11 愛国心
11 愛国心
どこからおれの電話番号を聞きつけてきたのだろう、小学校の友達だという奴が20年ぶりに電話をかけてきた。おれが有名なユーチューバーだということを知っていた。懐かしい、懐かしいと言って一方的に昔の話をしてきたが、まだ30歳にもならないのだから、昔の事を懐かしむ歳ではない。
しょうがないので、しばらく小学校時代の話に付き合っていたら、最近交通事故を起こして損害賠償の1億円を払わなければならないから、少し金を工面して欲しいと言い出した。これじゃあまるでオレオレ詐欺ではないか。いや、小学校の時の友達であることは間違いないので詐欺というのは言い過ぎかもしれないが、金をせびるのはどちらも似たり寄ったりだ。きっと宝くじで3億円当たった奴にも、どうしようもない人間が群がってくるんだろう。
おまえは昔からいい奴だったじゃないかと言われたし、おまえにジュースをおごったこともあるし、ゲームも貸してやったじゃないか、と恩着せがましいことをまくしたてられた。多分全部が本当なのかも知れないが、こんな他愛ないことで普通1億円もの金をもらえるとは思わないだろう。金を返す気はさらさらないだろうが、もしその気があったとしても、そう簡単には返せる額じゃない。「工面してくれ」、それはあまりに厚かましいというものだ。友だちという、甘い言葉を盾にするんじゃない。虫歯になるぞ。
思い出してきたけど、あいつは中学校から私立に行ったから、地元の公立の麦山中学校に行ったおれとは音信不通になっていた。別々になってからは、一度も連絡を寄こしたことはない。あいつは国立大学を出たんじゃなかったっけ。僻んでいるわけじゃないが、おれみたいな高校出とは違って、優雅な青春をエンジョイしたんだろう。一流の会社に就職したって聞いたことがあるな。おれみたいな人間とは住む世界が違うんだ。
当然、おれはそいつに金を工面しなかった。そいつはおれに冷たい奴だと決まり文句を吐いて、乱暴に電話を切った。こういう時に一方的に腹を立てる気持ちは理解できるが、それでもやっぱり理不尽というものだ。気分が悪くなったけど、金をやって気分よくならなくてよかった。
地元の役場の人間が来た。お土産だと言って、地元名産の温泉まんじゅうを持参してきた。かれは正真正銘の役人のようだ。かれは「ムギヤマール」を1ダースでいいから寄付して欲しいという。ただで譲ってくれたら、我々を名誉町民に指定すると言った。我々はもちろん名誉町民になりたいわけではない。そんなのありがたくもなんともないではないか。時代錯誤もいいところだ。
町役場で「ムギヤマール」をもらうことができたら、「ムギヤマール」を10,000倍に希釈して合計120,000本を作り、ふるさと納税の返礼品にするそうだ。これは絶対に話題を呼んで、全国からわが町にふるさと納税する人が増え、納税額が日本一になるだろう、と役人は勝ち誇ったように言った。これこそ取らぬ狸の皮算用である。そもそも我々は町に寄付するとは一言も言っていない。かれが先走っているだけだ。こんな独りよがりの計画を立てるようでは、町の将来も知れたものである。だが、この役人は自分の計画がうまく進んでいるものと信じ込んでいる。他人のふんどしで相撲を取るとはこのことだ。
こうした人間はどこまでも身勝手なもので、明日の夜8時に町長と会う段取りをすでにつけているから、7時半にタクシーでおれたちを迎えに来ると言った。おれたちに明日の夜の予定は何もなかったが、予定が入っていると言って、町長と会うのを断った。すると、せっかく町一番の料亭を予約して芸者もよんでいるのに、キャンセル料はどうするんだ、あんたたちに払ってもらうからと言ってきた。そんなのおれたちが払う義理はない。洋子はおれが怒っている傍らで、おれたちのやり取りを楽しそうに聞いている。
役人は、では来週の火曜日の夜ならどうかと再提案してきた。来週の火曜日も人と会う予定が入っていると言うと、相手も怒りだして、いつならいいんだと逆に訊いてきた。当分忙しいので予定は立たないと言うと、ではまた連絡するので、名誉町民のことをよく考えておいてくれと言って、帰って行った。かれから再び連絡が来ることはなかった。めでたし、めでたしである。
こうしたタイプの人間はどこの組織にも一人や二人はいる。何かを思いつくと周りが見えずに勝手に動く人間だ。こんな輩は何の成果も上られないし、本人は気づいていないだろうが、周りからは疎んじられている。
日本政府の内閣府の人間だと名乗る者がマンションにやってきた。かれは決して「ムギヤマール」を他国に売らないでくれと頼んできた。中国のような専制主義国家に売るなどはもってのほかだという。できればすべて日本に譲ってくれないかと申し出てきた。ただで寄付してくれとは言わないが、知っての通り我が国の財政も末期的症状なので、申し訳ないが全部を一億円で譲渡してくれないか、と言うのだ。いくらなんでもそれでは安すぎるだろうと言ったが、いま首相が個人的になんとかできるのはこれが限度だと言った。日本は本当に貧乏になったものだ。
どうも日本の役人は地方も中央もビジネスというものを知らないようだ。情に訴えたり、甘えたりすると、すべての事がうまくいくと思っているのだろうか。そんなことが世界に通用するとでも思っているのだろうか?
内閣府の男は、もし譲ってくれたら、「ムギヤマール」は戦争に利用されずにすむし、日本の仮想敵国に渡らないので、日本の脅威にもならないと言った。さらには、これを日本の子供に飲ませることはないとも言った。だいたい日本には子供たちが少ないので兵士にする余裕はないと言う。では、どうするのかと問い質すと、全部廃棄すると言った。
一億円払って、全部廃棄する? ここまで聞くと、なにか話がきれいごとすぎるように思えてきた。現実の日本がこんなにきれいなわけがない。きっと新しい輸出品にするはずだ。それならば表向きは軍需産業にはならないし、兵器の輸出にもあたらない。だが、実質的には兵器の輸出と同じことだ。それともアメリカの核兵器と交換するのだろうか? 国民には知らせずに、そんな密約ができているのかもしれない。
日本国に譲ってくれたならば、終身年金を払うと言ったが、額を聞くと70歳から特別に月10万円年金を上乗せすると言った。我々若者には夢のある話ではない。だが、それすらも国は簡単に裏切るだろう。
おれが説得に応じないとみるや、内閣府の男は逆ギレして、「愛国心はないのか」とおれを恫喝してきた。かれは愛国心という言葉ですべてが片付くと思っているようで、おれは閉口してしまった。愛国心という言葉がたくさんの国民を戦争で殺してきたことは、政治に無関心なおれだって知っている。愛国心という言葉だけで相手を従わせようとするのは、惨たらしい暴力である。「愛国心」という言葉に、水戸黄門の印籠のような効き目がないことを、かれはわかっていないのだろうか。
かれはおれを「非国民」と罵って帰って行った。それで結構である。国民を「非国民」と蔑んで分断する奴をおれは信頼できない。
かれが政府の人間だったのか、それとも一介の詐欺師だったのか、今でも謎である。だけど、そんな謎なんか鼻くそみたいにどうでもいいことだ。
その時以来、洋子はおれに「愛国心はないのか」と言って、度々おれをおちょくる。ある時、おれが洋子に「愛国心はないのか」と返すと、すぐに「ない」と応えた。おれはとまどって、洋子の顔を見た。洋子は透き通った顔をしていた。
自分から中国人マフィアと名乗る男とその秘書だという女性の二人連れがおれたちのタワーマンションにやってきた。秘書は一言も話をせずに、男だけが口をきいた。腹のつき出た男は、マフィアというよりも人の良い街中華のおやじにしかみえなかった。傍らの秘書は、影の薄い無口なおばさんだ。
男は恐れなくても暴力はふるわない、と前もって断った。映画で観るような殺しも行わない。現代はそんなことをする時代ではない。ビジネスにバイオレンスは必要ない、と言った。
中国人マフィアだけれども、国籍は中国ではないと言うので、台湾かと尋ねると、そうではないと言った。そう言えば、中国人は中国本土以外にもシンガポールを始めとして東南アジア一帯にたくさん住んでいるし、アメリカやヨーロッパにも住んでいる。最近はアフリカにも進出しているようだ。そう言えば、日本にもいた。
かれは「ムギヤマール」を正当な価格で購入すると申し出た。買ってどうするのかと訊くと、高く買ってくれるところに売りつけるだけだと言った。非常にわかりやすい。きれいごとは抜きだ。じゃあ、それはどこかと訊くと、中国かもしれないし台湾かもしれない。アメリカのIT長者かも知れないし、アラブの王様かもしれない。はたまたロシアの億万長者かもしれないし、エリザベス女王かもしれないと言った。要は高く買ってくれればどこでもいいというのだ。アメリカに売ったら中国は困るのではないかと訊いたら、別にそれがどうしたと言った。自分の血のルーツは中国にあるけれど、中国に愛着があるわけではないと冷ややかに言った。かれは中国に対して愛憎半ばのようだ。もしかすると、両親が文化大革命の時に虐げられて、家族を連れてアメリカに脱出したのかもしれない。連れの秘書は、顔色一つ変えずに男の話を聞いていた。
男は忘れていたと言って、持参した土産を我々の前に出した。箱を開けると、一つが千円以上もするような立派な肉まんが4つも入っていた。洋子がしまおうとすると、男が蒸かして食べようと言って立ち上がり、キッチンで勝手に鍋を出して2個を蒸かし始めた。慣れた手つきだった。出来上がった肉まんがそれぞれ二つに切られて我々の前に出されたが、中から肉汁が滴って、こんなおいしい肉まんを生まれて初めて食べた。単純だと思われるかもしれないが、中国人マフィアに対して好感度が上がった。それは洋子も同じようだった。食い物にはかなわない。肉まんを食べる間、男は肉まんのうんちくを面白おかしく話してくれた。この男、かなりの才人とみた。
食べ終わると、男はビジネスの話に戻った。
アメリカは先進国の中で人口増加している唯一とも言える国で、それは中南米からの移民によるところが大きく、ヒスパニックは凄い勢いで人口が増えているので、白人たちはヒスパニックの子供たちに「ムギヤマール」を飲ませて、戦場に送り込もうと考えていると教えてくれた。
中国は兵士の数に困ることはないだろうが、現在の中国の軍事的優位性があるとしたら、それは兵士の数にあるので、そのうち子供たちを兵士に出すことも考えるはずだ。子供が減っても、中国共産党の命令ですぐに子供を増やすことができる。これが民主主義国家と違うところだと教えてくれた。話を聞いていると、さっぱりとして、どこにもどす黒さを感じない。あくまでビジネスライクなのだ。こういう政治や思想にニュートラルな人が、正真正銘のビジネスマンのような気がした。
アフリカの少年が「ムギヤマール」を飲んでスーパー兵士になったとしても、上官の話すロシア語がわからないので、戦場でどう動けばいいかわからないだろう。銃器の使用法をロシア語で説明されたからといって、まったく理解できないはずだ。ロシア語で書かれた使用説明書も読むことができない。
「ムギヤマール」を飲んだ少年兵は、異国の戦場でたいして役に立たないだろう。本当のところ「ムギヤマール」がどのように利用されるのかわからないが、高く買ってくれれば我々はそれでいいんだ、と中国人マフィアは出っ張った腹を撫でながら言った。
一ダース一億円の相場で全部買い取って、それを転売して儲けた利益の20%をきみたちに与える契約をしようではないか。もちろん契約書も書くし、契約を守らなかったら裁判所に訴えてもらっても構わない。ビジネスは約束を守ることによって成立するんだ。ピストルや毒薬ではない。
男はバッグから1億円を出してテーブルの上に積み上げ、おれは冷蔵庫から「ムギヤマール」を一ダース出して渡した。次回に全部の「ムギヤマール」をこの男に売ることにした。契約がまとまって、男と秘書は帰って行った。ビジネスはドライでいい。おれは気分がすっきりした。
その後、待っても、男からの連絡は来なかった。
ある日、ラーメン屋の店主が店内で誰かに刃物で腹を刺されて殺されたことが、テレビのニュースで流れた。画面に映った顔写真を見ると、おれたちが交渉したあの中国人マフィアだった。中国人マフィアの表の顔はラーメン屋のおやじだったのだろうか? ビジネスを知らない人間にピストルで殺されたのだろうか? 人を殺す時代ではないと言った平和主義者の中国人マフィアが、有無を言わせぬ暴力の前に倒れた。おれは衝撃を受けた。
かれらの抗争は「ムギヤマール」の争奪戦によるものだろうか? それともそれとは関係ない何か他の抗争によるものだろうか? おれたちもいつか中国人マフィアのように誰かにあっさりと殺されるのだろうか? 一日も早く「ムギヤマール」を手放さなければならない。欲をかくと命が危うい。おれたちは別に大金持ちになりたいわけではないのだから。もう少しで肉まんに騙されるところだった。
つづく




