるように言った。給食のおばちゃんが密かに安い砂糖に替えたせいじゃないか。いや、水が変わったせいじゃないか。最近、水道工事をしているのを見たから、水道管に赤さびが出たんじゃないか。水の中の塩素の量が変わったんじゃないか。と、てんでに自分の考えを述べた。
ある子が、ウクライナとロシアの戦争で、小麦粉の生産地が変わったせいかもしれないと言うと、誰かが「これまではうちの学校のコッペパンはウクライナ産の小麦粉だったの?」と訊き、その子が「わからない」と答えた。他の誰かが「ロシア産かもしれないよ」と言うと、また他の子が「それなら国内産に切り替わったんじゃないの」と発言した。またある子は、小麦粉の値段が上がったので米粉を混ぜるようになったのかもしれない、と言い出した。すると他の子が「小麦粉よりも米粉の方が高いんじゃない?」と言った。子供たちはテレビなどから得た断片的な知識を結び付けて自由な発想をした。
そうこう話しているうちに、またある子が薬のような味になったのだから、なんらかの薬が入っているのかも知れないと言い出した。みんなは一斉に薬という言葉に引き付けられていった。ある児童が、「もしかすると、あの丘の上にある製薬会社が頭のよくなる薬を開発してて、ぼくたちを使って人体実験をしているのではないの?」と言い出した。すると、それまでボーとして話に加わっているかどうかわからなかった太一がいきなり「おれ、頭が良くなるなら、毎日たくさんのコッペパンを食べる」と口を開いた。太一はクラスで一番太っていて、これまでも給食のおかずは給食当番に頼んで大盛りにしてもらい、そのうえ小食の女の子たちからコッペパンを何分の一かずつ分けてもらっていた。6年2組の児童はみんなコッペパンの味が変化したのは、頭の良くなる薬が混入されているという仮説に傾斜していった。ちなみに、麦山小学校の近くの丘の上に小さな製薬会社があった。
翌日から、6年2組ではそれまで誰も注目しない存在だったコッペパンの人気が急上昇し、みんながじっくりと大きめのパンを選ぶようになった。もちろん、狙いを定めた大きめのコッペパンが他の誰かにさっと取られて、トラブルが起こることもしばしばであった。こうしてコッペパンを巡る争奪戦は激化し、男の子同士がコッペパンの大きさを巡って取っ組み合いになることもあった。
ある子供は自分のシチューと隣の席の子のパンを交換してもらい、2個パンを食べた。太一はシチューが大盛でコッペパンも2個食べた。太一は他人のコッペパンを素手で触るので、女の子の中には触られたパンを太一に譲るはめになったのだ。太一がトイレから出てくる時、いつも手を洗わないことをみんなは知っていたからだ。もしかすると手を洗わないのは太一が他人のパンを手に入れるための作戦なのかもしれないと思われたが、コッペパン事件以前からそうだったのだから、ただずぼらなだけという見方が正解である。
こうしてパンを巡る争奪戦がゴールデンウィークを挟んで一ヶ月近く続き、5月の中間テストの日がやってきた。みんなはテストの日が来るのを待ち望んでいた。クラスの全員がテストの日を待ち望むなんてことは麦山小学校始まって以来だ。当日は、みんな早起きをして、学校に早く到着した。みんな清々しい顔をしていた。十分睡眠時間をとっていたし、自信があったのだ。しかし、その自信も問題用紙が配られてほどなくして消えた。配られた問題用紙を裏返しにし、先生の「始め」の指示で問題用紙を表に返し、名前と出席番号を書いて、問題を見た時、全員が一斉に落胆するのが教壇に立っていた有馬先生に怒涛のように襲ってきた。有馬先生には何が起こったのかまったく理解できなかった。子供たちは問題を見れば自然と答えが浮かんでくるか、鉛筆が勝手に正解を書いてくれるものとばかり思っていたが、当然そんなことは起こらなかった。一人が机にうつ伏すと、他の者も続いてばたばたと答案用紙の上に伏せた。全員が討ち死にである。子供たちはコッペパンを食べて賢くなっていると思って、親たちの心配をよそに試験勉強をしなかったのだ。先生は子供たちが何かの伝染病にでもかかったのではないかと慌てふためき、うつ伏した一人ひとりに「大丈夫ですか」「大丈夫ですか」と声をかけていったが、みんなからは精気が抜けたように「はあ」と深いため息が漏れてくるだけだった。
6年2組のテストの結果は惨憺たるもので、有馬はみんなに何があったのか心配になった。有馬は学年主任や校長に呼ばれクラスの成績が壊滅的だったことの事情聴取をされたが、有馬には何が原因かさっぱり見当がつかず、おたおたするばかりだった。
子供たちの中には、一ヶ月ではコッペパンに入れられた頭の良くなる薬の効果は表れなかったのではないかと主張する者もあったが、この考えを支持する者は少数派だった。テストの成績がこれまで受けてきた中で最低だったし、親からもこっぴどく叱られたので、もう一度コッペパンにテストの結果をゆだねることはできないとほぼ全員が思っていた。
それからはコッペパンに頭がよくなる薬が入っているという仮説にきっぱりと見切りをつけ、子供たちは真面目に授業を受けて勉強をするようになった。中間テストの成績の不振を解消するために頻繁に繰り返されるようになった小テストの結果は見る間に上昇し、有馬や校長は次回のPTAの集まりで保護者に追及されずに済むと思うと、胸をなでおろした。