72 慮内の一手③
「――第十四班、矢筒が空になりました!」
「第二十五班も同様です!」
門へ迫る亜人達に対し、〝盾〟ごと矢を射掛け始めてどれほど経っただろうか。あちこちの班から矢が切れたという報告が続々と届く。
南門に蓄えられていた矢は全て投入している。後の作戦のことも考えると、これ以上は難しいな。
「矢が切れた班には〝石〟を配れ。敵に対する攻撃を絶対に途絶えさせるな」
「「了!」」
元より想定されていた事態だ。メルヘンは焦ることなく命令を下す。
僕が立てた元の作戦のために、ぶち抜かれた城壁の周辺に散らばっていたものも含め瓦礫をありったけ集めていた。それを程よい大きさに砕き直して、箱に詰めたものを大量に用意してある。
元の作戦には使えなくなったが、そうも言ってられない。ここで敵を削りきるために使えるものはなんでも有効活用しなきゃね。
即席で作った簡易な投石器や投石紐を手に、矢が切れた班が石を投げ出す。
矢に比べ狙いはつけにくいが、威力は段違いだ。当たり所が悪ければ、一撃で仕留められる。
「グゲェ」「ギュベヘッ」
「投げて投げて投げ続けろ! 城壁に到達されるまでに一体でも多く殺すんだ。頭を潰せ!」
そう命じつつ、僕も石を〈投擲〉で投げる。〈視覚強化〉と併用すれば、この高さからでもトロールのデカ頭になら命中させられる。
むしろ、あのデカ頭は石じゃないとどうしようもない。
デカいから狙い易いのは確かだが、矢では仕留めきれない以上、矢は別の亜人相手に使うべきだ。
「投石はトロールを重点的に狙え! 奴らの頭を全て潰せ!」
どっちにしても、トロールは早めに片付けておくべきだ。ここで一番厄介になるのは、間違いなく奴らだろうから。
この後の作戦でかなりの数を殺せるのはほぼ確実だが、どうせならここで殺しておいた方が良い。
この作戦は、一度決行すると取り消しは効かない。討ち漏らす危険性がある以上、敵の数が少ないに越したことはない。
城壁上の全ての兵士の奮戦の甲斐あって、亜人達はどんどん倒れ、見るからに数を減らしていった。
それと同時に、〝盾〟の市民も生命を落としていき、遂に最後の一人が、背後のオークと共に絶命した。
「よし、もう十分引きつけたな。〝下〟に合図を」
メルヘンの命令に下士官の一人が階段下――流れ弾などから完全に身を隠せる安全地帯――に設置されていた魔道具を起動する。
この魔道具は、登録しておいたいくつかの同型の物と同期し、事前に設定した色に光らせることが出来る。それぞれの色が表すサインを事前に決めておけば、簡単に合図を敵に悟られずに送ることが出来る、という代物なのだ。
「射撃、投石は継続! 槍隊、壺用意!」
盾隊と弓隊の背後で矢筒の運搬やら、石の配布やら、投擲やらをしていた槍隊の兵士達が壁の外側に並べられていた壺を運んでくる。
中身は、まぁお察しの通り、油だ。
「中央小隊、火矢用意!」
温存しておいた矢を門の上に並ぶ射撃の上手い兵士だけ集めた精鋭班に配る。
全部燃えやすいように油を染み込ませた布を巻いた特別性の矢だ。
門の上に設置された松明から、弓に番えられた火矢に次々に火がつく。
「壺投擲! 続けて火矢、放て!」
真下に迫る生き残りの亜人達の頭上に大きな壺が落下し、その全身と足下をヌメリとした油が覆う。
そこへ、火矢が降り注いだ。
「グアォアーー!!」「ヒアァハァ!」「アゥアァアーー!」「ゴホアァッ!!」「ナハハッァアッアッ!」「ブガァ!!」「アッアッアティィイ!!」
頭から被った油に加え、亜人達が元より蓄えていた自家製脂にも引火して恐ろしいほどの火柱がいくつも立った。
狙い通り、矢や投石で仕留め切れなかった亜人達はまとめて焼かれることとなった。
50m弱の高さまで伝わる熱気が、下でどれほどの地獄が顕現しているのかを如実に表していた。
「グォ、グァワァアーー!!」
その火の海から怨嗟の声を上げながら首が一つ飛び出してきた。
一直線に城壁へと上がってくる。
「部隊長殿、後はお願いいたします。私は奴を」
「うむ、任せよ」
この場で引き続き指揮を執るべきなのはどう考えてもメルヘンの方だろう。視線を交わしてそのことを確認し、僕は指揮所を出る。
「石を落とせ! 上まで来させるな!」
そう命じながら、僕は階段をほとんど飛び降りる勢いで降り、首が到達すると思われる地点まで走る。
門よりも低いとは言え、城壁も30mを超える高さを誇る。普通に考えて首がそこまで飛んでくることなどない。
しかし、奴らにとってはその程度大した問題ではないだろう。この火の海の中から投げ飛ばせるような奴なら、到達出来るかもしれない。
なんとしても阻止しなければ。
そこの班は矢が尽きた後だったらしく、上ってくる首目掛けて石を次々と落としていた。
真下、しかもこの距離だ。外すわけはない。
僕は走っているので見えないが、石を落としている兵士達の様子を見るに、石は当たっているのだろう。
しかし、石を落とす手は止まらない。次第に兵士達の顔に困惑と焦りの色が増えていく。
どれだけ石を喰らわしても、なかなか落ちない首はそりゃ恐ろしいだろう。
ようやくその地点に到着した僕の眼に、予想通りの光景が飛び込んできた。
「……遅かったか」
「うわぁああ!!」「ひっ、あごっ」「げへっはっ」
突然、胸壁を掴む手が現れたかと思うと、そこを起点に胸壁を越えて巨体が降ってきた。
そこにいた二人の兵士が、逃げる間もなくその巨大な足で踏み潰される。
周囲にいた兵士も胸壁を乗り越えた巨体の衝撃で尻餅をついたり、吹き飛ばされたりしている。
それ以外の兵士達は皆一様に、何が起きたのか理解出来ない、という顔でただただ呆然としていた。
僕は走ってきた勢いのまま剣を引き抜き、呆然としている兵士達をかき分け現場へ急ぐ。
そんな人族達とは対照的に、未だ顔面を炎に包まれながら、一体のトロールがまさに「仁王立ち」していた。
炎の向こうから見えるその大きな瞳には、憎悪以外の何も映っていない。
ただ、向かってくる僕だけを睨んでいた。
◇◇◇
「総員、この場から離れろ! 両隣の班に合流して下への射撃を継続! ここは私が収める!」
突然降ってきた両足に二人の弓兵が踏み潰された。
その事実をようやく理解して我に帰った他の兵士達は、僕の命令に関係なく我先に必死で逃げていく。
……数人の腰を抜かしたり負傷したりして動けない兵士を残して。
「動けない兵士も連れて行け! 仲間を見捨てるな!」
まぁ、無理な話だわな。誰でも自分の身の安全が最優先だ。
『聖軍』なら最悪どうでもなったかもだけど、この門に配置されている兵士はほとんど帝国軍だ。いきなり目の前にトロールが降ってきて二人踏み潰したら怖くて逃げるわ。
そして、このトロールの相手をしなきゃならない僕も、彼らを安全な所へ運んであげることは残念ながら出来ない。
「他の地点にも登ってくる可能性がある! 各槍隊は警戒せよ!」
とりあえず、言わなきゃいけないことは全部言ったな。これにどれだけ従うかは、もう彼ら兵士の問題だ。僕は感知しない。
意識の全てを眼前のトロールに向ける。
その間に動き出していたトロールは、逃げ遅れた兵士を次々に葬り出した。
未だに呆然としていた兵士は自分が死んだとすら理解出来ずに逝った。
トロールが降ってきた際に投げ出され、足を負傷した兵士は顔面を踏み潰されて死んだ。
次の獲物を探す奴の目にわざと留まるように動き、奴を兵士達が逃げた方向とは逆側に引き付ける。
獲物を僕に定めたトロールが、特に急ぐことなくこちらへ向かったきた。
火が収まり、あらわになったその顔は、予想通り火傷一つなかった。
やっぱ、ズルい。チートだわ、トロールの〈超再生〉。
前にトロールキングと戦った後に、聖都の『本』の塔で調べたところ、トロールはとんでもないスキルを有していることが判明したのだ。
それが〈超再生〉。
首からでもどこからでも、生命尽きぬ限り無限に再生可能とか、どないせいっちゅうねん。
この恵まれた体格にそんなチートまで持ってるとか、クソチートじゃねえか。
ふざけんな! ズルいぞ! ちょっとは人族にも分けろ!
……〈自己治癒〉持ちの僕が言える義理はないんですけどね。
それでも、この身体で〈自己治癒〉を多用は出来ないし、ズルいと思っているのは嘘じゃない。
知能が低い個体が多いという調整こそ入っているが、あくまで「多い」だけだ。つまり〈超再生〉持ちな上に知能まで高い奴もいるってことじゃん。マジでざけんなよ?
しかもコイツ、火の中を抜けてきて、顔の火傷もなくなってるってことは〈火耐性〉持ちってことじゃん。ただでさえチートなのに、弱点一つ克服済みとかホントマジでざけてんのか?
……うん、まぁそんな文句を言っていても何も始まらないわな。今は目の前のこの個体をぶち殺すことだけ考えよう。
まぁスライムと違って身体はちゃんと決まったパーツに分かれてるから好き勝手に変形したりは出来ないし、トロールを討伐した人族なんて腐るほどいる。
他ならぬ僕もさっきまでの乱戦で一応討ち取っている。落ち着いて対処すれば無敵、ってわけでも不死身ってわけでもない。
今回も確殺する。士気を下げないためにも、なるべく短時間で。
しかし、難易度はさっきのトロールよりもなお高い。
今回は、人払いをしたとは言え周囲に兵士が多い。
よって、残念ながら〈強酸〉や〈麻痺毒〉、分体をフルに活用した戦法はとれない。
……僕の悪過ぎる頭をフル回転させて、なんとか頑張るしかない。
「グオォオオ!!!」
トロールの拳が、さっきまで僕が立っていた床にヒビを入れる。
それを後ろに跳んで避けつつ、剣を構える。
続けて蹴りが繰り出され、僕は避けきったが背後にいた兵士が悲鳴をあげる暇もなく葬り去られた。
武器はなし、腰巻きすらない。〈超再生〉では――僕の〈自己治癒〉もだけど――装備品まで再生は出来ない。
……よって、醜悪な棒が丸出しだ。巨体に合わせてサイズも当然巨大。
戦闘中で昂っているのか、あっちも臨戦態勢に入っている……と信じたい。通常時からこのサイズだとは考えたくない。
よし。僕の精神衛生のためにも、手始めに(たぶん)弱点である例の棒を切り落としておくか。
毎度の如く〈縮地〉で距離を詰める。低姿勢で突っ込み、股下から斬りつけるつもりだ。
本能的に大事な部分への攻撃を悟ったのか、心なしか焦った様子でトロールは左右の拳で僕を止めようとする。足は大事な場所を守るべく固く閉ざされている。
しかし、そんな無理のある体勢でまともな攻撃が繰り出せるわけはなく、右拳を突き出した途端にバランスを崩した。そこへ既に狙いを変更していた僕の剣が襲いかかる。
新たな攻撃目標、それはズバリ、首筋だ。
前屈みになった首筋に薄く切り込みを入れ、その勢いのまま背中側に回る。
重力も利用しつつ背骨に沿って滑り降りるように斬り進み、最後に尾てい骨を粉砕するつもりで〈衝撃付与〉を乗せた重い一撃を叩き込んだ。
「グホォオゥ」
生理的に嫌悪感を感じさせるどうも気持ちの悪い悲鳴をあげてトロールが直立する。
動きはどことなくぎこちない。ダメージは確実に入ったな。
手応え的に粉砕、とまではいかずとも尾てい骨にヒビくらいは入ったはずだ。相当堪えていることだろう。
間髪入れずに、今度は足を狙って接近する。
相手にまともな攻撃をするチャンスなど与えない。終始翻弄して再生出来ないくらいまで削りきり――殺す。
「グオォオオ!! ガアアッ!!!」
「うぐっ、がはっ」
そう思った刹那、トロールの右蹴りが剣を握っていた腕ごと腹にクリーンヒットした。口から(ゴブリンの)血と共に(ゴブリンの)何らかの液体が飛び出す。
――仕込んであるゴブリンの死肉を利用した偽装血液等もそろそろ補充が必要だな。たった一日で一体何回流して、吐いて、溢したことか。
口からキラキラの親戚を垂れ流しながら、僕はしばらく宙を舞った後地面に叩きつけられた。
マズい、ここで踏み潰されたら(本来なら)背骨を砕かれて立てなくなる。
実際は体内の分体でどうとでもつくろえるとしても、その怪我で立ち上がるのは不自然過ぎる。そうなればもう死んだことにするしかない。
この状況下でそれは非常にマズい。
「くっ、ぐっ、はぁっ」
なんとか転がって避ける。代わりに、僕らの戦闘の余波で絶命していた兵士の遺体が踏み潰されて見るも無惨な姿になった。でも、僕はそのことに構っていられる状態では全くなかった。
……今の状況だと〈回避〉さんはありえない動きでの回避行動を取る可能性があるので今回は使わなかった。それが結果的に良い判断だったのかは、今でも分からない。
剣は……ちゃんと握ったままだ。でも、今立ち上がったら取り落としそうだ。
腕を動かす筋肉を繋いでいた分体が死んでしまったようだ。よそから分体を回してもらわないと腕を動かせない。
ちょっと油断してたのもあって、蹴りをモロに喰らってしまった。
〈痛覚耐性〉でもどうしようもない痛みが全身に広がっている。しばらく戦えそうにない。
……本来なら神経が通っていない場所でも身体を動かすために分体を仕込んでいたら痛いというのが、この身体の弱点だな。
その上、地面に叩きつけられた衝撃で全身の至る所の分体が死滅してしまった。生きている分体を再生した上で送り込まないと、まともに動けない。
こんなに痛いのは、体内で飛び散った分体が各々痛みを訴えているからかもしれないな。
なんにせよ、過去一ヤバい状況に置かれている可能性がある。予想外の大ダメージを喰らって思考停止してたのもあって、被害はかなり深刻だ。
とりあえず右腕と下半身――足に重点的に分体を集める。
トロールの追撃を本当にギリギリのところでかわし――きれずに数回受けて再度ダメージを喰らいつつ、なんとか立てるところまで回復した。
立ち上がりつつ斬りつける。背に腹はかえられないので〈酸攻撃〉だけ乗せる。
「グアァアア!! ギャァア!!」
「うぶっ」
図らずも腹に薄く傷をつける形となり、それなりに痛かったらしい。狙いもなにもなく両腕を振り回してきた。
それを今度は左頬に喰らって吹き飛ぶ。
再生直後で体重移動が若干下手だっただけに、綺麗に吹き飛んだ。
……まさかこんな時に、直立二足歩行がどれだけすごいことなのかを実感させられるとは。皮肉なもんだ。
どうでもいいことを考えながらも、さっき吹き飛んだばかりということもあり今回はそれなりにちゃんと受け身をとれた。すぐさま立ち上がり再生が終わった左腕でも握って両手で剣をトロールへ向けて構える。
シナラスの城壁はかなり大きい。幅も分厚く、5mくらいあるトロールが散々暴れまわってもまだ余裕があるほどだ。
そんな広い城壁の上で、僕は追い詰められていた。
痛みに耐えながら攻撃を――結構喰らったけど――避け続けていた時に、壁の際まで追い込まれていたのだ。
トロールがそれを狙ってやっていたのかは分からない。正直、そんなこと考えていそうには見えないけど、そう思わせて油断を誘うための演技の可能性もないわけじゃない。
まぁ、どっちだろうがこの際、関係はない。
僕は壁際に追い込まれている、それだけは揺るがない確固たる事実だ。
「……どうした? はぁ、かかって、こないのか?」
だから、わざと煽るようなことを口にする。聞こえてるのか、そもそも人語を解してるのかすら分からないけど、まぁ馬鹿にされてることくらいは伝わるだろ。
こっちからは動かない。動けない。もはや無駄な動きをする余裕など一ミリたりとも残されていない。敵の動きに合わせて最低限の動きだけでこの場を切り抜け――奴を殺す。
……最悪、相討ちになろうとも。
顔にある両の眼と、全身の至る所に開いた隙間から視線をトロールに集中させる。奴の一挙手一投足を絶対に見逃さない。
〈酸攻撃〉でつけた傷はやはり塞がらないようだ。他の傷は全て完治してしまっているが、僕のつけたその細い傷だけが腹に残っていた。
しかし、痛みはもう克服したらしい。動きは最初のキレを取り戻している。今は攻撃を仕掛けるタイミングを計っているようだ。流石に〈酸攻撃〉を警戒していると考えられる。
それでも僕は待つだけだ。斬り込めるその隙を奴がさらすのを。
わずかな隙でも見つけたら、そこに飛び込む。罠かどうかなんて考えない。
そこにしか、活路はないのだから。
「ゴァゴォオオ!!」
「はあぁあ!!」
考えるより先に身体が動いた。〈縮地〉で奴の脇へ突進し、すり抜けざまに一閃を叩き込む。
さっきトロールの重い一撃を正面から喰らったことに加え、〈酸攻撃〉なんて使ったからこの剣も限界が近付いている。まともに使えるのは、多く見積もってもあと二回ってとこかな。
その貴重な一回をここで使ってしまったわけだが……
「グッ、ゴオッ!」
僕目掛けて繰り出して、見事空振りした右腕の勢いを利用して強引に向きを変え、自分の左脇を抜けていく僕に背後からその拳を叩き込む。
それは〈回避〉に頼って避けつつ、僕は一先ず逃げに徹する。
この攻撃は失敗だ。ろくなダメージは与えられなかった。
この剣で攻撃出来るチャンスはあと一回、絶対にこれできめないと終わりだ。
剣の交換は、戦死した弓兵の剣を借りれば出来るだろう。でも、僕が剣を拾うのを奴が黙って見ていてくれるとは考え辛い。交換するにしてもなにか手を考えないと。
この極限状態の中、僕の脳が冴え渡っているかと言うと、そんなことは全くない。僕は追い込まれるとただただパニクって思考停止するタイプなんだ。
なにか思い付いてくれ! 頼むよ、僕!
背後から奴が迫ってくるのは見ないでもそのプレッシャーで手に取るように分かる。
何度か繰り出された拳も、蹴りも〈回避〉さんに全部お任せして、なんとか距離をとる。
向かい合うにしても、すぐに詰められるとしても距離を開けておきたい。振り向いたら顔面蹴り飛ばされてそのままフライアウェイはご免こうむる。
背中に空いた亀裂から背後を見てタイミングを計り、蹴りを繰り出そうと足を緩めたその一瞬をついて必死に走り、その勢いのまま振り向く。
ほぼ跳び蹴りみたいな蹴りが飛んできたが、しゃがみ込んで回避。そのまま対面の状態でしばらく逃げ続ける。
既に思い付いている最終手段意外になにか有効打がないかを考えるための時間稼ぎだ。
もう一度奴の攻撃をまともに喰らえば終わりだ。相討ちにもっていくとしても、こっちだけ先に落ちそうなやつは当然却下だ。
身長差もあり上から振り下ろされる攻撃は確かに当たれば一撃即死の危険なものではあるが、大振りな奴の攻撃は注意していればそれほど恐ろしくない。
しかし、そんな僕の逃げの姿勢が、奴のお気に召すわけは当然なく、奴は僕が最も恐れていたことを決行しやがった。
「グオオォ! グオッ! グオォーー!!」
奴の襲来時に踏み潰されたり、逃げ遅れて僕との戦闘の最中殺された兵士達の遺体を掴むと、僕に投げつけてきたのだ。そして、突如振り向いたかと思うと、未だ下への攻撃を続けている兵士達へも遺体を投げつけ、そのままそちらへ走り出した。
僕は、受け止めた遺体から剣を頂戴すると、奴の背中を追って走る。あっちへ行かせるわけにはいかない。
幸い、奴の足はさほど速くなかった。足は長いのだからもっと速く走れるとは思うのだが、身体が重いのか、走り方が悪いのか、まぁなんで良い。僕としては遅い方がありがたい。
追いつき、追い越して僕は奴の前に立ち塞がる。
策は、ない。
でも、ここを通すわけにはいかない。
「待てよデカブツ! お前の相手はこっちだろ?」
「ガッ? ガォア!!」
僕の制止に、足を持ったままの遺体を僕に向けて振り下ろすことで奴は応じる。
人の身体であるがゆえに予想しきれないそのしなりに対応しきれず、僕は胴体の直撃を受けた。
最後に見えた景色は、僕とぶつかった際に千切れた兵士の頭が宙を舞う、その様子だった。
その瞬間、世界は紅く、黒くなった。
視界いっぱいに血と臓物が広がり、おぞましい臭いで僕の嗅覚が満たされる。身体が暗く重い沼にでも浸かったかのように動かない。そこへ容赦なくトロールの拳が放たれ、僕に覆い被さっていた遺体は四散した。
視界が黒くなり――
――頭が真っ白になった。
◇◇◇
――散々斬り刻み、斬れ味の落ちてきた剣の最後の一撃に〈破壊付与〉を乗せ、顔面を真っ二つにする。
続けて、その剣の鞘にも〈破壊付与〉をかけ、〈刺突付与〉も乗せた上で喉を突く。
既に再生が間に合わないほどに滅多斬りにされていたが、顔と喉をも潰され、もはや呼吸音一つすら立てなくなっていた。
これで終わらせるわけはない。確実に息の根を止めなければならない。
顔面に刺さったままの剣と喉に刺さったままの鞘を抜くと、どちらも塵となって消えた。
もう武器はない。
一度距離を取って、体当たりをする。
全体重をかけて巨体に見合わないほど軽く感じるその身体を城壁の端まで押しやり――一緒に下へと落下する。
……焼き払われた亜人達の、燃えカスと、灰と、塵だらけとなった、血と怨嗟と呪詛と穢れに満ちた地上へと。
『スキル獲得条件を達成しました。スキル〈――〉を獲得しました』