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自分でも更新間隔が遅いなって思います。
リフィーディング症候群というものがある。
おそらく大多数の人にとって馴染みのない単語ではあるが、もしかしたら理系または医学部の人や戦国時代に興味がある人などは知っているかもしれない。
そのリフティング症候群とはなんぞや、という人に中学三年生の詩織ちゃんが簡単に説明すると、
『極度の腹ペコ状態にある人に、いきなり栄養たっぷりのご飯を食べさせると胃がビックリして死んじゃうことがある』
これがリフィーディング症候群。
日本史上最も偉かったお猿さんの必殺技だったとも言われている。
つまり、
「ぶくぶくぶく」
ヤコさんが死んだ。
「「ヤコさーーーーーーーーん!?」」
***
──自他共に認めるところではあるけれど。
藤見夜子は、いつも不幸だった。
これは言葉のあやなどではなく、彼女は実際“常に”そうだった。
人生において数ある岐路、その全てで夜子は常に間違った道を選択し続けた。
その原点にして最大最悪の間違いこそが、両親の離婚の時。
夜子の両親には二人の娘、つまり夜子とその姉がおり、彼らは親権をどちらが得るかの話し合いの末、最終的に子供たちの意思を尊重することに決めた。
当時姉十歳、夜子七歳。
そもそもの始まり、夜子の不幸はまず自らの虚弱体質に起因する。
高校入学時にはすっかり快復していた彼女だが、幼少期は風邪を一つ引くだけでも生死の境を彷徨うことの多かった体の弱い子供だった。
そんな吹けば飛ぶような小さな灯りを、必死になって守ろうとしたのが夜子の母親だ。
稼ぎは良いが海外への長期出張が多く、家庭にあまり参加しなかった父親の分も、母親は姉妹二人の子育てを一人で務め上げていた。
特に病気がちな夜子の世話には昼夜を問わず振り回されており、現代社会においてその苦労は想像に難くない。
だがそれでも、いつも笑顔を絶やさなかった母親には友人も多く、一部ではお手本のような親御さんだと評判だった。
しかし表向きは明るく振る舞っていた彼女も、金を送ってくるばかりで家に帰ってきてくれない夫や、どれだけ尽くしても一向に体調の良くならない娘に徐々に精神を蝕まれていた。
やがて孤独と過労に心身共に追い詰められたところを、運悪く新興宗教を名乗る詐欺団体に付け込まれてしまう。
その後の経緯は、大方の予想通り。
特に説明する必要さえもないだろうが、宗教にのめり込んだ母親によって藤見家は完全に崩壊した。
浪費される貯金と、それに反比例して家に増える怪しい宗教道具。
胡散臭い名前をした水に、何の効果があるかも分からない健康器具。
夜眠る時間になると、子守唄には詐欺師の騙るありがたいお言葉。
母親の鏡とまで評された面影はそこにはなく、胡乱な瞳で怪しげな集会に参加するばかりで、次第に夜子の世話もおざなりに。
家族への愛を自らの行動よりも他人から借りた言葉で示すようになり、ついには育児放棄一歩手前にまで陥った。
不幸中の幸いは、夜子の姉がとても聡い子供だったことだ。
姉は幼いながらに本とテレビから得た知識から宗教団体の正体を見抜き、懐柔されるフリして逆転の機会を窺っていた。
表向きは詐欺師たちに逆らわず、変わり果てた母親に頼ることもなく。
たった一人でか細い妹の命を守りながら、父親の帰りを待った。
いつかあの母親も、元の優しく明るい姿に戻ると信じて努力した。
だけど、彼女の努力は報われることなく、状況は何も変わらない。
父親は仕事にかまけて帰ってこず、母親はいつも家を空けていた。
悪い噂によって藤見家は地域のコミュニティから完全に孤立し、仲の良かった友達は親の言いつけに従いみんな離れていって。
傍らに残るのは、自分に頼る以外に生きる術を持たない弱い生き物。
……幼い少女が自らの感情をぶつける先としては、これ以上はないだろう。
結局、この一件は母親から携帯を盗んだ姉が父親に密告したことであっさりと結末を迎える。
帰国した父親が詐欺師の事務所に怒鳴り込んだ時には、何も知らない哀れな信者たちを残して主要な幹部連中は既に跡形もなく姿を消していたらしい。
搾取された金額の合計は、四桁万円をゆうに超えていたという。
それから連日開催される両親の罵倒合戦。
どちらにも非はあったが、互いがそれを認めて謝罪することはついぞなく。
当然の結果とでも言うかのように離婚が決まり、姉と夜子には選択肢が与えられた。
どちらについていくか。
第三者から見れば、経済的な面から父親を選ぶのが普通だったろう。彼は父親として失格だったが、彼なりに家族を愛していたし、また内心では深く反省し、強い自責の念も抱いていたからだ。
対して母親は未だ自分が騙されていたという事実を認めることが出来ておらず、夜子の健康を祈って始めたはずの信仰は、手段と目的があべこべに。
自らの信仰の正しさ証明するための道具として、夜子を利用しようとするにまで至っていた。
姉は一秒すらも迷わずに父親を選び、姉しか頼りを持たなかった夜子もそれに倣おうとして――
『夜子はそっち行きなよ』
──初めて聞く姉の冷え切った声に、こくりと頷いた。
それがどんなに愚かな選択かを、夜子はまだ知らなかった。
その後の生活はまあまあ悲惨だったが、ここでは割愛する。
父親は離婚後も夜子をずっと気にかけてくれた。
病弱な彼女のために養育費は多めに渡し、伝手を辿って評判の良い医者を見つけ、記念日にはプレゼントを持って必ず会いに来た。
そんな父親を夜子は昔よりずっと好きになったが、彼は夜子が中学校に上がりすっかり体調が安定するようになったのを見届けてから、姉の高校進学を機に海外に移住してしまう。
――また一緒に暮らしたいなんて台詞は、最後まで言えなかった。
パソコンもスマホも持たせてもらえなかった夜子にとって遠方にいる父親との唯一の連絡手段は手紙だけで、向こうから送られてくる手紙にはいつも、父親と姉が楽しそうにしている写真が添えられてあった。
人生で一度も行ったことのない遊園地、動物園、水族館。
人生で一度も食べたことのないピザ、パフェ、ステーキ。
あてつけのように思えた。
姉の嫌がらせだと確信していた。
でも、それでも、父親との繋がりを断つのが怖くてそれを受け入れた。
……羨ましさと自分の現状との差に、何度も吐きそうになりながら。
『そういえば、ラーメン、美味しそうだったな……』
***
「ヤコさんが死んだ!」
「イキテマス」
「生きてるー!?」
カニみたいな泡を吹いて倒れてから三十秒後、ヤコさんは眠りから覚めるようにして生き返った。不死身って凄い。
「「本当に申し訳ございませんでした」」
すかさず二人そろってヤコさんに土下座する。
もしここが日本で、ヤコさんがヤコさんでなければ、私たちが犯してしまったのは重過失致死傷罪。
その量刑は五年以下の懲役もしくは禁錮または百万円以下の罰金である。
いくらヤコさんが不死身だからと言っても、死にはかなりの苦痛を伴う。彼女が得た苦しみはそのまま等身大、気軽に謝って済む話ではない。
秀吉の野郎、許せねぇ。
「えーっと、まさか私、ラーメン食べて死んだんですか?」
「イグザクトリーでございます」
「………………」
沈黙が恐ろしい。
顔を上げることができない。
こんなこと異世界では相手に弱みを握らせる不用意な行いだと頭では理解していても、一回殺しちゃった相手に図々しく出られるようなメンタルなんぞヤーパンJCが持ってるわけないだろいい加減にしろ。
しかし、
「ぷっ……く……あはははははっ!」
(えっ!? 笑ってる!? なにこれなにこれ!? 怖いよおねえちゃん!)
(あかん……おねえちゃんも怖い)
なんか急に笑い出したヤコさん。
学校で説教中の先生が、突然笑いだしたら怖いよね。
そういうことです。
「馬鹿みたいな夢の叶え方もあるものですね……」
「えーっと……?」
「いえ、こちらの話です」
死から蘇ったヤコさんはとても清々しい表情をしていた。
一度死ぬと悟りでも開けるのだろうか、不思議なことだ。
「お二人とも顔を上げてください、そんな謝らないで」
「いやでも、そういうわけには……」
「大丈夫ですよ。こっちに来て一番マシな死に方でしたから」
「えぇ……」
それはそれでどうかと思う。
お腹を押さえながら地面をのたうち回り、激痛に呼吸もままならず、苦しみ抜いた末に心臓が止まる。
そんな死に方が一番マシ。どんな人生送ればそうなるのか。いや聞いたけども。
「まあまあ、人を一人殺しただけですし?」
「被害者が言うことじゃないよね」
「故意ではなく過失、殺意はなかったということでここは収めましょう」
「ヤクザの顧問弁護士の台詞なんよ」
修羅の国でもそんなん聞いたことないけども。
「悪意や敵意に殺されるより何倍もマシですから」
「それはそうだろうけどさぁ」
「あまり気にしないでください、慣れてますから」
「うーん……」
気にするな、と言われても。
頭の中で燦然と輝くキルスコア1。
繰り返しになるが相手がヤコさんでなければ立派な殺人だ。いや、ヤコさんであったとしても紛うことなき殺人だ。
今だって心臓がバクバクと鳴り、冷や汗と動悸が止まらない。
「じゃあこう考えましょう、私はお二人に命を救われて、奪われた。つまりプラマイゼロというこです」
「むしろマイちゃう?」
「おねえちゃん、それ古い」
「古ッ……!?」
いやもう、古いとかそういうレベルではない。
知ってたらおかしい領域の話である。
じゃあなんで詩織ちゃんは知っているのか?
世の中には知らないほうがいいこともある。
「とりあえず、これで貸し借りなしってことで。これからは私は知識を提供しますから、お二人は屋根と足を私に貸してください。ウィンウィンの対等な関係ってやつです」
「……それなら、まあ」
微妙に納得しがたいけれど、損するわけでもなし。
相手を利用するなんて思考は日向にはどだい無理だし、私だってそんな策士ムーブは得意でない。
ならば最初から対等に、良好な関係を築くのが無難な話だ。
「そんじゃま、よろしくやんな」
「ええ、よろしくお願いします」
そうにっこり笑って握手をするヤコさんと日向。
この関係がいつまで続くか分からないけど、最初の出会いとしては当たりを引いたと頬を緩めながら少し思う。
そう……確かにそう思ってた時期が、私にもありました。
これはskebで書いてもらったヤコさん(ヤーパンの姿)
https://skeb.jp/@sabiwo_gray/works/1




