10 怪しい団体
10 怪しい団体
ヤホーニュースのトップに『「ムギヤマール」の成分と効果、ついに判明』と言う記事が載った。おれはこの見出しを見て、これで「ムギヤマール」の時代も終わったと思った。
記事を読むとそこには次のようなことが書かれてあった。
空知国際医療大学院の伊集院密教授がムギヤマールの成分から有効成分を抽出し、その成分に「ムギヤマI」と命名した。ムギヤマールは中国のIT長者から無償で提供されたものであるとのことだが、入手先の詳細は不明である。
ムギヤマⅠの効果をマウスを使って調べると、マウスの子供の筋肉量が増量される効果が見られたとのことである。
(掲載された太ったマウスの写真からは、筋肉もりもりなのか、ただ餌を食べ過ぎてデブデブになったのかは判別が不能だった。)
これから筋肉量を測定するそうである。
ムギヤマⅠの投与によって持久力の増加は認められず、却って低下する傾向がみられたそうであるが、今後は投与量を変えて実験するとのことであった。
特筆すべきことは、ムギヤマⅠによって、マウスは集団行動をするようになり、集団の他個体に餌を分け与える利他的な行動が誘発されたそうである。
さらに、ムギヤマⅠはハチやアリのような社会性昆虫からも分泌されていることが判明したとのことである。
ムギヤマⅠは熱に弱く、常温では1日で変性し、効果はなくなることが判明した。
ムギヤマⅠが人間にも有効かどうかは、これからの研究を待たなければならない。ムギヤマⅠは複雑な構造をした高分子なので合成することは難しいだろうと教授は言っている。
ちなみに、麦茶にも極微量ではあるが、ムギヤマⅠの成分が存在することが判明したとのことだ。このことで夏の炎天下で甲子園を目指す野球部員が毎日大量の麦茶を飲んで元気なことを、科学的に証明できるかもしれない。夏の激しいスポーツには、これまで以上に麦茶が必需品になるだろう。メジャーリーグからも麦茶への問い合わせが来ているそうだ。世界中のプロスポーツ界に麦茶旋風が吹き荒れるかもしれない。余談になるが、このニュースを受けて、麦茶製造メーカーの株価が急上昇している。
「ムギヤマール」は賞味期限が切れて腐ってしまい、麦茶の成分と他の栄養ドリンクの成分が化学反応を起こして、ムギヤマⅠという訳の分からない物質が生成されたのだろうか? もしかして、丘の上の製薬会社がただ同然で譲ってくれたのは、「ムギヤマール」に異物が混入していたからじゃあないのか? その異物はあの会社の唯一の商品である「イボコテン」の成分じゃないだろうな。
それにしても話がうまく出来過ぎている。その伊集院教授というのがそもそも怪しいのかもしれない。本当にムギヤマⅠという物質は存在するのか?
このヤホーニュースをきっかけとして、「ムギヤマール」がスーパー少年兵士製造薬として開発されたのかもしれない、という本筋に戻ることになった。ネットでは、「ムギヤマール」は老人たちの快楽のためではなく、もっと有効なものに活用されなければならない、という書き込みが増えていった。おれは老人の快楽のためだって有効な活用法ではないかと思ったが、それを支持する意見はほとんどなかった。
しばらくすると、ドイツ人風の男がやってきた。かれは「世界少年健全育成財団 常務理事」という肩書がついた名刺を出した。かれの説明によると、この財団は第二次世界大戦後にドイツで発祥し、現在は世界に支部を持つ巨大な組織で、国連にも認められているそうだ。オリンピックやパラリンピックの委員会とも連携しているとのことだった。この財団は平和を目的として子供の心身の健全な育成を目的としている。決して、少年兵を育成するようなことはおこなっていないとのことだった。だけど、こうした少年の組織を作ることはドイツはお手の物だ。たとえばヒトラーユーゲントという青少年団体を作ったのは、ドイツのナチスじゃないか。
ドイツ人風の男は長々と財団の説明をして、こちらが疲れ切った頃を見計らって、世界の子供たちのために「ムギヤマール」を財団に寄付してくれないか、と切り出した。洋子が寄付というのはただということかと聞き直すと、きっぱりと「その通りだ」と言う。洋子は鼻で笑ったようだ。おれがどのくらいの量を寄付しろというのかと訊くと、あなたがたが持っているもの全部だと言う。なんと厚かましい。善意の人間は時として善意を盾に信じられないくらい横柄だ。微塵も遠慮がないかのように、土足で他人の領分に入ってくる。善意というこれ見よがしの黄金の靴を履いて。
善意を敵に回してもしかたがない。しかし、そもそもこの男が本当に善意の財団の人間なのかどうかが怪しい。おれは「ムギヤマール」を売るようになって、人を疑うことを知った。おれの隣では洋子がスマホを使ってこの財団を検索している。財団のホームページはすぐに見つかったようだが、このような大がかりな詐欺(おれを相手にするくらいだから大がかりではないのかもしれないが、額が額である)のためなら、あらかじめホームページを立ち上げておいても何の不思議もない。彼女は淡々とホームページを調べていた。やはりどこか胡散臭いところがあるようだ。財団の男は世界中の貧しい子供たちに元気になってもらうために「ムギヤマール」を利用したいというのだが、きっとかれは「ムギヤマール」を転売して一儲けを企んでいるようだ。こんな奴にやすやすと騙されたりはしない。おれには洋子がついている。
もし「ムギヤマール」を無償で提供していただけたら、財団から感謝の印としてドイツの本部で表彰されるだろうし、その表彰式にはドイツだけでなく、フランスやEUの大統領も出席することになっている。お望みならば、イギリスのエリザベス女王にも出席を頼んでもいい。さらに、ノーベル平和賞ももらえるかもしれない。ノーベル平和賞の選考委員会には我々の財団の理事もメンバーとして入っているので、彼からあなたを、いえ、あなた方を強力にプッシュしてもらうことができる。
顔を上げた洋子が、ドイツの大統領の名前を尋ねると、即座にメルケル大統領だと男は答えた。メルケルは首相でありしかも前首相だ。このことを洋子が指摘すると、男は彼女の発言を完全に無視した。
男は、我々を宇宙旅行に招待することもできるなど、あらん限りのうまい話をしたが、我々は無償提供することをやんわりと断り、かれはまた来るからと言って帰って行った。
また或る日、スイスに本社がある世界有数の製薬会社の代理人だと言う男から「ムギヤマール」を100ダース売って欲しいという依頼があった。我々がどのくらいの本数を持っているか把握していない連中は、とりあえず1,000本くらい持っているのではないかとあたりをつけているようだ。この会社にとって100億円ははした金とまでは言わないが、社長決裁で落とせるくらいの金額だと言う。おそらくこの会社は「ムギヤマール」を手に入れたらすぐに成分分析を行って、薬効も調べるはずだ。日本の大学よりも研究者や設備、金の面で圧倒している会社だから、すぐに目的は達成できるはずだ。この代理人も、購入した後にたとえ「ムギヤマール」に薬効がなくても、別にあなたがたを訴えることはないということだった。さらに、もし特別な薬効が見つかったならば、我々と提携して大々的に生産し、売り上げの10%を渡す契約を結ぶ準備もできていると言った。ここまでくると、どこか話がうますぎる。別に渡した物はどう扱われても構わないし、製薬会社がいくら儲けても我々の知ったことではない。だが、騙されるのだけは勘弁願いたい。10%のマージンなんかいらない。
こうした我々をそそるような提案をした後で、今日は現金を持ち合わせていないので、1ダース見本として分けてくれないかと提案してきた。もちろん100ダースのうちに含めてもらうのは当然だし、次回は100ダースまとめて代金を払うと言ってきた。世界を代表する超巨大企業がお金ももたずに1ダース分けてくれっていうのはさすがにありえない。おれたちが若いからといって馬鹿にするのもたいがいにしてほしい。とにかく引き取っていただくことにした。
あぶないことだってあった。もっともわかりやすかったのが、やくざだ。今頃パンチパーマをかけている奴なんてテレビドラマややくざ映画以外、街で見かけるチャンスはない。いくらなんでも、超一流ホテルの高級レストランでピストルを撃ったり、ナイフをひけらかしたりはしないはずだ。それでもサングラス越しの眼光は鋭い。こんな輩とは話をしたくないが、こちらもまっとうではないものを売ろうとしているのだから、こうした反社会的な人間が交渉に上ってきてもしかたがない。事前にチェックできなかったのはこちらのミスだ。
まさか「ムギヤマール」で少年の体力を増強して少年やくざを造ろうと考えているんじゃないだろう。こんなありえそうもないことを考えて思考逃避をしていても、時間はそれほど過ぎて行かない。きっとやくざは「ムギヤマール」を転売して稼ごうと考えているのだ。それじゃあ「ムギヤマール」は覚せい剤のような扱いになってくる? これでは「ムギヤマール」が可哀想ではないか。おれがあまりにのらりくらりと話していると、やくざがスーツの胸ポケットに手を伸ばした。ピストルを出すんじゃないかとギクッとしたが、内ポケットからキティちゃんのカバーがかかったスマホが出てきた。洋子がそれかわいいですねと言うと、やくざは強面を崩した。
洋子が真顔に戻って、「現在、アメリカのマフィアとも交渉しているんですけど、今度かれらを交えて三者で話をしますか」と低い声で言うと、やくざは引いた。
これは洋子のはったりだった。あとで「もしやくざがマフィアと一緒に話をしてもいいと言い出したら、どうしたの」と訊くと、その時はその時だと彼女は答えた。そう言えば、以前マフィアと名乗るちんけなアメリカ人が来たから、そいつに連絡をとってやくざとあわせてみるのも一興だったかもしれない、と洋子は高笑いした。彼女は益々肝っ玉が据わってきた。
つづく




