幕間 皇弟、会議に出る
お待たせしました。一か月と少しぶりの更新です。
今回は前も一回出てきた『剣帝』バンスの話です。また大変な目に遭っています。
次回はシナラスのルカイユの回に戻る予定です。
またよろしくお願いいたします。
(2024/08/06)
「――皇帝陛下、御入らーい」
侍従の声に、室内にいた全ての者が礼をして皇帝を迎える。
レギオン帝国皇弟にして帝国大将軍、『剣帝』クレイハット・バンス・ドワイト・フォーク・ブッシュバウンもその一人だった。
重い足取りで赤い絨毯を玉座へと進む兄を、焦ったく思いつつ待つ。
「……面を上げよ」
「「「「「「「はっ!」」」」」」」
顔を上げて見上げると、そこにはいつも通りの――生気の無い青白い顔をした兄、皇帝バルムンク九世の顔があった。
その虚な瞳は、居並ぶ重臣を映してはいない。意識は遥かかなた、あの戦場に囚われたままだ。恐らく、何故この御前会議が開かれたのかすら理解していないだろう。昨日行われた前回のことも覚えてはいまい。
あの敗戦以来、皇帝は自分では何も考えない傀儡と化した。
貴族共は以前にも増して派閥争いに勤しみ、彼らが必死に国をまとめていた。
――苦しんでいるのは、自分達も同じだというのに
兄にそう告げたい気持ちを飲み込み、彼は重臣達に向き直る。
「今日皆に集まってもらったのは、街道の渋滞の件だ」
「渋滞……ラポン陥落を受けて周辺の民が一斉に避難したからですな」
「そうだ。それ自体は十分に予想出来たことだが、通常の街道に加え軍用街道まで渋滞している。それによってラポン奪還の兵が未だ到着出来ていない。これをなんとかしたい」
バンスの言葉に、重臣達は派閥毎に話し合いを始める。それぞれの領袖の意を汲んだ上で、最も派閥の利益となるように会議を誘導しなければならないからだ。
皇帝は依然として虚な目でこちらを見ているだけだ。なにも話そうともしないし、こちらの話が聞こえているのかも定かではない。
「軍用街道を渋滞させておるのは、民草ですか?」
「ああ、ラポン周辺の都市や村々の民が雪崩れ込んだと報告を受けている」
「不届きな。やはり字も読めん土民どもは我らの足しか引っ張りませんな」
「……」
『軍用街道』。
その名の通り、帝都を中心に帝国全土に張り巡らされ、非常時に軍を迅速に展開する為特別に整備された街道である。ラポン陥落というこの状況は、まさにその真価を発揮すべき場であった。
しかし、実際は多数の避難民により通行は妨げられ、未だラポンを奪回するに足る程の戦力は集結出来ていない。
いつもの通り、民を蔑む発言をしたこの中では比較的歳若い――とは言っても、バンスよりは歳上の――貴族に、バンスは何も言えなかった。
自分がここで民を擁護する発言をしても現状はなにも変わらない。そのことを理解出来る程度にはバンスは賢かった。そして、この状況を打破出来る方策を思いつく程、賢くはなかった。
「軍用街道を開いたのは貴族だと言うではないか。貴公にも心当たりがあるのでは?」
「ふっ、確かにあの周辺には我が縁者が多い。しかし、それだけで心当たりがあるなど……早とちりですな」
「そう言えば、軍用街道周辺の貴族が度々姿を消しておるらしいですなぁ。どこへ行ったのやら」
「はははっ、それはなにか。逃げた、とでも言いたいのか? それは言わぬ約束であろう」
「むしろ、そちらの方が行方に心当たりがあるのでは?」
「ふはっ、馬鹿なことを。知るわけなかろうて」
「はははっ」「ははははっ」「はははははっ」「ははははははっ」「はははははははっ」
軍の到着が遅れていることなど気に留めず、両派閥は互いに揚げ足を取り合う。
隙さえあればすぐさま始めるこのくだらない争いは、互いの派閥のことを隅々まで知り尽くている様子で、実は仲が良いのか? と言いたくなるほどに息が合っている。
とは言え、こんなことをさせる為に呼びつけた訳ではない。現実逃避して少し遠いところを見ていたバンスは、気を取り直して議論を元に戻す為咳払いをして皆の意識を集める。
「ラポン奪還が遅れれば前線の士気にも関わる。一刻も早く改善しなくてはならない。軍を再度出す議決を取りたい」
「何を仰いますか大将軍閣下、軍は貴方様の管轄でしょう」
それを勝手に動かせば後で苦言を呈してくるくせに……と言ってやりたい気持ちを飲み込み、バンスは兄の方を見る。兄に決断することなど出来はしないだろうが、一応裁可を仰いだていを装っておかねば後でとやかく言われることになるから仕方なくだ。
案の定、兄はこちらの話を聞いていたのか怪しいほど、なんの反応も示さなかった。恐らく聞こえていないだろう。
バンスは兄に見切りをつけて、話を進めることにした。
「中央軍より兵を出す。よろしいな?」
「まぁ……仕方ないでしょうな」「構いません」
渋々といったていで両派閥の領袖が同意する。
元はと言えば、こいつらが強く反対さえしなければ、バンス自ら精鋭を連れてラポンを奪い返し、そのままアサリまで行って早々にケリをつけることも出来たのだ。
しかし、ラポン奪還の主力は教皇国に任せ、教皇と聖女の顔を立てる、などという論理でそれを妨害され、都から兵を出すことすら出来ずに、僅かな兵を周辺から集める許可を出すことしか出来なかった。
ラポン陥落の報がもたらされた当初は多少の動揺が見られたが、『聖軍』が既にラポン奪回に動けるほどの位置まで帝国領内に入っていると分かった途端に安心しきって普段の下らない権力闘争へと戻り、ラポンへの興味を失ってしまった。一ヶ月経っても他の魔王軍に動きが無いことも、それを増長させている。
いつもそうだ。
こいつらは自分の身に余程の危険が迫らない限り、バンス達が兵を動かしたり、何か公共事業を行うことを直接間接問わず妨害してくる。対処の遅れで民に被害が出ることなど微塵も気にしていない。そのくせ妙な勘が働くのか、本当に放置したら不味い場合には自分達で始末をつけておくので大問題にはならない。それでも、民が傷付いているのは紛れもない事実なのだ。
なんにせよ、バンスと帝国正規軍は動きを門閥貴族によって大幅に制限されており、肝心な時に現場で活躍することが出来ずにいた。バンスは度々苦々しく思っていた。
しかし、彼には最早どうすることも出来はしない。もうこれ以上何も失う訳にはいかないのだ。
次は何を奪われるのか。考えただけでぞっとしない。
……何があってもこれだけは、奪われる訳にはいかない。
――例え、他の全てを投げうってでも。
いつもの通り、バンスらが動かずとも問題は大きくなる前に解決される――ラポンは奪還される――はずだった。
だが、今回は門閥貴族の予想を裏切る出来事が起こった。『聖軍』がラポン奪還に動かなかったのだ。
シナラス周辺まで進軍してきていた聖女率いる『聖軍』に向かうよう依頼したのだが、なんと教皇庁が拒否してきたのだ。その上、突如『転移陣』を全て封鎖した。
その為、ラポン奪還は上層部の予想を裏切り、未だに成っていない。
流石にこのまま放置する訳にはいかないのだろう。門閥貴族らもようやく兵の増員に賛成した。自分達の手勢を使わないのは……それでもそこまでの状況でないと思っているのか、単にラポンをそれ程重要視していないだけなのかは分からない。だが、バンスにとってはどちらでも構わないことだった。
早速兵をまとめたいバンスが会議の解散を告げようとしたその時、扉を開けて一人の男が駆け込んできた。
長いローブの裾を引きずり、肩で息をしているその男は、三十手前ほどに見えた。それにしても、年の割にえらく体力がないようだ。あまり鍛えているようには見えない。
男は何やら箱を抱えていた。疲れ切った男が部屋に入ると同時に地面に膝から崩れ落ちると、その箱も地面に投げ出された。
扉に立っていた近衛も慌てて入ってきた。どうやら正規の手順を踏まずにここまで来たらしい。
「そのローブ……貴様、魔導師団の者か。いかがした」
「はぁはぁ、はっ、たぁっ只今、シナラスより……はぁ、到着、致しました、はぁは」
「? ご苦労だったな。……それを何故貴様が伝えに来たのだ?」
「はぁ……自分、が、飛んで、来ました、ので」
「飛行術師……シナラスに駐屯していた者か。……至急か?」
「は、はぁ、はっ、左様、です」
「……分かった。報告せよ」
「いっ、いえ、はぁ、こっこちらを」
そう言って男が差し出したのは少し汚れた書状だった。相当に急いできたのだろう。男の手汗がにじんでいる。
バンスは訝しみながらも傍に控えていた近衛の一人に合図し、それを受け取らせる。ついでに別の者に箱も回収させる。
「読み上げよ」
「はっ、…………っ………………」
「……いかがした」
「はっ、…………しかし」
「……寄越せ」
「はっ」
封を切ってから中々読み上げ始めない近衛から書状を受け取った。
真っ先に目に留まった単語から、何故近衛がそこまで読み上げを躊躇ったのかを理解したバンスは溜息をついた。
出来れば自分も読み上げたくはないが、誰かが読み上げなければ埒が明かない。ならば、自分が読むのが一番良いだろう。もう一度溜息を小さく吐くと、バンスは重臣達に釘を刺してから読み上げた。
「……マッケロウ卿よりの書状を読み上げる。……くれぐれも途中で遮らぬよう」
「?」「はっ、かしこまりました……」「なんだ?」
「……不肖カストディオが陛下に申し上げます。陛下よりお預かりいたしましたラポンをみすみす敵に委ねた不届き者に対し、民を捨てて逃げることは貴族としての責務を放棄することだ、と教皇国は『神獣』様が激しくお怒りになり、処刑なさいました。陛下に言付けを預かっております。無礼ながらも、そのまま伝えさせていただきます。『今後このような振る舞いをする貴族が一人でも居れば貴様の首を上げに行く。穢れし簒奪者の末裔如きが調子に乗りおって。身の程を弁えよ。先祖の過ちを繰り返すは愚か者のする事ぞ』とのことです。重ね重ねのご無礼、神獣に代わりまして、お詫びいたします……」
「なぁ⁉︎」「ふざけておるのか⁉︎」「勝手に……処刑?」「陛下をこけにするにもほどがある!」
その内容に絶句していた重臣達が堰を切ったように神獣をなじり出すのを尻目に、バンスは箱を持たせた近衛に近づく。顔色の悪い近衛に嫌な予感が当たっていることを察しながらも、箱を少しだけ開けさせて確認する。
やはりそうだ。ご丁寧に同封されていた説明書もバンスの嫌な予感が事実であることを裏付けている。
バンスは手ずから箱を部屋の中央部まで持って行き、注目する重臣達の目の前で箱を開いてみせた。
そこには、男の首が入っていた。
人並外れた脂肪を蓄えていたと思しきその男は、両の頬の肉を削がれ、こちらを見つめる目にはこの世の絶望を集めて煮詰めたほどの闇がこもっている。その他にも受けたであろう苦痛に顔はあり得ないほどに歪んでいた。
「これが、その不届き者の首、だそうだ。神獣が連れて来た『異端審問官』によりマッケロウ卿らの目の前で拷問の末に死亡した」
「「「「「「「……」」」」」」」
男の変わり果てた姿に絶句する重臣達の中から、小さな呟きが漏れ出た。
「……神獣は今どこにいるのだ?」
「ラポンの奪還は奴が担っているのだろう? ならば軍用街道を遡っているのではないか?」
それに対する何気ない答えに、なんとも言えない違和感を感じたバンスは、背後に控えていたロディネを手招きし、小声で命じる。
「ここ数日の中央軍並びに西方軍の各駐屯地からの報告書を持ってきてくれ」
「はっ」
「……それと、ギルもこっちへ呼んできてくれ」
「ギルさn――ギルベルト様をですか?」
「ああ、そうだ」
「……かしこまりました」
ロディネがギルベルトを連れて報告書を持って帰ってくると、バンスはすぐさまその報告書にざっと目を通す。
「……やはりか」
「いかがなさいましたか」
バンスはギルベルトの質問には答えず、未だに首の衝撃に動揺を抑えられていない重臣達に報告書の一部を読ませた。
最初はわけが分かっていなかった重臣達も、一人また一人とその可能性に気付き、顔を青ざめさせていく。
「神獣はこの貴族の処刑後、すぐにラポン奪還の為神獣はシナラスを発っている。そして、街道で恐らく神獣一向とすれ違ったであろう避難中の貴族らは軒並み…………行方不明となっている」
権力闘争に明け暮れようとも、重臣達は決して馬鹿ではない。これで、事態を飲み込んだ。
どうやら、我らは神獣の相当な怒りをこの男のせいで買ってしまったようだ、と。
そして、教皇国はその神獣の強さにかなり期待しているらしい、とも。
「『転移陣』の使用が禁止されたのも、教皇庁はラポンの『転移陣』が敵の手に落ちたから、だけというわけではないようだな……」
「教皇がえらく強気だと思ったが……その神獣はそこまで強いのか?」
「既に帝国領内に侵入された以上、我らが兵を引くはずはないとたかを括っていた訳ではなかったか。我らが兵を引こうとも勇者と神獣で対処可能だとでも?」
「それは流石に買い被りがすぎるだろう」
「情報はまるでない」
神獣の強さが読めず重臣達がまたもや騒然となった。
仮に、神獣がそこまで強いとなれば、帝国領内を自由に動き回らせていたのは浅はかだった、と言わざるを得ない。
「今回の『神獣』は伝承通りの雑魚とは違うと言うのか」
「仮にそうだとすれば、『光剣』だけでなく『神獣』をも警戒しなくてはならなくなるぞ」
「だが、教皇庁に奉仕させている者からはそんな報告は受けておらぬぞ」
神獣が思いの外強い可能性が浮上し、教皇国との外交方針の転換を余儀なくされる恐れを抱いた一部の重臣が再度慌て出す。
しかし、貴士族派閥の領袖たる軍務尚書がその議論を打ち切った。
「……どちらでも、構わぬ。同胞を殺されてみすみす黙っておるわけにもいくまいて」
「だが、どうするつもりだ」
それにすかさず貴華族派閥の領袖、内務尚書が苦言を呈す。これはいつも通りの揚げ足取りではなく、純然たる疑問を抱いての質問だった。
それに軍務尚書は傲然たる様子で答える。
「無論、我が私兵を動員する。ディフルトが威を思い上がった坊主共に見せつけてくれるわ」
「馬鹿なことを申されるな、軍務尚書。ここで教皇国と揉めても、魔族共を無駄に喜ばせるだけですぞ」
「……はっ、申し訳……ございませぬ」
そんな軍務尚書――ディフルト公をバンスは嗜めた。普段の彼ならもう少し上手く立ち回っただろう。しかし、今日は見過ごすわけにはいかなかった。
魔王軍の侵攻を受けている(かもしれない)時にわざわざ敵を増やす必要などないではないか。
門閥共は保有する『英雄』の数で教皇国を圧倒していることに胡座をかいているのかもしれないが、相手は『勇者』に『聖女』を始め、人界有数の手練れを抱えているのだ。
仮に『勇者』『聖女』を人族相手に使わないとしても、教皇国には修道騎士団総長――『光剣』がいる。大義名分を得たかの『光剣』がみすみす帝国を討つ好機を逃すとは思えない。道連れにどれ程の帝国兵が討たれることか。
まして『神能教』は帝国の国教である。敵に回せば帝国の兵も民も、貴族も奴隷も戦意を喪失するであろう。絶対につまらない諍いで決裂するわけにはいかない。
こいつらは帝国の武を過信しているのだろうが、こと教皇国が相手では分が悪過ぎる。
とは言え、このまま放置して良いわけはない。何らかの行動を起こさなくては。
「しかし、そのような危険な者をいつまでも帝国内に置いておくわけにもいかぬ。一刻も早く魔王軍を撃退し、奴らにはお帰り願おう」
重臣達を見回し、何か言いたげな者から文句が出る前にバンスは側近達に指示を出す。
「各将は部隊を整えよ。大将軍府に属する全軍で西部国境へ向かう」
「「「「はっ」」」」
「ブイオンは〝老師〟を呼んでまいれ。近衛魔導師団の出動について相談しt」
「――ならぬ!」
連れて来たギルベルト含む四名の将軍が部隊を整える算段を立て始めたのを確認し、ロディネに近衛魔導師団の長にして主席宮廷魔導師たる〝老師〟を呼んで来させようとしたバンスを、突如制止する声が上がった。
その声の主は、誰あろう――
「「「「「「「陛下⁉︎」」」」」」」
――皇帝、バルムンク九世その人であった。
今まで話を聞いているのかも怪しかった皇帝の突然の発言に重臣達が驚く中、バンスは兄の真意を探ろうと兄に一歩近寄った。
「陛下、何を仰いますか。魔王軍は我らが仇敵、一刻も早く除かねばn」
「ならぬ、ならぬ! 予を、この兄を捨てるつもりか、クレイハット! 約束したではないか! 二度と私の前から去らぬと。また私を一人にするつもりか。絶対に許さんぞ!」
兄の慟哭にバンスは言い返せなかった。
大将軍としても、皇弟としても、何も。
今にも泣き出しそうな、赤子のような顔をする兄に、バンスはかける言葉が見つからなかった。
「あっ兄上……」
「ならぬぞ! この予を守護することこそお主の務めぞ! 帝都を離れることは許さぬ! クレオスもじゃ! 『剣帝』にも、『白炎』にも予の下を辞させはせぬぞ!!」
遂には泣き出した皇帝を侍従が必死に宥める。
こうなれば、もはや望みはない。バンスは諦めた。
例え生気の無い人形のように成り果てていたとしても、皇帝の意に逆らえる者などいない。皇帝が許さない以上、バンスもクレオスも出陣することは叶わない。
皇帝の体調が優れない、として会議は解散した。
悔しく思いながらも、バンスは別の方法を考えていた。
同情の余地が無いわけではないとは言え、民を守る責務を放棄して己が安全を優先した皇帝に代わり、皇弟である自分が上に立つ者の役目を果たさなくてはならない。
「――よし、やるぞ」
気を引き締め直したバンスは、せめてラポン奪還の助けになるように自分に出来ることをしようとギルベルト、ロディネらを伴って大将軍府へと向かった。
――この二日後、ラポン奪還の朗報と共に、アサリ、シナラスを含む西部六都市が同時に襲撃を受けた、との報を受けて己の不運さと間の悪さを呪うことを、バンスは未だ、知らない。