71 慮内の一手②
「――マジで引いたなぁ。南門の奪取は諦めたか?」
南門の防衛塔の上から見ると、亜人達が門から退いていくのがはっきりと分かった。
人族軍の追撃を警戒しつつ、釣り戦法って感じでもなく正真正銘の撤退だ。
二体の巨人を殿に秩序だった動きで無駄なく素早く引き上げていく。
さっきまでの全く統率の取れていなかった奴らと同じ奴らとは思えないほど綺麗な後退だ。
その後、亜人達は数隊に分かれて住宅街へと消えていった。
上から見た感じ都市中央を巡る戦いはこっちと違って人族軍優勢なようだ。住宅街と官庁街を隔てる門の外に人族のものとは思えない死体が大量に散らばっているように見える。
南門の攻略部隊も加えて、先に中央を押さえるつもりかな?
まぁ僕が考えても分かるわけないわな。時間の無駄だ。
「ルカイユ六等騎士、軍議だ。貴様も出席しろ」
そんなことを考えながら都市の様子を見回していると、突然下から声をかけられた。
見ると中隊長が修道騎士数人を連れて城壁の上からこっちを見ている。
「はっ、ただいま」
呼び出しに返事をした僕は側にいた帝国兵が操作する魔道具で城壁上へ降りる。
塔に入る入口をどれだけ探しても見つけられなかったわけだ。まさかこんな魔道具でないと入れないとは。
敵は無理矢理城壁に登ってくるしかない上に、折角登ってきても中には入れないとは、控えめに言って鬼畜仕様だな。
でも、この魔道具奪われたらどうすんだろ。守りに適してる分だけ、仮に敵に押さえられたら奪還は難しいぞ。
……まぁ、これも僕が気にすることじゃないな。帝国も馬鹿ばっかじゃねえし、なんか考えてあんだろ。
僕がマーク達の後に従って入ったのは、門内部の小部屋だった。開閉室とは別の部屋だ。
中は、それほど広いというわけではないが、中央のテーブルを囲んで、詰めれば十人くらいなら入れそうだ。
そこには、禿頭の帝国士官が三人の騎士と共に待っていた。見た感じ、ここの防衛指揮官だろう。
こっちはマーク以下僕を含め四人。僕以外の二人は確か小隊長だ。
「お待たせした」
「いや、構わん。早速だが本題に入る前に、例の件を片付けて構わないかな?」
「ああ、問題ない」
遅れたことに対する形式だけのやり取りの後、すぐに本題に入るのかと思っていたが、指揮官は先に『例の件』とやらを片付けたいらしい。
マークも異論はないらしい。この二人の間ではもう『例の件』について、話し合いは終わっているのか。
なんのこっちゃと思っていると、どうも指揮官は僕を見ている、気がする。『例の件』は僕に関連する内容なのだろうか?
……なして、僕?
そんな疑問は、すぐに解消された。
「ルカイユ六等騎士殿、私はシナラス都市長、マッケロウ卿より南門の指揮を預かった、帝国軍百人隊長、レティ・メルヘンだ。貴公が亜人共の指揮官を討ち取り、兵を指揮して戦線を支え、多くの兵を救ってくれたことに、帝国軍人として深く感謝する。本当にありがとう」
指揮官、この見た目でレティ・メルヘンとかめっちゃ可愛いな。ギャップあり過ぎだろ。
人を二、三人くらいなら素手で縊り殺せそうなおっさんがだよ?
いや、姓だから別にこの人がつけたわけじゃないし、親がつけたわけでもないと思うけど、前世の記憶がある分が、やっぱり違和感ハンパないわ。
いや、マジで笑うしかないわ。ははは…………僕に、感謝、だと? マジで言ってんの?
いやまぁ、確かに亜人の指揮官は討ち取りましたよ。
でも、戦線を支えたり、兵の命を救った記憶は……ないですね。ただひたすらに目の前の敵を駆逐しまくってただけだし。
指揮した……まぁ、何度かそんなことはあったかもしれんが、別に褒められるほどのことでもない。結局上手くいかなかったし、軒並み全滅してる。
てかぶっちゃけ、皆んな必死に戦ってる中一人だけ色々スキル使ってズルしててなんか申し訳ない。
謎に黙り込んだ僕が、恐縮しているとでも思ったのだろうか、指揮官――メルヘンは僕に更なる驚きを与えてくれた。
「貴様の奮戦は多くの者が目撃している。勿論私もだ。貴様が上げた功績は間違いなく誇るべきものだ。むしろ、指揮官を討った貴様がその功に報いられなければ、他の者の功を労えないではないか」
……ははぁん、なるほどね。こういうタイプかぁ。
まぁ、善い人ではあるんだろうな。でも、僕コイツみたいな人苦手なんだよなぁ。
全員が自分の功績を称賛されたい、って思ってるわけじゃないし、嫌がってる奴に「他の人のためにも」とか言って善意押し付けてくる感じ、トラウマ刺激されて嫌だわ。
――結局、上からでしかないのが、ねぇ……
「そこで、貴様に帝国軍の歩兵指揮官職を臨時で与える。この防衛戦でその力、存分に振るってくれ」
「……はっ、かしこまりました」
……任命されたからには仕方ない、頑張るか。
それにしても「歩兵指揮官」ねぇ。だいぶ思い切ったな。他国の下級官、それも元・自国民にそんなもん、ポンっと与えるとは。
まぁ、僕ぐらいなら簡単にクビ切れるし、スケープゴートにはぴったりか。
その後、なんか帝国士官の証である徽章をもらった。
一応正式なものなら仰々しい任命の流れがあるらしいが、今は戦時ということでカットされ、階級章だけもらい、ついでにボロボロの制服も替えてもらえた。
良かった。そろそろヤバかったんだよね。
散々滅多斬りにされてズタボロだし――僕の血ではなく返り血だけど――血塗れな上に砂ぼこりやらなんやらでとても汚れてる。着替えた方が良い気はしてたんだよね。正直助かったわ。
とは言え、南門に駐屯していた帝国軍が修道騎士の制服なんて持ってるわけないから、帝国軍の下士官の制服だ。更に歩兵用の軽装鎧も着用した。
それだけだと、ただの帝国の下士官だから、その上から修道騎士のマントを羽織る。
これでも若干、帝国軍要素強めだけど……まぁ、いっか。
◇◇◇
「軍議を始めようか」
メルヘンの一言で、黙って傍に控えていた騎士がテーブルに地図を広げた。シナラスの全体図だ。
地図上には、恐らく他の所からの通信や城壁の上から俯瞰して得たのであろう、現在のおおまかな戦況が書き込まれ、それぞれの部隊を示す駒が置かれていた。
こう見ると、結構やられてないのな。
クルサォスの部隊に南門前でだいぶやられてたのもあって、結構厳しい状況かと思ってたが、そこまで制圧されているわけではないのか。
まぁ、そうは言っても安心出来る戦況なわけでも、もちろんない。
「南門攻略の部隊は撤退したが、こちらもかなりの被害を受けた」
「勝った、とは言い難いな……」
部屋が暗い空気に包まれる。流石に楽観的な考えの奴はいなかったか。
メルヘンもそういうタイプとは違ったのか。なんか勝手なイメージで現実見えてないと思ってて……ゴメン。
「門自体の被害はそこまでではないですが、やはり……」
「……城壁の穴、だな」
そうだ。そうだよ。それは大問題だよな。
その現場は目撃していないが、恐らくあの狼軍曹がぶち開けた城壁の穴がある。
亜人達が引き上げてしまったので、なんのつもりで開けたのかは分からずじまいだが、確実に人族にとって碌でもないことをたくらんでいたに違いない。
出来れば塞いどきたいとこだよね。
敵の狙いは読めないけど、あそこに大穴が開いたままなのは明らかにマズい。
問題は……当然「どうやって塞ぐか」だ。
「負傷兵の割合はいかほどなのだ? 急造でも城壁の補修は可能か?」
「難しいだろう。幸い、作業に当たれないほどの負傷をした者は少ないが、あの穴を塞ぐのはかなりの技術を必要とする」
「穴を塞ぐべく兵をそちらに回した隙をつく、そういう策やもしれません」
ふむ、確かにその可能性もあるな。
わざとらしく整列して引き上げたのは、どこかに隠した奇襲部隊から目を逸らすため、なんてこともあり得る。
でもあのままあの穴を放置していたら、だいぶマズいのは間違いない。
「どうだ? ルカイユも何かあれば遠慮なく言ってくれ。貴様の視点も頼りにしているぞ」
なになに、その謎の僕への高評価。どこから来たの、その信頼。
頼りにしてもらえるのはありがたいけど、ぶっちゃけ結構怖いわ、身に覚えのない、よく知らない人からの重過ぎる期待。
「……では、畏れながら申し上げます」
「おお、なんでも言ってくれ」
「……先程までの戦闘では、奴らにももちろん被害は出ておりましたが、どちらかと言うと我らの方が劣勢でした」
「うむ、その通りだ」
「……やはり、奴らが退いたのは我らを釣り出すための罠かと。下手に部隊を門から離せば急襲される可能性が高うございます」
「……ほう」
「では、貴様はどうすれば良いと言うのだ」
僕のそこそこ大胆な発言に、メルヘンは遮ることなくうなずくばかりだ。
なんでも言え、と言ったとおり、とりあえず全部聞いてくれるつもりみたいだな。こっちからすれば今はありがたい。
しかし、マーク的にはこれ以上話されては困るらしい。
……まぁ、僕が調子乗ってるとかそういう理由じゃなくて、メルヘンがいつブチ切れるか分からないから早く終わらせてほしいだけだろうけど。
マークのご要望通り、とっとと終わらせますか。
僕は自分なりのこの状況下での最適解を話した。
「――なるほど。貴様、やはり目の付け所が我らとは全く違うなあ! 我らでは到底思い付かなかったであろうよ」
お褒めにあずかり、恐悦至極。
内容が内容なだけに、素直に褒められてると受け取り辛いが……まぁ、この様子じゃ本人は心から賞賛してるんだろう。たぶん。
他の騎士達も、それぞれ思うところはあるようだが、反対意見は出ずに、僕の考えが採用された。
「ルカイユの案を元に、各部隊の配置を練り直s」
「失礼いたします! 危急です、部隊長殿!」
「何事だ⁉︎」
扉が突然開かれ、かなり慌てた様子の帝国士官が飛び込んできた。
相当急いで来たのだろう、息も切れ切れに、士官はこう叫んだ。
「急ぎ城壁へ! 見ていただいた方が早いです!」
何があったかの説明はなく、僕らは追い立てられるように士官の先導で城壁へ続く階段を駆け登る。
「何があったのだ? 落ち着いて話せ」
「亜人共です! 奴らが再度こちらへ向かってきております!」
それは確かに危急の案件だ。今立てたばかりの作戦は早くも使えなくなってしまった。
でも、なんかそれだけじゃない慌て方だ。
城壁上へ出て、遠目に薄らと再度こちらへ侵攻してくる亜人達が見える――〝ソレ〟が目に入るのと、その士官がそこまで慌てていた理由を答えるのは、ほとんど同時だった。
「奴ら、民を人質にしています!」
◇◇◇
「数は?」
「亜人共は、約百。人質は五十人ほど。女子供が大半と思われます」
メルヘンの端的な問いかけに、城壁にいた別の士官が答える。
さっき引き上げた敵は百ではきかなかったから、一部だけ戻ってきたのか。
自分でも、〈視覚強化〉――ゾンビシーフとしてレベルアップしたら獲得した――で見てみる。
うん、確かに市民を――若い女性や子供をこちらへ見せつけるようにして迫って来ている。
でも、板のようなものに括りつけて、こちらが矢などを射かけ辛くしている。
あれじゃあ「人質」と言うよりむしろ「肉の盾」だ。
2mを悠に超えるオーガやトロールなんかの身体は、あの板では全く隠せていないが、足止めを図れない以上、楽に城門まで来れるだろう。
「部隊長殿、後続が更に〝人質〟をとる可能性があります」
「更に増えると言うのか?」
僕の発言に、周囲の目が一斉に僕に集まる。
それに頷き、僕は考えうる事態について説明する。
……『オ◯ロ』とか『ゴ◯スレ』とか観てて良かった。どういう事態が起きるのかを事前に知ってたから人外マインドなのも相まって冷静に対処出来てるけど、初見だったらパニックになってたわ。
「当然、我々の矢で民を傷付けるなど言語道断です。しかし、このまま手をこまねいていては奴らに人質が有効だと知られ、ここだけでなくこの都市全体を同じ手で落とされるやもしれません」
「ならば、どうせよと言うのだ」
そんなことは分かっている、とでも言いたげな騎士の一人が苛立たしげに噛みついてくる。
まぁ、これは織り込み済みだ。特に慌てることなく続ける。
「あの民を見殺しにします」
「……はぁ⁉︎」「貴様、正気か⁉︎」「自分が何を言っているのか分かっておるのか⁉︎」「馬鹿なことを言うな!」
口々に罵声が浴びせられる。
主に僕の気が触れたんじゃないか、といった内容だ。
これも想定内、甘んじて受け入れる。
さっきの言葉と矛盾しているのも承知の上だ。
でも、一刻の猶予もないので、適当なところで強引に先を続ける。
「この都市と、ひいては人族という種を救うためです!」
「「「「「「「っ⁉︎」」」」」」」
「あの五十人を救うためにこの都市が落ちては元も子もありません。それは、五十人を遥かに超える、何万、何十万という民を危険にさらすことです」
「「「「「「「……」」」」」」」
「彼らを見殺しにしたことで、地獄に堕ちると言うのなら甘んじて受け入れようではありませんか。私達は『英雄』でも、『勇者』でもありません。あの五十人を助けつつ、亜人だけを皆殺しに出来るほど強くはないのです」
ここまではほとんど某凶◯の狂信者の受け売りだ。
ゴブ◯レでやってたみたいな方法は、ここでは不可能だ。
夜でもないし、広範囲の催◯魔法なんてものが使える冒険者はここにはいない。
互いにもっと少数なら話は違ったかも知れないが、この状況下では無理だ。
こうなれば、どれほど後ろ指さされようともあの亜人達を門に近寄らせないことに終始するべきだ。
「あの穴を利用しましょう。こちらが矢を放つことを躊躇っているように見せかけ、寄ってきたところを、一度都市外に出した地上部隊で背後から急襲するのです」
僕の作戦案に反対する人はいなかった。賛同する人もいなかったが。
でも申し訳ないが、迷ってる時間はそんなに残されていない。
やるにせよ、やらないにせよ、早く動かなければ何もかも手遅れになる。
もう一押し、いくか。
「奴らは亜人です。その中でも特に凶暴な連中です。人族の常識など通用するような存在ではありません。私達が五十人を救うために武器を捨てようが、見殺しにしようが、奴らは間違いなく五十人を殺すでしょう。既に死んだ私達との約束など、守る必要もないのですから」
「っ⁉︎」「……」「……ん」
僕のもう一押しに、数人が反応する。
そう、そういうことだ。僕らがどう動こうが、あの五十人はまず間違いなく死ぬことになる。
それなら、更に被害が大きくなる方を選ぶか、被害が出ることを許容した上で、被害がわずかでも少なくなるよう動くのと、どちらが最善か、という話になってくる。
皆、頭の片隅ではちゃんと理解出来ていたのだろう。五十人を切り捨てるという選択肢がある、それが嫌でも取るべき手であることを。
でも、口に出すことは、認めることは出来なかったのだ。
そこを僕が言った。誰かが言わなければいけないのなら、今回は僕がその嫌な役を引き受けよう。
人の生命の選別など出来るほど偉いわけではないが、ここで決断しない、なんてことは許されない。
これでも未だ動かないメルヘンに、僕は決定的な最後の一押しを仕掛ける。
これで動かないなら、もう諦めるしかない。
コイツを殺すしかない。
事態は急を争うのだ。例え後で処罰を受けようが、打首にされようが構わない。
ここまできて、こんなに犠牲を出して引き下がるなどあり得ない。
全ては未来のためだ。
――もう、二度と迷わない。
……本当に大切なものを、守るために。
◇◇◇
「敵軍の増援を確認! 数、約百! 人質の姿も確認!」
「やはり来たか」
「貴様の予想通りだな、ルカイユ」
「はっ、当たって欲しくはありませんでしたが」
僕の嫌な予想は的中し、亜人達は住宅街から更に『肉の盾』を集めてきた。
兵力も単純計算で二倍に増加。こちらが手出し出来ないのをいいことに、一気に門まで迫るつもりのようだ。
しかし、僕の最後の一押しが効いたのでこちらの準備も整いつつある。
民に武器を向けることに反発する兵もいたが、なんとか説き伏せた。
その甲斐あってか、内心未だ納得がいっていない人もいるだろうが、表立って歯向かう者はいなくなった。
ここにいる全員が、今はこの都市の未来のために手を血で染める、その覚悟を決めた。
ただ手をこまねいて見ているわけではない。一矢報いる、どころかこの機に逆に滅ぼす。
シナラスの城壁には、都市内部で反乱や暴動が起きても門や城壁を落とされないよう、外だけでなく内側にも城壁へ上がる階段がない。
側防塔内部には階段があるが、塔にも地上からは入れない。出入りは全て魔道具によって行われる。
だから、門前に集まっていた部隊を城壁上に登らせたように見せかけて、城壁を跨いだ都市の外側に移す、なんて芸当も可能なのだ。
そうして密かに移された二百の兵が、外を周って大穴の脇に潜んでいる。
数はともかく、南門にいる戦力の中でも選りすぐりの精鋭達だ。全員騎兵、指揮はマークが執る。
残りの部隊は全て城壁上に移動した。数は五百。
盾隊と槍隊、計百人を除く全員が弓や弩に装備を変更している。
指揮は、南門の上に設けられた指揮所で執る。当然指揮官はメルヘン。僕は参謀兼護衛、という感じだ。
「ルカイユ、貴様の言う通りなら、もはや一刻の猶予もないな」
「はっ、左様でございます」
……たぶんマジで急がないと中央が落ちてしまう。
それまでに目の前の敵を全滅させて、住宅街にいる市民を保護しないと、最悪の事態になる。
今でも十分過ぎるほど状況は悪いが、本当の最悪は未だ来ていない。それが、来てしまうかもしれない。
冗談抜きで、この手はある人物に対してあまりにも特化している。
決まれば、かなりの確率で中央は終わる。
都市庁舎が落ちてからじゃ遅いんだ。止められるのは、今のタイミングしかない。
裏からの奇襲が上手くいくかは分からんが、まぁ最悪やりようはある。
流石にこの策は誰にも話してないし、出来ればやりたくはない。やらなくて済むことを切に願っている。
「全部隊、所定の位置につきました」
「了解」
階段を登ってきた帝国下士官が、そう報告した。
それに短く答えると、完全装備になったメルヘンは兵達に向けて命令を下す。
いよいよ、この先のこの都市の運命を決める(かもしれない)一戦が始まる。
「これより作戦を開始する! 総員、尊い犠牲に報いるべく、奮起せよ!!」
「「「「「「「おお!!!」」」」」」」
最後にもう一度〈視覚強化〉で確認するが、住宅街の先、中央部の様子は先程と変わっていないみたいだ。つまり、未だ最悪の事態には至っていない。
でも、安心は出来ない。いつそうなるか分からないんだ。早くここを片付けるに越したことはない。
よし、やるぞ!
「弓隊、番え!」
メルヘンの号令で、胸壁に身を潜めた弓兵が、一斉に弓に矢を番える。
胸壁と胸壁の間は、盾隊が埋めている。
「構え!」
当初の割り当て通りに弓隊が胸壁から身を乗り出す。
間髪入れず、号令がかかった。
「放て!」
こればかりは流石に足並みはそろわなかった。
仕方ないよな。自分の手で市民の方へ矢を放つなんて、躊躇って当然だ。
それでも、バラバラとは言え四百本の矢が降り注いだ。
「ぐぁ」「ぎぃあ」「ああっ」「いつっ」
実際は悲鳴なんてここまで聞こえてはこないのかもしれないが、そんな市民の呻き声が聞こえた気がした。
弓隊の兵士達も苦しい表情だ。
しかし、矢は市民にばかり当たったわけではない。
「ギュアッ」「ゴエッ」「クカッ」「イア」
弓隊の足並みが揃わなかったことが、逆に功を奏したのか、次々に亜人に矢が命中する。
奇しくもタイミングをズラしたことになって、敵の回避を困難にしたのかもしれない。
この機を逃すわけにはいかない。
僕を含めた指揮官達は、心を鬼にして弓隊に再度矢を番えさせる。
『肉の盾』に任せて不用意に近付いてきたことで、敵の不意をつけている今がチャンスなんだ。絶対にここで数を減らしておかなくちゃいけない。
「たす、け、て」「やめ、て」「いたい」
そんな声が聞こえてくるほど悲痛な顔で、矢を受けた市民の中から、先ず体力のない子供達が絶命していく。
対応が早い亜人は、少しでも矢を防ごうと〝盾〟を最大限活用してきた。
当然、そこにいる市民が矢を受けることになる。
絶え間なく矢を放ち続けているので、ちゃんと見えてもいないだろうし、聞こえてもいないはずだが、兵士達は泣きそうな顔で感情を押し殺している。
彼らの犠牲が無駄にならないように、少しでも敵を削れるように、ひたすらに矢を放つ。
それしか僕らには、出来ない。
討ち取られたオーガの手から落ちた〝盾〟と目が合った。
小さな身体に受けた数本の矢は、彼の生命を奪った。
恐らく急所には刺さっておらず、即死ではなかっただろう。苦しみながら死んだはずだ。
それでも、僕の〈視覚強化〉した眼には、彼のまっすぐで綺麗な瞳が鮮明に映った。