12 最貧国の交渉人
12 最貧国の交渉人
スーパー少年兵士養成薬ということで、アフリカの最貧国の代理人が、「ムギヤマール」を売ってくれとマンションにやって来た。国民の平均年齢は23.5歳で、今も国の人口は急増し、子供たちは掃いて捨てるほどたくさんいるという。だから、子供たちが相当な数減っても、人口が減少する心配はないし、国内の食糧事情から言っても、減った方が助かると言うのだ。
洋子がネットでこの国を検索すると、今はどこの国とも戦争はしていないし、内戦も5年前に反政府組織と停戦協定を結んでその後大きな争いはないそうだ。それでは少年兵は必要ないではないかと代理人に訊くと、少年兵を他国に輸出して外貨を稼ごうと政府は考えていると言う。この国にはこれといった資源や産業がないので、少年兵が外貨を稼ぐ有効な手段になりうると言う。
未成年者を雇ってくれるようなまっとうな国はない。万が一雇ってくれる国があったとしても、低賃金で奴隷のように働かせる人権意識が皆無の下等な国だけだ。現在でも少年たちは戦争をしている国に、日本円で一人3千円で兵士として売られている。少年たちは親たちにとってはただの口減らしに過ぎない。
体力のない彼らは地雷を埋めたり、爆発しなかった爆弾を撤収したり、ひどいのは地雷があるかどうかを歩いて確かめる危険な仕事につくこともあるそうだ。一回売られると、かれらには月給が入らないので、実家に仕送りすることもできず、かれらは異国で空しく死んでいくだけだ。死んでも兵士として死者の数にカウントすらされないそうだ。まともに人間扱いされていない。かれらは戦場を寂しく逃げ回るウサギやキツネの死と同等に扱われているのだ。
そんなかれらが「ムギヤマール」を飲むことができたら、体力や筋肉が増強して大人並の働きができるようになり、戦場で寂しがって涙を流すこともなく、上官の命令に忠実で、勇敢な兵士になれるので、これまでとは比べものにならないくらい高い値段で売買されるそうだ。
「ムギヤマール」を飲んだ少年たちがまっとうな外国の軍隊に入隊したら、毎日腹いっぱいの食料にありつけるだろうし、生きている間は毎月月給をもらって、実家に仕送りができる。本来「ムギヤマール」はこうしたことを目的として開発されたのではないか。元々はおれが勝手にでっち上げたストーリーだったが、それを他人から聞くと、空恐ろしくなって背筋に寒気が走る。
おれは、少年は兵隊として海外に出て行って給料をもらえるかもしれないが、それでは国内は女ばかりになってしまうではないか、と訊いた。すると、少女はメイドにして海外に出すという。少女たちも「ムギヤマール」を飲んだら体力がついて力仕事もできる立派なメイドになるはずだ。こうして国内の人口を調整でき、そのうえで外貨を獲得できる、一石二鳥だと、この国のバラ色の未来を聞かせてくれた。
かれは気分がよくなってきたのか、これは秘密だがと断って、近々国が少年少女を国内に留まる者と国外に兵士やメイドとして輸出する者に選別するそうだ。国外に出す者は頭脳と容姿が劣り、性格が悪い子供を出して、反対に国内には頭の良い、容姿端麗で、「ムギヤマール」を飲まなくても体力があり、性格が良い子供を残すそうだ。このためにいま全国の小学校6年生を対象とした学力試験や性格検査を行う準備に取り掛かっているそうだ。容姿は面接で決めることになっており、容姿の一次審査は小学校の教員が行い、二次審査を国から出向した役人が行うことになっている。同年齢の子供の90%は国外で外貨を稼いでもらい、10%の人間に国内で中等教育を受けさせ、さらにその中から上位三分の一の人間がハーバード大学やオックスフォード大学のような超一流大学に進学して、将来は国のリーダーになって活躍してもらうことを計画していると言った。この計画はすべて「ムギヤマール」の入手が前提になっているようだがと訊くと、「その通りだ。是が非でも「ムギヤマール」を売ってもらわなければ、自分は国には戻れない」と悲壮感を漂わせた。
計画は一見筋が通って整然としているようにも聞こえたが、すごく残酷にも聞こえた。本当に子供たちを国内用と国外用に選別することができるのだろうか? どう考えても国内にとどまった方が子供たちにとって明るい未来が広がっているではないか。もし、政府の高官や金持ちたちの子供が頭が悪かったり、性格が悪かったり、容姿が悪くて、国外用に選抜されたら、親たちはおとなしく従うのだろうか? 日本だったらそんなことは絶対にありえない。そんなことができるのはSFの世界だけだ。
このことを尋ねると、「大丈夫だ。全国一斉テストの結果は裏でいくらでも操作できるから、そんなことにはならない」と断言した。それは不正じゃないか、と言うと、どんな国でも不正は大なり小なり行われているだろうと居直った。少しの例外はあっても国全体のためになるのだからいいじゃないか、重箱の隅をつつくなと言った。どこかが違うような気がした。もしおれがその国の少年だったら外国に行って兵士になんかなりたくない。
おれは不細工だし、怠け者だし、バカだから外国に行って兵隊になることは決定事項のようなものだ。食べる物に困っても、生まれて育った両親のいる国に残りたい。そう言うと、それではいつまでも国は良くなりません。そんな我儘な子供は強制収容所に入れて、肝臓や腎臓を売ってもらいますと言った。恐ろしい国だと言うと、あなたは本当の貧しさを知らないからだ。恐ろしいのは貧困なのだ。貧困が暴力や病気、飢餓を生み、国民全員が死と隣り合わせに生きていかなければならない。そんな我々のような国は地球上にいっぱいあり、おそらく「ムギヤマール」を我々と同じように利用しようと考えている国もたくさんある。是非とも我国に売って欲しいと哀願された。
おれは麦山小学校の6年2組の無邪気な子供たちの顔を思い出した。かれらには悲壮感はなかった。それは決して「ムギヤマール」を飲んでいたせいではないだろう。
先進国の同じ年頃の子供たちは学校に行き、友達と楽しく遊んでいる。子供たちは勉強し遊ぶ年頃なのだ。それが「ムギヤマール」を飲んだ最貧国の子供たちは、死に直面する兵隊として売られていくかもしれない。おれのようにユーチューブを使ってバカな日々を送ることはできないんだ。麦山小学校の6年2組の子供たちは、楽しそうにトレーニングをしていたじゃないか。もしかすると「ムギヤマール」を飲んだ子供は戦場でもあんな楽しそうな顔をして爆弾の破裂する中をライフルを担いで走っていくのだろうか? しかもそれは母国や父母を守るためではなく、どこの国で戦い、敵国はどこなのかを知ることもなく「ムギヤマール」という薬に突き動かされて、ロボットのように死んでいくことになるのだろうか。そんな戦場で笑って死んでいいのか? 「ムギヤマール」は、なんと残酷な薬なんだ。
「ムギヤマール」はニセの薬だ。決して体力や筋肉の増強や集団形成の効果なんかない。それはおれの妄想だ。そんなものに騙されて子供たちが死んでいくなんて許されることではない。子供たちは「ムギヤマール」を飲んでも、筋肉が増強されたり、上官の理不尽な命令におとなしく従えないはずだ。死への恐怖が沸き立ってくるだろう。だって、「ムギヤマール」には何の効果もないのだから。
おれたちは最貧国の人に「ムギヤマール」を売らなかった。男は絶望したようにとぼとぼと帰っていった。おれと洋子はタワーマンションの最上階のクーラーのきいたリビングルームの大きなガラス窓から、眼下の整備された歩道をとぼとぼ歩くかれを見送っていた。
まともな奴は誰もおれたちのところに来ない。「ムギヤマール」は何にも役に立たない薬なのだろうか? 体力を増進することはいいことじゃないか。他の人たちと仲良くして他の人のために尽くすことはいいことじゃないのか? 恐怖心を持たなくなることは悪い事なのか? そうしたことは良い事のはずだ。だが、それらは平和な世の中で発揮されてこそ、幸せになれる能力なのだ。戦争の世界では、自分が真っ先に死んでいく能力なのだ。人間には怯えが必要なのだ。
すべての人間は恐怖心を持っている。だから、恐怖心を乗り越えて利他的行動をとる人を称賛できるのだ。海に溺れた一人をみんなが飛び込んで助けるようだったら、英雄なんて存在することはない。それは当たり前の行動だからだ。
しばらくして、ウクライナとロシアの戦争によって、両国から穀物が輸出されなくなって、貧しい国のたくさんの子供たちが飢えて死んでいる、というニュースが流れた。洋子は涙を流した。おれは洋子の涙を止めたやることができない。世界はあまりに残酷だ。
つづく




