59 ラポンを襲った理不尽⑤
「うぉーーーーお!!! ナァ!!!!」
「うらぁーーーーーーーあぁ!!!!!」
僕とナァさんの最後の激突は――
「ぐふっ、ぶっ、ナァ……」
――ナァさんの敗北で幕を下ろした。
腹に塊をモロに喰らったナァさんは血を吐きながら膝から崩れ落ちる。
間一髪だったな。僕も――何回目だよって話だが――脳天から真っ二つにされて、もう面倒臭くなったので完全にスライム態になった。
ナァさんは顔面からバタリと倒れた後はピクピクと動いているので、生きてはいるのだろう。もう戦えないかもしれないが。
それに、僕ももう戦うつもりはない。悪いが止めは刺さずに拘束させてもらう。
ヌルヌルとナァさんから距離をとって粘手を伸ばし縛り上げる。
ナァさんは確実に黒ずくめの中では立場が上だろうからね。聞きたいことも沢山ある。
〝水〟の人(仮称)と戦っている『火』やウィルなんとかさんも気になるし、ナァさんとの戦いはここまでだ。
連戦になる可能性は高い。
それに、もうナァさんから思考を離さなくちゃならなくなった。
スライム態で出て行って〝水〟の人とまともにやり合えるかは不明だ。あの〝水〟は僕の普段の防御を貫通するほどの威力があった。攻撃手段が一つとは限らないし、スライム態では戦闘スタイルが限定されてしまう。
的が小さい分、〝水〟の被弾は減らせるかもしれないが、やはり膂力の面では不安がある。どちらで戦うにしろ、もう少し再生してから十分な用意をして臨みたい。
[班長、報告を]
とりあえずは、戦況を見極めよう。
僕は『火』の班長へ〈念話〉を飛ばす。
[……班長? どうした?]
しかし、班長からの応答はなかった。
パスが切れた感じはない。僕の言葉はあちらに届いてはいるはずだ。
つまり、あっちは僕に返答している余裕もないくらいマズい状況ということか?
あまり考えたくないな。人族内でも間違いなく上位の戦闘力を持つ者ばかりで『火』は構成されている。ウィルなんとかさんも修道騎士団の大隊長を任されるほどだ。決して弱くはない。
そんな彼らがそこまで追い詰められるとは。
これは悠長に構えている暇はないかもしれないな。
――『火』をボコボコに出来る奴に僕がどこまで通用するかは分からないけど、例え敗れようとも情報は持ち帰らなくてはならない。その点、僕なら最悪情報だけ伝達することも可能だ。
戦闘が終わってから絶え間なく続けていたが、再生はもう十分だろう。粘槍もそれなりの数揃えられた。これ以上はただの気休めにしかならない。自己満足のためにこれ以上時間をかけるわけにはいかない。
僕は大急ぎでナァさんを〈空納〉に放り込んで〝水〟の人との戦闘が行われているであろう方向へヌルヌル移動を始めた。
――これが大きな判断ミスだとも知らず。
◇◇◇
[――班長、応答しろ]
やはり、班長の応答はない。かなり追い込まれてるのか?
戦闘音らしきものはさっきから絶え間なく聞こえているし、既に全滅した……というわけではなさそうだが、現時点ではどういう状況になっているのか何も分かっていない。
それでも、行かないという選択肢はない。あるわけがない。
意を決した僕は、最後に〝水〟の人を見た通りへと身を乗り出した。
そこは、端的に言うと――
「っ⁉︎ 避けろ!!」
「うぁ」バガォーーン
――地獄だった。
僕の目の前で『火』の隊員が一人吹き飛ばされ背中から壁に突っ込んで見えなくなった。
周囲には『火』の隊員が数人横たわっている。全員が見るからに瀕死だ。腕や足が欠損している者も一人二人ではない。
さらに、修道騎士の制服を着た者も混じっている。帝国軍の制服の者も。
血の滲んだ包帯を巻いている者、投げ出された担架の下に埋まった者。
そのことが示すのはただ一つ――
「くっ、穴を埋めろ! これ以上近付けるな!!」
――負傷兵を逃すことに『火』は失敗した。
十一人いた『火』はもう五人しか残っていない。それにウィルなんとかさん率いる修道騎士を加えた僅かな兵力で、必死に戦線を維持していた。
彼らが対峙するのは当然〝水〟の人――と新たに湧き出た一般黒ずくめの集団だった。
一つ向こうの通りで、背後に負傷兵を庇いながら彼らは必死に戦っていた。本当に劣勢なようだ。あと一人落ちたら一気に瓦解しそうなほどに。
僕は素早く、しかし気配を殺して接近する。
「ぐぉほ」
「⁉︎」
「がぅふ」「げぁへ」「ぐっう」
「なっ⁉︎ しっ神獣様⁉︎」
「遅れて悪かった。こちらは片付いた。加勢する」
僕が放った粘槍が一般黒ずくめを次々に仕留めていく。強度自体は前の奴らと大差はないようだな。
問題は本当にどこから湧いて出たんだよ、って言いたくなるこの黒ずくめ達。
しかし、あまりにも押されすぎてはいないか? ここまで押されるのはいくらなんでもおかしいだろ。
「申し訳ございません。奴と交戦中、負傷兵を護送していた者達が奇襲を受け挟み込まれてしまいました。その後立て直しを図ったのですが、奴らに一度主導権を握られるや次々にあの者たちも討たれ、この通りです」
「仕方がないだろう。奴を抑えていただけでも上出来だ。この機になるべく削るぞ。奴は私が受け持つ、雑魚を片付けて合流しろ」
「了」
ウィルなんとかさんにそう命じると僕は〝水〟の人に向けて粘槍を放つ。
難なく避けられ、お返しに〝水〟を放たれる。
これを僕も避ける。もう背後を気にしたりしない。
〝水〟の人に接近しながら再度人間態をとる。一対一でやるならやはりこっちのがやりやすい。
正直、さっきのウィルなんとかさんの話しを聞いても未だ納得はいっていないが、それは一旦忘れることにする。ここで仕留めに行く。最速で。
「ふふふっ、お次は、あなたですか」
「ああ、お前にも死んでもらうぞ」
「……ほぉ、キィミィさんの姿が見えないと思いましたが、既に……」
……キィミィサン? まさか……ナァさんの名前か? アイツ、そんな名前だったの⁉︎
…………マジか、どうでもいいわ~。いや、マジで。今更名前とかどうでも。
一瞬の隙を作るために張ったブラフによって思わぬ情報がもたらされたが、それについて考える気はない。せっかく作った隙だ。
僕の誘導に引っかかって一瞬気をそらされた〝水〟の人へ突っ込んだ僕は、斧型にした粘手を〝水〟の人に振り下ろしつつ、数本の粘手を展開して足場を無くし、行動を制限する。
飛び道具使いには距離を詰める。戦いの定石はぶっちゃけよく知らないけど、僕は本能に従いそうした。
「ふふふっ、懐に入り込めば私を封じられるとお思いですか? 残念ですね。私はk――」
「近接戦闘もいけるんだろ?」
「⁉︎」
足場を潰すために展開していた粘手に紛れ込ませていた〈刺突〉型粘手で〝水〟の人の両腕を貫ぬく。これで両手を封じれたとは思ってないが、白兵戦もいけるクチである可能性は初めから考慮していた。心構えはバッチリだ。
流石に自分の両腕から突然灰色のナニカが生えてきたことには動揺したのだろう。〝水〟の人の超然とした雰囲気が初めて崩れた。
「流石にその〝水〟だけで『火』が蹂躙されたなんて考えてないさ。それを封じれば終わりだなんて、阿呆の考えだ」
「……ほぉ、私もあなたへの、認識を改めた方がいいようですね。……キィミィさんを下したのもあながちハッタリではなさそうだ」
強引に僕の〈刺突〉型粘手から腕を引き抜いたので、ダラダラと血が落ちているが、痛そうな素振りも見せず〝水〟の人はマントの中から取り出した二本の短剣で僕に挑んできた。
僕も主となる二本の粘手に加え、『分体統括』の操作の下ある程度の強度を持った粘手を何本も繰り出して応戦する。
〝水〟の人の短剣捌きは、見事なものだった。
僕の人生(とスライム生)で短剣使いと戦ったことなどほぼないが――別に他の武器の使い手とも戦った経験が豊富、ということもないが――明らかに「達人」と呼んで差し支えないだろう。素人目にも分かるレベルの使い手だ。
しかもこれで両腕に穴が空いているのだ。万全の状態なら一体どれほどのものになっていただろうか。
僕も(文字通り)手数で善戦しているつもりだが、正直押され気味だ。キィミィと戦っていた時同様、僕の身体に切り傷が増えていく。
「どうやら、間合いが近過ぎると困るのは、むしろあなたの方、なようですね」
「くっ」
〝水〟の人の言うとおり、僕は短剣レベルの近距離戦闘は苦手だ。
粘手を操る指示系統が混線して繊細な操作が出来ず、動きが大雑把になってしまう。
粘手の数が多いことと、ナァさん――キィミィに比べて〝水〟の人の一撃一撃は重くないことでなんとか継戦出来ているが、だいぶマズいかもしれないな。
――なんちゃって
「なっ⁉︎ ぐぼぉあほ!!」
突然〝水〟の人が血を吹き出した。短剣は両方とも掌からこぼれ落ち、地面を滑る。
それもそのはず、〝水〟の人の胸からは特大の粘槍が生えていた。
「どぅお、なべ、どほかぁあ」
口の端から血を流しながら尋ねる。何言ってるのかは分からないけど、何を言いたいのかは分かる。でも、説明は後だ。先に〝水〟の人を拘束しなくちゃ。
――思えば、この時僕は自分では冷静なつもりでも若干興奮していたのかもしれない。ナァさんを拘束した時から色々見落としていた。
「神獣様!!!」
「……やめてもらおう」
ほぼ同時だった。
背後からの声に僕が振り向くのと、脳天を砕かれるの、そして――
「ナァーーー!!!」
――身体が破裂したのは。
その原因は体内から僕の身体を突き破って出てきた――
「ルフィ、ザマァねぇ、ナァ!!」
――キィミィだった。
◇◇◇
「……ぇんぼく、あ……せん」
「話すな、無理して」
僕の脳天を砕いたのは、新たな黒ずくめだった。
そいつはそのまま重症の〝水〟の人――ルフィを担いで走り抜ける。
僕――と言うよりも僕だったもの――から十分に距離をとった後振り向いた。
「やられたものだな、散々に」
「で、どぉすんだよ、ナァ!」
「噛みつくな、俺に。帰るぞ、目的は達成されたからな」
「ふざけるな!!」
そう言って割り込んだのはウィルなんとかさんだった。
鎧の左半分は原型を留めておらず、どれほどの激戦を(恐らく)この黒ずくめと繰り広げていたのかを物語っていた。
赤髪を逆立てて怒鳴ったウィルなんとかさんには目もくれず、黒ずくめ3号(仮称)はキィミィに指示を出す。
「殺せ」
実にシンプルな命令だ。分かりやすいことこの上ない……なんて言っている場合ではない。
キィミィが狙いをバラバラに散らばった僕か、傷付き疲れたウィルなんとかさん達のどちらに定めるか逡巡した一瞬をつき、『本体』の核を含む小片に〈自己治癒〉を集中運用して最低限の大きさに一瞬で戻り、3号へ突進する。
仮にこれから逆転することが絶望的だろうとも勝ち逃げは許さん。ルフィの首だけでも持ち帰らねば。死んだ者達が浮かばれない。
3号はまだ僕に気付いていない。今を置いて他にチャンスはないだろう。是が非でも奪う。
「ん? なんだ?」
突進の速度のまま懐に突っ込んだ僕は手刀型の粘手をルフィの首へ突き出しつつ〈吸引〉と〈空納〉を発動する。
しかしあと一瞬遅かった。3号の抱えていたルフィは突如として姿を消した。
本当に首の皮に触れるか触れないか、むしろ薄皮の一枚くらい斬れるくらいまで迫っていた。迫れていたのだ。
クソがっ!
「残念だったな、何をするつもりだったかは知らないが」
「くぶっ」
そう言って3号は再度僕を殴り潰す。
『本体』はギリギリ逃がせたが、無理に再生しただけにここから立て直すのは絶望的だな。
諦めたからか、妙に頭がさえわたっている。
キィミィにはスキルが効かないというのに〈空納〉なんかに放り込んでも意味ないわな。
僕の視線の先では攻撃の対象を定めたキィミィとウィルなんとかさん達が激突していた。
そういや、ウィルなんとかさん達にそのこと共有してなかったな。言っとかないと。
「スキルを切れ! そいつにはスキルが効かない!」
「⁉︎ はぁあーー!!」
「なっ、ナァ!」
流石だな。僕の説明も何もないこの指示でも、即座に従ってくれた。
キィミィが肩を斬られて血が噴き出す。
それを見た3号の決断も早かった。
「引くぞ、キィミィ」
「⁉︎ ほかのヤツラはどうするんだ、ナァ⁉︎」
「回収済みだ、既に。引くぞ」
「……ナァ」
次の瞬間にはキィミィの姿は忽然と消えていた。
その隙に僕は遠隔で粘手を伸ばし手に触れた硬いものを掴んで〈空納〉に放り込む。
それから3号の方へ、散らばった身体の残骸の中で一番マシなやつから作った粘槍を放つが、到達する前に奴も姿を消した。
「……転移か、厄介だな」
「班長か、ご苦労だったな」
「……いえ、逃げ切られてしまいましたな」
思わず漏れ出たらしい呟きに振り向くと『火』の班長がいた。
足下から聞こえた声に一瞬だけ驚いた後、すぐに無表情になる。
満身創痍な様子の彼は、無感情に、しかしほんの僅かな悔しさをにじませてそんなこと言った。
「いや、未だ追えるぞ」
「っ?」
「奴らには私の分体を戦闘中に付着させた。今ならまだ大まかな方向と距離ならつかめる。十分追えるぞ」
班長的にはもう終わりだったかもしれないが、未だ終わりじゃない。僕もただ黙って勝ち逃げを許すつもりなどさらさらない。
まぁ、それだけじゃなく、ちゃんと〝戦利品〟も最後の最後にゲットできたしね。全くの惨敗、って程ではない。
とは言え、周囲を見渡せばまともに動けるのはほんの数人だけだ。幹部級らしき黒ずくめ三人にだいぶ遅れをとった。
僕もこの通りだし、負けたのは確かだな。
「というわけだ、皆も疲れてはいるだろうが、動ける者を選抜してくれ。すぐに立つ」
「御意」
班長にそう指示して僕は〝戦利品〟を〈空納〉から取り出す。
正直これも賭けの要素が強かった。妙に頭が澄み渡っていたあの時間に、何故かふと思いついたまま行動した結果だ。上手くいって本当に良かった。
それにしても、なんだこれは……石板? なにか書いてあ……る
「なんだ……これは……」
「神獣様!」
「……どうした……大隊長⁉︎」
振り返ると血相を変えてこちらへ走ってくるウィルなんとかさん――大隊長の姿が。
似た様子の人をどこかで見た気がする。それなりに最近だ。いつだろう。
ああ、そうだ。あれは――
「シナラスが魔王軍の襲撃を受けました!」
――ラポンの陥落を報告する『森』の隊長だ。
◆◆◆
「――それで、何故遅れをとった? あの程度の者に」
「うるせぇ! 隙を突かれただけだ、ナァ!」
「私も、不意を突かれましたね。あの魔物はあまり舐めてかかるべきではありませんでした。反省です」
地面に寝そべる二つの人影を見下ろし、男はそんな言葉を放った。
同輩になじられた二つの人影は、片方はたいそう不機嫌そうに吠え、もう片方は自嘲するように苦笑しながら立ち上がる。
なじった本人はその様子には頓着せず、歩き始めた。その後を二つの人影が付き従う。
薄暗い廊下を照らすのは申し訳程度の光しか放たない蝋燭だけだ。
そんな中でも三人は迷うことなく進んでいく。
そんな彼らの前に新たな人影が現れた。
「ご苦労だったな。思わぬ攻撃を受け撤退したと聞いたが」
「こいつらだけだ……です、それは」
「そうか」
先頭の男の口答えに特に気分を害された様子もなく、その人影は言葉を続ける。
「あの亜人らは全て開放してやれ。罪の無い者を拘束し続けることにタイシはあまりいい顔をされておられない」
「……かしこまりました」
代表して答えた背の高い方に頷くと、その人影は本題に入る。
この為だけにこの者はわざわざここまで来ていると言っても過言ではない。それほどこの三人に与えられていた任務は重要なものだった。
「〝例のもの〟は?」
「回収しt……ました、確かに。〝例のもの〟です、間違いなく」
「渡せ」
そう命じられて男は自信に与えられた『祝福』から目的のものを呼び出す。
しかし、望むものの感触はいつまでも訪れることはなかった。
「……どうした? 早くせよ。〝例のもの〟を一刻も早く献上することをタイシはご所望だ」
「どうしました? 確かに手に入れていたでしょう?」
「ああ、だが、無い! 何故か!」
何度呼び掛けても彼の『祝福』に反応はない。確かに彼はそこに収めたはずなのに、だ。
「……早くせよ。貴様の戯れに付き合う時間はないのだぞ」
「ないのだァ! そんなはずはァ! 俺が任務を失敗するなどォ!!」
「ナァ、盗まれたんじゃねぇのか? あの魔物によぉ」
背の低い方の言葉に、彼は目を見張る。
あの魔物か。強さの欠片も感じられないのに同輩二人を追い詰めたとか言うあの魔物。
いつ、どのように行ったかは定かではないが、こともあろうにこの自分の邪魔をするとは、許されることではない。
「殺す、必ず。後悔させてやる、必ず。このアイカポス様をコケにしたことをォ!!」
――男の目に、怒りと憎しみの炎が燃え上がった。あの不届きな魔物を滅するその日まで燃え滾るどす黒い炎が。
男の叫びを周囲の人影達は黙って見ていた。ただ一人を除いて。
「…………貴様の決意は結構だが、早く〝例のもの〟を渡してほしいものだな」