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キャンピングカーの旅は快適だった。
日向の運転は意外にもかなり真っ当だったし、道が平坦なこともあってここが異世界であることも忘れていつものようにおしゃべりに花を咲かせて。
異変に気付いたのは、だいたい七時間が経ったぐらいだろうか。
車は背の高い木々に上空を覆われた暗い森に入り、日向が運転に疲れてきたと言い出したのでその日は休むことにした。予定ではもう街とやらに着いている時間、そのためにそこそこ速度を出していたのでおかしいなとは思ったけど、特に気にもせず。
本日二杯目となる豚骨ラーメンを食べて、二人でベッドに寝転んだ。
そのまま明日の予定を話し合い、眠りに就いたところ。
「なっ、なんの音?」
ズシンズシンと、全身に響く音と振動で飛び起きる。
「地震……とはちゃうなぁ……」
続けて日向も体を起こすと、真剣な表情で窓の外を見た。
高い木々のせいで陽の明かりはまるで入ってこず、周囲は暗い。
いくら日向の視力が良くともこれでは遠くまでは視認できない。
「こっ、これ……何かが近づいてきてない……?」
「ちーっとばかし嫌な空気やな……詩織、移動するで」
運転席に移る日向の後を追って助手席に座る。その間も、何かの音は少しずつ近づいているような気がしていた。
「フィクションやったらここらで一発魔物との戦闘なんかあるんやろけど……さすがに御免被りたいなぁ」
「そ、それなんだけど……いま気付いたんだけどさ、おねえちゃん」
「なんや、詩織?」
「この森入ってから動物、一匹も見てないよね……?」
震える声で私は言う。
それは元より、そういう環境なのか。
それとも、動物が住めない理由でもあるのか。
「逃げる、絶対なんかおるわ」
「賛成!」
エンジンを稼働させ、ヘッドライトを付ける。
その瞬間、何かの音、もとい何者かの足音が加速した。
「バレたー!?」
「おねえちゃん! 速く出して! 速く!」
日向がアクセルを全開で踏むも、微妙に足音の方が速い。
何かに迫られる恐怖に駆られても、車は限界を超えてはくれない。
「もっと速くならないの!?」
「これが限界やっちゅうに!!」
そして足音は迫り、足音の主は正体を現す。
「「うわキッッッッモっ!?」」
二足歩行する腕のないとかげ(超巨大)。肌は茶色で、目は虚ろ。
「なにあれなにあれ!? 完全にモンスターじゃん! ゴ○ラ第一形態じゃん! 蒲田にいるやつじゃん!」
「なんでそれがめちゃくちゃ軽快に森を駆け抜けて襲ってくんねん!」
「わかんないけどあれ捕まったら絶対食べられちゃうよ!」
何が目的で自分たちを追っているのかは皆目見当も付かないけれど、まず間違いなく捕まったら死ぬ。
それは走るたびに周囲に飛び散っている、巨大とかげの大量のよだれがそのまま物語っていた。
「んなこと言うてもこのままだと速度の差で追いつかれるで!」
「な、なにかないの!?」
考える、考える、考えるけれど。ただでさえ誰かに襲われるという経験の乏しい日本人、しかも女子中学生が、急場に働く頭など持っているはずもない。
「……詩織、ドラグノフや」
「――ッ!? わ、わかった!」
スイッチを取り出してドラグノフ狙撃銃を呼び出す。
「詩織、運転代わっとくれ」
「わたし車の運転とかできないよ!?」
「木にぶつからんようにあいつの右斜め前を走るだけでええ! あとはこっちでどうにかする!」
「どうにかするって……」
指示されるがままに運転を代わる。
車の運転なんて子供向けのレースゲームでしかやったことがない。できるのはアクセルとブレーキを全力で踏みながらの下手くそなハンドリングだけ。
サイドブレーキってなに?
「っておねえちゃん!? なにしてるの危ないよ!!」
震える両手でハンドルを握っていると横では日向が窓から身を乗り出し、ハリウッド映画さながら巨大とかげに銃を向けていた。
「詩織は運転に集中!!」
「はっ、はい!」
「所詮はデカいだけのとかげや、日向ちゃんが成敗したる!!」
発砲。
「……………」
バーンってなってチュンってなった。
「傷一つ付かんやんけーー!?」
さも当然のように巨大とかげは弾丸を皮膚で弾くと、そのままこちらへと突進してくる。
「どうするのさおねえちゃん!?」
「さ、サンダーや! 電撃で灼いたる!」
「りょ、了解! おねえちゃんスイッチ『さ』!」
瞬間、日向の口から迸る閃光がとかげの胴体へと直撃する。
しかし、効果はないようだ。光は何の成果も上げずに宙に消えた。
残ったのはケロッとした表情の巨大とかげ。とてもきもい。
「アカン詩織、あいつじめんタイプや」
「言ってる場合か!」
なんでいきなりこんなのが出てくるのだろう。私なにか悪いことしたかな。そんな思考の現実逃避が雪崩のように襲ってくる。ひどい。
現在スイッチで呼び出せる武器はドラグノフとベレッタ、サンダーの三つのみ。
残ったベレッタがどう考えてもドラグノフより火力を出せないことを考えると万策尽きたと言うほかないのではないかな。
ラーメンあげたら許してくれるかな。許してくれないだろうな。でも豚骨ラーメンだよ?
だめか、だめだな。
「詩織、もう一つキャンピングカー出せへんか!?」
「出しても良いけどおねえちゃんが囮になるとかはナシね! おねえちゃんいないとわたし明日の昼頃には死んでるから!」
「……………」
そう大声で告げると日向は一瞬微妙な表情をしてから、誤魔化すようにそれを否定する。
「ちゃうちゃう、あっちに特にデカい木があるやろ。あれの影に隠れた瞬間もう一個キャンピングカーを出すんや。あいつがこの車を追うとるのか、ウチらを追うとるのかで話は変わるけど、少しは時間稼げるはずや」
「ッ、了解」
混乱状態でも、頼れる相手の冷静な指示というのは心強いもので、もう少しで限界を迎えようとしていたメンタルも一瞬落ち着く。
前方に立つ巨大樹。その裏に回り一旦停車すると、スイッチを押して後方にもう一台のキャンピングカーを置く。
とかげの足音がすぐそこに聞こえたら発進、ダミーに引っ掛かっている隙に巨大樹を一周するようにしてできる限りとかげの視界に入らない方向へとアクセルを全開にして踏む。
バキ、ボキ、ゴキ!
いやーな音が骨に響く。
「うっわ、キャンピングカーもりもり喰っとる……」
「よく噛んで食べるように言っといて」
「おっけ、伝えとくわ」
とかげが食べている、というか丸呑みしている間に距離を広げる。全然噛まねぇぞあいつ。
これである程度の距離は稼げるはずだけれど、そこからの打開策がない。
傘が広く背高の樹木が間隔を開けて乱立しているこの森は隠れるに適した場所がないし、そもそもあのとかげが視覚・聴覚・嗅覚・触覚のどれでこちらを察知しているかも定かではない。
つーかなんだあれ、ふざけてるのか、最初はなんかこうスライムとかでいいじゃん。ベレッタで殺せるの呼べよ。
「うっわ、あいつまたこっち来たよおねえちゃん!」
「なんで腹にキャンピングカー入れてあんな速いんやズルいぞ!」
本当にズルい。というかこれで、腹が減ってるわけでもなく、こちらを殺しに来てるのが判明。
なんでこんなのがいきなり出てくるのか、西の方は安全って言ってたじゃんかと私は心の中で神に異議を申し立てる。
やっぱあいつクソだわ。
「あかんな、これ追いつかれるわ」
「ど、どうするのさ!?」
「……………ひらめいた!」
こんな状況下で素晴らしい笑顔を見せる日向。
こういうときは大抵あれだ、ろくな思いつきじゃない。
「嫌な予感がする!」
がしかし、実際ろくでもないけどろくでもないなりに効果はあったりするので乗るしかなかったりもする。
「さっきの見たやろ? とかげがキャンピングカー喰うところ」
「う、うん……」
キャンピングカーというデカブツを蛇のように大口開けて丸呑みするシーンだ。
「それを利用するんや、目に物見せたるで」
「…………?」
再度運転を代わる日向。
迫り来る巨大とかげ。
そして停車。
「なんで止まるの!?」
「いやあれやん、いっそあいつに呑まれてまおうかなと」
「なんでいきなり希死念慮爆発させるのさ!?」
「まあまあ、全部おねえちゃんに任しときって。あ、シートベルトはちゃんと締めるんやで」
「え、ちょ、もっと説明――あー来たー! やだ怖いよおねえちゃーーーん!」
「近くで見るとほんまデカいなぁ」
とかげは前に倒れ込むと口を大きく開けて、ブルドーザーのように二人の乗るキャンピングカーへと襲い掛かる。
瞬間、強い衝撃とかち上げられたような浮遊感のあと、視界が暗転し闇に包まれる。
そして少し間を置いてから車体の軋む不快音、金属が強引に曲げられる異音が耳に響く。
たぶんいまタイヤ外れた。
「暗いよー! 怖いよー!」
「よしよし、狙い通り丸呑みされたな」
「今際の際に姉の特殊性癖なんて聞きたくなかったよー!」
「ちゃうわ! こっからが作戦の本番やねん!」
「……作戦?」
「あいつはウチらを丸呑みした、咀嚼せずにな。つまり無傷であいつの体内に潜入できたってことや。外皮が硬くて攻撃が通らんなら、内側からやればえんよ」
「ッ! なるほど! 一寸法師みたいだね、さすがおねえちゃん!」
体内からとかげにチクチクっと攻撃することによって退治する一寸法師作戦。
なるほどそれならと珍しく私は日向に心から感心する。
さすが私のおねえちゃん。お主こそ、天下無双の豪傑よ。
「せや、キャンピングカー百個出して腹破裂させるで」
「グロいよーーーーー!?」
思ってたよりグロかった。
「しゃあないやろ! こんなデカいやつ銃何発か撃った程度で簡単に死ぬとは思えん! 最悪痛みで暴れ出して押しつぶされるで!」
「そうだけどさー!」
「ほらさっさとスイッチ連打せぇ!」
「やだーーーーーーー!」
「ほらセット言いや!」
「うぇぇぇん! セットぉお……」
「おらっ、おねえちゃんの言うこと聞きなさい!」
「異世界なんか嫌いだー!」
私の指を使って『き』のボタンを連打する姉。
軋む車体にうなり声。
そして――
「あっ」